きみに降らすための花



 教室の窓から校庭を眺めていた。
 花もついていない桜の木は、見ているだけでも寒そうだ。たった今卒業式が終わったというその実感もなく、暖房であたたまった教室から出るだけの覇気もなく──私はだらだらと教室の窓の桟に両手をかけて、何をするともなくぼうっとしていた。
 教室にはもう私以外には誰もいない。公立高校の受験組はまだ受験が終わっていないし、私立組はもう合否が出た後なので気楽に遊びに行くのだろう。私はここで親が迎えに来るのを待っている。今日はこの後合格報告を祖父母の家にしに行くことになっていた。

「げ」
 ぼんやりしていたら、短く、しかしはっきりと大きな声が教室に響いた。その声につられるようにして緩慢な動作で振り返れば、教室のドアの前に爆豪くんが立っていた。
 爆豪くんの学ランの胸もとにもまだ、造花のコサージュがついている。何か忘れ物でもしたのだろうか、とその様子を見て考える。
「どうしたの、爆豪くん。忘れ物でもしたの?」
 窓辺に立ったままそう尋ねれば、
「てめえにゃ関係ねえだろ」
 といつも通りに返事が返ってくる。
「まあ……、そうなんだけど。関係はないんだけど」
「チッ」
 そんな会話ともつかない何かを交わしている間にもずかずかと教室に入ってきた爆豪くんは、自分の席から深緑の筒を回収するとそれを潰れた鞄の適当に突っ込んだ。あれは卒業証書が入っている丸筒だ。すごい、卒業式に出席したのにまさか爆豪くん卒業証書忘れて帰ったのか。まじか。逆にすごい。
 忘れ物を回収した爆豪くんは、てっきりそのまま脇目も振らず──というか私など眼中になくさっさと教室を出ていくかと思いきや、何故か席のそばに立ったままこちらを見ていた。というよりも、私のことをぎんと睨みつけられている。さすがにこれくらいではもう怯まないけれど、だからといって心当たりもないのに睨まれてもまったく気にならないというわけでもなかった。
「帰らないの?」
 若干引き気味に尋ねれば、
「は? 帰るわ」とすぐに返事があった「つーかてめえはんなとこで何しとんだ」
「私は親が迎えに来るから待ってる。ちょっと遅れてるみたいだけど」
 そう言って、手にしていた携帯の画面を確認した。どうやら道が混んでいるらしく、まだ到着までもう少しかかるらしい。
 爆豪くんがまだ帰る様子を見せないので、せっかくだから時間を潰す相手になってもらうことにした。といっても爆豪くんとはいまいち会話が成立しないので、正常にコミュニケーションをとれるなどと期待はしていない。ただ、卒業してしまったらもしかしたらもう爆豪くんとこうして話すことはないかもしれない。そう思うと、今少しでも話をしておいた方が良いような気がした。
「爆豪くんも確か受験終わったんだよね、おつかれ」
「あ?」
「合格発表まだでしょ? 受かってるといいね」
「馬鹿言え、俺が受験ごとき失敗するわけねえだろ」
「その自信いいよね」
 私自身、受験が終わった日にはもう合格する気でいたし、実際合格していた。けれど爆豪くんが受験した雄英は倍率三百倍の超難関校だ。私の受験の比じゃない。その雄英の受験すら余裕と言ってのける爆豪くんの精神力と自意識たるやすさまじい。ほんの少しでいいから私にも分けてもらいたいものだ。そしたらもっと色々な場面で緊張したりせずに済むだろう。
 それから何言か、どうでもいいような会話のキャッチボールを繰り返した。
 爆豪くんは意外にもちゃんと会話に付き合ってくれた。所々に暴言は混ざってはいるものの、思っていたよりずっと会話が成立している。これも一種の慣れなのだろうかと思うのと同時に、爆豪くんの性格が一年前より格段に丸くなったのも感じる。
 三年生になって、爆豪くんと同じクラスになったばかりの頃の私が見たら、こんな風に爆豪くんと普通に会話をしているだなんてまったく信じられないだろう。
 それどころか、中学を卒業して縁が切れてしまうのが勿体ないと思うなんて。
「高校、すぐ近くだよね。顔合わせたら挨拶くらいしてね」
「気が向いたらな」
「無視しないでね」
「…………」
「早い、無視するのがあまりに早い。まだ高校に入学もしてないのに」
「うるせえ」
 本気で煩そうな顔をする爆豪くんだった。会話の途中でいきなり会話相手をうるさがるってどういうことだ。まったく、目の前の爆豪くんはぶれない。変わったと思ったけど全然変わってなかった。
 それでもまあ、仲良くはできる。
「私、爆豪くんのことあんまり好きじゃなかったけど、こうやって仲良くなれてよかったと思ってるよ」
 最後だしと思って、思ったことを正直に言ってみることにした。いきなり妙な打ち明け話をされた爆豪くんは、当然のことながら怪訝そうに私を睨む。
「あ゙ァ?」
「まあ、仲良くっていっても三年生からしか絡みなかったけどね。爆豪くんは私のこと、友達だって思ってる?」
 私の質問に、爆豪くんは普段よりもさらに眉間の皺を深くした。おや、珍しい顔だと内心少しだけ驚く。眉間に皺を作っているものの、怒っているというわけではなさそうだった。けれどけして機嫌がいい顔でもない。何というか、なんだかよく分からない顔だ。
 少しの間をもった後、爆豪くんは低い声で答えた。
「……思ってねえよ」
「ええー、そっか。やっぱ私の片思いなのかー」
「誰がてめえとダチなんかになるかクソが」
「ひどいなあ」
「てめえも、俺のことダチだと思うなよ。人前でんな紹介したらまじで殺す」
「そんなに?」
 もしかして、私やっぱり嫌われてるんだろうか。一瞬本気でそう思う。
 普通に友達になったと思っていたのに、友達だと思うことすら許してもらえないだなんて。そんなのはさすがに寂しすぎるんじゃないだろうか。きっと爆豪くんにはとんだ勘違い女だと思われたに違いない。
 これは高校に行っても親しくするなんてことは期待できないな。そう思って溜息をついた、その時。
「携帯」
「え?」
 爆豪くんが、やにわに発した。
「だから携帯! 寄越せっつってんだ!」
 不意に話しかけられて聞き返したら、いきなり怒鳴られた。たまったもんじゃない。
 しかも何故かよく分からないけれど、携帯を寄越せと要求されている。爆豪くんだって自分の携帯持ってるだろうに、急に何なんだ。私の携帯に何の用があるというんだ。あれだろうか、もしかして、最後だから景気づけに携帯をぶっ壊されるのだろうか。
「えっ何するの、こわいんだけど……」
「いいからさっさと携帯寄越せやぶっ殺すぞ!」
「カツアゲじゃん……」
 恐怖を感じながら、そうして恐る恐る携帯を手渡した。特にロックもかけていないので、爆豪くんは私の携帯を受け取るとすぐさま無断で何やら操作をし始める。人の携帯だというのに自分のもののように手際よく操作しているのは、さすが爆豪くんとしか言いようがない。しかも、操作するにしても何をしているのか悟られないよう、画面を私に見せないようにする徹底ぶりだ。一体何をしているんだ。有料サイトとか勝手に使われたら困るんだけど。
 爆豪くんは暫く無言で操作していたけれど、やがて満足したのかぽいと放り投げるようにして私のもとに携帯を返却した。私と爆豪くんはそこそこ離れていたけれど、さすが爆豪くんは完璧なコントロールで私の手元に携帯が落ちるように投げてくれる。
 返却された携帯の画面は連絡用SNSの画面を開いている。
「何したの、って、あ、これ連絡先? 爆豪くんの?」
「俺以外誰がおるんだ。高校行ってもどうのこうの言っとったのはてめえの方だろうが」
 その言葉に、私はびっくりして爆豪くんを見た。
「えっ、ていうか私連絡していいの? 爆豪くんに?」
「無駄なこと送ってきたら殺す」
「そっか、それじゃあ何も送れないな……」
「有意義な内容送ってこいや!」
「私、お役立ちメール配信サービスとかではないんですけど」
「んなもん知っとるわ!!」
 爆豪くんが吠えた。どうやら冗談ではなく本気で、私と連絡をとろうということらしい。あの爆豪くんが私に連絡先を教えたというだけでもだいぶ理解できない意味不明な事態ではあるのだけれど、しかもこの言い方からして、社交辞令的なものではなく、実際連絡してこいということなのだろう。爆豪くんの性格を考えれば素直に「連絡先教えて、高校に行ってもそれなりに連絡は取ろう」ということを口で伝えることはできなさそうだから、これが彼なりの精一杯の譲歩なのだろうとは思うのだけれど。
 爆豪くんは依然、仏頂面をしている。
 それなのに、なんだろう。なんだか無性に嬉しかった。
 たとえて言うなら、凶暴な野犬を手懐けているのに似た達成感というか。さっきはお前なんか友達じゃない宣言をされてしまったけれど、もしかしたらあれも爆豪くんなりの照れ隠しだったのかもしれない。一体どういう感情を隠していたのかなんて、普通の感覚を持っている私にはまったく分からないけれど。
 画面に表示された爆豪くんの連絡先を眺め、私はふくふくと笑った。
「高校行っても、仲良くしてね」
「これまでもてめえと仲良くした覚えが一ミリもねえ」
「友達とまではいわなくても、仲良くした記憶なら二ミリくらいあるでしょ」
「ねえよ」
「そっか……ないのか……」
「まあ、確かにほかのモブ女よりうざかったことは間違いねえ」
「それは仲良くしたということを言いたいの……? 何それどういう感情でそれ言ってんの?」
「あ゙? てめえそこは喜べや」
「無茶すぎでは……?」
 そんな話をしていたら、爆豪くんから返してもらったばかりの携帯に、母親からメッセージが入った。ちょうど校門前に到着したらしい。
 荷物をまとめると、私は身体を起こしてリュックを背負った。
「お母さん来たから私行くね」
「勝手に行けよ、いちいちんなこと報告すんな」
 まあ、そう言われるだろうとは思っていた。このくらいの嫌な物言いはもはや暴言のうちにも入らない。
 さくさくと教室を後にしようとして──それからふと、爆豪君に向きなおり言った。
「そういえば私、三年生が始まったばっかくらいのとき、爆豪くんのことずっと心の中で爆豪勝己ってフルネームで呼んでた」
「……なんで」
「だってすごい嫌な奴だと思ってたもん。ていうか今もたまにムカつくと心の中で爆豪勝己って呼んでる。くんとかつけてやるのすら嫌で。君付けされるほどの価値もないと思って」
「てめえは最後の最後によォ……」
「人のことムカつかせるのが悪いんじゃない?」
「コロス!」
 言いたいことも全部言えたところで、私は爆豪くんの怒鳴り声を聞きながら意気揚々と教室を出た。

prev - index - next
- ナノ -