04

 一月も後半になり、いよいよ受験ムードも佳境を迎えた。三年生は自由登校の日が続き、三年の教室がある棟はこころなしかがらんと物寂しい。
 用がなければ、私もわざわざ学校には行かない。結果、自宅学習という名の自堕落生活に身を落とし、毎日昼前に起きてはひとりのんびり映画を見たりしている。どのみち友人たちの受験が終われば遊ぶ予定も立て込むだろうから、だらだらできるのも今だけだと開き直っている。
 寝て、起きて、だらだらして、また寝る。そんなのっぺりとした日々の中で、唯一の刺激になっているのが、黒尾くんとのメッセージの遣り取りだった。
 自由登校になってからも、黒尾くんとの遣り取りが途切れることはない。といっても、最初のように終始携帯に張り付いていることはなくなった。黒尾くんからは何かにつけ連絡が来るので、思い出した頃にそれに返信しているといった感じだ。こちらから積極的に送ることはないが、メッセージのラリーが切れることはなく、どちらからというのをあまり意識することもない。
 その時も、私は黒尾くんからのメッセージに、短い返信とスタンプを送ったところだった。黒尾くんは今日は部活に顔を出しているらしいから、当分返信はこないだろう。携帯を放り出し、見ていた映画に視線を戻す。画面から目を離していた分だけ巻き戻して再生するが、頭の中にはまだ、黒尾くんのことが余韻のように居座っている。
「黒尾くん、もしかして結構暇なのかな……」
 ぽつりと呟いてみたけれど、当然ながら返事が聞こえるはずもない。
 黒尾くんからのメッセージは、大抵はどうでもいいような内容に尽きる。その日あったこととか、見ているドラマの話、あとは好きな異性のタイプの話などだ。私と黒尾くんはこれまであまり知らない人間同士だったので、相手のことを尋ねるのでも目新しい話題には事欠かず、話題は延々広がり続ける。
 そのうえ私も黒尾くんも、揃ってかなりの暇人だった。もっとも黒尾くんの方は部活に顔を出したりもしているようなので、私とは違い学校にはそれなりに通っているのかもしれない。
 顔を合わせないながらも、メッセージで互いの存在だけは確認し合う日々。そんな毎日を送っていると、どうしたって私の中での黒尾くんの比重はしだいに重たくなっていく。
 何せ学校にも行かなくなったので、話をする相手は家族くらいしかいない。日中は家に誰もいないので、独り言くらいでしか口を開くこともない。そうなると、定期的に連絡してきてかまってくれる黒尾くんは、怠惰な私の日々の中で唯一無二の存在となる。
 いっそ顔を合わせなければ、黒尾くんを好きかもしれないというこの惑いも、一時の気の迷いだと気付くかと思った。普段の私は男子との接点がほとんどない生活を送っている。そのせいで、急速に親しくなった黒尾くんに対して、感情が何かのバグを起こしているのかもしれないと疑っていた。
 しかし残念ながら、そんなことはまったくなさそうだった。むしろ会えない時間を過ごすことで、どんどん気持ちを育ててしまっている。黒尾くんからしてみれば、自分の知らないところで勝手に気持ちを育てられて、さぞ恐ろしい話に違いない。

 そんな私の心情と葛藤を知ってか知らずか、黒尾くんから唐突なお誘いがあったのは、寒さも厳しい一月末日のことだった。
 ”行きたい店があるんだけど、男ひとりだとちょっと入りにくい雰囲気なんだよな。名字さんが一緒に行ってくれたらすげえ助かるんだけど。暇?”
 黒尾くんからのメッセージに、私は自室でひとり、天を仰いで顔を覆った。
 もちろん暇に決まっている。おろしたばかりのスケジュール帳は、あとひと月以上も真っ白だ。そのことは少し前に、黒尾くんにもメッセージで話したばかりだった。
「いや、それにしても、どういうこと……?」
 どきどきと高鳴る心臓をどうにか押さえつけながら、私は黒尾くんに一言、
 ”暇だけど、どういうこと?”
 と返信を送った。
 その後話を聞いてみると、黒尾くんの目当ての店というのは、うちの近所にできたカフェのことだった。流行に敏感な女子の中で、ひそかな話題になっている。
 うちの近所にはあまりこじゃれた店がなかったこともあり、オープンしてまだ一か月ほどにもかかわらず、休日になると長蛇の列ができる人気店でもある。私も一度だけ友人と行ったことがあるが、コーヒーとチーズケーキが美味しい店だった。たしかに高校生だけで行くには、ちょっと背伸びしないと入れないような雰囲気だ。
 なるほど、たしかにあの店にひとりで行くとなると、黒尾くんはちょっと浮くかもしれない。同年代の集まる高校の中にいてすら、長身でミステリアスな黒尾くんは異彩を放っている。まして女の子同士かカップルばかりの店内は、男子高校生にはハードルが高すぎる。
 そういう事情ならば、お供をするのもやぶさかではない。
 悩むほどのこともなく、
 ”私でよければ付き合うよー”
 と送信する。黒尾くんの立ち居振る舞いを考えれば、女子のお供としてなら一瞬で溶け込めそうだし、一度行けば二度目からはそれほど気まずくならずに済むかもしれない。
 と、そこまで考えたところで、私ははっとした。
 もしやこれは、デートのお誘いではないか。いや、かりに黒尾くんにその気がなかったとしても、私にとっては紛うことなきデートだ。
「えっ、どうしようどうしよう、めっちゃ快諾しちゃった!」
 平静を保つべく、ひとまず動揺を声に出してみるけれど、言葉にしたことで余計に動揺は増すばかりだ。
 デート、デート。
 黒尾くんとデート。
「デートって……なに……?」
 室内をぐるぐると歩き回りながら、私は途方に暮れた。
 大前提として、黒尾くんと私は付き合ってない。普通の友達といえるかどうかも疑わしい。そのくらい、私たちが直接交わした言葉の数は少ない。
 それでも私は黒尾くんのことが少なからず気になっている。それはもう、間違いなく気になっている。黒尾くんの方だって、毎日飽きもせず連絡してくるからには、少なくとも私のことを嫌いなわけではないのだろう。暇つぶしの遣り取りだって、嫌いな相手をわざわざ相手に選んだりはすまい。
 そういう状況の二人が、おしゃれなお店でお茶をする。
 それってつまり、デートなのでは。デートでないなら、逆に何。
 付き合うよー、などと気軽に返事してしまったことに、今更冷や汗がだらだら噴き出してきた。私は男子とふたりでお出かけなんてしたことがない。文化祭の買い出しくらいがせいぜいだ。休日に待ち合わせしてどうこうなんて、想像したことすら一度もなかった。
 デートって、一体どんな服を着て、一体どんな髪型で、一体どれくらい化粧して、一体どんなテンションで行けばいいのだろう。何をしてよくて、何をすると好ましくて、何をするとだめで、何をすると終わりなのか。
 私はデートというものについて、何も知らなさすぎるのでは……!?
 と、私があたふたしている横で、テーブルに置いた携帯がピロンと鳴った。
「わあ!?」
 声を上げ、反射的に携帯を手に取ると、案の定メッセージの送り主は黒尾くんだった。
 ”じゃあいつ空いてるか教えて。ちなみに俺は今週いつでもいいです”
「いつ!? 展開が早い!」
 叫びながらも即座にカレンダーを確認する。今週中といったって今日はもう水曜日。さすがに今日の今日いきなりデートなんて、事前の準備がまったくできてなさすぎる。
 かといって明日は無理だ。今のこの状態、デートについてまったくの赤子同然の私が、今日だけで一通りの準備をできるとは思えない。それに、百歩譲って服や髪型はどうにかなっても、肝心の心の準備がまったくできていないのだ。最悪、待ち合わせ場所に辿り着く前に泡を吹いて倒れる。
 心の準備をきちんと整えデートに挑むためには、最低三日──そう、三日は絶対に必要だ。とすると、土曜日ならちょうどいい。土曜日は家族みんなに外出の用事があって誰も家にいないから、デートのことを変に茶化されることもない。
 ”土曜日はあいてるよ” ”だめなら来週でも大丈夫だけど”
 最短が土曜日というだけで、来週ならばもっと準備に時間を掛けられる。そんな希望で来週と付け加えてみたのだが、黒尾くんからはあっさりと、
 ”じゃあ土曜日で”
 とスタンプつきで返事がきてしまった。
 斯くして、突如舞い込んできたデートの誘いに、暇人の私は大慌てで準備をすることになったのだった。

 ★

 そうと決まれば、一分一秒すら惜しい。いざデートの準備をするべく、私は慌ただしくクローゼットを開いた。幸い、服は年始にセールで買ったものがある。ひとまずはそれで凌げるはずだ。大学生になってからも着られるように選んだから、大人っぽい黒尾くんの隣に立ってもおかしくないだろう。
 デートの正解が分からないので判断に困るが、セーターとスカートならば可もなく不可もないと思う。そういえば、黒尾くんはどんな感じの女子の服装が好みなのだろう。分からないなりに唸りながら、頭の中で黒尾くんの隣に並んだ自分の姿を想像する。この際大きく外さなければ、それでよしとするしかない。
 着ていく服が決まったので、次は髪型からアクセサリーから、とにかくネットを駆使して調べあげる。頼れる友人たちは受験中。とても助けを求められるような状況ではない。
 ネットの海をさまよいながら、同時進行でデートの作法についても学ぶ。書かれている情報は、実践できそうなものから到底無理そうなもの、使えなさそうなものまで玉石混交。さりげないボディタッチなんて、恥ずかしすぎてできるはずがない。
 相手を褒めるとかそういうことなら、私でも自然にできそうだった。黒尾くんには褒めるべきところが山のようにある。これならいくらでも実践できそうだ。
 大事そうな部分をスクショして、私はどんどん読み進める。さながら試験勉強のごとく、インターネット上に転がる山のような情報を、どんどん頭に詰め込んだ。もしかしたら学校の勉強よりもよほど真面目に取り組んでいるかもしれない。受験が済んでからというもの、こんなに真面目に頭を使うのははじめてのことだった。
 もちろん、黒尾くんのためにそこまでするほど、自分が黒尾くんのことを好きになっているのかは分からない。正直に言えば、突如降ってわいたようなデートという言葉に、浮かれているだけなのかもしれないとも思う。そのデートという言葉すら、私の中で勝手に盛り上がっているだけのものだ。
 けれど、その疑問はいったん保留にすることにした。どのみち土曜日に一緒に出掛ければ、自分がどの程度黒尾くんに恋をしているのかは自ずと分かる。今はひとまず、万全の状態で挑むしかない。
 黒尾くんは今までどんな女の子とデートしてきたのだろう。
 ネットの情報を眺めながら、ふとそんなことを考える。
 高校三年生だしモテるのだし、今は彼女がいないといっても、黒尾くんの場合はこれまでまったくそういう機会がなかったわけではないだろう。少なくともこうして私をさらっとデートスポットに誘える程度には、黒尾くんには恋愛の経験値があるはずだ。
 黒尾くんはどうだろう。私に彼氏がいないことは知っていても、今まで一度も彼氏ができたことがないとは思っていないかもしれない。そうだとすると、あんまり気合を入れていって引かれることも十分にありうる。このくらいのことで彼女気取り、デート気取りかよ、というように。もしもそんなことを思われたら、ちょっと心が折れてしまうかもしれない。
 自分で想像しておきながら、なんだか急に気勢を削がれた気になった。勝手に盛り上がって、浮かれて、舞い上がって、そして最終的にテンションが下がっている。完全に自分のせいでしかないのだが、けれど少しだけ──本当に少しだけ、黒尾くんのことを恨めしくも思う。
 黒尾くんにしてみれば、本当にただ気になっていた入りづらい店に行くのに私を誘っただけなのだろう。けれどあいにく、私は付き合っていない男の子に誘われたこともなければ誘ったこともない。
 ただの仲の良い友達なら、こんな風に思わせぶりにしないでほしい。私みたいな人間はとにかく不要な勘違いしやすいんだから。そう思う一方で、たくさんいるだろう女子の知り合いの中から、誘う相手を私に決めてくれたことを喜ばないではいられない。恋かも分からないような曖昧な気持ちなのに、すでにこんなにたちが悪い。

 はあ、とため息をついて、携帯を見た。私がこんなに一喜一憂しているなんて、きっと黒尾くんは思ってもいないのだろう。私が黒尾くんのことを気になっていることだって知らないで、それでこうやって誘っているに違いない。
 もう一度ため息を吐くのとほとんど同時に手の中の携帯が震える。びっくりして携帯を床に落っことしそうになりながら、慌てて確認した連絡は黒尾くんから。そのメッセージを読んだ瞬間、私は「あーあー!」と奇声を上げながらカーペットに倒れ込んだ。

 ”名字さんとデートできんの楽しみすぎる”

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