煤けた終わりできみを待つ



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 死ぬほど腹立たしくて仕方がないが、俺はあの根暗女のことが好きらしい。そのことに気が付いたのは、アホ面たちと下校していて名字と鉢合わせしたときだ。アホ面が気安くあいつの名前を呼んでいるのが気に入らなくて、それで、あ、終わったなと確信した。
 本当はそれより前から色々思うところはあったのだが、認めるのが癪で否定し続けてきた。だからあのクソボケひ弱根暗女が「爆豪くんが私を好きになんてなるはずない」とか抜かしやがったとき、正直キレるとか腹立つとか殺意がわくとかそんな感情全部抜け落ちて、ただ真っ白になった。
 俺が名字を好きになるわけないなんて、そんなこと、ほかの誰でもないこの俺が、一番心の底から思っている。なんだってこの俺が、よりにもよってあんなひ弱で根暗で、そのうえクソ生意気な女に好意を持たなきゃならないんだ。意味も道理も通らないだろうが。逆ならともかく──いやあんなやつに好かれたってうざったいだけだが。
 そんなことを考えながら、俺はだらだらと自宅に向かって歩いていた。つい先ほどまで根暗女と一緒にいたが、あいつのことは置き去りにしてきた。一応あいつの家まであと少しというところまでは送ってやったから、置き去りにしたところでよっぽど危険なこともないだろう。
 柄にもなくあいつを家まで送ったりしたもんだから、歩く距離が駅からまっすぐ帰るよりずっと伸びてしまった。まあそれでも、このむしゃくしゃした気持ちやごちゃごちゃした思考を纏めるのには、このくらい歩く方が丁度いいかもしれない。黙々と足を動かしていると自然と頭もよく回る。
 そもそもあいつがもうちょっと危機感やら何やらを持ち合わせてさえいれば、この俺がわざわざ遠回りをしてまで送ってやる必要もなかったのだ。中三の冬、偶然夜道を歩く名字を見掛けたときのことを思い出し、またむかむかとした気分が腹の底からこみあげてくる。
 あのときはたしか、受験勉強の気晴らしに軽く走ってこようと思って家を出たのだった。家を出て駅まで走り、そこからさらにもうひと走りしようと思っていた。そこでたまたま見かけたのが、脳天気な顔して歩いている名字と、その後ろを一定の距離を保って歩くクソ胡散くさいジジイだった。
 通りに俺たち以外に人影はなかった。このまま放っておいたらあいつがどういう目に遭うかなんて、俺じゃなくても見当がついただろう。分かっていなかったのは当の名字本人だけだった。
 思い出しただけでイラついて、俺は夜道でひとり、舌打ちを打つ。
 強くもないクソ雑魚個性の上、腕力は恐らく平均以下。図体が小さい女だというだけでも狙われやすいというのに、あんなださくて冴えない制服の着方した地味女なんだから、おおかた大した抵抗もしないちょろい標的だと思われていたのだろう。
 挙句の果てには音楽聞きながらふらふらしているというのだから、もはや何かあっても自業自得というものだ。あまりにも危機意識がなさすぎる。もう狙ってくれと言っているようなものだ。
 とはいえ俺もヒーロー志望、見過ごして寝覚めが悪い思いをするくらいなら、いっそ面倒でも助けてやった方がまだマシだ。そう思い、あのジジイを威嚇爆破してやった。
 名字のような根暗しか狙えないようなやつだ。俺の爆破──というより威嚇のための閃光で一発だった。
 果たしてあのジジイが逃げた先でどうしたかまでは知らない。俺のあずかり知らないところで再犯しようが、そこまでは俺の知ったことではなかった。

 あのとき俺が名字の窮地を救ってやったことを、あの根暗は知るよしもない。俺にそれを知らせる気もない。別に恩を売りたくてやったわけでもないことだ。あくまでも自分のための行為であり、その結果名字が助かったに過ぎない。
 だがしかし、そのこと以外を考えてみても、あいつは俺からの好意やら親切心にとかく疎すぎる気がしてならない。俺の感情表現や親切心が人より一段伝わりにくいことくらいは自覚があるが、それにしても疎いにもほどがある。
 普通に考えて、この俺が、まったくどうとも思わない女に連絡先を教えると思うか? 毎日一緒の電車に乗るか? 映画に行くか? 飯を食うか?
 ちょっと考えれば分かることだろうが。わざわざ行動を共にしようと決める時点で、少なからず何かしらの感情があるに決まっている。自覚しろ。そんなところでだけ「私なんかに」などと、健気に殊勝ぶってんじゃねえ。

 足元でじゃりと音がした。靴底がアスファルトを強く蹴り上げる。
 嫌われてはいないと思ってた。俺がそうであるように、名字だって嫌いな人間とわざわざつるむタイプじゃない。あの女は女のくせに、そういう女くさいところがまったくと言っていいほどないのだ。昔の事情から、まあその辺りについてはは色々と察するところもあるのだが──それはともかく今現在、少なくとも多少はあいつも、俺のことを気に入ってると思ってた。付け入る隙はあると思ってた。なのに。
 ──躱すどころか逃げを打ちやがった。
 腹立ちまぎれにもう一度、俺は大きくアスファルトを蹴る。そんなことでは腹立ちは一向に紛れない。
 なんでこのタイミングであいつが逃げたのか、おおかたのところの事情は想像はできる。どうせあいつの友人だか何だかに、その手の余計なことを吹き込まれでもしたのだろう。その結果、急に俺のことを意識したとか、まあそんなところだろうと思う。
 あの根暗女のことだ。俺以上に恋愛なんてものに理解も免疫もないに違いないから、いざ目の前にそれを突きつけられ、それで及び腰になったのだろうというのもまた、理解できるところではある。
 だがそれはあくまでも、あいつの感情の問題だ。あいつが自分で「爆豪勝己を好きじゃない」と思うのは別にいい、それだってあいつの勝手だ。ぶん殴りたくなるほどムカつきはするが、仕方がないことだとも思う。それならば、その上でこちらもどう出るかを考えるだけだ。
 俺がむかつくのは、あいつが事もあろうに俺の感情を決めつけてかかったことだ。
 俺があいつを好きになるはずないと断定して、勝手に決めつけ逃げた。そのことが腹立たしくて仕方がない。
 逃げるならせめて、自分で責任もって自分の問題として逃げろ。
 そしたら俺が追いかけて、とっ捕まえて思い知らせてやるというのに。
 はあと長く息を吐きだして、それから思い切り頭をかいた。
 腹立たしいのは腹立たしいが、俺まであいつに引きずられ、終わってしまったことを考えていても仕方がない。ひとまずは此処から先どうするか──それを考える方が重要だ。
 ああなってしまった以上、当分は距離を置いた方が良いだろう。あの根暗は俺がいくらビビらせても退かないだけの生意気さは持っているものの、こういう問題には恐らく耐性がなくとことん弱い。今俺が勢いで畳みかけても、あいつは小動物よろしくさらに逃げるだけだろう。
 こちらも当然逃がしてやるつもりなど毛頭ないが、だからといって面倒な拗れ方をしても面白くない。暫くは冷却期間を置いて、その上であいつの判断を待つ──それが恐らくベストだろう。
 まったく、なんで俺があんなクソ根暗女のために気を回してやらなきゃならないのか。考えれば考えるほど、腹が立って仕方がない。
 そうしてむしゃくしゃしている間に、何時の間にか家に辿り着いていた。乱暴に玄関のドアを開け閉めすると、リビングからババアの怒鳴り声が聞こえてくる。
 これでも俺は、腰をすえての長期戦もけして苦手なわけではない。基本的には短期決戦の方が気分がいいが、個性柄、ある程度時間をかけて仕上げる戦い方というものにもそれなりに通じている。
 向こうがその気ならこっちも応えるまでだ。

 そんな風にして、名字と顔を合わせないようにして一週間が経った頃。
 ちょうど一緒に映画の試写会に行ったのと同じ金曜の昼、ようやく根暗女から連絡があった。
 ──遅えよ、一週間もちんたらしやがってぶっ殺す。
 そう思いながら開いたメッセージには、「今日授業が終わったら地元の駅のファミレスで会おう」というような旨が、ほぼそのままの文面でさらりと書かれていた。あいつらしい、挨拶や余計な言葉のないシンプルな文面に俺はほくそ笑む。
「うわ、おい爆豪どうした? 顔がやべえぞ。完全に大量殺戮の犯人みてえな顔だ」
「うるせえ死ね」
 一緒に飯を食っていた切島の言葉に短く返事を返す。切島にかまっている場合ではない。
 何せ名字は、このたかだか数行のメッセージを打つのに一週間かかったのだ。あいつはこの一週間、さぞ俺のことで頭を悩ませたに違いない。いい気味だ、中途半端に逃げを打つからこういう目に遭う。
「お前、それ名前ちゃんから?」
 上鳴が横から口をはさむ。興味津々げなのも鬱陶しいし、馴れ馴れしく名前で呼ばわるのも鬱陶しい。総合して鬱陶しい。
「あ? 関係ねえだろ。つか見んな」
「爆豪名前ちゃんのことになるとマジで心せめえな!」
「いやこいつはもともと心狭いだろ」
「てめえらまとめて殺す!」

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