現実主義者の用いた魔法



 ちょっとした喧嘩みたいなものはあったけれど、爆豪くんとの関係があれから悪化したりすることはなかった。このまま波風立てることなく卒業までの半年足らずをやり過ごせたらいい──そう思っていたのだけれど、中学三年生に進級してからのこの数ヶ月、何度も何度も思ったことを今ふたたび、しみじみと感じいっている。
 ──現実はそんなに甘くはない。

「名字さんってカツキくんと付き合ってんの?」
 見た目もしゃべり方も普通の女子っぽいのになあ──と、そんなことを背後にざらざらとした体育館の外壁を感じながら、私はぼんやり思う。
 放課後に体育館裏でと言われれば、用件はおおかた告白か決闘かの二択じゃないかと思うのだけれど、今回の場合はそのどちらでもないらしい。強いていえば、後者寄り──つまりは決闘寄りということになるだろうか。
 とはいえ女子数名に呼び出されたとなれば、考えられる用件は決闘よりももっと俗っぽい用件だ。
 リンチっていうのだろうか、たとえそれが未遂でも。
 そんなわけで、そういうことなのだった。私は現在、女子数名からなるグループに放課後の体育館裏に呼び出されている。もちろんこちらはひとり。私の目のまえの女子たちは、いかにも意地悪なことを言いそうなタイプではない。先ほども考えた通り、いたって普通の女子っぽい面子だった。これまで言葉を交わしたことはない。
 女子は総勢四名。話したことはないものの、みんな見たことがある顔ではある。話したことがないのは、単純にほかのクラスの女子だからだ。
 意地悪そうではないものの、だからといって大人しい類の女子というわけでもない。この子たちは私と違って目立つグループに所属している。見るからにギャルというわけではなく、多分教師に目をつけられるタイプでもない。それだけに、この子たちに呼び出されたとなるとちょっと身構えてしまうのだ。分かりやすい頭の悪そうな子たちよりももっと、ずっと厄介に思えた。
「黙ってないで何か言ったらどう? ていうか聞こえてた?」
 私が返事をしないのに業を煮やしたのか、彼女たちのうちひとりがイライラしたような口調で私に詰め寄る。
「ごめん、聞いてたよ」
 ごめんとは言ったものの、別に悪いことをしたつもりもない。そんな私の気持ちが言葉ににじんでいたのか、私に詰め寄った女子がむっとしたように私を睨んだ。
 長いまつげに縁取られたきれいな瞳が、私を非難するような目で見つめている。爆豪くん以外からこういう風に好意的でない目を向けられるのはなんだか久し振りだと思った。中学での私は、基本的には目立たない背景のような女子である。
「聞いてたなら、さっさと答えてよ。カツキくんと付き合ってるのか教えてって言ってるの」
「ええ? いや、ないでしょそれは」
 間髪を容れず、そんな言葉が口から飛び出した。ほぼ無意識の言葉だけれど、それだけに一切の見栄も欺瞞もない。
 私が爆豪くんと付き合う──それだけは地球がひっくり返ってもありえない事だと、まったくはっきり断言できた。
 爆豪くんにだって選ぶ権利はあるし、仮に選ぶ権利を行使したところで、彼は私のことは選ばないだろう。何せ私は爆豪くんに対して思い切り生意気な態度をとるし、爆豪くんは爆豪くんで私のことを根暗女呼ばわりする。万が一こんな私たちを見て付き合っているというのならば、大抵の男女は付き合ってることになるはずだ。そのくらい、私と爆豪くんは恋愛から縁遠い場所にいるのだった。
 けれど残念ながら目の前の女子たちは、そうは思わないようだった。私にとっては自明の理どころか地球の法則みたいなその事実など無視して、私と爆豪くんの関係をこれでもかというほどに疑っている。わざわざ私を呼び出すほどだから相当だ。信じられないほど想像力が豊かなのだと思わざるをえなかった。
 いやあ、今時の女子の想像力のたくましさには恐れ入る。
 しかし私と爆豪くんとの距離感をどう勘違いしているのか知らないけれど、目のまえの女子たちはまったく私の言葉を信用しようとしない。
「付き合ってないなら、じゃあ何であんなに仲いいの? こう言っちゃ悪いけど、名字さんとカツキくんって仲良くなる要素なくない?」
「そんなこと言われても……実際仲なんかよくないし……。というかむしろ、どう見たら付き合ってるように見えるのか私の方が教えてほしいくらいだよ。何をもって私と爆豪くんの仲を疑ってるの?」
 心の底からの私の疑問である。けれどどうやら、この物言いが彼女たちの怒りの琴線にふれたようだった。
「ちょっと、何その態度?」
 女子のひとりが苛立ったように私に詰め寄る。どうやら見た目に反して案外導火線が短いらしい。こちらとしては言葉以上の意味も含みもないのだけれど、向こうにはそうと捉えてもらえなかったようだ。
 失言だったか。そう思い咄嗟にごめん、と言おうとした瞬間。
「名字さんさ、さっきから感じ悪くない? 昔いじめられてたくせに、ちょっと調子乗ってるよね」
 短気な彼女が苛立たし気にそう言った。
 その言葉に、私は謝罪の言葉を飲み込む。
「隠してるのか何か知らないけど、全部知ってるからね。名字さんが昔全然個性出なくて虐められてたって話。小四まで個性なかったんでしょ? やばくない? そんな子普通いないよ。気持ち悪い」
 その女子の言葉に、ほかの三人がさんざめく。
「えっ、それまじ? そんなのほぼ無個性みたいなもんじゃん」
「そうだよ。今こんな偉そうにしてるけど、昔は無個性の虐められっ子だったんだよね、名字さん?」
 何とも楽しそうに問いかけてくる女子だった。こういう話のときに意地悪に瞳をきらめかせる女子は、今も昔もそこそこにいるわけで、今更驚くようなことでもない。けれど驚かないことと不快に思わないことは、必ずしも同じことではない。
 無関係な昔の話を掘り起こされれば、当然ながら不愉快である。
「……それ、今関係ある?」
「あるよ。だってそんな子がカツキくんと仲いいって、それだけでもう変じゃん。カツキくんは雄英受けるくらい優秀なんだよ? 緑谷との仲の悪さ知ってるでしょ? 名字さんみたいな子が、優秀なカツキくんと仲良くできるわけなくない?」
 自信満々に言うわりには、まったく筋道が通っていない理論だった。
 彼女の言う理論が、私にはまったくもって理解できない。というか理解できないということだけは理解できた。別に理解したいと思うわけでもない。
 先ほど彼女が言ったとおり、私はこれまでの人生で個性にまつわる嫌な思いを散々してきた。その経験から思うのは、人と人が親しくなることにおいて、相手がどんな個性を持っているか、いつ個性が発現したかなんてことは大した問題ではないということだ。大切なのはあくまでも自分と相手の人となり。
 仮に私が爆豪くんと親しくするとして、正直彼の個性のことなんてどうでもいい。逆もまた然り、個性で人を好きになったり嫌いになったりなんてしない。それはきっと、爆豪くんだって同じだろう。爆豪くんが私に理不尽な態度をとるのは、私の個性がどうこうということではなく、たぶん私が爆豪くんのことをいらつかせる性格だから。個性があろうがなかろうが、それがどんな個性だろうが、爆豪くんはきっと何ひとつ気にしない。
 爆豪くんは多少みみっちいところもあるけれど、個性なんてものだけで好き嫌いを決めるほど、底の浅い人間ではない。せいぜいどんな個性を持っているかで、相手が自分にとって役に立つか立たないかの判断をする程度だろう。いや、それはそれで嫌なやつではあるのだけれども。
 だからもし、彼女が彼女なりの理論を爆豪くんにも当てはまるものだと思っているのならば、それは爆豪くんのことを侮っていることに他ならない。私に対してだって、彼女はさも痛いところを突いてやったとでも言いたげな顔をしているけれど、別に痛くも痒くもない。
 そんなことに傷つく時期は、とうの昔に過ぎている。
 だからこそ、腹が立つ。傷つきはしないけれど腹は立つのだ。
 私にとって個性のことなど痛くも痒くもないからこそ、そこが私の痛みだと思われていることがムカついて仕方がない。
「話はそれだけですか」
 彼女たちの言葉が止むのを待って、私は一言そう尋ねる。
 言いたいことは、伝えたいことはそれだけなのかと問う。問われた彼女たちは一様に困惑した顔を私に向けた。おおかた、昔の話を持ち出せば私が怯んだり傷ついたりするとでも踏んでいたのだろう。
 お生憎さま、私はそのこと自体は全然気にしていない。ただしその話を持ち出す人間のことは、心の底から軽蔑するし嫌悪もする。
「ちょっと、何その言い方、いつまで自分が上からだって思ってるわけ?」
 むっとしたように言い返す彼女の言葉を遮って、再び口を開く。
「そっちこそ、何なの。そんな大昔のこと持ち出して、わざわざ四人も人数集めないと私ひとりのことすら言い負かせないの? 個性あるなしとか関係なく、十五にもなって、それってちょっと情けなさすぎじゃない?」
「なっ、」
「ていうかさっきから聞いてたら、私のことも爆豪くんのことも馬鹿にしすぎだからね。私も爆豪くんとそんな仲良くないし、爆豪くんのことなんか大して知らないけど──でも多分、爆豪くんは私みたいな何でもない人間の個性のこといちいち気にしてるような小さい人間じゃないよ」
「そん、そんなの分かんないじゃん! ていうかこれ以上ナメた口きくなら──」
「やるならやりなよ。私は受験に響くと嫌だから絶対やり返さないけど、でも絶対教師にも爆豪くんにもチクるよ。虐められてたの知ってるなら、私が小学生のときに相手にやり返してたのも知ってるよね? ほら、殴りなよ。でも喧嘩なんてしたことないでしょ? うまくやらないと、あざとかできたらチクるときに証拠になるしこっちのもんだよ。どうするの? 受験目前のこの時期に、そんなことできるの?」
 ずいと大きく一歩踏み出して、私は彼女たちに近付く。悪いけれどこっちは昔のこととはいえ、それなりにこういう状況には慣れているのだ。今さら四人ごときで怯んだりはしないし、何なら勝てると思っている。
 私だって、本気で教師に言いつけたりするつもりはない。それでも喧嘩慣れしてなさそうで大人しい顔をしたこの子たち相手ならば、ハッタリでも十分効果はあるだろうと踏んだ。そして実際、彼女たちは困惑したり憤ったりはしてはいるものの、私に手を出してきそうな気配はない。多分、手を出すといってもどうしたらいいのかもよく分からないのだ。
 よくもまあ、偉そうなことを言ってくれたものだ。
「何もしないの? これ以上用事がないなら私は塾に行くんだけど」
 勝負あったな──そう勝手に判断した。これ以上ここにいても仕方が無いので帰りたい旨を伝えると、いよいよ彼女たちは顔を真っ赤にしていきり立つ。
 言い返さないことには腹の虫がおさまらないのだろう。手を振り上げたまま、女子のうちのひとりが私との距離をぐっと詰めた。
「あ、あんまり調子乗ったこと言ってると本当に──」
「……何してんだてめえ」
 その時、その場に馴染まない低い声が私たちの間に割って入った。
 はっとして声のした方を見れば、両手に大きなゴミ袋を手にした爆豪くんが、何ともいえないいつもの仏頂面でそこに立っていた。
 爆豪くんとゴミ袋──ミスマッチだ。
「か、カツキくん……!」
 訝しげにしている爆豪くんと、あからさまに狼狽えている女子たち。私は自分がどうするべきか、一瞬悩む。
 私以外の女子たちは爆豪くんの思いがけない登場に完全に虚を突かれ困惑しているのだろう。彼の言っている「てめえ」は多分私のことだと思うので、ここで私が彼の言葉に答えないと多分気まずい空気が延々続くような気がする。それだけは勘弁願いたいところだった。何が悲しくて私を目の敵にしている女子たちと、同じく私と親しくする気のさらさらない爆豪くんとの間に挟まれなければならないのか。
 となれば、すべきことはひとつである。
 私は現れたばかりの爆豪くんの方を向くと、うっかり爆豪くんを怒らせないように努めてにこやかな笑顔をつくった。
「あら爆豪くん。こんなところで会うなんて奇遇だねー。体育館裏に用事なんて一体どうしたの──って、ああ、爆豪くん今日掃除当番の日だったんだ」
 我ながら臨場感のまったくない棒読みだった。しかし爆豪くんはそんなことを気にすることもない。ただいつものとおり、
「てめえにゃ関係ねえだろうが、黙れ根暗。んなことより何しとんだ、こんなとこで」
 と私に暴言を吐くだけだった。
「黙れって言う割に質と質問はするんだ」
「揚げ足とんな!」
「まあまあ。何っていうか、この子たちが私に聞きたいことあったみたいで、それで呼び出されたんだよ。爆豪くんと付き合ってるのか聞かれたんだけど、どう?」
 そう言うと爆豪くんは漸く女子たちの顔をまじまじと確認した。眼光が鋭いので、ただ見ているだけなのに爆豪くんが彼女たちを威嚇しているようにしか見えない。先ほどまでは威勢のよかった彼女たちも、すっかり委縮して子ウサギのようになっていた。
 というか、爆豪くんのことをカツキくんと呼んでいたところから、てっきり私は爆豪くんと彼女たちが親しい間柄なのだと思っていたのだけど、双方のリアクションを見るにどうやらそういうわけでもないらしい。
 じゃあどういう立場で私をなじったりしたんだよ。
 思わずそう言いたくなる。
 案の定、爆豪くんは暫し目を眇めて彼女たちを睨んだ後、僅かに首を傾げた。
「は? つーか誰だこいつら」
「爆豪くんの知り合いじゃないの?」
「知るか、こんなやつら」
 やはり知り合いではないようだった。となれば、いよいよもって私が彼女たちの尋問に付き合う必要もない。私とも爆豪くんとも関係のない人たちならば、私と爆豪くんの関係について口を出す権利もなければ、私たちのことを問いただすような資格だってないはずだ。
 これにて話は終わりだった。私は依然委縮しきっている彼女たちに一礼すると、くるりと踵を返して爆豪くんの横に並ぶ。別に爆豪くんとともに行動したいわけではないけれど、少なくとも爆豪くんと一緒にいればこれ以上絡まれることもないだろう。
「爆豪くん、良かったらゴミ袋私がひとつ持っていこうか? ちょうど今、話も終わったところだし」
「あ? てめえの助けなんざいらねえ」
「いいからいいから」
 言うなり、私は爆豪くんの持つゴミ袋をひとつ引ったくるように奪うと、何やらキレている爆豪くんを急かしてさっさとその場から立ち去った。

 ごみ捨て場にゴミ袋を捨てると、爆豪くんが完全に怒った顔で私を睨んでいた。どうやら私があの場から逃げだすのに爆豪くんをダシに使ったのが、爆豪くんには面白くないらしい。
 そうは言っても、そもそもあんな状況に陥った原因の一端は爆豪くんにもあるのだ。このくらいのことは許してほしい。
「それにしても、呼び出しとか今どきする子いるんだね」
 しみじみとそう言えば、爆豪くんは不機嫌そうに舌打ちをする。聡い爆豪くんのことだから、先ほどの状況と私の言葉から、ある程度の事情は察しているのだろう。
「あんなもん馬鹿正直に行くやつも馬鹿だろ」
「普通呼び出されたらとりあえず行くでしょ」
 教室に向かいながら私はそう反論する。さすがに用件も聞かずに呼び出しを無視できるほど、私は爆豪くんみたいな人間じゃない。
 何はともあれ、手が出るタイプの喧嘩にならなくて良かった。いざとなれば仕方ないにしても、中学生にもなって喧嘩で痛い思いをするのはごめんだ。相手が喧嘩慣れしていなくてよかったとつくづく思うのと同時に、私は隣の爆豪くんに視線をやった。ポケットに手を突っ込み仏頂面で歩いている爆豪くんに、私は先程から抱えていた些細な疑問をぶつけてみる。
「爆豪くん、どこから見てたの?」
「あ゙ァ?」
 胡乱げな目を向け、爆豪くんは私を見る。
「出てくるタイミングよかったから、どこかで見てたのかなと思ったんだけど違った?」
「……んなわけねえだろ」
「そっか、たまたまか」
「つーかうるせえから黙ってろボケ」

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