揺る揺る



「爆豪くんって、爆発とか好き?」
「あ゙?」
 朝の満員電車にごりごり揉まれながら尋ねると、目の前の爆豪くんは不機嫌そうな返事をした。
 いつもの通りの通学路である。通学のための四十分を爆豪くんとともに過ごすことにも慣れつつある今日この頃。しかしながら爆豪くんから不機嫌さのあらわれではなく、本当に理解ができないというような顔をされるのは随分久しぶりのことだった。
 しまった、聞き方が悪かったか。
 そう思い、私は慌てることもなく言葉を足す。
「あ、いや爆発っていうか、爆発とかいっぱいあるアクション映画が好きかって話なんだけど」
 補足にもなっていない補足だけれど、先ほどよりはましだろう。いくら個性が爆破の爆豪くんでも爆発そのものが好きかと問われたら返答に困るだろう。別に私もそんな質問がしたかったわけではない。
 アクション映画と聞き、爆豪くんは納得したように少しだけ表情を緩めた。
「……嫌いじゃねえ。なんで」
「お母さんの仕事の都合で試写会のペアチケットもらったんだけど、そういうの好きなら爆豪くんどうかなと思って。今CMたくさんやってるもうすぐ公開の洋画でね。試写会は今週末──金曜なんだけど」
 さらに私が説明すると、爆豪くんは少しだけ意外そうに目を見開いて私の顔を見た。彼のそういう顔は珍しいので、思わずおお、と心の中で驚く。
 普段の爆豪くんは人と見るや威嚇するような物騒な顔ばっかりしてるけれど、普通の顔をしていると案外童顔だ。ちょっとだけ可愛いような、そんな感じ。きっと爆豪くんが女子だったら、きつめでカッコイイ女子人気のある女子になっていただろう。
「爆豪くんってお父さんとお母さんどっち似?」
「は?」
「お母さん似なんだったらお母さん美人そうだな思って」
「……んなこと知るか」
「そっか」
 私の脈絡ない質問にはさすがに答えてくれなかった。けれどこの言い分は多分お母さん似だなと勝手に納得してふくふく笑っていたら、何故かべしんと頭を叩かれた。私がしたり顔で笑っていたのが、どうやらお気に召さなかったらしい。
 それにしたって言葉での勧告を先にくれてもいいものを、いきなり手を出してくるなんて非人道的な対応であると言わざるをえない。もしや私が毎度無抵抗にやられているから、こいつの頭ならば好き放題叩いてもいいのだと、そう認識されているのだろうか。もしもそうならば断固否定しなければならない。私の頭はそう易々と打撃を加えてもいいほど頑丈じゃない。身体のつくりだけを考えれば、どちらかといえばひ弱な人間に分類される。
「あのねえ、爆豪くん。前から言おうと思ってたんだけど、そんなフランクに暴力を行使されても困るよ。もし私が訴えを起こしたら多分爆豪くん有罪だよ」
 嫌だからやめて、とまっこうから言ったところでやめてもらえるとも思えない。むしろ私が嫌がることは率先して実施するくらいの気概を見せてきそうな爆豪くんである。なのでここは客観的評価──司法の介入をにおわせることで、爆豪くんの理不尽を牽制する手に出てみた。
 果たして、爆豪くんは仏頂面のまま答えた。
「行ってやってもいい」
「エッ、何、どこに……? 法廷……?」
「んなわけねえだろうが! 試写会! そんくらい察しろボケ!」
「ああ、そっち」
「そっち以外ねえだろ てめえ頭ん中虫でも湧いとんのか」
「嫌なこと言うね……」
 というかちょっと的外れな返答をしてしまっただけで頭の中に虫が湧いているとまで言われるのか。爆豪くんとは迂闊な会話ができない。虫は湧いていないと信じたい。
 ともあれ。
 思いがけず漫才みたいになってしまったけれど、とにかく爆豪くんは爆発満載のアクション映画が好きで、試写会のペアチケットを受け取ってくれるということだった。私もほっと胸をなでおろす。
「爆豪くんが行ってくれてよかったよ。私が行ってもいいんだけど、こういうのはやっぱり好きな人に受け取ってもらうのが一番だと思うしさ。結構ハードボイルドな感じみたいだから、切島くんとか誘って行ってきてよ。明日チケット持ってくるから」
 と、とんとん拍子に話を進めていったところで。
「待て」
「え?」
 チケットの行き先が決まってほくほくしていたら、突然爆豪くんに凄まれた。今回は襟を掴まれたりといった暴力行為こそ伴っていないもの、爆豪くんの顔面は限りなく凶悪である。至近距離でこの顔は普通に怖い。迫力なんてものではない。映画館で3Dでこの顔面見たら泣いちゃう気がする。
 そんな爆豪くんはずいと私に詰め寄ると、
「てめえ、ペアチケットっつったよな?」
 そう地の底のように低い声で問い詰めた。私は赤べこのごとく、こくこくと頷く。ここは電車の中だ。大事になっては困る。しかし爆豪くんはそんなこと構わないといった様子で私を睨みつけていた。
「ペアチケットだな? ペアだよな?」
「う、うん」
「で、俺と切島でっつーのはどういうこった」
「え……、だから熱い感じの映画は熱い感じの人を誘ったらどうかなって」
「てめえが来いや!!」
「ギャッ」
 本気の怒鳴り声だった。思わず悲鳴を上げる。その瞬間、満員電車だというのに、私と爆豪くんの周りの人口密度がにわかに下がった。高校入学二日目の再来というか何というか、またしてもこの可哀相な女子高生を凶悪な男子高校生から救ってくれる善良な人間はいないらしい。世の中の冷たさ、厳しさをひしひしと思い知る高校一年の春であった。
 しかしながら、これ以上爆豪くんに大声を出されると、お互い制服を着ている以上学校にクレームがいきかねない。と、そこで私の頭にひらめき音がピンポンと鳴った。
 爆豪くんの怒鳴り声の大きさばかりに気を取られていたけれど、よくよく考えてみれば爆豪くんが怒鳴っている内容は、私のまったく思いつきもしないようなものだった。
 爆豪くん、チケットどうこうというか、ペアの相手を私が務めないことに怒り心頭なのか……?
 まったく思ってもみなかったことである。が、彼の言葉をそのまま受け取れば、実際そうとしか受け取れない。
 私が切島くんとどうぞと言ったのにだって、一応の理由はある。
 ペアチケットを母からもらったのは確かに私なのだけれど、しかしながら私と一緒では爆豪くんも楽しくないだろう、それなら仲のいい友達であるところの切島くんあたりを誘った方がいいだろうという──まあ言ってみれば、私なりの配慮をしたつもりだった。どうせチケットを使うのならば少しでも楽しく使ってもらった方が私だって嬉しい。別に相手が切島くんでなくてもいいし、そこまで私が指定するつもりはないけれど、いずれにせよ爆豪くんが行きたい相手といけばいいと、そう思ったのだ。
 それに招待されている映画は私にとって、爆豪くんにイライラされてまで観たい映画というわけでもない。
 だから切島くんとどうぞと言ったわけで。
 裏を返せば、爆豪くんが私と一緒に行きたいというのであれば、私の方も同行することは吝かではないわけで。
「いいの? 一応私と映画を観るのは爆豪くんも嫌かなっていう、私なりのささやかな配慮だったんだけど」
 念のために尋ねれば、爆豪くんはやはり怒り心頭の様子で、
「こっちは端からそのつもりだったわクソボケ! 言い出したんならきっちり最後まで責任果たせや!」
 とキレちらかす。
「責任とは……?」
 ぷんすこ音が聞こえてきそうなくらい怒っている爆豪くんである。けれど私の方はどうにも心がむずむずしてしまって、正直にいえば最早爆豪くんに付き合っているどころではなかった。
 爆豪くん、私と映画観るの嫌じゃないのか。
 そう考えれば考えるほど、どうしようもなく胸の真ん中あたりがこそばゆくむずむずして仕方がない。このむずむずの正体が何なのか、今の私には皆目検討もつかないけれど──しかしながら、そのむずむずは不思議と嫌な感覚ではなかった。

 ★

「その後爆豪勝己とどう?」
 他クラスとの体育の合同授業で、久し振りに中学時代通っていた塾でできた友達と一緒になった。入試の日に一緒に行き帰りしたくだんの友人である。
 出身の中学こそ違うものの、一緒に夢咲女子を受験した彼女もまた無事に試験に合格して、この春から晴れて夢咲女子に通っていた。
 揃いの体操服で準備運動をしながら、私たちはのんびりと言葉を交わす。
 個性を持っていることがスタンダードになっている現代において、いくら個性使用を禁じている普通科といえど、どうしても身体機能に差は生じる。それを分かっているからか、教師も努力を強要してきたりはしない。ゆるいものだ。
「どうって、どうもないけど」
 ストレッチをしながら、私は答える。背中が伸びる感覚が心地よい。
「何か進展ないの?」
 友人もまた私と同じように背中を伸ばして言った。
 中学時代から何かと私と爆豪くんの仲を疑ってくる子なので、実は高校入学後もこうして顔を合わせるたびに同じことを聞かれている。とはいえ私と爆豪くんの関係は普通の友人かどうかすらも怪しいレベルなので、特に彼女に報告するべきこともない。私の返事もまた、毎度同じことの繰り返しである。
「ううーん……、普通に友達っぽい感じだけど」
 言いながら、そういえば最近は何も無かったわけではなかったなと思い出す。発展とまでは言わないけれど、進展ではあるだろう。
「この間駅の近くでたまたま爆豪くんとその友達と会ったよ」
「雄英生? まじ? めっちゃいいじゃん」
「でも爆豪くんがやたら急かすから、結局その人たちとはそんなに話せなかったよ。あ、あと今度爆豪くんと一緒に、映画の試写会行くことになった」
「ええ? 急展開だ。ていうかそれ名前ちゃんから誘ったの?」
「うん、映画の内容的に爆豪くん好きそうかなと思って。本当はチケットだけあげるつもりだったんだけど、どういうわけか一緒に行くことになったんだよね……」
 思い返してみてもやはりよく分からないけれど、そういうことになってしまったのだから仕方ない。金曜の授業が終わり次第、爆豪くんとは映画館の最寄り駅で待ち合わせすることになっていた。
 学校の最寄りで待ち合わせしないのは、雄英と夢咲女子では授業の終わる時間が違うからだ。大きな駅で待ち合わせした方が先に授業が終わる私が時間を潰しやすい。
 ちなみにそれを提案してくれたのも爆豪くんだった。さり気なく気が利く。
 私の話を黙って聞いていた友人は、私が話し終えると額に手を当て唸った。妙に演技がかっている。そしてたっぷり間をもった後、勿体つけるようにして言った。
「あのさ、こういうことを軽々しく言うべきじゃないのかもしれないけど、やっぱさ、爆豪勝己って名前ちゃんのこと好きなんじゃない?」
「えー? いやいや、それはないでしょ」
「なんで?」
「チケット余ってたから一緒に行くだけだし、それくらい友達同士でも誘うことない?」
「普通ならね。でも相手は爆豪勝己だよ? 好きでもない女と映画なんて行くと思う?」
「……そう言われてもなあ」
 確かに、爆豪くんのキャラを考えれば不自然かもしれない。彼は別に誰かとつるまなければいられないようなタイプではないだろうし、私なんかに義理を感じるタイプでもない。たとえそれがペアチケットであろうと、彼はひとりで見たいと決めたら何のためらいもなくひとりで入場するだろう。甚だ迷惑な話ではあるけれど、爆豪くんはそういうひとである。
 けれどそうなると、どうだろう。私をペアの相手に選んでくれたその時点で、爆豪くんは私と映画に行きたかった、ということになってしまう。能動的に私を選んだと、そういうことになりはしないだろうか。
 ──いや、それこそないでしょ。
 頭に浮かんだその思考のありえなさに、思わず自分で苦笑した。
 だってそうだろう。爆豪くんに限って私なんかに好意を持つはずがない。彼にとっての私は中三でクラスが一緒になっただけの、ぱっとしない生意気な根暗女に過ぎない。たまたま色んな縁が重なってそれなりに親しくはなったけれど、その根暗女という部分が覆ることはきっと金輪際ないだろう。私なんかが彼の恋愛の範疇に入っていると思うこと自体が、爆豪くんに対して失礼というか。
 と、そこまで考えてはっとした。
 どうして私が爆豪くん相手にこうも卑屈にならなければならないのか。爆豪くんにとっての私がただの根暗女であるのと同様に、私にとっての爆豪くんだって傍若無人で理不尽なヤンキーである。満員電車で平気で女子高生を怒鳴りつけるような、ありえなくて人道的に問題がある行為を容易く履行するような、ひとくせもひたくせもあるどころか癖しかないような、そんな男の子──そのはず、なのに。
 傍若無人で理不尽なヤンキーで怖くて──だけど面白くてごく稀に優しくて、一緒にいると心がむず痒くなる人。
 なんだか顔が熱くなるのを感じて、私は慌てて体操服の袖を捲り上げた。
 照りつける太陽は誰かに似ている。

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