君は恒星を欲しがる



 翌日、学校に行くと爆豪勝己の席の周りには人だかりができていた。
 昨日のどろどろとした敵に人質になりながらも耐え抜いたこどもということで、爆豪勝己はあの後インタビューを受けたりしていた。大方みんなその映像を見ていたのだろう。元から校内では有名人の爆豪勝己だけれど、全国ネットで大々的にその雄姿を報じられたことで、いよいよ有名人になってしまったらしい。
 しかし、爆豪勝己が賞賛されるのも当然だ。映像で見る限り、あの敵は見るからに臭そうだったし、つかまった爆豪勝己は苦しそうだった。私だったらあんなものに取り込まれて、あまつさえ人質にまでされた日には多分三秒ももたず死んでしまうだろう。そう考えるとやはり爆豪勝己はすごい人間だと思う。口ばかりじゃない。
 ──まあ、私には別に関係ない話なんだけれども。
 別に爆豪勝己と仲がいいわけでもなければ、特にあの時の話を聞きたいわけでもない。というよりも、昨日よく分からないけれど喧嘩を売られて絡まれた私なんかが話しかけようものなら、また爆破を引き起こされかねない。触らぬ神に祟りなし、触らぬ爆豪勝己に爆破なし、だ。
 そんなことを思いながら教室に入ると、私はまっすぐに自分の席に向かった。席についてすぐ、持ってきた小説をぺらぺらと捲る。
 普段より割増しで騒がしい教室の中で、耳から入ってくる音を意識しないよう努力した。もう十か月も経てば受験なのだ。無駄なことに割く時間はない。私みたいな人間は特に。

 その日一日を過ごしてみて分かったのは、どうやら爆豪勝己は周囲が思っているほど──というか私が勝手に思っていたほど、調子に乗ったり機嫌よくなったりしているわけではないということだった。集まってきた人間が昨日の事件のことを持ち出そうとすると、あからさまに機嫌が悪くなる。何なら聞いてきた人間を殴ったりもする。一体何がそんなに気にくわないのかは知らないけれど、あの結果が爆豪勝己にとって満足に足るものでなかったことだけは確かなようだった。
「ていうか緑谷くん顔が死んでるけど大丈夫?」
 放課後、掃除当番だった私と緑谷くんは、ふたりでせっせと教室のほうき掛けをしていた。ほかにも何人か掃除当番がいたはずなのだけれど、その人たちは爆豪勝己の取り巻きなのでどうせサボって帰ってしまったのだろう。別に期待はしていなかった。寧ろ緑谷くんと二人の方が気が楽だ。
 私の質問に半拍遅れて気が付いた緑谷くんは、へへ、と力なく笑って見せた。目の下の隈がひどい。なんとなく全体的によれよれしているような気もする。
「だ、大丈夫。ちょっと色々あっただけだから」
「それ大丈夫っぽくないね……。爆豪くんに何かされたの?」
 あまりにも爆豪勝己からの当たりがきついようであれば、一応は先生か親に相談した方がいいのかもしれない。そう思って尋ねたけれど、緑谷くんは驚いたように胸の前で手を振った。
「えっ、かっちゃん!? かっちゃんとは何もないけど……、そんな風に見える?」
「いや、何となく思っただけだから何もないなら別にいいんだ。昨日も爆豪くんにひどいことされてたから、また何かあったのかなって思っただけ」
 実際には緑谷くんと爆豪勝己は幼馴染だというし、昨日より以前にも緑谷くんが爆豪勝己からひどい仕打ちを受けているのは何度か目撃している。しかし少なくとも、今緑谷くんがくったりとしているのは爆豪勝己とは何ら関係のないことのようだった。濡れ衣を着せてしまい爆豪勝己には申し訳ないことをしたような気もするが、まあいいだろう。濡れ衣を着せられるような行いを繰り返している爆豪勝己にも非はある。
「僕すぐかっちゃんのこと怒らせちゃうんだよね」
 眉を八の字に下げる緑谷くんに、
「ていうより爆豪くんが勝手にすぐ怒っちゃう感じだよね」
 そう言うと、緑谷くんはまた少しだけ笑ってくれた。少しでも元気になってくれたならよかったと思う。爆豪勝己と何があったというわけではないようだけれど、緑谷くんにも本人の言う通り色々あるのだろう。何せ彼は無個性で雄英を受験しようというのだから、それなりに悩みもあるに違いない。
「受験生だしね、そりゃ色々あるよね。あと十か月、長いような短いような。はあ、受験嫌だねー」
 集めたごみを塵取りで集めて掬いながら言う。私だって受験のために今年から塾に通うことになったし、そのせいで自分の趣味の時間は減るしでまったく面白くない。早く受験なんて終わってしまえばいいと思う反面、永遠に受験なんて来なければいいとも思う。まあこんな中学さっさと卒業しておさらばしてしまいたいので、永遠に受験が来なければそれはそれで困るのだけれど。
「ね、緑谷くんもそう思わない?」
 そう言って緑谷くんに同意を求めるように視線を上げると、教室の後ろの黒板を掃除していた緑谷くんは何故かぽかんとした顔で私を見ていた。私と視線が合うと、彼は我に返ったようにわたわたし始める。そのせいで学ランの裾がチョークの粉で汚れてしまったけれど緑谷くんは気が付いていないようだった。
「どうかした? 私何か変なこと言った?」
「あ、いや、その、……驚いて」
「何に?」
 首を傾げて尋ねると、緑谷くんはそわそわと視線を泳がせてから小声で「個性の話、じゃなかったから」と言い訳のようなもごもごとした言葉を発した。意味が分からず首を傾げ返す。緑谷くんはあわあわと、全身で一所懸命説明を試みてくれた。
「ほら、僕無個性だからさ……、なんか悩んでるみたいな話で個性の話じゃなくて普通の受験生っぽいこと言われて、なんていうか……びっくりしたというか!」
「ああ、なるほど。そういうこと」
 言われて合点が行った。
 確かに緑谷くんが何か思い詰めていたとしたら、本来真っ先に思い浮かぶのは個性云々の話だろう。雄英を受験すると相成ったこの時点で、改めて無個性であるという現実に直面して悩んでいるとか、そんなような理由が緑谷くんの悩みとしては一番すんなり納得できる気がする。
 けれどそれと同時に、それこそ今更無個性のことで悩まないのではという思いもあった。だからというわけではないけれど、私の中では「個性のことについて悩んでいる」という選択肢は自動的に消去されていた。こうして緑谷くん本人に言われるまで、考えもしなかった。
「なんとなく、個性のことで悩む時期ってもう終わったかなって勝手に思ってた。それにみんなと違って私普通科志望だから、正直そんなに個性のこととか気にならないんだよね」
「あ、そうなんだ……」
「うん。それに、私も無個性の気持ち、ちょっとだけ分かるからあんまり話題に出したくなかったかも」
 そう言って笑うと、緑谷くんは少しだけ気まずそうな顔をした。きっと緑谷くんも私の個性のことを知っていて、話の流れで思い出したのだろう。緑谷くんとは少し違うけれど、私も私で個性の発現に関しては少し特殊な状況を経験した。だから個性に関してはそれなりに嫌な思いもしてきている。お互い様ってやつだ。
「名字さんは、個性が発現したときどう思った……?」
 緑谷くんの質問に私は唸る。どうと言われても、正直に言えばもうあんまり覚えていない。
「うーん……厄介なって思った……かな? こっちの気も知らないでって、ね。嬉しくなかったわけじゃないけど」
「そっか……」
「まあ周りがうるさくなくなったのはよかったかな。緑谷くんに言うと失礼かもしれないけど、爆豪くんみたいな子に色々言われることもなくなったし」
 個性のことは老若男女問わずポピュラーに語られる話題だけれど、その分何かと問題や偏見も付き纏う。優れた個性を持つものが人間として優れているとも限らないのに、あたかも個性の優劣が人格の優劣に比例するような言説が平気で罷り通っている。個性なんて生まれ持った素質をどうこうできるものでもないのに、人と比べること自体が馬鹿馬鹿しいと言う人間の方が少数派なのが現状だ。特に、この中学では。
 受験の悩みについて考えていたはずが、いつの間にか個性にまつわる諸問題に思考がすり替わっていた。その流れで思い出すのは、どうしても優れた個性の上にあぐらをかいた男、爆豪勝己のことだ。知らず識らずのうちに眉間に皺が寄る。
「……名字さんってかっちゃんのこともしかして嫌いなの?」
「ほとんど話したことないからなー。あ、掃除終わった? こっちも終わったから私たちも帰ろうか」
 掃除用具を片付けながら、私はそう言った。質問の答えはかなり分かりやすくはぐらかしてしまったけれど、緑谷くんははぐらかされたことに気が付いているのかいないのか、困ったような顔をして笑っていた。

 ★

 家の方向が違う緑谷くんとは校門で別れると、私は家には帰らずに、直接塾に向かうことにした。電車で二駅のところにある学習塾には講師常在の自習室がある。週に何度かはそこを利用することにしていた。その方が勉強がはかどるような気がするのだ。
 夕飯は塾で食べることになるだろうからコンビニで何か買っていこう。そう思い駅のコンビニに入る。おにぎりとサラダ、パックのコーヒー牛乳をかごに入れてレジに並ぼうと歩き出したところで、いきなり後ろから強くどんと押された。どうやら誰かが通りすがりに私の背中にかばんを思い切りひっかけたらしい。誰でもいいけど謝るくらいしなよ。そう思ってむっとしながら振り向いて、すぐに振り向いたことを後悔した。
 私と同じく眉間にしわを寄せた爆豪勝己が私を思い切り睨んでいた。
「ば、爆豪くん……、わあ、奇遇だね。こんなところで会うなんて」
「……うるせえ」
「あ、はい、ごめん。じゃあまた明日学校で」
 折角愛想よくしてみたというのに、普通に暴言を吐かれた。これはやはり、触らぬ爆豪くんに何とやらというやつだろう。深入りしないようにさっさと会話を切り上げて、私はその場を立ち去ろうとする。
 しかしその選択が悪かった。爆豪勝己に背中を向けた瞬間、セーラー服の襟をぐんと引っ張られたのだ。思わず呻く。首がしまる。しまってる。
「げっほ、げほっ、な、なな、なに!?」
「俺の許可なく帰ろうとしてんじゃねえ!」
「だ、だってうるせえって言ったじゃん」
「うるせえはうるせえだろうが!」
「全然意味わからん……!」
 何故二日連続で私は爆豪勝己に絡まれているんだろう。これまでほとんど会話なんてしたことなかったのに。
 店内の時計を見ると、幸いまだ塾に行くのには時間に余裕があった。ほっと胸をなでおろす。一体全体、爆豪勝己がどういう用件で私を引き止めているのかは謎だけれど、とりあえず遅刻してしまうことはなさそうだ。
「あの、私この後塾があるんですが」
「……んなもん通ってんのかよ、根暗」
「根暗じゃないし、受験生なんだから塾くらい通うよ。爆豪くんとは違って私は普通の人間なので」
「ハッ! たりめーだろうが!」
「だからもういいですか」
「あ゛ァ!?」
「ヒエッ、こわっ」
 このままでは一向に話が進まない。ひとまずかごに入っている商品の精算だけして、レジ袋を片手に再び爆豪勝己のもとへ戻ることにした。何故私がこんなことをしてやらねばならないのか、爆豪勝己に付き合ってやらねばならないのか甚だ疑問だが、ここで爆豪勝己を振り切って逃げ切ることができるとも思わないし、仮に逃げ切れたとしても明日厄介なことになることは目に見えている。
 コンビニの前で私を待っていた爆豪勝己は、私がコンビニから出てくると、無言のまま思い切り私を睨みつけた。そういえば爆豪勝己も私と同じで制服姿のままだけれど、こんな時間まで家に帰らずに遊び歩いていたのだろうか。だとしたらとんでもない余裕ぶりだ。彼が受験する雄英はたしか筆記試験もそれなりに難しかったはずだけれど、受験勉強らしいことはしていないんだろうか。
 そんなことを考えながら何も言わないで爆豪勝己の言葉を待っていると、爆豪勝己は面白くなさそうに舌打ちをした。そして言う。
「てめェ、根暗モブのくせになんで俺に対してビビらねえんだよ」
「は?」
「普通耳元で爆破されたら泣くとかビビるとかするだろうがよ。ぶっ殺すぞ」
「いや普通に怖いとは思ってるけど……ていうか自覚があってやってたんだ? 爆豪くんめっちゃ怖いじゃん……いや、サイコパスかよ……」
「るっせんだよ! つかビビってんだったらもっと分かりやすくビビれや! おもくそガンつけやがって」
「ガン……?」
「ガンつけてんだろ、何かにつけちゃクソ生意気な顔でこっち見やがって」
 どうやら自分ではまったく身に覚えがない罪状でキレられているようだった。そういえば昨日も同じようなことを言っていた気がする。私は爆豪勝己を見ている意識なんてまったくないし、寧ろ変に関わり合いを持ちたくないので積極的に視界に入れないようにしているくらいなのだけれど、爆豪勝己によると私は彼に喧嘩を売っているように見えるらしい。完全に濡れ衣だし理不尽なことこの上ない。昨日はたしかに若干嫌疑をかけられても仕方ないような目つきをしていたけれど。それだって目の前に爆豪勝己がいるという状況だったからそうなっただけなのだ。普段から睨んだりはしていない。
「どういう状況の話をしてるのか全然分かんないけど、悪いけど本当に身に覚えがないことです。昨日も言った通り、爆豪くんが不快に思うなら謝るけど」
「何聞き分けいいこと言っとんだ。てめェ殺すぞ」
「えええ、何なの本当に……」
 察するに、どうやら彼は虫の居所が非常に悪いようだった。昼間の機嫌の悪さを今もまだ引きずっているのだろうか。ということは、もしやこれは完全な八つ当たりじゃないんだろうか。もしそうならば果てしなく迷惑なことこの上ない。私、全然悪くない。
「とにかく、私は爆豪くんと喧嘩するつもりはないし、喧嘩売ってるつもりもないし、気に入らないなら関わらないでほしいし、私もこれまで通り極力爆豪くんには関わらないようにするから。だからあと十か月、卒業まで今まで通りの絡みのないクラスメイトでいようよ」
 ね、と私は眉尻を下げて爆豪勝己に言う。変に笑いかけたりしたらまた怒られそうなので、極力普通に頼み事をするテンションで声を掛けたつもりだ。それなのに、彼は眉間の皺を一層深くした。むっつりと黙り込んで、こっちを睨みつけている。爆豪勝己の普段の姿が所かまわず他人に罵詈雑言を浴びせるような人間なので、急に静かになられてしまうとそれはそれで怖い。
「ていうかそもそも、私たち接点とかほとんどないじゃん。クラスでもグループ違うし。普通にしてればお互い喧嘩みたいにはならないと思うんだよね。もし今後も私にガンつけられてると思っても、それは多分気のせいだから無視してください。私ちょっと目悪いから斜にもの見る癖あるし、そのせいだよきっと」
 爆豪勝己が黙っているのをいいことにぺらぺらと捲し立てる。視力の話に至っては完全に今でっちあげた嘘八百なのだけれど、兎に角この場をさっさと切り抜けたい私にとってはその程度の嘘を吐くことに何の抵抗もなかった。どうせバレない。
「それじゃ、私は塾に行くので」
 今度こそ本当に時間がまずかったのでそれだけ言う。爆豪勝己の返事を待たず、くるりと背を向けて全力でその場から走り去った。振り向いたりはしないけれど、爆豪勝己が追ってくる気配はない。ほっとする。
 それにしても、先ほどのあれは本当に一体何事だったのだろう。困惑しつつも、とはいえこれで爆豪勝己に絡まれることはもうないはずだ。ギリギリ滑り込んだ電車に乗り込んで、私はほっと胸をなでおろす。
 そういえば爆豪勝己、コンビニで何も買わずに出て行ったけれど何しにあんなところにいたのだろうか。家の方角は緑谷くんの家の近くで駅に近いわけじゃないだろうに。
 そんな疑問がふと胸にわいたけれど、結局すぐに、まあどうでもいいか、と結論を出した。どのみちもう私と爆豪勝己は何の関係もないただのクラスメイトだ。いや、これまでだってずっとそうだった。ただ昨日と今日、二日続けてちょっと距離感を間違えてしまっただけのことだ。
 かばんから読みかけの小説を取り出す。少し早い帰宅ラッシュでぎゅうぎゅうに押しつぶされていたら、爆豪勝己との一件のことなどすぐに忘れてしまった。

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