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 クリスマス当日の十二月二十五日は黒尾くんの部活が入っているという事情で、クリスマスパーティーは二十三日の夜にすることになっていた。
 その二十三日、当日。待ち合わせ場所は大学の最寄駅から数駅の、今まで一度も降りたことのない駅だった。駅の南にはビジネス街、北に住宅地が広がっている。どんな店があるのかもまったく知らないエリアなので、不安半分、わくわく半分で私は駅に降り立った。
 黒尾くんからは事前に「一応、ちょっときれいめな恰好でお願いします」と言われている。コートの下はこの間買ったばかりのよそ行きのワンピース。膝から下はストッキングをはいているとはいえ、あまりに無防備で今にも凍えてしまいそうだ。
 それでも『ちょっときれいめな服』を着ることなんてそうそうないので、多少の寒さは我慢できる。何より黒尾くんと『ちょっときれいめな服』でデートなんて、胸が躍らないはずがない。
 早足に改札を出ると、黒尾くんはすでに改札前で待っていた。この間の誕生日の時と同じように、コートの下にジャケットを着こんだ黒尾くんは、私と同じ『ちょっときれいめな服』。格好のせいか、いつもよりも大人っぽく見える。小走りで駆け寄ると、黒尾くんもすぐにこちらに気がついた。
「お待たせしました。ごめんね、寒いのに待たせて」
「いや、俺も今来たところ。つーかそっちこそ足寒そうだな」
「うん、少し」
「駅から歩いて五分くらいだから、悪いけどちょっと頑張って」
 五分ならば頑張れないこともない。暖をとるように黒尾くんにぴったりくっつくと、黒尾くんににやにやと笑われた。つないだ手はなんとも自然な流れで黒尾くんのコートのポケットの中に誘われる。コートのポケットの中で組まれなおした冷たい指同士が、触れたところから少しずつ温かくなっていくようだ。心まで温まったような気持ちになる。
 黒尾くんと繋いだのと反対の手で鞄とプレゼントを持ってるせいで、影になって道路にうつる私はだいぶ不格好なシルエットをしていた。それに対して黒尾くんのシルエットの身軽なこと。そのスマートさに、またときめく。黒尾くんのやることなすこと、すべてが私にとってときめきの矢となり刺さりまくる。
 歩きながら辺りを見回した。周囲の景色はビルが立ち並ぶばかりで、果たしてどんなお店に連れていかれるのかまったく予想ができない。黒尾くんに任せておけば心配はないだろうが、それでもどきどきはする。
 隣を歩く黒尾くんの顔を見上げる。久し振りの部活のオフである黒尾くんは、いつもよりも声にも表情にも生気があった。
「部活大変だった?」
 私が尋ねると、黒尾くんは「まあね」と曖昧に頷く。
「大変なのはたしかだな。けど自分が試合出られるようになったから、まあ楽しくはあるよ」
「すごいよねえ……、だって黒尾くんの学校って強豪でしょ? それなのにもう試合に出られるなんて、やっぱり黒尾くんってすごいんだ」
「上も引退したし」
「そういえば木兎くんも試合出てるんだよね?」
「そうそう。同じチームでやってるとつくづく思うけど、木兎は強えからなー」
「黒尾くんは違うの?」
「俺も頑張ってますよ」
 ふんふんと相槌を打ちながら話を聞く。バレーの話はよく分からないことも多いが、黒尾くんは話し上手なので、聞いている私を置いてきぼりにしないように説明してくれる。黒尾くんの口からバレーの話を聞くのは楽しい。

 そんな話をしつつ、寒さのために早足で歩いているうちに、すぐに目的のお店に到着した。外観はこぢんまりとしたレストランという感じ。隠れ家とでもいうのだろうか。ビジネス街の中に、こんなこじゃれたレストランがあるとは思わなかった。
「ここ? なんだか可愛い感じだね」
「と、思うだろ?」
 裏のありそうな言い方だ。こういうときの黒尾くんはすごく楽しそうに見える。
「どうぞ、お嬢様」
 そう言って黒尾くんが開けてくれたドアの先に広がっていたのは、シックで大人な雰囲気の高級レストラン風な内装だった。
「わ! え、ギャップ!」
 おもわず小声で叫ぶ。店内はけして派手すぎたりはしないが、かかっている絵画や調度品のひとつひとつが素人目に見ても分かるくらいにいいものだ。ホワイト、ベージュ、ブラウンで統一された店内は落ち着き洗練された雰囲気。外観の可愛らしい感じからは想像もつかない。
「な、俺も最初入ったときびっくりした」
 黒尾くんがにやりと笑い、してやったりという顔をする。すぐにウェイターさんがやってきて、私たちのコートをあずかってくれた。そのまま流れるようにテーブルに案内される。
 私たちの席は一番窓側のテーブル。ばれないようにきょろきょろと辺りを見渡してみると、他のお客さんたちはみんな大人っぽいカップルばかりだった。きっとこの中で学生は私たちくらいのものだろう。
「なんだかちょっと場違い感というか、未成年が入っていいお店には見えないんだけど……」
 黒尾くんの後についてテーブルまで行くと、小声で黒尾くんに話しかける。
 こんなすごいお店に私たちみたいな成人もしていない学生がふたりでディナーなんてしにきても大丈夫なのだろうか。テーブルの上で顔を寄せ合い、こそこそ話をするようにして尋ねると、黒尾くんはあっさり頷いた。
「本当は未成年は夜は入れてないらしい」
「やっぱり? やっぱりそうだよね?」
「ここ、うちの大学の先輩がバイトしてんだ。だから先輩に融通してもらって特別に入れてもらってる」
 どうりで大人っぽい雰囲気の人ばかりのはずだ。どのテーブルにもワインやシャンパンが当たり前みたいにテーブルに載っていて、隣のテーブルが遠い世界のように思われる。
 あんまりきょろきょろするのも恥ずかしいので、ひっそりこっそり辺りを窺う。黒尾くんは今日もやっぱり余裕綽々で、心の準備ができていなかった私だけがやたらとどきどきしていた。『ちょっときれいめな服』とは言われていたものの、まさかここまでとは。
 そんな場違い感に苛まれていると、メニューを持ったウェイターさんがやってきた。どうやら食事はコースで予約してくれているようで、最初のドリンクだけ選ぶように言われる。
 未成年なので当然アルコールは飲めない私たちは、ジンジャーエールとグレープフルーツジュースを注文する。ウェイターさんのいなくなったテーブルには、未だ困惑の真っ只中にいる私と、平然としている黒尾くんが取り残される。
「ねえ、こんな高価そうなお店、大丈夫? ちょっとどきどきしちゃうんだけど」
「まあその辺は俺に任せておきなさいよ。この間の誕生日のお返しも兼ねてるし」
「え、でもさすがにこれは」
「いいんじゃねえの、最初のクリスマスは今年だけだし。いい思いしようぜ」
 楽しそうに笑う黒尾くんに、これ以上何も言うことはできなかった。
 運ばれてきたジュースを黙ってちゅーと吸い上げる。確かに黒尾くんからは自分に企画を任せてと言われていたが、まさかこんな素敵なお店で素敵なディナーを頼んでおいてくれたとは思いもしなかった。つくづく黒尾くんは、私の想像の一枚も二枚も上を行く人だ。
 それにこんなに素敵な場所で二人でお祝いなんてしたら、いつもよりもさらに黒尾くんがかっこよく見えてしまう。背景にきらきらや花が見えてしまいかねない。
 そんなバカみたいなことを考えていたら、黒尾くんがじっとこちらを見ているのに気が付いた。首を傾けてみると、黒尾くんは口許を大きな手のひらで隠しながら一言、
「……こういうところで見るといつもよりもっときれいに見えるな」
 と照れたように言った。そんなことを言われては照れるのはこっちだというのに。

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