捕食者の献身



 爆豪くんがおかしい。
 言うまでもなく、私にとっての普通と照らし合わせればもともと彼はだいぶおかしいのだけれど、そういうのとはちょっと違うおかしさだ。最近の私に対する爆豪くんのおかしさは何というか、情緒不安定なおかしさとでも言おうか。
 たとえば、ふとしたタイミングに視線が合って手を振ったらめちゃくちゃ舌打ちされるとか、授業中プリントを回すため爆豪くんの方を向いたら「殺すぞ!」と本気で怒鳴られたりする。
 知り合ってこの方、爆豪くんからのそういった言動はけして珍しいものではない。何せ相手はあの爆豪くんなので、攻撃的な発言はしょっちゅう確認されている。けれど、ここのところはこれまでとはその頻度が段違いなのだ。
 ついでに言えば最近は、私と爆豪くんの間の関係性も比較的良かった。だから私がわざと爆豪くんの怒りそうなことを言わない限りは、浴びるように暴言を吐かれたりすることもなかった。
 それだけにこの変化には正直戸惑う。何か嫌われるようなこと、しただろうか。
「──というのが最近のちょっとした悩みなんだけど、どう思う?」
「それ、やっと本命の学校の入試が終わった人間同士でする話題じゃなくない?」
 地下鉄に乗り込むなり、友人はそう言って嫌そうな顔をした。
 本日先ほど、私の第一志望高校である夢咲女子の入試が終わった。今は試験を終え、その帰りの道中である。すでにとっぷりと日が暮れ、厚手のコートをかっちり着込んでもまだ寒いような冷え込む日だった。
 普通科の受験ということもあって、折寺中から夢咲女子を受けるのは私ひとりである。けれどひとりで戦地に臨むのはいささか心細いので、それで塾が同じで親しくなった他校の友人と、試験会場までの行き帰りを共にすることにしたのだった。
 試験も無事に終わってその帰り、他校まで名が知れ渡っている爆豪くんのことを聞かれたところでさっきの話をし、今の返事が返ってきた──というわけである。
「いいでしょ、今更試験の話したところで結果は変わらないんだし。受かってるって信じよう」
「名前ちゃんって結構適当だよね……」友人が呆れたように言う。「でも意外。名前ちゃんと爆豪勝己って仲いいんだ」
「ううん、色んな人にそれ言われるけど、別に仲が良いってわけではないよ。一応同じクラスだし、友達だと私は思ってるけど」
「ええー? 本当に?」
 友人は首をひねって胡乱な目を私に向けるけれど私は自信いっぱいに頷く。
 爆豪くんと私に仲良くなる要素がない、というのは以前私を呼び出した女子たちの言葉だけれど、実際なかなか的を射ていると思う。隣の席だった、という以上のことは、私と爆豪くんの間には何も無い。
 顔を合わせれば話くらいはするものの、そんなものは爆豪くんが相手でなくても普通にすることだろう。仲がいいかと問われれば、それは微妙なラインである。
「名前ちゃんはなんで仲良くないって思うの?」
「だって基本根暗女って呼ばれてるし、むしろ陰キャラ扱いされるし、さっき言ったみたいに最近はなんか変な態度とられるし」
「あ、もしや逆に好かれてるとか?」
 妙案とでも言いたげな友人に、私は即座に「それだけはない」と返す。友人もまた本気で言っていたわけではないようで、
「だよね、言ってみただけ」
 とどうでもよさげにへらりと笑った。
「冗談でもそんなこと言ってるの聞かれたら爆豪くんに爆破されるよ」
「大丈夫、私爆豪勝己と面識ないし」
 たしかに他校生には爆豪くんの苛烈さはいまいち伝わりにくいだろう。今の言葉、もしも爆豪くんの耳に入ろうものならば半殺しは免れないんじゃないだろうかと思う。
 面識がない爆豪くんのことをそんなふうに笑って話す友人は、「でもさー」と比較的どうでもよさそうに言葉をつなぐ。
「仲良くないっていうなら、別に嫌われてもよくない? どうせもうすぐ卒業なんだし」
「そう言われるとそうなんだけど……」
 確かにその言い分にも一理ある。爆豪くんとの縁はここまでの縁と、そう割り切ればいいだけの話だ。ここで疎遠になったところで、私も爆豪くんも高校に入ったらお互いのことなどすっかり忘れ、高校生活をエンジョイするに違いない。
 ここまでの縁と割り切る──当然ながら、それは私も一度ならず考えたことだった。けれど。
「だけどなんか……、折角ちょっと話せるようになったのにそうやって切り捨てるみたいな、諦めるみたいなことをするっていうのはさ……、それはちょっと、なんていうか残念じゃない?」
 何とも歯切れの悪い物言いになってしまった。友人も、釈然としないように首を傾げる。
「よく分かんないな、その気持ち。だって高校行っても遊ぶ中学の友達なんて、女子同士とかでもそんなに多くはないでしょ。まあ確かに雄英生とかエリートヒーロー街道まっしぐらだし、仲良くしておきたい気持ちはわかるけど」
「エッ、その発想はなかった……。なるほど……?」
「逆になんで考えないの? 雄英生の知り合いがいるなんて、めちゃくちゃ自慢になるじゃん」
 呆れ顔の友人に、私は何と答えたらいいのか分からず、曖昧にはははと笑って見せた。
 しかし言われてみれば友人の言うことにも一理あるのだった。爆豪くんはあまりに柄が悪いから、そんな風に見たこともなかった。
 もしかして爆豪くんと仲良くしてる人たちの中には、少なからずそういう腹の人もいるのだろうか。だとしたらみんな凄すぎる。今から有名ヒーローになる可能性のある爆豪くんに唾つけておこうなんて、そんなこと思いつきもしなかった。
「まあ、下心があるかないかは別としてさ」と友人が口を開く。「みんなに仲いいのとか付き合ってるのって聞かれるくらい仲よく見えるなら、やっぱ名前ちゃんが思ってるより爆豪勝己とはちゃんと仲いいんだと思うけどね」
「ううーん……そうなの、かなあ?」
「曖昧だな!」
 そんな話をしていたら、いつの間にか私の家の最寄り駅に到着した。友人より先にひとりで電車を降りると、とぽとぽと歩いて家に帰る。

 駅を出るとすでに外は真っ暗だった。イヤホンを耳に挿しマフラーに顔をうずめ、早足に家路につく。足を動かしながら、先程電車の中で友人と交わしていた会話の数々を思い出していた。
 中学での三年間、最初こそ中学受験に失敗して若干腐っていたものの、概ね楽しく過ごすことができたと思う。中学からの新しい友人だってできた。
 けれどその子たちと高校になっても遊ぶかと問われれば、必ずしもそうとは言いきれないというのが私の正直な本音だった。もしも今この状況で友人の誰かと仲違いしても、私はきっと無理に仲直りしたいと思わないだろう。それこそ「卒業したらもうそうそう会わないだろうし」と、早々に見切りをつけてしまうに違いない。
 そう考えるとやはり、爆豪くんのことは友達だと思っているということなんだろうか。向こうがどう思っているかは別として。いや、まさか爆豪くんが私のことを友達などと思っているはずはないとは思うのだけれども。
 はあーと長く息を吐き出せば、吐いた息は白く浮かんで散った。
 きっと高校受験の試験には合格している。まだ結果は出ていないものの、たしかな手ごたえ──自信がある。
 それなのに、心の中はなんだかもやっとしたままなのだ。心の中にわだかまった何かを吐き出すように、再び溜息を吐こうとした、その瞬間。
 イヤホン越しにも聞こえる爆発音と眩い光が、瞬間的に背後で破裂した。
「えっ、何──」
 思わず振り返る。
 振り返った先にあったもの──それは何やらばたばたと、まるで逃げるように駆けてゆくおじさんと──そして何故か死ぬほど仏頂面をした、爆豪くんだった。
 ──いや、なんで爆豪くん?
 ぽかんとしている私に、一歩、また一歩と爆豪くんが近付いてくる。そしてとうとう私の目の前まで来た爆豪くんは、唐突に私のマフラーの端を掴むと、それを力任せに思い切り締め上げた。
「えっ、爆豪くん!……ってぐう! ぐ、ぐるじっ、まっ」
「てめえは! マジで! とんでもねえ阿呆だな!!」
「ぐ、ま、まっ、はなして……何……」
「自分のクソ雑魚ぶりをちっとは考えろや!」
「まっ、ほんとまっ」
 まじで締まっている。首が、まじで、締まっている。
 声にならない声とともに爆豪くんのことを必死で叩く。その懇願の末、爆豪くんは不承不承の表情ながらも、私はようやっと離してもらうことができた。
 頭まで血液が回っていない気がする。はあはあと息を整える。
 いや、今のは駄目だ。今のは完全に、私を殺そうという気概を感じた。多分、私が司法に泣きつけば殺人未遂で立件できるレベルだと思う。私が穏健派でよかったな、爆豪くん……! と、心の中で密かに捨て台詞を吐きまくる。そのくらい、まじで今のはやばかった。そもそも出会い頭に首を絞める人間って何だ? どういう人間?
 そんなことを思いながら、耳からイヤホンを抜いて改めて爆豪くんを見る。
 どんな心境でクラスメイトの首を絞めているのかと思いきや、意外にも爆豪くんの形相はいつもと大して変わりなかった。先程よりは些か機嫌が直ったように見える。
 とはいえやはり仏頂面なことには変わりなく、爆豪くんはぶすっとした顔をして私を見据えていた。今のマフラー締め上げもここ最近の不審行動の一環なのだろうか。だとしたら、本当の本気で最悪すぎる。凶悪さに拍車がかかっているじゃないか。そんな不平不満があふれ出し、脳内だけでとどめておこうと思った文句の一部がついつい口からこぼれた。
「なんで出会い頭にいきなり締め上げたりしたの、まじで信じられないんですけど……。ていうかそもそも、爆豪くんが何故ここに」
「てめえが気ィ抜いてんのが悪ィんだろうが! このクソボケ!」
「えええ、いきなり怒鳴られた……。しかも何の回答にもなってない、いっそ清々しい」
「うるせえわ! つーか夜道歩きながらイヤホンつけんな馬鹿!」
「え、それはごめん……?」
「チッ……」
 いまいち成り立たない会話からは結局、何故爆豪くんがここにいるのかはまったく分からなかった。ただただ私が怒られただけだった。
 これ以上ここで粘ったところで、爆豪くんは教えてくれなさそうな雰囲気だったので、私は問いかけることを早々に諦める。仕方がないので音楽プレイヤーはコートのポケットにしまって、私は歩き出す。少し離れた位置で一定の距離を保って爆豪くんも歩く。ついてきているのかな、と思わないでもないけれど、さすがにそれを言ったらブチ切れられそうなので言わないでおいた。代わりにどうでもいい話をして、その場の空気をつなぐことにする。
「今日、本命の学校の入試だったよ」
「どうでもいい」
「中受で落ちたところだったから緊張したけど、とりあえず何とかなってよかったよ。多分合格したからこれで受験勉強とはおさらばだし気が楽になった」
「あっそ」
「うん、よかったよかった」
「…………」
「…………」
「……てめえの受験した学校、どこにあんだ」
 暫くの沈黙の後、爆豪くんが言った。思いがけず彼から質問され、一瞬戸惑う。
「えっと、〇〇駅。あ、雄英の最寄りと一緒だよ」
「あっそ」
「えええ、聞いといてその態度……? 別にいいけど……」
 戸惑う私を、爆豪くんはいつも通りさらりと無視していく。暴言を吐かれるのと無視されるのだったら、もしかしたら暴言の方がましかもしれない。
「てめえが受かりゃ、会うこともあるかもな」
「まあ、私は受かるよ。爆豪くんが受かればでしょ?」
「ふざけんな、俺は余裕で一位通過だわ」
「倍率三百倍なのにすごい自信だね」
 私の数歩後ろを歩く爆豪くんの顔は見えない。そういえばこういうとき、爆豪くんならば前を歩きたがりそうなものだけれど。意外に人の後ろを歩くことにも抵抗がないのだな、とぼんやり考えた。よほど大丈夫だと思うけれど、突然後ろから蹴り飛ばされないようにだけ、私もしっかり注意しておかなければならない。何事も自衛は大切だ。
 冬の夜の空気はきんと冷たい。けれど不思議と、こうして爆豪くんと歩いていると、そんなに寒さは感じなかった。むしろ心がなんだかぽかぽかするような、そんな気分ですらある。これはきっと受験が終わったことによる解放感だろう。多分、きっと。
「もう少ししたらいよいよ卒業だね」
 私の言葉に、爆豪くんは何も返さない。かまわず私は続ける。
「中学生活に何の未練もないから早く卒業したいよ」
「てめえはそうだろうな、根暗女」
「すぐそうやって人の悪口を」
 少し後ろから、ケッと言ったのが聞こえた気がした。どこまでも口が悪い爆豪くんだ。けれどここ最近のよく分からない、変な爆豪くんではなかった。そのことが何故かは分からないけれど、私には少しだけ嬉しく思えた。
「爆豪くんも受験頑張ってね」
「当たり前だわ。黙っとれ」
 そっけない返事に、ひひ、と私は小さく笑った。
 そういえばさっき爆豪くんが爆破した男の人は誰だったのだろうか──ふと不思議に思ったけれど、それも聞かないままにしておいた。

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