焦点距離と観測事情



 爆豪くんとはじめて朝の電車で一緒になった日以降、朝は毎回爆豪くんと同じ電車になる。まあ夢咲女子と雄英高校は最寄り駅が同じなのだし、同じくらいの始業時間であればそうなるのも仕方がない。私としても四十分の通学時間のうち、いくらかでも話す相手がいれば退屈しないのでラッキーと思っている。爆豪くんがこの状況を歓迎しているかは別として、少なくも私は楽しんでいる。
 爆豪くんは一緒にいて面白い人だと思う。すぐに怒るしすぐに怒鳴るけれど、というか怒っていないときの方が珍しく、怒鳴っていなくても怒ってはいるということもかなり多いのだけれど──しかし最近では一度がっつり襟を掴まれた程度で、それ以外にはこれといって暴力行為に発展した事件もない。
 もともと彼の威圧感にはだいぶ慣れていたので、今の爆豪くんとであれば私もそれなりに楽しく接することができた。
 女子高に通っていることもあって、中学を卒業してからというもの私は家族と爆豪くん以外の男の人とほとんど言葉を交わしていない。せいぜいが店員とか駅員とか、その程度だ。だからか分からないけれど、爆豪くんと話していると学校の友達と話しているのは違う楽しさを感じることがあった。心がうきうきするというか、ふわふわするというか何というか。今までの人生で、そう何度も感じたことのない感情だ。

 怒らせたりすることまで含めて、私は爆豪くんと一緒にいると楽しい。

 そんなことを考えながら、私は文具店の自動ドアを出た。
 地域の中でも大きな文具店にわざわざ赴いたのは、いくつかの店舗限定の可愛いノートが発売されたのでそれを買うためだ。華やかな女子高生生活を謳歌しているわけではない私だけれど、身の回りの文具くらいは可愛くて気に入ったものを使いたい。
 夢咲女子と駅、それから雄英高校は、地図で見るとざっくり一本の直線上に並んでいる。ちょうど夢咲女子と雄英の真ん中に駅がある形だ。私がやって来た文具店は駅と雄英の中間あたりに位置しており、用事が済んだためこれから来た道をまたUターンして駅に向かうことになる。
 と、店を出たところ、進行方向数メートル先に見覚えのある後ろ姿が歩いていた。爆豪くんである。その両隣には赤髪と金髪の友人が並んでいて、ぞろぞろ歩いていた。友達と帰宅中というところだろうか。
 その後ろ姿を見ながら、私の脳内には選択肢が三つ、瞬く間に浮かぶ。
 一、見なかったことにしてこのまま歩く。
 二、声をかける。
 三、もう一度店内に戻って時間差を作ってから後を追う。
 この場合、一と三はなしだろう。気付かなかったふりをして、後から爆豪くんにバレたときが恐ろしすぎる。中学時代少し避けただけで怒られたのだ。あからさまなことをして逆鱗に触れるのは、できればやめておきたいところである。
 となると、残るは選択肢の二である。というかそれ以外の行動は許されていない。
 すなわち声をかける、そして速やかに彼らを抜き去っていく──これが最も爆豪くんを怒らせずに済む最適行動だと結論づけた。この間一秒。
 そうと決まれば善は急げだ。
 私は軽やかなステップで爆豪くんまで小走りに駆け寄ると、すれちがいざまに爆豪くんの背中を軽く押す。直後、殺されるんじゃないかと思うような物凄い形相で振り返った爆豪くんに「やっほ」と声をかけた。
「爆豪くんも今帰り? 私はそこの文房具屋さんに用があったからこっちまで来たんだ。こんなところで会うなんて奇遇だね! じゃ、また!」
 一呼吸で言い切ると、私はそそくさとその場を立ち去ろうとする。けれど、一歩踏み出したその足が無事に地を踏むことはなかった。
 背中に背負ったバックパックががっちりと引っ張られているせいで、うまく前に進めなかったからである。
 振り向くまでもなく、私のバックパックを引っ張っているのは爆豪くんであった。
「……なに?」
 不格好に片足を持ち上げたまま、私は首をひねって後ろを見る。爆豪くんの阿修羅みたいな顔がそこにはあった。
「俺の許可無く俺の前歩くな、ムカつく」
「ここは市区町村管轄の公道ですが」
「口答えすんな根暗」
「邪智暴虐の王でしょ最早」
 名作文学の登場人物扱いをしたら舌打ちされた。しかしひとまずバックパックにかかっていた手は離してもらえたので、それでまずはよしとする。肩紐が肩に食いこんでいて地味に痛かったので、手を離してもらえて本当によかった。
 と、爆豪くんとそんな普段通りの会話をしていたら、彼の両隣から熱烈な視線が注がれていることに気が付いた。きょろりとその二人を見れば、二人揃って興味津々な顔で私を見ている。
「えーと……?」
 制服からして、どう見ても彼らも雄英生だ。爆豪くんと一緒にいるということは、やはりヒーロー科なのだろう。
「も、もしかして爆豪の彼女っすか!?」
 赤髪の男の子が私にそう尋ねる。違います、そういうのではないです。私がそう訂正するより先に、さらに金髪の男の子が声を重ねる。というか私を指さして叫ぶ。行儀が悪い。
「つかこの制服夢咲女子じゃん!ウッワ爆豪の彼女って超お嬢様!?」
「まじか! つか上鳴、お前制服見ただけで学校分かんのかよ、こえーよ!」
「だって近所にお嬢様学校あったら普通にチェックすんだろ!? お嬢様だぞお嬢様! 出会いたくね!?」
 出会えるかどうかはともかくとして、そのあまりにも素直な欲望の吐露に一周回って感心したのもつかの間。
「こいつがんな上等なもんに見えっかよ」
「爆豪くんとは中学の同級生なんです」
 爆豪くんが口を挟んだことで、やっと認識の訂正できた。寧ろ爆豪くんの方で訂正しておいてもらっても全然構わなかったのだけれど、彼が「お嬢様」の部分しか訂正しなかったので、仕方が無いから関係性の誤解については私が訂正するしかない。誤解をそのまま放置しては爆豪くんがまたいつ怒り出すか分からない。
「同級生? つか名前何?」
「名字名前です。爆豪くんとは中三のクラスが同じで、それでちょっとだけ仲良くなったんです。ちょっとだけ」
 そう自己紹介すると、赤髪の子と金髪の子も遅ればせながらとそれぞれ自己紹介してくれた。ふたりとも爆豪くんと同じクラスらしい。つまりは雄英ヒーロー科。こんな感じでも国内指折りのエリートということだ。
「はー、なるほど同中か。あ、てことは緑谷も知り合い?」
「あ、はい。緑谷くんも三年で同じクラスでした」
「タメだし敬語ナシでよくね!? 可愛い子の敬語萌えるけどタメのが距離縮まる感じあんじゃん!?」
「え……? は、はあ」
「引かれてんじゃねえか」
 赤髪の子、切島くんはともかく、金髪の子、上鳴くんの方はなんだか軽そうな雰囲気だった。しかもハイテンション。中学時代爆豪くんの周りにいた柄の悪そうな取り巻きの子たちは、素行は悪かったけど軽そうな感じではなかった。だから爆豪くんがこういうタイプとつるんでいるのは少し意外だ。
 三人の会話や雰囲気からして別に彼らは爆豪くんの取り巻きというわけでもないのだろうし、外野の私からしてみれば、なんだか変な感じに見える。取り巻きではなく対等な友人が増えたということは、中学時代までの暴君爆豪くんも高校入学とともに丸くなったということなのだろうか。よく分からないけれど、そうだととてもありがたい。
 そうして私が爆豪くんの精神的な成長を願っている間にも、切島くんと上鳴くんは話を続けている。話題は何度かループして、今はまた私の通う高校である夢咲女子についてに戻ってきたところだった。
「つーか夢咲女子って可愛い子多くね!? 駅で朝その制服の子見かけると俺まじでテンション上がるわ」
「あー、分かる。あんま派手じゃねえけどその分しっかりしてそうな感じだしな」
 上鳴くんが楽しそうに言うと、切島くんも控えめに、しかしたしかに便乗した。確かにうちの学校は身内贔屓を無しにしても可愛い子が多い。しかも文化祭を始めとした学内行事は基本的に保護者以外は校内立入禁止なので、それが高嶺の花という印象に拍車をかけているのだろう。
 加えて上級生になれば、雄英のヒーロー科とも合コンがあったりすると聞く。雄英ヒーロー科なんてほとんど芸能人みたいな人気があるわけで、そういう意味でも「夢咲女子」のブランド力はなかなかのものだ。
 とはいえ、高校入学組の中でもさらに私みたいな庶民には、そういったきらびやかなあれこれはあまり関係の無い話でもある。うちの学校の女子のレベルが高いとはいえ、それはあくまで可愛い女子が多いというだけのこと。別に可愛くない女子だっている。私とか。
「確かに可愛い子は多いかな。その割に彼氏いない子も多いし」
「うわヤベーッ、話聞いてただけでテンション上がるわ」
「あはは、上鳴くんたちだってモテるでしょう」
「それが全然! つか雄英思ってたより出会いねえわ!」
「確かに、忙しくてそれどころじゃねえしな」
「名前ちゃんは彼氏とかいんの?」
「いや、私は──」
 上鳴くんにそう聞かれ首を振った瞬間、いきなりがっと頭部を鷲掴みにされた。そんな暴力的な行為を何の前触れもなく披露する人間など、私の知る限り、そんなことをする人間はたった一名。
 案の定というべきか、いつの間にか私の後ろに立っていた爆豪くんの仕業だった。
 と、私がけなげに状況理解に努めている間にも、爆豪くんの指は私の頭蓋にめりめり圧をかけてきている。指圧的な感じでちょっと痛気持ちいい、などと思ったのも束の間で、ゴリラみたいなパワーで頭蓋を握られているのだ。どう考えても痛かった。しかも次第に圧が強くなってくるせいで、痛みはどんどん増していく。爆豪くんの握力はどうなってるんだ。指先で人を殺せるんじゃないのだろうか。私の頭部がりんごだったらひとたまりもない。
「いっ、いだだだだ爆豪くん痛い痛い痛い」
 思わず振り返って抗議の声をあげれば、爆豪くんは鼻を鳴らして私を一瞥した後、渋々といった表情で掴んでいた私の頭を離してくれた。その代わり、何の脈絡もなく思い切り頭を前方に押される。叩かれたわけでもないのに、勢いが強すぎて一瞬本気で首がもげたのではないかと心配になった。けれど非難の声をあげる間もなく、爆豪くんに怒鳴られる。
「おい根暗、さっさか歩けや! 電車乗り遅れるだろうがグズ」
「えっ、で、電車? え、私たち一緒に帰るの? 一緒の電車乗るの?」
「ったり前だろうが!! くだらねえこと聞いてんじゃねえ!」
「いつ決まったの……? 理解できなさすぎるんですが……」
 ブチギレついでに何故か突然先を歩き始めた爆豪くんに困惑しつつ、私は慌ててその後を追いかけた。これ以上暴力行為に及ばれては困る。小走りに爆豪くんを追いかけながら切島くんと上鳴くんにじゃあねと手を振ったら、生温い笑顔で手を振り返された。

 ★

「爆豪あれ完全に名前ちゃんのこと好きだよな。上鳴が下の名前で呼んだ瞬間キレたもんな。すげえ分かりやすい」
「彼も我々と同じ人の子だったということ」
「つーか好きな子相手に苛めるって小学生かよ……。でも意外だわ。爆豪もっと強めの女子好きそうなのに 」
「確かに。実は名前ちゃんああ見えて性格きつかったりして?」
「あー、それなら納得」
「つか爆豪のツテで合コンやってくんねーかな」

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