すみやかに墜落しろ



 爆豪くんと一緒に通学したその日、何とか高校までたどり着き自分の教室の中に入ると、まだ名前も覚えていないクラスメイトたちが揃いも揃って、一斉に且つ遠巻きに私を見た。その理由には心当たりがありすぎるので、私は内心現代社会の情報の速度に舌を巻きつつ、あくまで平静を装って自分の席に向かう。
 かたんと固い音を立てて椅子に着席した瞬間、直前まで遠巻きに私を見ていたうちの何人かが、ばらばらと私の席を囲んだ。もちろん、そこは折寺中とは違う品行方正な生徒ばかりの夢咲女子であるから、いきなり周囲を取り囲まれたところで、リンチのりの字も感じられないような、おどおどとした動きである。
 やがて私を取り囲んだうちの一人が、やや前のめりになって、朝の挨拶もそこそこに質問を飛ばした。
「名字さん、駅で雄英のヤンキーにカツアゲされたって本当? 大丈夫だった?」
 ここで「雄英に彼氏いるって本当!?」とならないあたりが、何とも爆豪くんと私だなあとしみじみ実感する。まあ確かに駅での私たちの遣り取りを見て、そのうえで我々を恋人同士だと認識する人間がいたとしたら、その人はだいぶ情緒の形成に支障を来しているとしか思えない。ここは新しいクラスメイトたちの情緒が、正常かつ健全に発達していることが分かってよかったとすべきか。
 とはいえ、私と爆豪くんが恋人というわけではないにしても、別にヤンキーにカツアゲをされていたのが正しいわけでもない。あれは何というか──まあ強いていうなら、友人同士のたわむれのようなものだ。私の人生においてあんなたわむれ方をしたのははじめてだったものの。
「確かに雄英のヤンキーとは喋ってたけど、カツアゲではないよ」
「名字さんヤンキーと知り合いなの? スケバンってやつ!?」
 今度は思ってもみなかった方向からの追求だった。思わず苦笑する。スケバンて。それこそ今時死語なんじゃないだろうか。
「や、違う。スケバンではない。中学が一緒だった知り合いで、たまたま電車が同じだったから一緒に来たんだ」
「そんな平和そうな感じには見えなかったけど……?」
「彼ちょっと情緒不安定っていうか、キレやすい人間だからね」
 そんな私のフォローに、クラスメイトたちは皆困惑したようにお互いの顔を見合わせた。

 ここ夢咲女子高校は俗に言うところのお嬢様学校というやつだ。高校受験時の私の苦労からもお分かりのとおり、偏差値の方はお察しの難関校なのだが、特筆すべきは偏差値よりもむしろその校風である。
 穏やかたれ、清廉たれ。
 淑女たるもの和を尊び、常に楚々とすべし──そんな空気が、校内にはこれでもかというほどに充満している。
 特に中等部からの内部進学組には、一切の誇張なく蝶よ花よと育てられてきた生粋のお嬢様が多い。そんな彼女たちは当然折寺中のような荒れた学校も、そこで頭を張っていた爆豪くんのような存在とも縁がない。駅で友人相手に恐喝好意に及ぶ人間がこの世の中に存在するのだと言われて困惑するのも、致し方無いことだ。そもそも住んでいる世界が違う。
 ともあれ、そんなハイソサエティの住人である彼女たちに爆豪くんのことを説明するためには、ひとまず爆豪くんの分かりやすくすごい面をアピールするしかない。別に爆豪くんのことを売り込む必要もないのだけれど、一応は爆豪くんの友人として、彼の汚名を多少でも雪いでやるのが親切というものだろう。
「えーっと……まあたしかに凶悪で狂暴な人間性を秘めて入るんだけど、でもあれでも一応雄英のヒーロー科だし、一般入試一位通過だったらしいから、多分結構すごい人なんだよ」
「えっ本当……? 名字さん騙されてない? 詐欺とかじゃない?」
「その手の悪人ではないから、本当に」
 本気で心配されてしまった。まあ、分からなくはない。
 雄英高校ヒーロー科といえば、押しも押されもせぬ名門校。あんな粗暴な人間が所属しているはずがない、というのが彼女たちの感覚だろう。しかも入試一位突破。私だって、知り合いでなければ詐欺だと思うに違いない。
 それにしても、こうして本人のあずかり知らぬところでお嬢様軍団から既にかなりどん引きされている、雄英ヒーロー科今年度入試一位通過の爆豪くんというのは、正直かなり面白い。フォローにもなっていないようなフォローをしつつ、私はひとりにやにや笑った。
 そういえば中学時代にも、私と爆豪くんが話していたら真面目な友人に本気で嫌そうに心配されたことを思い出す。まあ普通か普通より真面目な人間だったら大抵、爆豪くんのあの人間性を理解できなくても仕方の無いことなのだろう。斯く言う私だって、一年前ほどではないにせよ、爆豪くんの人間性に疑問を持つことは多い。あれはヒーロー云々以前に人道的な問題を抱えている気がしてならない。
「爆豪くん、あ、彼の名前爆豪くんっていうんだけど、爆豪くんはだいぶ人としてアレだけど──話してみたら会話全体の三割くらいは普通に会話できるから大丈夫だよ」
「それはだいぶ……だいぶ、その、アレだね」
「うん、でも慣れれば平気だよ。中学のときはあんなんでも普通にクラスに馴染んでたし」
「名字さんってすごい中学にいたんだね……」
 うっかり出身中学の治安の悪さが露呈してしまった。別にみんながみんな爆豪くんみたいじゃなかったよ、と慌ててフォローする。
 たしかに私の母校はやや荒れていたものの、だからといって私までヤンキーだと思われてしまってはたまったものではない。本当は爆豪くんだってそこまで嫌な人間ではないのだけれど、その辺りはこれ以上はうまく説明できる気がしないので、無理に弁明するのは諦めた。実際人格に問題があることには変わりないのだし。
「雄英といえばさ、今年はオールマイトが先生やってるんだよね。すごいよね」
 クラスメイトのひとりがうっとりした声音で言った。普通科といえどさすがに国民的ヒーローには関心があるらしい。そういえばそうらしいね、と私はぼんやり返す。
 ヒーローといえば今や一職業の枠を超え、超巨大なジャンル・市場となっている。けれど正直なところ、私はヒーローという職業についてはそんなに興味も関心も無い。受験生だった頃、学年の大多数がヒーロー科を志す中、端から普通科しか進学の選択肢になかったのは、単純に私のヒーローへの憧れが薄いからだ。
「……爆豪くんもオールマイトの授業受けてるのかな」
 思ったことをそのままぽつりと口にすれば、
「名字さんはそのバクゴークンのことが好きなの?」
 とクラスメイトに尋ねられる。
「えっ!? それはないけど、なんで?」
「だって、なんか名字さん爆豪くんの話するとき面白そうにしてるから」
「面白そう……?楽しそうとか嬉しそうとかではなく?」
「うん、にこにこっていうよりはにたにたしてる」
「それはちょっと嫌だなぁ」
 そんな話をしていたら予鈴が鳴った。私の席の周りに集まっていた女子たちは三々五々に散っていき、すぐに教室内はしんと静まり返る。やはり、圧倒的にお行儀がいい。
 それぞれの席に戻っていくクラスメイトたちを見送り、私はちらりと携帯の画面を確認した。爆豪くんとは連絡するしないで朝からひと騒動あったけれど、私はまだ、爆豪くんには何のメッセージも送っていなかった。
 あの後爆豪くんとは改札で別れたけれど、あの騒動の間、通り過ぎていく人たちの中には雄英生もちらほらいた。もしかしたら爆豪くんも私と同じようにm今頃クラスで問い詰められているかもしれない。
 だとしたら悪い事をしたなと思う。
 爆豪くんに対してではなく、爆豪くんを問い詰めてしまったかもしれない、爆豪くんのクラスメイトに対してだ。顔も名前も知らない爆豪くんのクラスメイトが受けるであろう爆豪くんからの地獄の制裁を思い、私は心の中で合掌した。そして爆豪くんの連絡先からトーク画面を開くと、短くメッセージを送信した。

 ★

「おい爆豪、お前他校の女子のこと駅でタコ殴りにしてたってマジ!? 噂になってんぞ!」
 登校直後、朝一で金髪のやつが意味のまったく通じないことを言いながら、馴れ馴れしく俺の席に近付いてくる。新学期が始まって今日で二日。クラスのやつらの名前も顔もまったく覚えていないが、目の前のこいつが多分アホなんだろうということだけは、何となくの雰囲気で察することができた。そう思ったことにさしたる理由もないが、とにかくアホに違いない。
 そんなアホみたいな金髪のせいで、朝のホームルーム前のクラスの注目は一気に俺に集まった。アホが、余計なことをしやがる。
「知らねえ」
 面倒に思いながら短く否定するが、アホは俺の言葉など聞いていない。勝手に俺の席の横に立つと、聞いてもいないことを何やらべらべら話し始めた。
「つーかやばくね? 入学二日で他校と揉めんなよ! しかも暴力沙汰て! お前まじでヒーロー科かよ!」
「だから知らねえっつってんだろうがクソ金パ」
「クソ金パ!?」
「あ、俺朝それ見たけど、殴ってはいなかった。けど女子に怒鳴ってたのは見てたから間違いねえだろ」
 アホに便乗して薄い顔のやつも話に混ざってくる。つーか誰だよお前ら。ひとりの名前すら分からないが、とにかく俺の許可無く勝手に喋るな。
 とはいえ朝のことを思い返せば、確かに名字の相手をしてやっていたときに、ウチの生徒が何人か通っていったような気がしなくもない。しかしまさか、その中にクラスのやつがいたとは思わなかった。クソ面倒くさいことを言い出しやがって、あの時通ったやつら全員殴って記憶無くさせておけばよかったと後悔する。
 大体、そもそも名字がひ弱すぎるのが悪いのだ。あんな大したことのない電車の揺れで倒れてくるなど、そんなこと俺が予想しているはずもない。予想以上のひ弱さだ。
 思い出しただけで腹が立つ。おかげで不意をつかれた。しかも根暗女のくせして、微妙にいい匂がした。根暗の分際で。中学のときのあいつからはあんな匂いはしなかった。根暗女が俺以外に媚びるんじゃねえ。つーか高校デビューとかすんなクソが、と内心で今更すぎる悪態をつきまくる。
「おおーい、爆豪? 話聞いてる?」
 名字のことを思い出して腹を立てていたら、金髪がひらひらと俺の視界で手を振った。
「あ゙? 聞いてねえに決まってんだろブッ殺すぞ」
「なんでだよ!」
「うるせえ」
「いや、だからさ、実際揉めてねえなら釈明しとかねえと、お前入学早々謹慎とかになっても知らねえぞっつってんの。ヒーロー科その辺厳しいって聞くしさ」
 アホのせいで話がいっこうに進まないのに焦れたのか、薄いのが横から口を挟んだ。その言葉は、先ほどまでのアホの発言と比較すれば、まあ多少聞くに値した。確かに、こんなくだらないことで教師からあれこれ言われるのは面白くない。こいつ以外にもあの現場を目撃したやつは少なくないはずだし、色々憶測が飛び交って話がでかくややこしくなるのは避けたかった。名字の学校のやつらは名字が勝手にどうにかするだろう。つーかしろ。
「……別に。中学一緒のモブ女と普通に通学しただけだ」
「女子相手に怒鳴ってたのに、なお普通って言い張んのかよ……。お前の普通って何だよ。こえーよ」
「あ゙ァ?」
「だからいちいち威嚇すんなって! 近所の産後の犬かよ!」
「んだその分かりづれえ比喩は!」
 アホ相手にそんな話をしていたら、ふいに制服のズボンのポケットに入れていた携帯が鳴った。こんな時間に連絡してくるなんてどこのアホだ。目のまえのアホがまだ何か喋っているが、それを無視して俺は携帯を確認する。
 そしてはっと目を見開いた。
 表示されていた見慣れないアイコンは、テーマパークでキャラの耳付きの髪飾りをかぶった、浮かれ顔の根暗女の写真。

“ 今朝楽しかったね また電車かぶったら一緒に行こうねー ”

 その何とも脳天気な文面に、何故だかよく分からない、ぐにょぐにょとした感情に襲われる。
 何が楽しかったね、だ。生意気に俺に同意を求めやがって、こっちは別に楽しくなんかなかった。まったく、全然、一秒たりとも楽しくなかった。
 腹立ちまぎれにうるせえとだけ返信して、俺は携帯をまたポケットに戻す。
「爆豪? 聞いてる?」
「だから聞いてねえっつってんだろ!」
 しつこいアホを怒鳴りつけ、俺は窓の外に視線を転じた。
 ちくしょう、何もかもがクソむかつく。明日の朝、電車であの根暗女に会ったら文句のひとつでも言ってやろうと、そう心に決めた。

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