とあるさざめく愛のおはなし



 そうは言ってもほかでもない自分が、爆豪くんに対して失言をこぼして怒らせている現状、まず爆豪くんにコンタクトをとることからして、どうにも気が重くて仕方が無いわけで。それに会うと言ったって何と言って呼び出したらいいのかもわからない。
 当初の予定では、これまでの通り朝の電車で会うことができたら、その時にさりげなさを装って謝ろうとも思っていたのだけれど、残念ながら結局一週間経っても爆豪くんと一緒の電車になることはなかった。これはもう、意図的に避けられているとしか思えない。
 悩みに悩んだ末、金曜のお昼、昼食を食べながら私は爆豪くんに連絡をすることにした。余計なことを書いて墓穴を掘ったりするのも嫌なので、必要最低限のことだけを携帯の画面に打ち込んでいく。
 今日の放課後、私たちの地元の駅のファミレスで。
 それだけ打つと、震える指先でようやく送信した。何分突然のことなので、もしかしたら爆豪くんは来てくれないかもしれない。そうでなくても私からのお願いを爆豪くんが快く聞いてくれるとは思えない。
 けれど、それならそれでまた次の手を考えるだけだ。
 メッセージを送信した携帯を制服のポケットにしまって、私は長く息を吐きだす。ああ、恋愛ってしんどい。

 ★

 授業を終えて下校すると、勝手に待ち合わせ場所に指定したファミレスに、私はひとりで入店した。やはり今回も私の方が先に到着したようで、出入り口から発見しやすいテーブル席にひっそり着く。
 とりあえずドリンクバーだけ注文して薄いコーヒーをテーブルに運んでくると、これまた前回と同じように課題をテーブルに広げた。そうでもしていないと、嫌にそわそわしてしまって爆豪くんと顔を合わせる前に心労で死んでしまいそうになるからだ。後はもう流れに身を任せるしかないことをわかっていても、緊張してしまうものは仕方がない。
 かりかりと、シャーペンをノートに滑らせる。ひたすら計算問題を解いていると余計なことを考えずに済んでいい。ノートが埋まっていくのも爽快だ。
 ここ一週間爆豪くんのことで頭がいっぱいで集中力を欠いていたけれど、ひとまず会おうという連絡を送ったことで目の前のタスクがひとつ片付いたのか、今日は今までよりも集中できる。
 そうしてどんどん計算問題を消化していると、唐突にノートが翳った。集中していたから時間感覚には乏しい。
 ぼんやりと顔を上げると、そこには一週間前と同じ、仏頂面をした爆豪くんが立っていた。
「おい根暗、てめえ人のこと呼び出しといて俺が来たのに気付かねえっつーのはどういうこった」
 開口一番に、挨拶もせず文句を言う爆豪くんである。普段ならば感じ悪いなあとでも思うところだけれど、今この状況においては、その普段との変わらなさが少しだけ私の心を落ち着かせた。
「えーっと、課題やってたから」
「んなもん家でやれ!」
「まあまあ。あ、爆豪くんドリンクバーでいい?」
「聞けや!」
 よかった、思っていたよりずっと普通に会話できている。
 テーブルの上の筆記用具を片付けながらほっと胸をなでおろす。さりげなく壁の時計に視線をやると、私がここにきてから大体一時間ほどが経っていた。私よりも一時間分授業数の多い爆豪くんが私より一時間後にここにやってきたということは、ほとんど迷ったりする余地なく、授業が終わり次第待ち合わせ場所に来てくれたのだと思ってもいいだろう。
 話し合いの余地は十分にある。
 ウェイトレスにもうひとつドリンクバーを注文した後、どかりと私の前に座った爆豪くんは、眉間に深く皺を刻んだまま「で?」と短く言葉を発した。
「で、とは」
「てめえが呼び出したんだろうが。さっさと用件言えグズ」
「とりあえずだけど、語尾に悪口つけて喋るのやめてよ」
「あ?」
「いや、威圧すんのもやめて」
 ひとまず場をあたためようと適当な言葉の遣り取りで時間を稼いでみるけれど、それも爆豪くんの前では大した意味をなさなかった。場をあたためる──いや誤魔化そうにも、そもそも爆豪くんとは言語でのコミュニケーションが、通常の三分の一くらいしか成立しないのだ。言葉で誤魔化したり別の話題にすり替えたりということは、対爆豪くんでは通用しない。
 ずず、とコーヒーを啜る。自分で呼び出してこの状況を作ったのだ。もはや逃げ隠れすることなどできはしない。もとよりそのつもりもない。
 すうはあと小さく呼吸を整えた。今はもう、むずむずしたりはしない。とにかく緊張してどきどきするだけだ。目の前の爆豪くんが平然としているのが悔しい。
「あ、あの、この間の話の続き、なんだけど」
 そう前置きをして、私はまた一つ息を吐く。意味もなくテーブルの上のカップの表面を撫でてみたりするけれど別段気持ちが落ち着いたりするわけでもなかった。ただ自分がどきどきしているのだと改めて実感するだけだ。
「爆豪くんが私のこと好きになるはずないって、私がそう言ったときの爆豪くんのことを、この一週間のあいだずっと考えてて──それであの、ちょっと聞きたいんだけど、爆豪くんは──、だからつまり、その、爆豪くんは私のことが──好きなの?」
 何とかそれだけ口にしただけでも、私はすでに顔から火が出そうなほどに──というかもういっそこの場から消え去ってしまいたいほどに、羞恥心に襲われて死にそうになっていた。
 言った。言ってしまった。
 爆豪くんが私のことを好きかもしれないと──というか多分好きなのだと、私がそう思っていることを。
 一週間考えてもまだ信じられないその事実を、ほかならぬ爆豪くん本人に確認してしまった。
 爆豪くんの顔、目を直視することができない。視線はただ、手の中のカップに残ったコーヒーの表面を滑るだけだ。
 指先が冷たい。まだ緊張している。
 正面に座った爆豪くんが大きく息を吐きだした気配がして、きゅっとカップを握る手に力がこもった。
 恐る恐る視線をあげれば、爆豪くんが口を開くところだった。
 そして──
「んなこと、てめえに教えてやる義理ねえだろうが」
 爆豪くんの口から発された言葉は、何とも爆豪くんらしく──しかし考えうる限りにおいて、もっともこの場の返答として不適切なものだった。それならばまだ、好きではない、勘違いだと言われた方がましというものだ。関係ないって。そんなことある?
「えええ……? こ、この期に及んで爆豪くん、まだそんなことを……? 嘘でしょ、正気とは思えない……」
 そのあまりにも爆豪くんらしさ全開の返事に、戸惑うのを通り越して私は普通に引いてしまった。
 意表を突かれるとか、最早そういう次元の話ではない。いやいや、まさか嘘でしょ。完全に腹を割って好きとか好きじゃないとかそういう話をする空気だったはずなのに、爆豪くんは一体何を言っているんだと、私は半ば本気で困惑する。
 義理て。
 義理、あるでしょ。
 だって爆豪くん、私のこと好きなんじゃないのか。義理、ありすぎるだろ。これ以上ないくらい義理あるだろ。
 そんな私の混迷極めた思考回路など当たり前のように無視をして、爆豪くんは席にふんぞり返ったまま再び口を開く。 
「つーか人にモノ聞く時はてめえから言うのが道理だろうがよ。おい」
「エッ、怖い……。こういう話は男らしく自分から言おうとか、そういうのないの? ちょっとも?」
「んなもんねえわ。聞きたきゃまずはてめえが俺に媚びろや」
「媚……ええ? 言葉選びのセンスが最悪すぎる……」
 いや、本当に。本当に本気で、爆豪くんは最悪だった。というか最悪であってこその爆豪くんなのだった。
 信じられないという顔を隠す気にもならない──そんな気持ちで爆豪くんを見つめると、爆豪くんも爆豪くんで、てめえが喋れやという顔で私を見ていた。結果、暫し睨み合いになる。
 信じられない。中学時代からこれまで、さまざまな場面でみみっちい男だと思ってはいたけれど、ここにきて最大級のみみっちさを発揮してくるとは思いもしなかった。
 とはいえこうしてテーブルを挟んで睨み合うことで分かったのは、このまま黙っていても一向に埒が明かないということだった。爆豪くんは断固として好きだの何だの言わないくせに、黙秘の権利だけは全力で公使するつもりらしい。頑として私の要望を受け入れないという姿勢がありありと見てとれた。そこだけは雄弁すぎるくらいに、姿勢で語っている。そんなものを語るな。もっとほかに語るべきことがあるだろうに。
「私──えっと、私は──」
 仕方がないので、ここは私が引いてやることにした。こちらも一応、腹を括ってここまで来ている。こうなれば私の方から話を進めるしかない。
 先ほどいつも通りの遣り取りをしてしまったせいで結果幾らか緊張はほぐれていたけれど、いざ話を始めようとすると再び、ばくばくと心臓が鼓動の主張を始めた。
 それを鎮めるため呼吸を整え、爆豪くんの顔から視線を逸らさないよう目に思い切り力を入れる。
 それから満を持して口を開き──
「い、いや、やっぱ無理! 」
「あ゙ァ!?」
 今度は爆豪くんが怒る番だった。しかし仕方がないだろう。無理なものは無理なのだ。そもそも爆豪くんができない、やらないと言っていることを私ができるはずもない。する道理もない。というかもう何もかもがどうでもよくなってきた。
 会話のすべてがぐだぐだすぎるし、そうこうしているうちに本当に爆豪くんが私のことを好きなのかどうかも分からなくなってきた。好かれてない気がする。だって好かれていたら媚びろやとかとか普通言われないんじゃないだろうか。いくら私の感覚が爆豪くんに毒されてきているとはいえ、まだその程度の最低限の判断能力は残っている。だから告白するかしないかの場面で媚びろやとか言い出すことが、けしてハートフルエピソードではないことだけは分かる。寧ろ非人道エピソードだ。
 全力の鬼の形相で私を睨みつけている爆豪くんに、私は顔の前で手をぶんぶんと振る。これは拒否の意思表示だ。
「無理無理、言えない。私には恥ずかしくて言えない、今日のところはもう解散にしよう。いったんお開きにして、次回一か月後くらいにお互い持ち帰った案を練り直して発表にしよう」
「はあ!?」
「じゃ、じゃあまた後日ってことで! 今日は現地解散! バイバイ!」
「おい待てや!」
 慌ただしく席を立とうとした私の腕を、爆豪くんが咄嗟につかんだ。
 制服の上からぎゅうと握られたそこに、一気に熱が広がる。腕が、心臓が、顔がいっぺんにぼっと熱くなった。
 まるで金縛りにでもあったようにそこから一歩も動くことができなくなってしまった私は、ただ爆豪くんの顔を見つめ返して口をはくはく動かすことしかできない。
「ばくごうくん」
 やっとのことで呼んだ彼のまさか名前は、不安定に揺らめいて響いた。
 その揺らぎを、爆豪くんが見逃すはずもない。
「ふざけんな。この状況で逃がすわきゃねえだろ。んなツラしといて、何も言わねえ何も思ってねえは通じねえぞ」
 爆豪くんの目は本気だった。本気で私を逃がす気がない。あの日怖いと思った、まっすぐな目だ。私の腕をつかむ手も、けして力が強いわけではないけれど、さりとて容易に振り払えるような弱さでもなかった。
 その目に感化され、私は再びすとんと椅子に腰を下ろす。私が腰を落ち着けたのを確認してから、爆豪くんはやっと私の腕から手を離した。私に逃げる気がないことを認めたらしい。
 残っていたコーヒーに再び口をつけると、もうすっかり冷めてしまっていた。
「言えよ」
 爆豪くんが急かす。口調は普段よりも穏やかなくらいなのに、まるで首元に切っ先を突きつけられているような、そんな尋常ではない詰められ方をしているような心地にさせられる声だった。
 ヒーロー科なのに発している威圧感は完全に悪役のものだ。その威圧感に負けないよう、こちらも気合を入れなおして、爆豪くんの目を見つめ返す。からからの喉を潤すためコップの水をぐいと勢いよく飲み干すと、私は大きく咳ばらいをした。
 ──ええい、ままよ!
「そんなに言えって言うなら言うけど、私は──私は、爆豪くんと同じ気持ちだよ」
「──はあ!?」
 本日何度目かの「はあ!?」だった。そして本日最大の「はあ!?」だった。
 しかし「はあ!?」と言いたいのはこちらとて同じである。そっちが何も言ってこないから、仕方ないからこっちから言ってやっているのだ。いわば私が折れたあげた形であり、私の言葉に対し爆豪くんから「はあ!?」なんて言われる筋合いはない。そんなことを言っていいのはきちんと気持ちを言葉にした人間だけだ。
 しかし同時に、「はあ!?」と爆豪くんが言ってしまう気持ちも分からないではない。これは言わば、何も言ってこない爆豪くんへの意趣返し──最大級の仕返しでもある。
 もしも爆豪くんが私のことなんて好きではない、何とも思っていないというのであれば、私もそれでいいですということになる。
 潔くないのは分かっている。好きですとたったの一言、たったの四文字私が口にすれば、それですべての片がつく問題だ。ここに来て逆に爆豪くんが私のことを好きだという説の信ぴょう性は薄れたけれど、だからといって私が爆豪くんのことを好きだという気持ちは変わりない。自覚してまだ数日とはいえ、今更みみっちすぎる爆豪くんの姿を再確認したくらいで萎える気持ちでもない。
 それでも、その一言、その四文字を口にすることができないのは意気地のなさによるものなのだろうか。真っ向から喧嘩を売られたら殴り返すことができるけれど、こうやって向かい合った爆豪くんに感情でぶつかるのは、いじめっ子たちを喧嘩で殴り返すこととはわけが違う。
 これが私の、今の限界だと自分自身、そう思う。
 けれど爆豪くんがそれに納得するはずもない。
「そういうわけだから、つまり私の気持ちは爆豪くん次第ってことで」
「てめえ、ふざけとんのかマジで」
「はい私は言いました。内容はどうあれちゃんと言いました。次は爆豪くんの番だよ。ていうかこれで何も言わないとかまじで男が廃るよ」
 煽るように言い切った私に、爆豪くんはばんと思い切りテーブルを叩いた。テーブルの上の食器ががたりと揺れる。コーヒーのカップが空でよかった。さっきから散々爆豪くんが怒鳴っているせいで、もう店員さんはこっちに近づいても来なくなった。そして爆豪くんはそんなことを気にも留めない。私も諦めている。
 爆豪くんに私のお願いが聞き遂げられることなどないのだと、諦めてしまっている。
 諦めて、それでも好きだという気持ちだけは往生際悪く燃えている。
「てめえなんかに誰が言うか! このクソ根暗女!」
「うわ、クソ根暗女って地味にバージョンアップするのやめてよ、傷つく……」
「んなこと知るか!」
 爆豪くんの盛大な怒声が店内に響いた。

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