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 騒がしく恋愛ネタで盛り上がっていたためか、目的地であるバーベキュー場まではあっという間だった。私たちが乗ってきたのと同じようなワゴン車やミニバンで、駐車場はほとんど埋まっている。
 本部に行ってお金を払うと、用具類一式とルールや片付け方法などを書いた紙を渡された。誓約書にサインを済ませ、受付を済ませる。
「夏休みだし休日だし、さすがに混んでるね」
 日焼け止めを塗り直したり虫よけスプレーを振りながら、改めて周囲を見渡した。私たちに割り当てられた場所は、すぐ近くを川が流れている涼し気な場所だ。川の流れる音がすぐそばから聞こえてくるためか、まだ何も始めていないというのに何となく気分が盛り上がってくる。
 こういう場所に来るのは小学生のときぶりだった。落ち着きなくきょろきょろ視線を巡らせていると、私たちのような若者グループがよく目についた。すぐ隣では同じ年くらいだろうか、男子大学生のグループがバーベキューを既に始めている。何故か半裸の人もいたりして、こちらとしてはかなり目のやり場に困る盛り上がり方だった。うっかり目が合ってしまわないよう、自分たちの荷物に意識と視線を戻す。
 幹事の子が用具類の組み立てを手際よく行うのを見ながら、買ってきてもらった食材を確認する。肉から野菜から魚介から、バランスよく大量に購入されていた。おにぎりやフルーツまで買ってある。西瓜は川の中に沈めておいて、食後に川から引き上げることにした。
「名前ちゃんは食べられないものある?」
「ううん、大丈夫。何でも美味しく食べさせていただきます」
「よかったー、いっぱい買ったからいっぱい食べてね」
 簡易につくった調理場で野菜を切っていると、すぐにバーベキューセットが組みあがる。着火もし、準備は万端だ。
 とりあえず切った野菜を網の上に乗せようとすると、順番があるから! と叱られた。幹事はバーベキュー奉行らしいので余計なことはしない方がよさそうだ。大人しく調理を任せて、広げた椅子に座って待つことにする。仲のいい友人とふたり、ビニールサンダルに履き替えた足を川に浸したりして遊んだ。
「黒尾くんに今日のこと言った?」
 だしぬけに尋ねられ、私は頷いた。
「一応、昨日の夜に話した。話したって言っても向こうは合宿中だから、メッセージ送っただけだけど」
「そっか。なんか行きの車内で変な話になってたけど、名前ちゃんはあんまり真に受けちゃだめだからね」
 意外なほどにきっぱりと告げられて、私はぱちくりと瞬きした。そういえばこの友人は、行きの車内であんまり話をしていなかったことを思い出す。
「あの子たちの意見も間違ってるわけじゃないけど、別に今、名前ちゃんと黒尾くんの仲がぎくしゃくしてるわけじゃないなら、余計なこと考えなくてもいいんじゃないかなって。さっきはそんなこと言える空気じゃなかったから黙ってたけど」
「……そうかな。そう思う?」
「思う。絶対そう思う。一途で健気なのが名前ちゃんのいいところなんだから、ほかの男の子と遊ぶなんて絶対しちゃだめだと思う」
 なんだか妙に迫ってくる物言いだったが、ゆえに説得力もある。大学で一番親しくしている友人だけに、私と黒尾くんの話も普段から話している。これまでほとんど話したことのない子とでは受け取り方が違うのだろう。
 ひんやりと冷たい川の中で足をひらひらさせながら、私は川の水面をぼんやり眺める。
 一途で健気。自分でもその評価はそれほど間違っていないと思う。黒尾くんは誠実な人だから、私もそうありたいと思う。そうありたいと思ってきた。
 だが、一途であることと黒尾くんにべったりすることは違う。ほかの男の子と遊ぶことを肯定するわけではないが、何事にも丁度いい塩梅というものがあるわけで。しかし如何せん私は恋愛経験値が低いので、どのあたりがその丁度いい塩梅なのかをうまく計れないでいる。
 しばらくして、友人のうちのひとりが私たちを呼びに来た。私たちもバーベキューの輪に戻ることにした。

「はい、これ名前ちゃんの分」
 戻ってすぐ、紙皿とコップを手渡される。私たちが戦線離脱している間に、準備は完璧に整えられていた。
「折角参加してるのに、準備から何からやってもらっちゃってごめんね」
 ひとまず隣にいた子に謝ると、
「いいんじゃない? 好きでやってる子たちなんだから、任せちゃえばいいよ。うちらは後片付け頑張ろうね」
 あっさりそう返された。口ぶりからして、この子もバーベキューにあまり貢献していない組のようだ。今まであまり話したことのない子だが、雰囲気が柔らかいので話しやすい。口いっぱいに熱々のお肉を頬張って幸せそうにしている表情に、私が男だったらこういう子を好きになるだろうなあ、とぼんやり思う。
 しばらく和気藹々と食事をしていると、さっきそののほほんとした子が、「そうだ」と不意に目をきらめかせて私に笑いかけた。
「名前ちゃんの彼氏って、あの黒尾くんなんだね。私びっくりしちゃった」
「『あの』?」
 意味が分からず聞き返す。
「うん、黒尾くんってたしか、音駒高校の男バレの主将だったよね。私、高校の時男バレのマネージャーやってたから知ってるんだ。うちは弱小だったから、予選で音駒に当たっても惨敗だったけど」
 惨敗だったと言われてしまうと、黒尾くんを知ってくれていたことに対しても、素直に喜んでいいものか悩ましいところだ。この子の話しぶりからして、そのことを未だに根に持っていたりはしないのだろうが。高校の部活くらいならばそこまで熱を入れて取り組んでいる人ばかりでないことも分かるから、世間話程度に受け取っておいてもよいのかもしれない。そう納得して、私は笑い返した。
「名前ちゃんは黒尾くんとは高校のときから付き合ってるの? あ、でも付き合いたてなんだっけ?」
「高校は一緒だったんだけど、付き合ったのは高校卒業してから。だから私、黒尾くんがバレーしてるところって見たことないんだよね」
「ええー、勿体ない! すごかったよー、なんか音駒ってちょっと独特っていうか、この人がすごいぞーって人はいないのに不思議と強いんだよ。不思議とっていうと失礼だけど。黒尾くんも強いっていうより上手って感じかな。でもそれで全国大会までいっちゃうんだからやっぱり強いってことなんだろうけど。黒尾くん、今もバレーしてるの?」
「うん、バレーで推薦もらって大学入ったって言ってたから」
「すごいねえ、自慢の彼氏じゃん」
「そうなのかな……?」
 これまで考えたことがなかったが、言われてみれば黒尾くんのは高校バレー界──今は大学バレー界で多少名の知れた存在なのかもしれない。というか、少なくとも大学から推薦の声がかかる程度には名が知れた選手だったのだろう。
 バレーをしている黒尾くんのことを見たことがないせいで、どうしても私の中での黒尾くんがすごいバレー選手だということと結びつかない。そもそも私はバレーボールのルールだって『ボールを落としてはいけない』くらいしか知らないのだ。バレーとは無関係に自慢の彼氏だったので、目から鱗がぼろぼろ落ちた。
 しかしその瞬間、私の胸に突如として不安が沸き上がる。私がバレーについてあまりに無知であることは、黒尾くんにとっては面白くないことなのではないか。黒尾くんの凄さに対して恋人の私が無理解だというのは、考えてみれば黒尾くんにとってけして愉快なことではないのかもしれない。
 気付きもしなかった不安にとらわれかけたところで、私は慌てて頭を振って不安を吹き飛ばした。黒尾くんへの依存度を下げたいと言っているのに、気付けばまた黒尾くんに頭の中を占拠されている。
「あ、名前ちゃん。お肉焼けたって」
 私の苦悩など知らず、友人はマイペースに言った。彼女が立ちあがったので私もついていく。幸い、黒尾くんの話はそれきりになった。内心ほっと安堵した。

 いい匂いに釣られるように、みんなで網の近くに寄って食事に専念する。山のようにあった肉や野菜はあらかた食べ終えそうだ。すっかりお腹が膨れた私は、それとなく片付けに手を動かし始めた。
 準備では何の役にも立たなかったので、せめても片付けくらい真面目にしなければ。誰のものか分からなくなった紙コップや紙皿はゴミ袋の中へ、生ごみは別の袋へ。最初にもらったルールの描かれたプリントを参考にごみを仕分けていく。
 そうして仕分けをしていると、ふと隣のグループが何かしら集まって相談しているのが目に入った。向こうのグループは私たちよりも下流側でバーベキューをしていたので、もしかするとこちらのごみが流れていったりしたのだろうか。そうだとしたら申し訳ない限りだ。
 それとなく観察していると、やがて隣の男子学生グループが何人か、連れだってこちらへとやってきた。どちらかといえばイケメンといわれる人が多そうな、軽やかな雰囲気のグループだ。
「すみませーん、折角なんで一緒にバーベキューやりませんかー? そちら女の子ばっかりですよね。片付けとか男手ほしくないっすか?」
 にこやかに申し出たのは、いかにもモテそうな男の子だった。リーダー格なのだろうか。あとのメンバーはよく分からない笑みを浮かべながら、その男の子のことを眺めている。
「ええー、でもこっちもうほとんどお肉終わってるんですけど、いいんですか?」
「いいっすよー、その代わり俺らの肉もこっちで焼かせてください」
 こちらの幹事の子が、ちらりと窺うように私たちの方を見る。誰も異論は唱えなかった。幹事の子が頷き、申し出を了承する。
 その一部始終を少し離れたところで静観していたほかの男子たちが、私たちが了承するのとほとんど同時に肉をどっさり持ってやってきた。
 先ほどまで女子ばかりでわいわいしていたバーベキューは、たちまち男女混合バーベキュー大会に様変わりする。目の前で起きている変化の速さに対応できず、私は一歩下がってその様子を眺めた。
 男子も女子も関係なく、みんなの目の色が先ほどまでとは明らかに違って見える。貪欲というか、貪婪というか──迂闊に近付くと危なそうな、そんな雰囲気がある。大学祭のときも、灰羽くんや海くんたちにこういう目を向けていた子が大勢いた。なるほど、今ここは恋の狩場ということだ。
 私が知らなかっただけで、大学生ともなればこういうことは日常茶飯事なのだろうか。彼氏がいない組は、ここぞとばかりに親しげに話している。彼氏がいる子たちですら、この雰囲気を楽しんでいるように見える。社交的で、華やかな場だ。
 それでも、私はこういう空気があまり得意ではなかった。自分に馴染みのない雰囲気に、言いようのない居心地の悪さを感じてしまう。
 場の空気を悪くしないよう、さりげなく隅に移動した。自分のノリの悪さに辟易するけれど、しかしこればかりは仕方がない。
 別に黒尾くんという彼氏がいるからというわけでもない。私は元々こういうオープンで和気藹々とした空気があまり得意ではなかった。高校時代だって目立つグループとはあまり接点がないまま三年間を終えた。
 さすがに女子大に入って数か月経ち、女子ならば大人数で遊ぶことにも抵抗がなくなりつつあるが、男の人が加わるとなるとやはり少し引いてしまう。できるだけ少人数、それか女子だけで楽しんでいたいのが本音だ。
 とはいえ、楽しそうな空気を壊したいわけではない。私はみんなの邪魔にならないよう、ひとりでひっそりのんびりお茶を飲みながら片付けを始めた。片付けという仕事がある分、手持無沙汰になるよりは幾らかましだ。
 そんなことを思っていると、ふと目の前に大きく影が差した。顔をあげれば、目の前には人好きしそうな笑みを浮かべた男の人が、私を見下ろすようにぬっと立っていた。
「すごいね、ちゃんと片付け始めてて。なんか女子って感じだ」
 私の隣に腰を下ろした彼は、ひとり片付けを始めていた陰気な女である私にも、気さくに話しかけてくる。もしかして、私がひとりで場になじめていないのがばれたのだろうか。というか片付けをさせられている、可哀想な役回りだと思われたのだろうか。場になじめないのは事実だが、片付けに関してはやりたくてやっている。そのせいで気を遣わせたのだとしたら大変申し訳なかった。
「準備をほかの子がしてくれたので、片付けくらいは……」
「ふうん、それでもすごいよ」
「ええと、ありがとうございます」
「いや、まじで。君も■■女子の子なんだよね? ■■女子の子っていい子多そうだもんなー」
 やたらと褒めてくれるが、褒められるほどのことをしているわけでもない。そしてうちの大学にだって性格の悪い女子はいくらでもいる。
 愛想程度の笑みしか浮かべていないつもりだが、それもどうやらあまり通じていないようだった。仲良く女子と話をしたいというのなら、私は相手としてふさわしくないというのに。私は初対面の男の人にこんな風に親し気に話しかけられても、ただただ戸惑うだけだ。友人たちはみんな楽しげな会話に花を咲かせ、私が困っていることに気付きそうもない。
「俺ら△△大なんだけど、今度みんなで飲み会やらない? 連絡先教えてよ」
「あ、ええと、あっちで話してる子が多分幹事とか慣れていて……、そういう話なら、連絡先交換はあの子と交換した方がいい気がします……」
「いやー、ははは。分かんないかな? これ、ナンパのつもりなんだけど」
「……えっと、ごめんなさい。彼氏がいるので」
 なんだか居た堪れなくなってしまって、私はついに友人のもとに逃げ出した。楽しいところを邪魔しないようにと思ったのだが、こうなってしまうとどうしようもない。私に彼を振り切るだけの話術やスルースキルはない。
 逃げ去った私のことを、くだんの彼は追いかけてはこなかった。きっと私でなくともよかったのだろう。ほっとする反面、なんだかむしょうに悲しくなる。
 今すぐ黒尾くんに会いたい。その思いばかりが、頭の中にぐるぐる回っていた。

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