07

 二人そろってメニュー表を長々と眺めた末、結局二人ともランチを注文することにした。そうお腹が空いているわけでもなかったが、カフェのご飯くらいの量なら十分に食べきれる。何より目の前で黒尾くんががっつりランチを食べたいと言っているのに、自分はデザートだけで済ませるのは何だか忍びない。早食いを促すようなことはしたくなかった。
 私はキッシュランチ、黒尾くんは週替わりランチを注文する。ランチメニューでがっつり白米が付いているのは、週替わりランチだけらしい。私の倍の大きさのお弁当を食べる男子は、カフェご飯じゃそうそうお腹は膨れないだろう。せめて白米がなければ。
 黒尾くんはランチのお盆が運ばれてくるなり、大きな口で早速白米をかきこむ。よほどお腹が空いていたのだろう。その食べっぷりが惚れ惚れするほどだったので、私は暫く自分の食事もそこそこに、黒尾くんの食事風景を観察した。
 私の視線に気付いた黒尾くんが、茶碗を置き、照れたように手で自分の顔を隠す。そういう仕草や表情はレアなので、なんだか得した気分になる。
「そんなに見られてると食べにくいんですけど」
「いい食べっぷりだなぁと。ちょっと感動してた」
「そんなことで感動されても」
 多少ひねくれた言葉は、照れ隠しなのだろう。たしかに黒尾くんが食べにくそうなので、観察はそこまでで止めにして、私も自分の箸をとった。
「それにしても、よくそんなに食べられるね。いくら身体が大きいとはいえ」
「まあね。質より量で食ってるところあるのは認める」
「その大きな身体を思い切り動かして動いてればそうなるか。バレーで推薦ってことは、黒尾くんは大学に行ってもバレーは続けるんでしょ?」
「そのつもりだけど、別に進学するの体育大じゃねえし、普通に部活入って続ける感じだろうな」
「あ、そうなんだ」
 意外そうに言う私に、黒尾くんが少しだけ眉尻を下げる。
「推薦っつってもちゃんと試験受けてるからね、俺」
「じゃあ合格が決まる時期が早いってだけでそんなに変わらないね」
「そゆこと」
 口を開けば受験の話になるのは高校三年生の定めだ。私たちはふたりとも受験が終わっているとはいえ、シーズン的には今が受験まっただ中になる。もしも試験直前のクラスメイトに今の私たちを見られたら、きっと物凄く嫌な顔をされるのだろう。悪いことをしているわけではないのだが、どうしてもそう考えてしまう。
 本当は大学入学に向けて、少し髪を染めてみたりだとか色々してみたいことはある。バイトだって早く決めたい。けれど何となく、周囲の友人たちの受験がひと段落するまでは、私も受験気分が抜けきらずに動きだせないでいた。髪を染めるくらいならきっと在学中だってやってよかったのだろうが、そこまで染髪に熱意があるわけでもない。そういうキャラでもない。
「黒尾くんは大学に行ったら何したい?」
 食事のかたわら、私は黒尾くんに尋ねる。黒尾くんは悩むそぶりで視線を彷徨わせると、
「バレー、彼女、その他もろもろ」
 と答える。簡潔で非常に分かりやすかった。
「とりあえず推薦もらってる以上はバレーは絶対続けるだろ。他校のやつでも、俺と同じ大学に決まったやついるし、そういうやつらと同じチームでやるのって絶対面白いしなー。で、あとは彼女だな。これ高校入学するときも同じこと言ってた気するけど」
「分かる、高校生になったらみんな自動的に彼氏彼女できるって思ってるやつでしょ」
「そうそう、それ。けど結局高校は部活ばっかやってたんだよな。だから大学いったらまじで可愛い彼女つくって、夢のように充実した大学生活を謳歌する。本気を出すよ、俺は」
 断固とした強い口調で言う黒尾くんに、思わず苦笑した。私も大学に入ったら彼氏がほしいなと思ってはいたけれど、黒尾くんほど強い意志を持っていたわけではない。いなければいないで、高校時代と同じく楽しいだろうとも思っている。
 そんな思考とはうらはらに、今ここで黒尾くんのことが気になり始めているのだが。
「黒尾くんの彼女って、ちょっとギャルっぽい可愛い子だと思う。完全に私のイメージだけど」
 それから、私とはタイプ違いそう、と心の中でひっそり付け足す。
 黒尾くんがやんちゃというわけではないにしても、黒尾くんの周りいる女子は明るく目立つ、男子との交流をまったく苦にしない子が多い。私とは、そもそも所属しているグループが違う子たちだ。
 そして黒尾くんに告白する子たちも、そういう子が多いと聞いたことがある。となれば、付き合う相手もそうした子になるのだろう。
 しかし黒尾くんは私の言葉に対し、んー、と何とも不服げに唸る。
「俺そういうイメージなの?」
「うーん、少し? 違った?」
「別にギャルっぽい子が好きなわけではないな。というより、見た目より中身重視。好きになった子がギャルっぽかったら、それはそれで好きになると思うけど。まあ敢えてタイプいうなら、清楚系です」
「清楚系? それはちょっと意外かもしれない」
「そうか? まあ清楚系つーか、あんまりうるさくないやつな。クラスで目立つ女子とかは苦手かも」
 その返事は、なんというかすごく意外だった。大変申し訳ないのだが、黒尾くんのような体育会系の──それも全国大会に出場するような人は、同じく華やかなタイプの女の子が好きなのだろうとばかり思っていたのだ。
 黒尾くんはクラスで特別目立つわけではないが、私のように埋没して目立たないタイプでもない。誰からも頼りにされているのがよく分かるし、声の大きな集団からも一目置かれている。独特な存在感を持っている人だ。
 私はどちらかといえば仲のいい子たちとだけ仲良くしているタイプで、たとえば文化祭の出し物を決めるときだって、積極的に手を挙げたりする方ではない。
 引っ込み思案なのかと言われればそういうわけではないけれど、少なくとも目立つグループにいないことは確かだ。だからこそ、黒尾くんが私をやけに構ってきたり連絡してくるのが不思議で、色々と自意識過剰な勘違い気味になってしまう。
 私が不思議そうな顔をしていたのに、目敏い黒尾くんは気付いたのだろう。
「信じてねえな」
 とにやにや笑う。
「ていうか名字さん、俺が結構名字さんのこととか見てたの、絶対知らねえだろ」
 唐突に放り投げられた爆弾に、私は驚き目を見開く。
「私? って、えっ、私!? なんで!?」
「なんでって。二年のときから、あんま目立たないけどいい子だなーって。授業ちゃんと聞いてるし、クラスのやつがなんかミスったり間違えたりして、みんな笑ってるときでも笑わなかったり。そういうのってなんかすげえなっていうか、あーこの子性格いいんだなって思ってた。あと地味にめっちゃ姿勢いいよな」
「な、なんかすごく恥ずかしいんだけど。姿勢……?」
「んー? まあとにかく、そういうこと。だから仲良くできたらなーと陰ながら思ってたわけ。話しかける機会もなかったから、まじでただ思ってただけだけど」
 話を聞きながら、顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった。水の入ったコップを持つ手が汗ばんできた気がする。
 黒尾くんはさらっととんでもないことを言ってくれる。私なんかを、あの黒尾くんが見ていてくれたなんて。この二年間、私はまったく気が付かなかった。そりゃあクラスが同じなのだし視線が合うくらいのことは何度もあったけれど、それにだって大した意味なんてないと思っていた。
 まずい、かなり恥ずかしい。私は今まで、黒尾くんに一体何を見られていたのだろう。何か恥ずかしいことをしていなかっただろうか。
 一瞬でこの二年間の思い出が走馬灯のようによみがえる。いや違う。走馬灯は死の間際に見るやつだ。確かに今、私は猛烈な恥ずかしさに襲われて死にそうだが。しかし走馬灯は流石に早い。今じゃない。
「おーい、名字さん。大丈夫か? 変な顔になってるけど」
「……ちょっと色々無理って思って走馬灯とか見えてた」
「走馬灯て!」
 正直に打ち明けると、ぶひゃひゃひゃ、という不細工な笑われ方をしてしまった。走馬灯が見えたのは私のせいではなく、九割黒尾くんのせいだというのに。黒尾くんによって私の死期を早められかけたといっても過言ではないのに。

 幸い、ちょうどその時店員さんがランチのお皿を下げにやってきてくれたので、それ以上この話は掘り下げられずに済んだ。もしもこれ以上恥ずかしいことを言われていたら、今度こそ私は本当に死んでしまっていただろう。大学進学もしていないのに、こんなところで短い人生の幕を閉じたくはない。
 それにしても、こんな話をして黒尾くんは恥ずかしくないんだろうか。もし逆の立場だったとして、私は黒尾くんのことを二年間見ていました、なんてとてもじゃないが言えはしない。
 黒尾くんは私のことを恋愛対象として見ていないから、だからこそ、そんな大胆なことが言えるのだろうか。いや恋愛対象だろうがそうじゃなかろうが、その発言がこっ恥ずかしいことに変わりはない。そんな恥ずかしい言葉をするりと言えてしまう黒尾くんはやっぱり途轍もなくすごい。

 デザートを待つ間、黒尾くんは世間話を振りながら、時折窓の外を眺めたりしていた。私はといえば、せっかく話題を振られてもしょっちゅう上の空になり、そのたび黒尾くんに笑われた。意地悪な笑顔が可愛くて、直視できずに顔を俯ける。
 黒尾くんは私のことを見ていたというが、それでも今、どきどきと胸をときめかせているのが私と黒尾くんのどちらかと問われれば、それは多分──間違いなく私の方だろう。私の方がずっと、どきどきしている。
 黒尾くんが二年間私のことを見ていて、その上で私と仲良くしたいと思っていてくれたのなら、それは私にとっては恥ずかしくも嬉しいことだ。黒尾くんほどの魅力的な男子にそう思ってもらえるなんて、これ以上ないくらいに名誉なことだとも思う。
 けれどこの一か月という短期間で、一気に私をときめかせてしまった黒尾くんの魅力の方が、正直に言って私なんかよりもずっとずっとすごい。
 今朝までは、それでも「気になるかもしれない」程度になんとか踏みとどまっていた黒尾くんへの気持ち。けれど今は違う。もう違う。
 自分の気持ち、思いの形が明確に、手に取るようにわかってしまう。久しく感じていなかった胸の奥からじんと熱くなるような、切ないのに嬉しくて笑ってしまうようなふわふわした気持ちを理解してしまう。
 目の前でコップを傾けている黒尾くんのことを見るたびに、心の中で沸きだすようなこの気持ち──これは紛れもなく、恋だ。
 私はこんなに黒尾くんのことが好きなのだ。そのことを自覚して、私はただただ途方に暮れた。

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