後日談(2)



 爆豪くんの買い物がひと段落したのでフードコートで昼食を摂ることにした。
 いつものように死ぬほど七味を入れた真っ赤なラーメンをすすっている爆豪くんと、それを尻目にごくごく普通の海鮮丼を食べる私。私も爆豪くんもそこまで嫌いなものがないから食の趣味が合わないわけではない。とはいえ好きな食べ物の方向性は大いに違うので、いっそフードコートやファミレスのような選択肢が多い店の方がうまいことお互いの好きなものを食べられる。爆豪くんの食べる激辛料理は正直見ているだけでウッとなるのだけれど、本人が満足そうにしているので特に何も言わないことにしていた。私にまで強要されなければ後は個人の自由だ。

「この後どうする?」
「てめえは買いたいもんとかねえのかよ」
「うーん、見たいお店はあるけど買いたいものは特に……」
 というより正直なところ、お財布事情が厳しいのだった。背伸びして百貨店でコスメなんて買ったものだから今月はあまり余裕がない。お年玉や月々のお小遣いの使い残しを貯めた貯金分があるから何も買えないほどじゃないけれど、けして無駄遣いできる余裕もない。特にこれから夏休み、遊びに行く機会も増えるだろうことを考えるとここからの収入分を勘定に入れてもできるだけ締めるべきところは締めておかなければ。恋コスメのジンクスが随分高くついてしまった。

 しかしそんなことはもちろん目の前の爆豪くんに言えるわけもなく、私は「今月厳しくてねえ」と当り障りない部分だけ説明しておいた。嘘はついていない。爆豪くんは特に訝しがることもなく、ジュースを啜った。
「買うかは分かんないけど私も服屋さんちょっと見てもいい?」
「どうでもいい」
「そこはせめて『なんでもいい』にしてよ」
「心底どうでもいい」
「最悪じゃん。デートなんだからもう少し興味を持って」
「てめえの服なんざ、まじで心底どうでもいい」
「詳しく説明してくれてどうもありがとう」
 そうは言いつつも別に私の買い物に付き合うこと自体はやぶさかではない様子の爆豪くんだった。私は内心ちょっとだけ、本当にちょっとだけにやにやしてしまう。なんとまあ素直じゃないことか。
「爆豪くん荷物一回ロッカーに預けてくる? それ持って移動するの重いでしょ」
「重くねえ」
「結構な量の荷物だよ?」
「重くねえ!!」
 本当に素直じゃない。

 食事を終え、ふうと一息ついた。お昼時のピークを過ぎフードコートの中にも空席が目立ち始めている。爆豪くんは買い物に不足がないか、買い物袋の中身を確認していた。この隙にと私は鞄からポーチを取り出す。
「ちょっとお手洗い行ってくるね」
 そう言って席を立つと、私は女子トイレに向かった。ついでに食事でとれてしまったリップを塗り直したり化粧も直したかった。きちんとメイクしてきたことに爆豪くんが気付いていないのはなかなか悲しいものがあるけれど、それでも崩れた化粧をそのままにしておくわけにはいかない。それにショーウインドウに映る自分がいつもより多少はましな顔をしているのは、まあ悪くない。
 爆豪くんを待たせるのも悪いので急いで化粧を直して席に戻ると、私の分もトレーを返しておいてくれた爆豪くんがぶすっとした顔で私を待っていた。戻ってきた私の顔をじっと見て、それから何故か舌打ちを打つ。
「なんで若干怒ってるの? これでもかなり急いで戻ってきたのに」
「怒ってねえよ!」
「もー、またすぐ怒鳴る」
「だから怒鳴ってねえ!!」
「いや怒鳴ってるよ、それが地声のボリュームだったらだいぶうるさいよ」
「あ゙ァ!?」
「それ。それの話をしてるんだよ、私は」
 何故か若干不機嫌な爆豪くんが立ち上がったので、私も鞄を手に取った。爆豪くんは買った荷物を断固として預けようとしなかった。重い以前に邪魔だと思うのだけれど、一度こうと決めてしまうと梃子でも動かない爆豪くんなので仕方ない。あんなの持ってるくらいだから今日もきっと手を繋ぐことはないだろう。私はひっそりと嘆息する。

 本当のところは特別手を繋ぎたいとは思わないし、キスしたいわけでもないのだ。当たり前だけれど恋コスメのジンクスを信じてるわけでもない。ただ爆豪くんにそういう、恋人っぽいことをしたいと望まれないことを少しだけ寂しく思うという話だ。
 爆豪くんが何を思って私と付き合っているのかは分からないし、私のどこが好きなのかも不明だ。それでも付き合っているからには私の何かしらに少なからず惹かれてくれているのではと思っている。私が爆豪くんに惹かれているのと同様に。しかし爆豪くんとの関係は名前が友達から恋人に変わっただけで特に変化もない。好かれているという自信も、何かしら供給がなければだんだん失われていくというものだ。
 手を繋ぎたいわけじゃない。キスしたいわけでもない。ただ、爆豪くんに好かれている自信が欲しい。好きだなんて言葉を絶対に言わないだろう爆豪くんだ。言葉がないのならせめて行動で示してほしい。そうでないと爆豪くんを好きでいるのが私の独り善がりな気がしてつらくなってしまうから。私ばかりが爆豪くんを好きだという事実に悲しくなってしまうから。
 それとも、これは私の我儘なんだろうか。爆豪くんみたいな人と付き合うということはそういう些細な贅沢すら望みすぎの範疇になってしまうということなのだろうか。だとしたら私は爆豪くんに何も望んじゃいけないのだろうか。見返りを求めない無償の愛を捧げなくちゃ成らないんだろうか。それならばまだ、片思いの方がましじゃないか。だって片思いなら、私が疲れたら勝手に終わらせることが出来るから。ひとりで完結できるから。

「──って、あれ……?」

 誰かの肩とぶつかって、長く重苦しい思考から我に返った。ぶつかった人はすぐさまその場から立ち去ってしまったから謝ることも出来なかったのだけれど、問題はそこではない。問題はさっきまで私のすぐ前を歩いていたはずの爆豪くんがそばに見当たらないということだった。
 慌てて辺りを見回す。相変わらずの混雑具合で人は沢山いるというのに、爆豪くんの姿は何処にもなかった。うっかりぼんやりしている間にはぐれてしまったらしい。爆豪くんがどこに行くとも聞いていなかったからこの広いモールで爆豪くんがどこに向かって歩いていたのかすら分からない。
 ひとまず連絡を、と携帯を取り出して爆豪くんに電話をかけてみるも繋がらなかった。ほとんど後ろを見ずに歩いていた爆豪だ。もしかしたら私とはぐれたことにすらまだ気付いていない可能性もある。
 これは後から怒られるな。ため息をつくと、ひとまずすぐ近くの柱に背中を預けた。連絡がつかない以上、無闇矢鱈と動き回るのは得策ではない。爆豪くんと一緒にいた場所から今いる場所まではほとんど一本道だったから、きっと爆豪くんも此処を通ってはいるだろう。そうなると動かずに連絡がつくか爆豪くんが引き返してくるのを待つのが最善策である。

 それにしても買い物に来て連れとはぐれるなんて、小さい頃に母と買い物に行った先で迷子になって以来だ。さすがにそんな小さな頃のような心細さを感じたりはしないものの、なんだかどうしようもなく情けなくなってしまう。高校一年生にもなってモールで迷子って、これでは爆豪くんにグズとか鈍臭いとか詰られても文句も言えない。実際グズで鈍臭い間抜けである。
 けれど。確かに私がぼんやりしてたのも悪いのだけれども、しかしそれはそれとして爆豪くんも爆豪くんじゃないだろうか。デート相手がぼんやりしてて歩みが遅くなったら普通気がつくものじゃないだろうか。だってデートだぞ。デートなんだぞ。ていうか気づいてほしかった。デートなんだし。いや私が悪いんだけども。八割……、いやまあ九割くらいは私が悪いのは認めるけれども。

 未だ連絡の来ない携帯とにらめっこしながら、思考はぐるぐると自己嫌悪と若干の責任転嫁の渦に飲み込まれる。そんな状況だったから、私は自分の前に人が立っていることにも、その人が私に話しかけていることにもまったく気がついていなかった。
「お、キミひとり? ツレいねえの?」
「……」
「無視?」
「……? あ、私ですか?」
 やっと気が付いた私に、目の前の人は呆れた顔で笑った。軽い雰囲気のお兄さんである。少しだけ爆豪くんの友達である上鳴くんに似ているけれど、その笑顔からは上鳴くんよりももっと色々手慣れていそうな感じがする。
「私ですかってキミ以外ひとりで立ってる女の子いねえよ?」
 にこにこ笑いながらも口調が荒い。初対面の年下の女子である私に強い口調で話すというのは、多分あんまり品のいい性格ではないのだろう。爆豪くんで口が悪い人間の対応には慣れているものの、やはりあまりいい気はしない。バレない程度に眉をひそめた。
 これは所謂ナンパってやつなんだろうか。生まれてこの方そんなものに遭遇したことがないので、いまいち判別しかねる。女子がひとりで突っ立っていたら誰でもいいから声をかけるタイプのナンパだとしたら普通に迷惑極まりないけれど、こちらもナンパされるのなんて何分初めてのことなので、どう躱すべきなのかもよく分からない。困惑する私にチャラ男は畳み掛けてくる。
「こんなとこでひとりで何してんの? 待ち合わせ?」
「そういうわけでは、」
「あ、もしかして友達とはぐれた? そういうことなら俺一緒に友達探してあげよっか? その前にどっかでお茶しねえ?」
「いや、ていうか本当」
「何やっとんだ」
 いい加減にしてください。そう喉元まで出かかった言葉は割って入った声によってごくりと飲み込むことになった。いつの間にかチャラ男の背後に立っていた爆豪くんは、ぎろりとチャラ男を睨みつける。およそヒーロー科在籍の学生とは思えないようなその凶悪な面構えは、爆豪くんに救われた立場であるはずの私すら背筋がびしりと凍るような威圧感を放っている。
「爆豪くん!」
 ひとまずは助かった。ばたばたと爆豪くんの背後に隠れるように駆け寄り、爆豪くんの肩越しにこっそりチャラ男を見る。チャラ男は大して身長も変わらない年下の爆豪くん相手に完全に気圧されたようで、じりと一歩後退した。ガンを飛ばす爆豪くんというのは本当に凶悪そのものなのだが、味方となるとこうも心強いのか。

 暫しそうして睨み合いをしていたが、チャラ男の方がはっと気付いたように突如声を上げた。
「つーかよく見たらお前雄英祭で一位だったやつじゃん! まじか、雄英生の彼女かよ」
 んなの敵うわけねえじゃん!と文句なのか何なのかよく分からない捨て台詞を吐きながらチャラ男は走り去っていく。爆豪くんも深追いする気はないようで、舌打ちしながらチャラ男の後ろ姿を睨むだけだった。
「ありがとうね、助かった」
 視線をチャラ男から私に戻した爆豪くんに、私はお礼を言った。ああいう絡まれ方をしたことがなかったからどう躱したり追い払ったりすべきか分からなかったけれど、爆豪くんのように凄むだけで追い払えるのならば便利なものだ。少なくとも爆豪くんといればあの手の人間に引っかかっても困ることはないだろう。まあ今回私が絡まれたのも何かの間違いだったような気がするけれども。私は一緒にお茶したいタイプの人間でも、誰にでもついていくようなタイプでもない。

 けれどそんな呑気なことを考えながら見上げた爆豪くんの顔は、不機嫌の極みのような険しい表情をしていた。
「何やっとんだグズ」
 いつになく本気でイラついた声音だった。あ、これは面倒なやつだと察知してすかさず謝る。
「ごめん」
「ふらふらしてっからああいう変なんに絡まれんだろうが」
 その乱暴な物言いに少しだけ頭に来た。別に私が好き好んで絡まれたわけではなく、言ってみれば不可抗力だ。それに、はぐれたのだって私だけが悪いような言い方をするけれど少なからず爆豪くんにだって非はあるはず。たとえ私が九割悪かったとしても一割は爆豪くんの非である。私ばかりが責め立てられなければならないような謂われはない。
 一応は謝ってみるものの、むっとした顔を隠しきれていなかったのだろう。爆豪くんの眉間の皺が深くなる。それを見て私も言い返すことにした。言い返したい気持ちがバレているのならば謝って繕う必要はないからだ。
 一応九割の非を認めて謝りはしたものの、私と爆豪くんは恋人同士。本来対等な立場である。無条件に謝罪だけしなければいけないというわけではない。
「ふらふらしてたわけじゃないよ、ちゃんと爆豪くん見失った所から動かずに待ってたし」
「あ?」
「ていうかそもそも先にどっか行ったの爆豪くんじゃん」
「てめえがちゃんと付いてこねえのが悪ィんだろうが」
「じゃあせめて次どこ行くかくらい口に出してよ。これだけ広いんだから目的地も言われずにさっさと歩いていかれちゃったらそりゃはぐれるに決まってるって」
「俺がどこ行こうが俺の勝手だろ」
「だからそういうのをやめてって言ってるの。ふたりで来てるんだから勝手も何も無いでしょ。連絡したって気が付かないし、どうせ私がいなくなったことすら気付いてなかったんでしょ」
 いよいよ喧嘩になりそうだったけれど、正論を言っているのが私だという自信があった。一緒に買い物に来ているのにそんなに個人主義を貫かれても困るし、そのくせはぐれたらはぐれたで私のせいとまで言い出す神経は正直信じられない。爆豪くんが苛々しているのが伝わってきて、私もついついヒートアップしてしまう。
「あ゙ァ? 根暗の分際で口答えすんな。なんだ、ちょっと声かけられたからって浮かれてんのか」
「なに、声かけられたとか今それ関係ある? ていうか浮かれてもないし」
「浮かれてんだろ。化粧してんのかなんか知らねえけどよ、一丁前に男に媚びてんじゃねえブス」
 一応言っておくと、なんだかんだ言っても自分の中でこれ以上は駄目だというラインまで来たら私が引いておこうという冷静な思考があった。爆豪くんが謝ることなんて有り得ない。だから喧嘩になったら私が大人の対応で引いてやるしかない。
 そう思っていたのだ。この瞬間までは。
「…………」
「んだてめえ、シカトとか調子乗った真似、」
「……嫌だ」
「あ゙?」
「外見のことで悪口言う人、私、嫌だ……」
「……」
 私との言い合いで爆豪くんが黙るのは初めてのことだ。だけどそんなことは私にとってはどうでもいいことだった。
 ぎゅっと固く手を握る。少しだけ伸びていた爪が手のひらに食い込んだ。周りの人たちはこんなところで言い合いをしている私と爆豪くんのことなんて気にも留めていない。視線を寄越す人すらいない。当然だが誰にとっても今この場で私が言われた言葉はどうでもいいことなのだ。爆豪くんにとってすら、きっといつものどうでもいい暴言のうちの一つだった。けれど、私にとっては違う。
 小さく呼吸を整える。それからできるだけ話す声が低くなるように声のトーンを落とす。大きな声や高い声では、声が震えているのがばれてしまうかもしれなかった。
「根暗とか陰キャラとかさ、そんなんは別にいくら言われてもいいよ。気にならないよ。だけど外見のことはその、普通に傷つくからね。いくら私でも。爆豪くんから見たらクソださくて可愛くもない彼女かもしんないけど、……ブスとかそういうの、言われたくなかった」
「……おい」
「帰る。今日はちょっともう、爆豪くんと話したくない」
 それだけ言うと、私は早足にその場を立ち去った。当然かもしれないけれど爆豪くんが追いかけてくるなんてことはなくて、私はひとりで惨めな思いを抱えたまま駅に向かう。

 私が特別可愛いわけじゃないことなんて自分が一番よく知っている。どこにでもいるような平凡な人間だ。スタイルだって普通だし、勉強だって中学まではまずまずだったけれど高校では特別優秀なわけでもない。個性がすごいわけでも、家がお金持ちなわけでもない。本当にただの、ぱっとしない女子高生。何でもできて格好よくてモテる爆豪くんとは違う。
 幼いころを思い出す。個性のことでいじめられるのは確かにつらかったけれど戦えないわけじゃなかった。大して好かれたくもない相手にどう思われようが知ったことではない。私の個性がないところでそいつらに迷惑をかけるわけでもない。まして私をいじめられるほど優れた個性を持っているわけでもない人間から何を言われようが傷ついてやる理由なんてなかった。
 だけど今回はそれとは違うのだ。相手は少しでもよく思われたい、いいように見せたい恋人で、隣に立って歩ている私の評価がそのまま爆豪くんの評価にもつながりかねない。そして彼は性格以外は十分すぎるほど恵まれたものを持っている人間だ。
 爆豪くんが私の顔を好きで付き合っているなんて図々しいことを考えたことは一度もない。だけどあんなひどい言葉を言われても平気でいられるほど図太くも強くもなかった。
 好きな人にブスと言われて平気で笑っていられるほど自分のことを低く見てもいなかった。

 きっと今の私はひどい顔をしている。乗り込んだエレベーターの鏡に映った自分の顔にまた憂鬱な気分になる。いつもよりきちんと化粧をしているはずなのに、そこに映っているのはいつもより疲弊して、憔悴した自分の顔だ。とてもじゃないが見られたものじゃない。
 溜息をつきながらポーチに手を伸ばして、指先がふれた買ったばかりのリップに嫌気がさす。キスするかもしれないなんて浮かれてた自分がバカみたいで。ほとんど新品のままのリップを駅のトイレのゴミ箱に捨てて、売店で買ったメイク落としでごしごしと顔をこすった。

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