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 大学祭の当日がやってきた。普段の鞄とは別に、ビニールバッグに制服を詰めて電車に乗る。特に悪いことをしているわけでもないのに、なんとも居心地が悪い気分でげんなりしてしまう。
 午後からの店番に間に合うように向かったので、私が大学に到着したときにはすでに大学祭は始まっていた。普段は女子ばかりのキャンパス内に、今日ばかりはかなりの人数の男の人がひしめいている。その異様さに圧倒された。乙女の花園に溢れかえる若き男女──異様というか、単純にちょっと怖い。
 異様な雰囲気におののきつつ、自分のクラスの出店を探した。当日の流れや位置関係を把握していない私は、出店の前で友人と待ち合わせの約束になっている。
 人の波をかき分けなんとか待ち合わせ場所までたどり着くと、携帯で忙しそうに連絡をとっている友人が私を待っていた。電話が終わるのを少し離れて待ちながら、出店の様子を窺う。
 制服姿の友人たちが、なんとも手際よく焼きそばを売りさばいていた。意外にも、制服姿にそこまでの違和感はない。みんな普通に似合っている。肝心の焼きそばも、なかなか好調な売れ行きのようだった。お昼を食べてから来たはずなのに、うっかり私まで食欲を刺激される。
「あ、名前ちゃん! いやー、今日は本当にありがとうー!」
 私に気が付いた何人かが、出店の中から手を振ってくれた。私も手を振り返す。それぞればらばらな制服姿だが、それでも制服姿の集いだけあり統一感のようなものがある。だが、自分もあの中に参加するのだと気付き、やはり心がしおしおに萎える。
「飛び入りだけどよろしくね。ところで本当に制服着なきゃだめ?」
「みんな着てるから私服だとかえって浮くよ」
「浮いてもいいから私服でいたいなぁ……」
「往生際が悪い」
 直後、電話を終えた友人が私の腕をがしりと掴む。挨拶もそこそこに、
「とりあえず着替えないと始まらないから」
 と、半ば強制的に私を更衣室へと引っ張っていく。着替えないと始まらない大学祭とは一体何なのだろう。往生際悪くそんなことを考えながら、私はずるずると更衣室へと引っ張られていった。

 更衣室として連れていかれた先は、普段講義で使っている教室のうちのひとつだった。学祭中はその教室を更衣室として開放しているらしい。運営委員が交代で見張りをしているので、部外者は入れないようになっている。
 見ると、意外にもコスプレ出店はいろいろとあるらしい。制服以外にもチャイナ服や男装、何かのアニメのキャラクターに扮した人など、いろいろな恰好の学生がひっきりなしに更衣室に出入りしている。そうした本格的なコスプレに比べれば、制服などまだしも地味な方だという気がしてくるから不思議だ。
「私、こっちで化粧してるから、何かあったら声かけてね」
 友人がそう声を掛け、私を衝立の奥へと押し込んだ。窓にかかったカーテンを閉め切り、衝立で教室内を仕切ってはいるが、基本的にはただ教室を開放しているに過ぎない。何ともそわそわ落ち着かない気分になりながら、しぶしぶ着替えを始めた。
 数か月ぶりに袖を通す制服は、すでにずいぶん懐かしい。
「なんかもう、すでに制服を懐かしく感じるよ」
「分かるよ、不思議なもんだよね」
「女子高生に見えるといいんだけど」
「まあ、見えなくてもそれはそれで一興」
「興じられても……」
 着替えを終え、もじもじしながら衝立から顔を出す。化粧直しを終えた友人が、頭の先から爪先まで、じっくりと私を眺めおろした。
「そ、そんなに見られると恥ずかしいんだけど……」
「別にいいじゃん。私だって制服だよ。恥ずかしいのは一緒だって」
「恥ずかしいと思ってるの?」
「いや、まったく思ってない」
 それはそうだろう。そうでなければ、こうも自信満々にコスプレ焼きそばなんてやろうとは思わないに違いない。
「音駒ってセーラーなんだね」
「うん、男子はブレザーだけどね」
 友人がほうほうと言いながら私を見る。音駒はもともと頭髪が自由な校風だったし、化粧をしている女子生徒もそれなりにいた。だからこうして大学生になって制服を着てみても、思っていたほどにはコスプレ感はなかった。ただ、それで抵抗がなくなるというわけでもない。
「どう? おかしくない? 変じゃない?」
「うーん、別に変ではないんだけど」
 しばし私を上から下まで眺めていた友人は、やがて思いついたように「よっ」と私の腰に手を回した。そのままスカートを上にずらす。スカートに隠されていた太腿が露わになり、私は思わず悲鳴をあげた。
「きゃぁっ!?」
「うん、このくらい短い方が可愛いよ。私ベルト予備のやつ持ってるから、せっかくだしスカートの丈上げよう」
 私の悲鳴もものともせず、友人は満足そうに頷く。高校生時代よりもさらに短くなったスカート丈に、今度は声にならない悲鳴を上げた。ただでさえ高校を卒業してからミニスカートなんてはいていないのに、これじゃあかがめば下着が見えてしまうような長さだ。正気の沙汰とは思えない。
「大丈夫だって、中見えないように短パン穿いてるんでしょ?」
「穿いてるけど!」
「じゃあ問題なし」
 結局私の抗議はろくに聞き入れてもらえなかった。私が押しに弱いのではなく、友人が異様なまでに押しが強いのだ。今更ながらに、そのことを思い知る。
 さらに文句を言い連ねようとしたけれど、時間が押してるよ、と言われてしまえばそれ以上は食い下がれない。あとでトイレに行ったときにでもこっそり丈を戻そう。心のなかでそう決意して、私は悄然と更衣室を出た。

 私の羞恥心はともかく、焼きそばの売れ行きはかなり好調だった。大学祭の楽しげな雰囲気はお財布のひもをゆるめるし、うちのクラス以外にはお腹が膨れそうな料理を出している店が少ないということもある。だが、この客足の一番の理由は、やはり味が美味しいことだろう。
 しかし客足が好調であれば、その分仕事が多くはなる。午前中にレジ係を担当していた子は、私が交代するとへとへとになって戻っていった。昼時の混雑に加え、接客経験がない子がレジを担当していたらしい。ひっきりなしに来る注文を受け、調理担当に伝達し、包んでもらっている間に会計を済ませるという一見単調な作業は、しかし不慣れな人間であれば慣れるだけで疲れてしまうだろう。
「インフルで休みの子の穴うめるために、ちょっと無理なシフト組んでるからね。そういうこともある」
 そんな裏事情を教えてもらいつつ引継ぎを済ませ、レジ係を交代した。
 それからしばらくは、もくもくと会計をし続けた。客の波は途切れることなく、注文を受けては会計をする。延々同じことの繰り返しだ。
 黒尾くんは変な男に話しかけられないように、なんて言っていたが、いざレジに立ってみると、それがいかに的外れであったかつくづく実感する。何せこの混雑具合では、とてもではないがそれどころではない。多少の世間話をするようなことはあっても、連絡先の交換なんてもってのほかだ。そんなことをしていたら、後ろに並んでいるお客さんに迷惑がられてしまう。
 それにお客さんとの話題だって、ほとんどが焼きそばのことか制服コスプレのことだ。なので会話のひな型を作ってしまってからは、それの使いまわしで十分に事足りる。そういう態度で会話をしているからか、余計に話しかけられるということもない。
 わずかなお客の切れ目を見計らい、ちらりと背後の友人たちを見る。必死で焼きそばを焼いている子以外は、休憩時間を利用して、案外お客さんの男の人と楽しそうに話をしたりもしている。
 少し年上らしい男の人たちと楽しそうに会話を弾ませている友人たちは、みんなにこにこしていて可愛らしい。私がこうしてレジ係をすることで彼女たちが出会いの場を楽しめるのなら、助っ人も悪くはないのかもしれない。ついついそんな気分にもなってくる。

 そうしてあくせくレジ係の仕事に勤しんでいるうちに、あっという間に時計は三時を回っていた。依頼されている手伝いは午後の四時まで。残り時間はあと一時間だ。
 昼時を過ぎ、学祭一日目の終了時刻も近づいている。そろそろ少しずつ、客足も退いてくる頃だ。とはいえ、それでもまだまだ私たちのクラスの焼きそばは売れる。制服焼きそばは当初の予想を大幅に上回る売れ行きを記録していた。
「最後の追い込みの前に、名前ちゃん小休憩をとったら? 差し入れのタピオカジュース飲んでいいよ」
「あ、本当? じゃあお言葉に甘えて」
「この分なら四時に名前ちゃん抜けてもどうにかなりそうだね」
 そんな話をしながら、勧められたジュースを飲んだ、ちょうどその時。校舎の中で焼きそばの具材を切っていたグループの子たちが、キャベツ片手に慌てて出店に戻ってきた。衛生上の問題で、調理は火を入れる直前までは校舎の中の調理室を利用するよう、実行委員会から指示されている。
 そんな後方支援部隊は、息も切れ切れで口をぱくぱくさせながら戻ってきた。ひとまずボウルに入ったキャベツを受け取りお茶を渡す。彼女たちはそれをごくごくと一気に飲み干した。そしてようやく落ち着いたところで、興奮したのか前のめりで拳を握った。
「ここまで来るときすごいイケメンがいた!!」
「イケメン?」
 尋ねると、勢いよく頷く。
「そう! なんかもう、オーラが違うの! オーラ! あんなかっこいい人見たことない!」
 どうやら彼女たちが興奮していたのは、そのイケメンを見たからのようだった。
「そりゃあこれだけお客さんがいれば、その中にはイケメンも一人二人いてもおかしくないのでは?」
「たしかに。ナンパするにしても。グループにひとりイケメンがいれば成功率が上がるだろうし、彼女の大学の大学祭に遊びに来ている彼氏という人だって大勢いるしねぇ」
「いや、まじでイケメンなの。そんじょそこらのイケメンとは格ってものが違うわけ」
 あまりにも失礼な言いぐさについつい笑ってしまった。そんじょそこらのイケメンだって、私からしてみれば住む世界が違うようなイケメンばかりだ。
 とはいえ大学祭一日目も終盤に差し掛かり、良くも悪くも目が肥えてきた頃でもある。そのことを思うと、この興奮しようはいくら何でも相当のものだ。もしかしたら本当に芸能人でも来ているのかもしれない。こんな規模の小さな大学祭に来るとは思えないけれど、彼女がここの生徒であれば考えられなくもない話だ。
「芸能人だった?」
 試しに聞いてみると、彼女たちは一様に首を傾げて自信なさげな顔をする。
「わかんない……。見たことないから一般の人だと思ってたけど、もしかしたらそうかもしれない」
「芸能人っていうか、モデルっぽかったよね?」
「それなら知らなくても仕方がないかも」
 可能性を考えればきりがない。幸い私たちの出店はキャンパスの真ん中近くで、人の往来も多い場所だ。もしもそのイケメンが近くを通りかかったら、ぜひとも教えてもらおう。黒尾くんという彼氏がいても、これほど女子を惑わせるイケメンがいるのならば一度お目にかかりたい。
 と、そんなことを考えていたところで、にわかに周囲が騒がしくなった。同時に先ほどの後方支援部隊の子たちの様子もおかしくなる。彼女たちの目が途端に輝いて、口が開いたまま一点を見つめている。
「もしかして、噂の超絶イケメンが……?」
 大通りに背を向けるようにして立っていた私は、期待というほどの感情もなく、うっすらとした興味で振り向く。
 そして次の瞬間、言葉をなくした。
「あ、名字さーん! 本当にいたー!」
 目の前でにこにこぶんぶん長い腕を振っているのは、なるほどたしかに、オーラが違うレベルのイケメンだった。というか、私は彼を知っている。ロシアと日本のハーフ、灰羽リエーフくんだ。
 さっと全身から血の気が引く。灰羽くんの無邪気な笑顔は今日も眩しいが、今はそれどころではない。灰羽くんがいるということは恐らく、いや絶対に、この場に来ているはずの人間が少なくとももう一人はいる。
 絶句しながら、私はすばやく視線を周囲に走らせる。向こうに補足される前に、こちらが向こうを見つけ、隠れなければ──
「リエーフ、焼きそば屋あったか? って、……お、名字さんはっけーん。やっほー」
 残念ながら、私の判断はあともう一歩遅かった。辺りを見回すべく首を捻ろうとした瞬間、そこにいた人物と視線が合う。
 にやにやと楽しそうな瞳が、しかとこちらを見つめている。
 絶対にこの制服姿を見られたくなかった相手、黒尾鉄朗くんが、にやにやしながら店の真ん前に立っていた。

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