地獄の色彩



 生まれてこの方、女に興味を持ったことがない。男に興味があるわけでもない。そもそも恋愛感情とかいうなよなよしたもんを感じたことがない。
 女なんてつまらない。男と違って集団でつるまなきゃ死ぬんじゃないかというような馬鹿さも、殴ったら泣きそうな弱さも、まったくもって興味を持つに値しない。だいたい、女を殴ろうものならば男をぶん殴るのと違って、めちゃくちゃ非難される。非難されること自体は大して気にならないが、やはりヒーローを志す身としては醜聞はないに越したことはない。とにかく何もかもが不公平だ。
 だからというわけでもないが、俺は女をそばに置いておく気にもなれないし、少なくともうちの中学に通ってる女には興味ない。微塵も、まったく興味がない。
 たまにグループで遊ぶ時、連れの連れとして女が混ざっていることもある。誰がいようが大して構わないから、とりたてて気にすることはない。デクのような、そこにいるだけで俺の神経逆撫でするやつはそうそういない。
 だがそうやってグループで遊ぶ時も、女は大抵誘った男ではなく俺の方に寄ってくる。当たり前だ、誰がいようが俺が一番強いことに変わりはないのだから。カラオケだってボーリングだってゲーセンのあらゆるゲームだって、何もかも。俺に敵と呼べるようなやつはいない。
 しかきそうやって寄ってくる女の顔も名前も、俺はついぞ覚えることはなかった。興味のないモブ、有象無象でしかない。それは俺にとって「背景」と同じことだった。
 この間名字に絡んでいったのは多分、その手の女の中の何人かだろう。何度か顔を合わせたことがあって、しかし俺にとっては記憶するほどのこともない、取るに足らないやつら。
 俺のことを下の名前で呼ぶっつーことは口をきいたことくらいはあるはずだ。ただ、重ねて言うが俺の方には全く覚えはない。どのみち俺のことでわざわざ名字に因縁つけるような馬鹿に、興味を抱くはずもない。今後興味を持つこともないだろうことは間違いなかった。

 ★

 勉強なんざ本腰入れなくても苦労はしないが、さすがに倍率三百倍の雄英の入試を突破するためには、それなりに勉強しなきゃならない。実技の方は公に個性を使うことができない以上、大っぴらに特訓したりはできないが、俺の個性を考えればそれは大した問題ではないだろう。自分の個性のことならば、自分が一番熟知している。
 だから受験するにあたって対策すべきは、筆記のみ。倍率三百倍──つまり筆記は、とれて当然の満点狙いになる。
 とある週末、俺は参考書を買うといってババアから金をふんだくり、ぶらぶらと本屋を歩いていた。
 参考書なんて学校で買うもの以外大して見たこともなかったから、何を選ぶべきなのか判断基準がよく分からない。そもそもこれまでの人生、わざわざ書店で参考書を買い求めなければならないような状況になったことが一度もなかった。
 ひとまず雄英の過去問は買うとして、学校の問題集にはない発展問題が載っているようなのがいいだろう。そう思い書棚を眺めていると。
「あ、爆豪くん」
 いい加減聞き飽きた声の主が誰かなど、わざわざ振り返らなくても明らかだった。呼びかけられた声を無視して本棚を物色していると、隣に並んできた名字が「無視とかひどい」と笑う──笑った気がした。あいつの顔なんて見ていないから、実際のところどんな表情をしていたかなど知るはずもない。
 この根暗女にうだうだ言われるのにも、三年の秋ともなればもうだいぶ慣れてきた。
 三年になってから何かにつけ接点があるこの女は、俺に媚びたりしない代わりに俺にビビったりもしない。根暗の陰キャラのくせに俺と睨み合っても喧嘩腰で返してきたり、ほかの女子に囲まれても逆にやり返したりと、とかく見かけに反してとんでもないことをしたりもするが、基本的にはあくまで根暗。俺にとってはぎりぎり名前があるだけの、準モブにすぎない。
 そんな根暗の準モブ女は、俺が参考書の書棚の前にいること、そして手に雄英の過去問集を持っていることで大体の状況を把握したようだった。棚からするりと一冊の参考書を引き抜いて、それを俺の視界に差し出す。
「受験勉強用の参考書探してるの? これ、友達に貸してもらって使ったけど、結構難しかったからおすすめだと思う。難関高校の対策本だから雄英の受験にも多分使えるはずだし」
「うるせえ、んなこた聞いてねえわ。つーか勝手に見んな」
「ふうん、じゃあこの最後の一冊私が買うけど」
「は? ざけんな置いてけ。んでてめえは速攻帰れ」
「文句言いつつ買うんじゃん……」
「あ゙ァ?」
 いつも通り、名字のクソみてえな言葉につい視線を名字に向けて睨みつける。いや、睨みつけようとしたのだが──俺はそのままあんぐりと口を開けて名字を見た。
 正確には名字の足を。
 俺の隣に立っている名字は、やたらもこもこしたスウェットと、それからアホほど短いショートパンツを身につけていて、そのせいで太腿からスニーカーをはいた踝までをがっつり露出していた。
 本屋の白々明るい電灯が、名字の足を妙に明るく照らしている──ような気がした。
「ばっ、て、てめえ──」
「エッ、何」
「てめえ、痴女か!?」
「は!?」
 そのなまっ白い足に視線が行きそうになるのを、慌てて修正した。どういうわけだか俺に対して本気で引いた顔をしている名字に、これでもかというほどむかむかして腹が立つ。ふざけんな、引いてんのはこっちだ。どんな露出狂の女だよ。普段のあのクソみたいなスカートの長さはどうした。
「な、何言ってんの爆豪くん……。痴女ってどんな語彙? 中学生が中学生に言う言葉じゃないでしょ。ていうかこのくらい普通では……?」
「うるせえわ! そっちがクソ足出しとんのが悪ィんだろが! んなもん出すな! しまっとけや!」
「く、クソ足てひどいな。そりゃ大した足じゃないけど……」
「自覚あんなら出すなや!!」
 怒りと衝撃に任せて怒鳴るだけ怒鳴ったら、少し平静を取り戻した。ふんと鼻を鳴らして改めて根暗女の格好を見れば、まあ確かにこいつの言う通り、ほかのモブ女どもがよく着ているような丈と言えなくもないような、そんな感じの服装だった。といっても女の服なんてちゃんと見たことがないから、ほかと比較しようにも比較などできない。モブどもの恰好など死ぬほどどうでもいいことだった。
 しかしこの準モブのアホみたいな恰好は、どうでもいいと切り捨てるにはアホすぎた。いや、アホだろ。意味もなく露出すんなや。
 まだ自分の足を膝で折り曲げ見ている名字に何とも言えない気持ちになりながら、俺は自分の視線を本棚に戻した。こんなところで何してるんだと言いたくもなるが、こちらから話しかけるのも癪なので黙っておく。その間にも名字はうだうだと言い訳なんだかよく分かんねえ言葉を並べ立てているようだった。
「そりゃあ制服のスカートは長いけど、別に私服までださい服着てるわけじゃないからね……。普通に女子中学生なんだしさ、爆豪くんは私のこと陰キャラ根暗認定してるけど、それもほとんど言いがかりだしね」
「事実根暗だろうが。じゃなきゃあんなクソだせえ制服の着方できるか」
 女の服装についてなど微塵も興味がないが、とはいえこいつの制服の着こなしが壊滅的にださいことだけは分かっていた。芋くさい制服の着方をしておきながら根暗ではないと主張する精神は、いっぺん鏡見てこいやと言いたくなるにもほどがある図々しい主張だ。
「だせえのは事実だろうが」
「ださいって、スカート丈の話? だってスカート短くしてて女の先輩に目つけられるの嫌だったし……」
「あ?」
「それに、スカート短くしてまで可愛いと思われたい男子もいないから、そのままスカート長くても構わなかったというか、まあ陰キャラだと思われるならそれでもいいかと思って」
 マジかこいつ。
 俺は呆れ半分で目の前の女をまじまじと見た。ほかの女から多少ずれてるとは思ってたが、俺が思ってたよりだいぶ、いやかなりずれているらしい。普通女なら少しでもマシな身形になるようにするだろ。それで実際マシになってるかはともかくとして、女とはそういうもんじゃないのか。
 大体、先輩がどうこうと抜かすのはせいぜいが二年までだ。三年にもなってそれを引きずっているのは、明らかに「今更スカート短くするのも面倒だな」という意識のあらわれでしかない。
 こいつだって、こうやって普通の格好してりゃそれなりに──
「って! 阿呆かてめえは!!」
 一瞬自分の脳裏に浮かんだ言葉に、激しく自己嫌悪した。その言葉をかき消すように大声で怒鳴れば、根暗女が迷惑そうに俺を見る。
「エッ、何。お店の中でいきなり叫ばないでよ」
「うるせえ喋んな殺すぞまじで!!」
「うわっ、リズミカルに暴言を吐かれている……」
 呆然とする名字をその場に放置して、俺は参考書を手にその場を立ち去った。
 ふざけてる。あの根暗女のことをそれなりにとか考える俺もだが、あんな阿呆みてえな格好しやがる名字のやつこそ、ふざけてる。
 そうだ、元をたどればあいつが悪い。クソほどふざけてる。あんな足、出したところで誰も得なんかしないだろうが。
 運動なんて全然できなさそうな細くて枝みたいな白い足。野郎のとは違う、でかい怪我の痕もない足。俺のとも、違う。

 レジの店員に乱暴に金を払うとむかむかしながら俺は店を出た。ふざけてる。俺が、あの根暗女のことを多少なりともマシだと思うなんて、そんなことがあるはずがない。まして、ちょっといいと思うなんて五回生まれ変わってもあるはずがない。絶対にありえない。あんな女は一生ださい制服を着ていればいいんだ。そうやって俺にも周りにも、クソださい根暗女だと思われていればいい。

prev - index - next
- ナノ -