後日談(1)



(※本編終了後の番外編/林間合宿編前後)
(※Twitter再録)


「名前ちゃんと爆豪くんどこまでいったの? もうキスとかした?」
「まだだよ」
 テーブルの上のポテトをつまみながら私は即座に返事をする。学校帰りのファストフード店、話題はもっぱら恋愛の話である。特に私と爆豪くんの恋愛事情はかなり興味を引くようで、こういう女子会めいたことをするたび近況報告をさせられる。

 爆豪くんと付き合って早いものでもうすぐ三ヶ月。季節はすっかり夏である。この三ヶ月の間に雄英が敵に襲われたり雄英体育祭があったりと、彼氏である爆豪くんは何かと忙しく過ごしていた。恐ろしいことに敵の襲撃を受けてもほぼ無傷、体育祭ではあの氷と炎のハイパー強そうな子を打ち負かして一位になるなど相変わらず凄さの片鱗を見せつけている。
 そして爆豪くんがそんな注目の的になることで、必然的に私は「爆豪勝己の彼女」として認知されることになっていた。
 雄英体育祭で一位ともなればそりゃあ女子からの人気も出るというもの。たとえ表彰台で拘束されるという前代未聞の醜態を晒しているとはいえ、その実力は折り紙つきだ。
 既にうちの高校では私と爆豪くんの交際を知らぬものはいないと言っても過言ではなく、有名人の彼氏を持つと要らぬ注目を浴びてしまうというのを三ヶ月にして既にひしひしと感じている。全然ありがたくないことだが、まあ仕方ないことだ。

 そんなわけで、爆豪くんと直接面識のない友人たちもこぞって爆豪くんの話を私に問い質してくる。ついでにあの体育祭でのイメージから、やはり不良っぽいという偏見を持って私に尋ねてくるのだった。間違ってはいないけども。

「名前ちゃんの彼氏、手が早そうなのにね」
 例のごとく不良っぽいというイメージで語られるその言葉に、私はうーんと曖昧な返事をする。手が早そうは確かに私も付き合う前から思っていたことだった。爆豪くんに今まで彼女がいたことがあるのかすら私は知らないけれど、少なくともモテてはいたのだから何かあったとしてもおかしくはない。私なんかより二歩も三歩も先を歩いていそうな爆豪くんだったが、しかしこの三ヶ月私と爆豪くんの間に恋人らしいことがあったかと言われればそういうわけでもなかった。
 基本的には忙しい爆豪くんだ。朝一緒の電車に乗るから顔を合わせる回数は世間並み以上だと思うけれど、わざわざそれ以外でデートとなると月に一度、多くて二度といったところだろうか。それも近場でご飯食べるとか映画とかその程度だ。手を繋いですらいない。

「爆豪くん、あんまりそういうこと興味無さそう。淡白っていうと少し違うけど……。未だになんで私と付き合ってるのかよく分かんないし、ていうかそもそも私にあんまり魅力感じてなさそう」
「付き合ってるのに魅力感じてないって、そんなことある?」
「なんだろうね。でも普段から根暗とかグズとか散々言われてるから、爆豪くんのタイプってわけじゃないんだよね、私」
「名前ちゃん普通に可愛いよ、大丈夫だよ。多分照れ隠しだって」
「いや、あれは本気の暴言だと思う」
 爆豪くんを知らない友人たちには分からないかもしれないけれど、爆豪くんは照れ隠しに意地悪言っちゃうなんて可愛いタマじゃない。基本的には私に向けられた罵詈雑言はすべて爆豪くんの本心だろう。
 それでも時々、本当にごく稀に「あ、今のは恥ずかしがってるだけだな」ということもあるけれど、私のことがタイプではなく魅力を感じていないことには間違いないと思う。なぜ付き合ってるのかと言われたら、それは何というか、爆豪くんの一時の気の迷いというやつなのではないかというのが私の中の主説である。
 私の方は着々と爆豪くんのことを好きになっているというのに、まったく悔しい。

 と、そんなことを考えていたら友人のひとりが鞄の中からごそごそとポーチを引っ張り出してくる。そこから更に何かを取り出すと、彼女は「はい、これ」と私に手渡す。手の上のそれはキラキラと輝くリップスティックだった。
「彼氏とのお付き合いでお悩み中の名前ちゃんはこれ、買ってみたら?」
「何? これ」
 しげしげと角度を変えながら眺めてみるけれど、これといって変わったところはない至って普通のリップである。強いて言うのならば持ち主の名前の刻印が入っているということくらいだろうか。似たようなものなら私も持っている。
 私が首を傾げると、友人はチッチッチとわざとらしく指を振る。
「これ、婚活リップ。所謂恋コスメってやつだね。私これ付けてて彼氏できたし友達も彼氏と一歩進んだって行ってたから実績はあるよ」
「うーん……私あんまりそういうジンクスって信じてないんだけどなー」
 そう言いながらリップを持ち主の元に返す。私は知らなかったけれどどうやらそれなりに流行っているようで、私以外はみんな持っているか購入を検討中のようだった。化粧品なんてドラッグストアのものしか買ったことがない私には縁がない品である。
「そんないいもの買ってもなあ……」
「まあまあ、ものは試しってことでさ」
「ていうか恋コスメとか関係なくても普通に可愛いよね、この色」
「うん、それつけて彼氏のこと誘惑しちゃいなよ」
「誘惑って……」
 半ばごり押しのように言われ、私は曖昧に頷いた。

 その日の帰り、ふと思い立って乗換駅で電車を降りた私はすぐ近くの百貨店に足を向けてみた。高校生のお小遣いではとてもじゃないけれど手が出ないようなハイブランドのアパレルブランドには目もくれず、向かう先は化粧品売り場である。

 ──恋コスメか。
 別にジンクスを信じたわけじゃない。というか、そんなものを信じて購入してしまえるほど私の懐事情はあたたかくない。それに爆豪くんだってジンクスなんかでどうこうできるほど柔じゃなさそうだと思う。占いの結果とかおまじないとか、すべて跳ね除けそうな感じだ。多分呪いの類も爆豪くんには敵わない。こんなキラキラしたリップのジンクスなんかじゃとても太刀打ちできっこない。それでも、何となく心に引っかかるところがあったのもまた事実だった。
 百貨店につくまでの電車で色々検索をかけてみたところ、一口に恋コスメといってもいくつか種類があるらしい。いいなと思っていた品番を探すと、恐る恐るテスターの先から指でとって試しに唇に載せてみる。ほんのりと赤く色付いた唇に、何故か爆豪くんの顔が頭をよぎって恥ずかしくなった。いや、違うし。爆豪くんがどうとか関係なく、普通に色が可愛いから買うだけだ。一本くらいちょっといいリップがあってもいいかなとも思うし。高校生だし。
 誰にともなく言い訳をしていると、販売員さんが近づいてくる。結局、目当てのリップを買うことにした。頭のてっぺんからつま先までくまなく綺麗な美容部員のお姉さんがにこやかな笑顔で包んでくれたそれを手に、私は家に向かう。次の爆豪くんとのデートは今週末だ。別に爆豪くんのために買ったわけじゃないけれど、まあ折角だし付けていってもいいかな。そんなことを考えながら私はうきうきと帰路についたのだった。

 ★

 土曜日。昼前に駅で待ち合わせした私と爆豪くんは、揃って電車に揺られていた。向かう先は木椰区のショッピングモールだ。うちの近所にももっと小さなモールはあるけれど、そこだと家から近すぎて中学までの知り合いと顔を合わせて気まずい思いをする可能性もある。それに今日の目的は爆豪くんの買い物なので、爆豪くんが木椰まで出ると言ったらそれについていくのが私の仕事だ。
 雄英では明後日、週明けの月曜から一週間の林間合宿があるらしい。さすがにそんなに長期の合宿ともなればそれなりの準備が必要で、今回はその準備の買い物に付き合えとのことだった。
「林間合宿って一週間なんでしょう。大変だね」
「大した事ねえよ」
 電車から降り、モールに向かう道すがらそんな話をする。普通科の私には想像もできないけれど、ヒーロー科の合宿なのだからきっと朝から晩まで個性を使って何かしらの特訓をするのだろう。想像するだに恐ろしい。私なら絶対無理だ。まあ私の個性は「跳躍」なので一日中ぴょこぴょこ飛び跳ねていても特に何ということもないのだけれど、単に足が疲れる。
「買い物って何買うの?」
「服」
「合宿中のトレーニングって指定のジャージなんじゃないの?」
「一週間あったら寝巻き代わりのシャツもそこそこいるだろうが」
「ああ、そうか。途中洗濯できないの痛いね」
「最低限は洗濯機借りられるけど、基本水洗い。クソすぎる」
「うわー……この暑いのにねえ」

 この三か月の間で何か爆豪くんとの間に得るものがあったとするならば、それはこのコミュニケーションの円滑さだろう。相変わらず罵詈雑言を浴びせられる日々ではあるけれど、さすがに恋人になって三か月も経てば円滑な意思疎通もできるようになる。語尾にほとんど確実についていた暴言がなくなっただけでもかなり改善されたといえるだろう。
 爆豪くんは爆豪くんなりに歩み寄りの姿勢を見せてくれている。たとえそれが「暴言が減る」というマイナスからややゼロに近いマイナスに近づいただけでも、前身は前進だ。
 と、進行方向に向けていた視線を爆豪くんに向けてみれば、爆豪くんが私の顔を凝視していた。
「エッ、なに? 何かあった?」
「は?」
「いや、今爆豪くんこっち見てたから」
「は!? ふざけんなてめえの方なんざ見てねえわ!」
「あ、そうですか……」
 てっきり普段と雰囲気が少し違うことに気が付いてくれたのかと期待したのだけれど私の勘違いだったらしい。バレないように少しだけ落胆した。
 先日買ったリップは今日ちゃんとつけてきているし、ポーチの中にも入れてある。折角なので普段はほとんどしないメイクもした。平日は少しでも長く寝ていたいから朝からメイクしている時間なんてないし、休日も私の中学時代を知っている爆豪くん相手に今更着飾ったところでなあ、と大してメイクなんてしたことがなかった。そこまで濃いメイクをしているわけではないけれど、きちんと見れば気が付く程度にはしてきたつもりだ。
「まあ、興味ないか」
 爆豪くんがこちらを見ていないのをいいことに大きな溜息を吐いた。そりゃあデートの相手は爆豪くんだ。私がメイクしていようが気が付かなくても仕方がないというか、寧ろ私の顔なんて碌に見てもいないのだろうけれど、それにしたって残念に思ってしまうのは仕方がない。折角朝から張り切ったのに。
「本当に、爆豪くんは何で私と付き合ってんのか」
「あ? なんか言ったか根暗」
「言ってないし根暗でもないんだよね」

 休日のモールは人でごった返していた。若者から家族連れまで、ここに来れば大抵のものは購入することができるからいつ来てもここのモールは混んでいる。たまに学校の帰りに寄ったりもするけれど、休日はその比にならない混雑ぶりだ。
「どこから回る?」
「服屋」
 いや、服屋なんて腐るほどあるんだけど。そう反論するより先に爆豪くんはさっさと歩き始めてしまうので、私は慌てて小走りについていく。どうやら爆豪くんの中では今日の回るルートがある程度決まっているようだけれど、それを私に共有してくれる気はないようだった。
 デートとしてどうなんだそれはと思うものの、三か月の間に、いや中学時代のもっと横暴だった時代の爆豪くんから慣らされ適応させられてしまっている私はもはや文句を言うこともなくついていくのみだ。その方が色々面倒くさくない。一番面倒なのは爆豪くんを怒らせることだ。冗談で怒らせるやつではなく、本気怒りの爆豪くんが厄介だということはもう学習済みである。

 宣言通り服屋で私服を何着か見繕った後は、アウトドア用品店で日焼け止めやらコールドスプレーやら兎に角必要そうなものを雑多に買い物かごに放り込んでいく。聞くところによると合宿先は合宿をする当事者である生徒にも教えられていないそうだ。そうなると必然的に必要そうなものはとりあえず購入しておいた方がいいということらしい。ある程度は仲間内でシェアも可能だろうけれど、さすがに日焼け止めや虫よけスプレーといった消耗品を一週間シェアするのは無理がある。
「靴とかは買わなくていいの? あと防寒着とか。もし山の中だったら夜寒そうじゃない?」
「そういうんは家にあるのでいい」
「家にあるんだ。爆豪くんアウトドアとか好きなの?」
「それなり」
「へー、ちょっと意外だ」
 知られざる爆豪くんの一面を垣間見る。どちらかといえば都会っ子っぽいと勝手に思っていたけれどそういうわけでもないらしい。彼の言うアウトドアがどの程度なのかは分からないけれど、登山とかするんだろうか。これで案外ストイックな性格をしているし体力的にも申し分はないだろうから、言われてみれば確かに向いているのかもしれない。
「ちなみに私はスポーツ全般苦手だからアウトドアとか全然しないよ」
「んなもん見りゃ分かる、ひ弱。てめえの鈍くささに気付かねえわけねえだろ」
「え、そんな見るからに鈍くさい?」
「何もねえところですぐコケるだろ」
「コケてないよ。コケかけたところを大体いつも何とか持ち直すよ」
「持ち直せてねえよ、ほとんどコケとるわ」
「手つかなきゃセーフじゃない?」
「知るか、んなクソみてえなルール」
 運動能力の高い爆豪くんには私の悩みなど分かるまい。分かってほしいとも思っていない。そんな雑談をしながらも爆豪くんはどんどん買い物を進めていく。脳内に購入品リストでも作ってあるのか、迷いのない買いっぷりは見ていて気持ちがいいほどだ。きっとどういうルートで買い物をするかも事前にちゃんと決めてあるのだろう。私ならばあっちにふらふら、こっちにふらふらと目についたものや思いついたものから買ってしまう。
「すごいね、最短ルートで買い物済ませてるんじゃない?」
「は? 当たり前だろ。こんな人混みで無駄足踏んでたまるか」
「はー、爆豪くんはちゃんとしてるなあ。私だったら動線悪すぎて足痛くなっちゃうよ。爆豪くんとの買い物だとそういうこともないね」
「……」
「ん? どしたの」
「なんでもねえよ!」
 不自然に沈黙した爆豪くんの顔を見上げれば、何故か怒鳴られた。なんでだ。

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