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 帰りの車中は△△大の男子グループの話題で持ちきりだった。フリーの子たちは当然のごとく連絡先を交換したらしい。もし彼らとの発展が見込めなくても、そこから紹介へと繋げるとのこと。△△大は難関大としても名高い。そこの学生ともなれば、女子人気も高いのだろうことはなんとなく理解できる。
 そんな浮き立つ空気の中、私はといえば△△大って黒尾くんの大学だよなあと、そんなことばかり気になっていた。もしかすると黒尾くんも、遊びに行った先であんなふうに、女の子を引っかけたりしているのだろうか。やましい気持ちはなかったとしても、あんなふうに軽やかに女子と交流するのだろうか。
 考え始めるといよいよ気が滅入ってきた。たとえ男友達と出かけると言われても、出先でナンパなんてしているのであれば、信用するも何もあったものではない。私の鈍感さでは、黒尾くんからの自己申告がなければ余程気付きもしないだろう。もちろん黒尾くんに限ってそんなことはしていないと、かたく信じてはいるのだが。
「名前ちゃんも、せっかくだから連絡先交換しちゃえばよかったのに」
 悩み黙りこくっていた私を気遣ってくれているのか、運転席の子が笑い混じりに言う。帰りの運転は行きの幹事の子とは別の子だった。
「みんなで集まるくらいなら浮気に入んないよ。いい人たちだったし、イケメンだったし」
 浮気に入るか入らないかは、正直にいえば私にとっては二の次だ。もしも黒尾くんと付き合っていなかったとしても、私が彼らと親しくするかと問われれば微妙なところだろう。
「名前ちゃんのタイプじゃなかった?」
「黒尾くんくらいのイケメンと付き合ってると、目が肥えてハードル上がるよね」
 慰められているのか励まされているのか、よく分からないことを友人たちが口口に言う。そのすべてが微妙にピント外れの気がして、私は曖昧に笑うしかない。
「うーん、やっぱ黒尾くんのこと考えるとなんとなくダメな気がして。それに私、ああいうノリにうまく返せないんだよね」
「はー、名前ちゃんは純愛だなあ!」
 大袈裟に返された言葉は果たして褒め言葉なのか、それとも馬鹿にされているだけの言葉なのか。そのことを考える気力も今の私にはない。考えたところで、愉快な答えに辿り着くとも思えない。
「名前ちゃん、もっと遊んでおかないと絶対後悔するよ」
「いやー……ははは……」
 と、私が困り果てていたところに「こら、無責任に煽るんじゃないの」と助け船を出してくれたのは、黒尾くんを前から知っていたという友人だった。
「名前ちゃんは健気キャラでやっていけばいいんだよ。大体、変に唆してることが黒尾くんにバレたら、うちら絶対に怒られるよー」
「たしかに。友達の彼氏怒らせたくはない」
 ほかの子たちも彼女に続き、次々にフォローをしてくれた。だがいくら鈍感な私でも、ここまでの流れで十分すぎるほどに気が付いている。彼女たちにとって、一緒に遊んでいて楽しいのは「健気キャラ」などではない。あの場で求められていたのは、軽やかなノリに乗れるような順応性。柔軟で、場の空気を悪くせずに流す能力。根本的に私には欠けているなにか。
 たとえそれが黒尾くんへの誠実さの証であったとしても、代わりに何かを手に入れ損なったのだという曖昧な感覚を胸の中に残していく。
 折角の楽しいバーベキューが台無しになってしまったような気がして、私はさっきの男子グループを少しだけ恨んだ。それがお門違いであることを分かっていても、考えずにはいられなかった。

 ★

 ”今解散した”
 帰りの車で黒尾くんからのメッセージを受信したので、丁度通り道にある大学の最寄り駅でおろしてもらった。今日の経費を精算すると、お菓子の残りをお土産に渡される。
「また遊ぼうねー」
 そんな言葉を送られ、車を降りた後しばらく手を振り続けた。当分はこの疲労感を忘れることはないだろう。もっと少数でなら、そして男子がいない場所でならと心の中で返事をする。
 駅でおろしてもらったことを黒尾くんに伝え、近くのカフェで休憩していると、注文したアイスティーを飲み終わるより先に、大荷物の黒尾くんがやってきた。
 久し振りの黒尾くんは、合宿帰りだけあってさすがに顔が疲れている。元気のいい寝ぐせだけはいつも通りだが、いささか心配になる容貌だった。
 店の扉の前で黒尾くんが待っているので、急いでアイスティーを飲み干し店を出る。顔を合わせるなり、黒尾くんは自分も大きなカバンを持っているのに、すぐに私の荷物を持ってくれた。
「黒尾くん、おつかれさまです」
 荷物をとられて手ぶらのまま、私は頭を下げる。久し振りの黒尾くんだ。何から話そう、何を話そうと胸がいっぱいになってしまって、どういうテンションで接していいのか分からなくなる。
「ありがとうございます。ていうか今日なんか雰囲気違くない? やけにカジュアルっつーか」
 黒尾くんがしげしげと私を見つめる。こういう視線も久し振りなので、なんだかやけに気恥ずかしい。
「今日大学の子たちとバーベキュー行ってきたんだよ。その帰りだから」
「ああ、そういやそんなようなこと言ってたっけ」
 黒尾くんのその返事に、少しだけがっかりした自分がいた。やっぱり黒尾くんは私が誰とどこに行くかなんて覚えていないのだ。そんなことを気にしているのは私だけなのだ。
 先ほどまでのバーベキューのこともあって、やけに胸がちくちくとした。しかし黒尾くんだって、けして遊んでいたわけではない。合宿で疲れ切っているところに私のことを考える余裕まで持てというのは、いくら何でもさすがに酷だ。贅沢なことを望みすぎているのは私の方。
 改札を抜け、ホームに上がる。やってきた電車はガラガラで、二人とも並んでシートに腰を下ろす。
 黒尾くんはいつになく静かだった。その静かさだけでも、合宿がどれほど過酷だったか想像できる。黒尾くんの横顔を盗み見ようと、視線をさりげなく黒尾くんの方に向けた。すると、同じく私の方を見ていた黒尾くんと、視線がばちりとぶつかる。
「あ、ええと……合宿、大変だった?」
 目が合った気まずさで、分かり切ったつまらない質問をしてしまう。それでも黒尾くんは笑いも呆れもしなかった。
「んー、まあ。高校のときも合宿とかはあったし、何とかなるかと思ってたんだけどなー……。そもそも体力が違えんだよな、先輩は」
「黒尾くんがこんなに疲れてるの、初めて見るよ」
「俺もこんなに疲れたの久し振りだわ」
 そう言って乾いた声でひっそり笑って、「そっちは楽しかった?」と黒尾くんは私に視線を合わせて尋ねる。一瞬、黒尾くんが何のことを言っているのか分からなかった。何秒かして、それがバーベキューの話だと気付き、はっとする。私の中では『バーベキュー』と『楽しい』が繋がっていなかった。
「ええと……そうだね……」
 確かにバーベキューの前半は楽しかったはずだ。しかしその楽しかった記憶も、後半のインパクトの強さに打ち消されてかけていた。バーベキューのことを思い出そうとすると、どうしてもあのナンパ男子の顔が浮かんできてしまう。そうなると、とてもではないが楽しかったとは思えない。
「どうした? 何かあった?」
 私の沈黙に、黒尾くんが訝しげに問いを重ねる。逡巡のすえ、私は答えた。
「うーん、最初は多分楽しかったんだよね。あんまり大人数で遊ぶの慣れてないけど、ちょっとずつみんなと仲良くできるようにもなってきたし、なんか女子大生ーって感じで……だから、まあ楽しかったんだと思うんだけど」
「後半なんか嫌なことあった?」
 黒尾くんがじっとこちらを見ているのに気が付いて、私は思わず視線を逸らした。微妙な話題だ。黒尾くんにどこまで話すべきか悩む。
 私自身、ついさっきの話をうまく言語化することができるかと問われれば、正直自信がない。漠然と『嫌だった』と思っていることを、その場にいなかった黒尾くんに伝わるよう理路整然と説明するだけの技術を、残念ながら私は持ち合わせていない。
 一方で、あの男子たちのことを伏せては、私の感じたもやもやとした気持ちや不快感を正しく伝えることはできない。結局、私はすべて包み隠さず話すことにした。
「バーベキューのとき、すぐ近くで黒尾くんのとこの大学の男の人のグループがいてね。それで途中から混合でバーベキューしましょうって感じで話しかけてきて、仲良くなって──それで、その、連絡先教えてって言われて。あ、でも私だけが聞かれたわけじゃないよ? むしろみんなでまた飲み会しましょうって流れだったっていうか。その中で私に連絡先聞いてきた人がいたってだけで」
 そこで一度言葉を切る。恐る恐る黒尾くんを見ると、やはりというか何というか、黒尾くんはむすりと不機嫌そうな顔をしていた。黒尾くんに嫌な思いをさせてしまったことで、余計に顔を上げにくくなる。私はふたたび膝に視線を落とした。
 やっぱり話すべきじゃなかったかもしれない、などと思ったところで、今となっては後の祭だ。話すにしてももっと黒尾くんに余裕があって、私も自分の中で感情を処理できてから話すべきだったのだろうか。
 だが、それでは黒尾くんに対して一時でも隠し事をするようで気が重い。さすがにナンパだと宣言されたことだけは伏せたが、勘のいい黒尾くんなら何か察している可能性もある。
「今日一緒に行った女の子たちがノリのいい子が多くて。だからそういう流れになっちゃったっていうのもあると思う」
 誰が悪いとか何が悪いとか、きっそういう類の話ではないのだろう。話しかけてきたあの男の子たちですら、悪意はないのだから悪くはない。だからこれは私の受け取り方とか、タイミングの問題だ。
「で、教えたの?」
 黙り込んだ私に、黒尾くんが尋ねた。
「……ううん、教えなかった。黒尾くんのこと考えたら、そういうことしちゃだめな気がして」
 それは事実なので、誤解を招かないようはっきり言い切る。そうして、言葉にしたことで私ははたと気が付いた。あの時頭の中を占めていたのは、単純にあの男の人を好きになれないという感情よりも、黒尾くんが知ったらどう思うかということだった。
 やきもち焼きの黒尾くんが、その日出会ったばかりの男の人と私が連絡先を交換したらよく思わないことくらい、私でなくとも分かり切ったこと。つまるところ、私の判断基準は私自身の好悪や善悪ではなく、どこまでいっても黒尾くんの気持ちなのだった。
 ここまでくると意識するしないという問題でもない。黒尾くんへの私の依存は、自分で思っていたよりもずっと根深いものなのかもしれない。思わず溜息をついた瞬間、黒尾くんがぎゅっと私の手を握った。
「ちゃんと断ってくれてありがとな」
「黒尾くん……」
「俺、知ってると思うけどかなり心狭い。今も、想像しただけでかなり嫌だと思ったんだよね。だから名前がちゃんと断ってくれて、嬉しいし、ほっとした。情けないかもしんねえけど」
 その言葉に、固くなった心が少しずるほぐれていくのを感じる。握られた手を、私もぎゅっと握り返した。
 結局のところ、私は黒尾くんが喜んだり笑ってくれたりすることが嬉しくて仕方がないのだ。だから、日常生活の色々な場面で黒尾くん基準で物事を考えてしまうのも、仕方がないことなのだと思う。
 黒尾くんは私が嫌がることはしない。私はいつも黒尾くんから幸せをもらっている。それは黒尾くんも少なからず、行動の指針に私の気持ちを置いてくれているから。そういう意味では、程度の差はあれどお互い様の部分も大いにある。
「ねえ、黒尾くん。黒尾くんも男の子の友達と遊びに行った先で、女の子に声かけたりするの?」
 そっと声をひそめ、私は尋ねた。返事はある程度予想ができたが、それでも昼間のことを思い出すと、どうしても黒尾くんに直接問わずにはいられなかった。
 私の予想通り、黒尾くんは苦笑して言った。
「いや、俺には名前がいるし。友達が声かけるなら別に止めねえけど、俺は興味ないかな」
「そっか。……ふふ、そっかあ」
「なに、急に嬉しそうだな」
 呆れたように黒尾くんが笑った。自分でも呆れてしまう。さっきまであんなに嫌な気持ちになっていたのに、今はもうこんなに嬉しくなっている。これも黒尾くんが私の基準になっていることの裏返しなのだろう。そう思えば、黒尾くん基準で物事を考えるのも、そう悪くないと思える。
「今日連絡先交換しなくてよかったなって思った」
「俺、束縛きつい?」
 黒尾くんが私の顔を覗き込む。ううん、と私は首を振った。
「ううん、私も十分重い女だから」
「ふうん?」
 私の言葉の真意をはかりかねているのか、黒尾くんは少しだけ不思議そうな顔をした。

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