53

 ディナーは恙無く進んでゆく。黒尾くんの誕生日のときに出してもらった料理も美味しかったものの、さすがに本職にはかなわない。次々出てくる料理はどれもすさまじく美味しく、料理が出てくるたびに私は小声ではしゃいでしまう。
 黒尾くんもこのお店で料理を食べるのは初めてらしく、彼にしては珍しく終始興奮した様子だった。私だけじゃなく黒尾くん自身も楽しんでくれているようで、私はただ用意されたお店で食事をしているだけなのに何故か嬉しくなってくる。
 食事がデザートまで終わったところで、黒尾くんが鞄から小さな包みを取り出した。
「これ、どうぞ」
 ぽん、と何気なく手渡された包みが何なのか、一瞬まったく分からなかった。それがクリスマスプレゼントなのだと、一拍遅れてようやく気付く。
「開けてみて」
 促されるままに、私はそっと包みを開けた。リボンのかかったおしゃれな包装紙の中には、これまたおしゃれな柄の箱が入っている。どきどきと胸が高鳴るのを感じながら開けると、茶色いレザーの腕時計と替えのベルトが、箱の中にそろって封入されていた。
 華奢な文字盤にはきらきらと輝く宝石がひと粒、ちょこんと控えめに埋め込まれている。
「う、わぁ! 可愛い……!」
 箱の中の時計を見て、ほとんど無意識に感嘆の声をあげた。黒尾くんからのプレゼントならば何だって嬉しいが、まさかこんなにも可愛くて、私好みのものをもらえるとは思っていなかった。
 周囲に憚りながら控えめに喜ぶと、それとほぼ同時に黒尾くんがはあー、と長い息を吐きだした。
「はー、よかったー。名前時計しねえし、いらないって言われたらまじでどうしよって思ってたからすげえ安心した……」
「え、え、すごく可愛いよ! 時計つけてなかったのは、ただ大学生になってつけるようなちゃんとした腕時計持ってなかったからってだけで……。え、どうしようすごい可愛い、嬉しい」
「喜びすぎね」
 どれだけ言葉を尽くしても言い表せないくらい嬉しかった。実は大学に入ってからずっと、ちょっと上等な時計を欲しいと思っていた。高校のときに使っていたような雑貨屋で買えるものではなく、きちんとしたものが。
 だがそういうものはなかなか自分で買う機会もなく、なんだかんだと先延ばしになっていたのだ。だから単純に、欲しいものがもらえて嬉しい、素直にありがたいという気持ちも、もちろんある。
 しかし何より嬉しいのは、黒尾くんが私のことを思ってこの時計を選んでくれたのだということだった。いつでも身に着けられるもの。いつでもそばに感じられるもの。私が黒尾くんにプレゼントを贈るときに思っていたことを、黒尾くんも同じように思ってくれていたのかもしれないということが嬉しかった。
「ありがとう、黒尾くん。これでずっと黒尾くんと一緒にいる気持ちになれるね」
 矯めつ眇めつ時計を眺めていると、黒尾くんがふ、と小さく笑ったような気がした。視線を上げ黒尾くんを見ると、やはり笑っている。黒尾くんは私と目があうと「いや」と口を開いた。
「プレゼント考えるとき、あげるものに色々意味とかあんのかなって調べてたんだよ。折角だったらプレゼントそのものの価値だけじゃなくて、そういう特別ななんか気持ち? みたいなのも込めたいなと思って。それで、そういや彼女から彼氏に財布を贈るってどういう意味なんだろって思って調べたらさ、『ずっと一緒にいて』らしくって。名前、知ってて財布にした?」
「え、そうなの!?」
「やっぱ知らなかったか」
 黒尾くんのにやにや顔に、一気に顔が熱くなる。
 黒尾くんの誕生日のとき、私はただ、黒尾くんが欲しいと言っていたからという理由で財布を選んだ。だがまさか、財布を贈るというのがそんなメッセージ性を持った贈り物だとは思いもしなかった。知らずに贈った自分が恥ずかしい。
 そして贈り物にまつわるメッセージをわざわざ調べたということは、黒尾くんから私へのプレゼントであるこの腕時計にも、何らかのメッセージがあると考えるのが自然だ。プレゼントとしての財布に『ずっと一緒にいて』という意味があるのなら、贈り物の定番ともいえる腕時計にだって、何かしらのメッセージは付随していてもおかしくはない。
 そう思い黒尾くんを見ると、やっと気付いたかと言わんばかりのにやり顔をされた。
「腕時計にはどういう意味があるの?」
「んー? 知りたい?」
「知りたい……ものすごく、知りたい……」
 何故かやけにもったいぶる黒尾くんに、私はいつのまにか身を乗り出して尋ねていた。
 黒尾くんはにやにやしたまま首をかしげて見せる。
「男から女の人に贈るのと女の人から男がもらうのでは、意味が違うらしいけど」
「く、黒尾くんから私に贈るときは?」
 焦らすように笑った黒尾くんは、私が待ちきれなくなった頃、ようやくにやりと笑って言った。
「『同じときを歩んでいこう』」
「っ!」
「というわけなので、いっぱい使ってもらえたら俺は嬉しいです」
 そう言って黒尾くんは、優しく笑った。
 その後、私からも黒尾くんにプレゼントを渡した。プレゼントの通学鞄は大いに喜んでもらえた──はずなのだが、如何せん自分がもらったプレゼントが嬉しすぎて、正直黒尾くんのリアクションはあまり覚えていない。
 何せあんなに意味深なメッセージの込められた贈り物をされたのは人生で初めてだ。大好きな彼氏からそんなプレゼントをもらって、舞い上がらないはずがない。
 食事が一段落するのを待ってから、私はもらったばかりの腕時計を早速手首につけてみた。
「お、やっぱ似合う」
 黒尾くんが嬉しそうに言って写真を撮ってくれる。今日は手のまわりにはアクセサリーをつけていなかったし、せっかくなので腕時計はつけたままにしておくことにした。袖から腕時計がのぞくたび、黒尾くんからの特別な意味も思い出して思わず顔がゆるんでしまう。
「そんなに嬉しそうにされると、こっちも選んだ甲斐がある」
「これ黒尾くんが選んでくれたの?」
「そりゃそうだろ。じゃなきゃ誰が選ぶんだ」
「いや、そういう意味じゃないけど……なんか、嬉しいなって思って」
 もともとのベルトとは別に、替えのベルトもついている。時計本体はもちろん、黒尾くんが私のことを考えながらベルトの一本まで選んでくれたのだと思うと、その様子を想像するだけで心の温度が上がっていくようだ。
「俺が選んだものを名前が持ってるって思うと、もうそれだけで嬉しいよな」
 私が常々思っていたのと同じようなことを言って、黒尾くんは満足そうに微笑んだ。

 お会計は私がお手洗いに行っている間に黒尾くんが済ませておいてくれた。
「じゃあ行くか」
 そう言ってスマートに私をエスコートする黒尾くんは、とてもじゃないが十九歳の男の子には見えない。黒尾くんとでなければこんなに素敵なクリスマスは過ごせなかっただろうと、しみじみした気分で思う。
 店を出ると、冬の冷たい空気が途端に私たちを襲った。ぶるりと身体を震わせ鞄を抱えなおし、思い出す。
「あ、そういえばさっき黒尾くんがお支払いしてくれたけど、私いくら払えばいい?」
 同じく身体を震わせている黒尾くんに訊くと、黒尾くんは曖昧に笑む。
「んー、別にいいけど」
「いや、そういうわけにはいかないでしょ。あんな美味しい食事だったんだから私にも出させて」
「じゃあ三千円で」
「うそ」
 思わず眉を顰める。どう考えてもそんなはずはない。その辺の居酒屋でもあるまいし、あれだけの食事を、アルコールなしとはいえ三千円で食べられるとは思えない。色々と融通が利くといったって、本来あそこに入る資格すらない私たちが食事をできるように便宜を図ってもらったというだけだ。金額のサービスはまったく別の問題のはず。
 納得しない私が黒尾くんをむっと見つめる。黒尾くんは困ったように肩をすくめ、それから言った。
「今日のためにバイト頑張ったんだから、ちょっと多めに払わせてよ。男を立てると思って、な?」
「でも、」
「いい格好したい俺の気持ち分かってほしいんですけど」
 そんな風に言われたら、無理やり押し切ることなどできるはずがない。心の中で絶対お返ししなければと強く思いつつ、今日のところは引き下がった。黒尾くんは満足そうに頷く。
 料理はおいしかったしプレゼントは嬉しかったし、黒尾くんは今日も格好良かった。少しフライングとはいえ、紛れもなく人生最高のクリスマスだ。
 スキップしそうな勢いで夜道を歩くと、黒尾くんが転ぶぞ、と私の腕をひいた。そのまま腕を絡ませる。すっかり暗くなって冷え込んできていたが、こうしてくっついていると不思議とあまり寒さは感じなかった。
「今日は幸せだったなー、最高のクリスマスだー」
 お酒を飲んだわけでもないのに酔っぱらったようなテンションで笑うと、黒尾くんもつられて笑ってくれる。どうやらクリスマスマジックにかかってしまったのは私だけではないようで、黒尾くんもいつもよりだいぶ浮かれているように見えた。
 駅に向かおうとする私に、黒尾くんは「待った」と声をかける。黒尾くんの顔を見上げる。意地悪な顔はいつにも増して上機嫌。こういう顔の時の黒尾くんは大抵、ちょっと悪いことを考えている。そして、こういう時の私の勘は大体当たる。
「今日はあれはないの?」
「あれ?」
 意味がわからず首をひねる私に、黒尾くんはさらに笑みを深くする。
「この間の誕生日のときのやつ。プレゼントはわ、た、し、って」
 意地悪な表情の意味を理解して、瞬間私は絶句し口をぱくつかせた。思い出されるのは黒尾くんの誕生日を祝った帰りだ。柄にもなく恥ずかしいことをしてしまったとその後しばらく思い出す度死にたくなったセリフ。
 あの日は黒尾くんもある程度そのつもりだったようで、お互い心おきなく外泊ができた。二回目は一回目ほどの緊張はなく、しかしその分黒尾くんのペースに翻弄されてしまった感じ。一回目以上に恥ずかしく、そのことはあんまり思い出さないようにしていた。
 そんな私の恥ずかしさなど意にも介さず、黒尾くんはにんまり笑顔で言う。
「クリスマスだぞ? ちゃんと今日は友達んち泊まるって言ってきてるよな?」
「あ、えっと、その、言ってはきた、けど」
 正確に言えば、今日は友達の家に泊まるかもしれない、とは言った。カップルなのだしサプライズだし、おまけにクリスマスだし、どういう展開になるか分からないと思ったから一応の予防線は張ってきただけだ。
 しかし、まさかここまでド直球だとは思わなかった。はじめてまではこちらが焦れてしまうくらい丁寧だったというのに、一度一線を越えてからというもの黒尾くんの積極性はとどまることを知らない。さりげなく腰に手を回され、もはや私に逃げ場はない。
「さ、三千円の食事が随分高くついた……」
 苦し紛れにそんなことを言ってみると、黒尾くんははっはっはと鷹揚に笑った。
「名前は付き合わされてるみたいに言ってるけど、別に嫌じゃねえだろ?」
「うっ」
「嫌ならちゃんと俺は家まで送り届けますよ? こう見えても紳士なもんでね」
 どうする? と覗き込んだ瞳は楽しそうな色に染まっていた。たまらず私は顔をそむける。
「ん? 名前?」
「……ない」
「もう一回」
「嫌じゃない、です」
 私の言葉に黒尾くんは満足そうに頷いた。
「はい、よくできました。クリスマスの夜はまだまだこれからだからなー」
 楽しそうな黒尾くんの声に逆らうことなんてできるはずもない。
 きらきらと輝く街──ビジネス街、の隣にあるホテル街のネオンの明かりの中に、私たちはゆるゆると引き返していくのだった。

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