26

 しばらく五人で学祭を見て回った。出店のほとんどはサークルや部活が出している飲食店だが、中にはスタンプラリー企画や古本市もあって、なかなかジャンルの幅が広く面白い。遠くから風に乗って、ステージ演奏の音やアナウンスも聞こえてくる。
「学祭ってこんな感じなんだねぇ」
 そんな感想を漏らすと、隣の海くんが私を見下ろす。どうでもいいが、ここにいるメンバーは全員全国大会出場レベルのバレー部員たちなので、軒並み平均以上の長身ばかり。夜久くんだけはそうでもないが、それでもやはり私よりは大きい。みんなと会話をするときには、どうしたって見下ろされるし、私は見上げなければならない。
 そういえば黒尾くんと話すときにはあんまり黒尾くんを見上げていることを意識したことはなかった。黒尾くんが私の身長に合わせて屈んでくれていることも多い。そんなことを、ふと思う。
 それはさておき。
「名字さんのところは学祭まだ?」
 海くんからの質問に私はこくりと肯いた。
「うん、うちは来週だったかな。って言っても、私は何も出店したりしないんだけど」
「へえ、うちは秋になってからだからまだまだ先だな」
「名字さんって大学どこだっけ」
「■■女子だよ」
「あ、じゃあこのすぐ近くか。来週ってことは今って学祭シーズンなのかな」
 夜久くんが首を傾げた。私も一緒に首を傾げる。取り留めもなく話していると、先頭を歩いていた灰羽くんが勢いよく振り返った。
「夜久さんチュロス! チュロスありますよ!」
「チュロスでも何でも買ってこいよ」
「あ、私も食べたい」
「じゃあ名字さん一緒に行きましょー!」
 懐っこい灰羽くんに、思わず顔がほころぶ。夜久くんたちには待っててもらい、灰羽くんと一緒にチュロスの列に並ぶことにした。灰羽くんは周囲の女子から山のように視線を浴びているが、当の本人はこれといって気にすることもない。これでバレーもうまいのだろうから、天は何物も与えるのだと思わざるを得ない。
 そんなことを考えていたら、灰羽くんが頭上から私に声をかける。
「名字さんってあんま黒尾さんの彼女っぽくないですね!」
「えっ」
 思わず強張った声を出してしまう。けれど灰羽くんはすぐに両手を顔の横で振って、自分の言葉を否定した。
「あ、いや悪い意味じゃなくて。というか黒尾さんが名字さんのことすげえ好きなのは知ってるんですけど、こんな普通にいい子っぽい女子が黒尾さんをメロメロにできるんだなーっていうか」
「そうなのかな……? メロメロかな……?」
「はい! メロメロですよ!」
 一体灰羽くんは何をどう聞いているのだろう。私自身はまったく黒尾くんをメロメロにしている気はないし、むしろメロメロなのはこちらの方だ。黒尾くんはいつでもかっこよくて頼りになる。たまに照れたりするところは可愛くて、要するに全方位に無敵なのだ。
 それが夜久くんの言うところの、「彼氏としての黒尾」なのだろうか。だがまさか、そこまでバレー部での黒尾くんと乖離があるとは思えない。
 そこまで考えて、私はふと、黒尾くんが学祭に来てほしくないと言っていたのは、この辺りが理由なのかもしれないと気付く。私がどうこうという問題ではなく、単に私といるときの自分を、私以外の誰か──仲のいい友人や部活仲間に見られるのが嫌なのかもしれない。あるいはその逆ということも考えられる。
 なるほど、それなら私に理由を言いにくいのも頷ける。自分が先輩としてかっこつけてるところを私に見られたくないだとか、そんなことは私には言いにくいだろう。
「灰羽くんは、もし私と黒尾くんが一緒にいるのを見て、灰羽くんの知ってるすごい主将な黒尾くんって感じじゃない、なんかでれっとした黒尾くんを見ちゃったら、がっかりしたりする?」
「でれっと? ですか?」
 試しに尋ねてみるが、灰羽くんはきょとんとした顔をして私を見つめ返す。切れ長ながらもくっきりとした瞳は、彼の素直さをありありと反映している。見ていて少し、怖くなる。
「ええと、あんまり訊かれてる意味がよく分かんないんですけど、逆に名字さんは主将してる黒尾さん見たら嫌になります?」
「それはないかな」
「じゃあ俺もないと思います」
 思いのほかはきはき返されてしまった。しかしたしかに、灰羽くんの言うことも一理ある。黒尾くんがどう思っているとしても、私は多分、どんな黒尾くんも好きになる気がした。付き合い始めてからの期間は短いが、それだけは確信がある。
 ひとつひとつの振る舞いや言動にときめかされることは多々あっても、そもそも好きになったのは表に滲み出る黒尾くんの人間性だ。目の前にいる人間が替わったからといって、そうそう変わるものではない部分だと思う。
「灰羽くんって、しっかりしてるねぇ……」
「ええっ!? 本当ですか!?」
「うん、なんか今、ぱーっと目の前が明るくなったよ」
「やったー!」
 それに反応がいちいち大袈裟なのも好ましい。こんな弟がいたら、きっと日常がさぞ楽しいに違いない。
 灰羽くんと一緒にチュロスを買って、夜久くんたちと合流する。彼らは私と灰羽くんと別行動している間にジュースを買っていたらしく、戻ってきた私と灰羽くんにもジュースを一本ずつ渡してくれた。慌ててお金を払おうとするけれど、いいよ、とやんわり断られる。
「普段黒尾がお世話になってるお礼ってことで」
「……チュロス食べる?」
「いいよ、名字さん食べな」
 感謝の印にまだ食べていなかったチュロスを差し出してみたけれど、笑って返された。夜久くんの笑顔が眩しくて、私はチュロスとジュースを持った手を顔の前に掲げた。
 と、その時。
「あと買っていくものあったっけ」
 背後で聞きなれた声がした。耳がすぐに黒尾くんの声を聞き分ける。
「名字さん、こっちこっち」
 夜久くんがすかさず灰羽くんの死角になる位置に私を手招いてくれた。長身の灰羽くんの影に隠れて様子を見ていると、案の定、黒尾くんが知らない男の子と並んで歩いてこちらへやってくる。
 黒尾くんはこちらには気が付いていないらしい。すれ違いざま、研磨くんが「クロ」と呼びかけて、ようやく気が付いた。研磨くんが声を掛ける直前にささやかな視線を私に送ってくれたので、逃げるなら今だよ、ということだったのだろう。けれど生憎、道幅いっぱいに広がった女子の団体がやってきて、うまく身動きが取れない。せめてもの隠密行動として、私は灰羽くんの陰でさらに縮こまる。
 灰羽くんの後ろからこっそり様子を窺うと、黒尾くんは両手にビニール袋を引っかけた大荷物だった。袋の中にパックやポテトなどが入っているのが透けて見える。きっと隣の男の子とふたりで、買い出しを頼まれていたのだろう。
「おっ、お前らもう来てたの? はえーな」
「ちょっと早く着きすぎたんだよ」
「さっき通りすがりの女子が『クソでかくてイケメンの外国人モデルみたいなのがいた』って騒いでたから、来てるだろうとは思ってたけどな」
 黒尾くんが灰羽くんの方を向いたので、私は慌てて身を隠した。黒尾くんと一緒に歩いていた男の子は、夜久くんと何か話している。研磨くんもその人に挨拶していたから、きっとバレー部関係の人なのだろう。
 私の存在は黒尾くんにはまだ気付かれていない。このままさりげなくフェードアウトしてしまおうか悩むが、夜久くんたちに何も言わないのも申し訳ない。いや、こうなってしまった以上黙って消えても分かってくれるか。
 そんなことをこそこそ悩んでいると、黒尾くんが「つーか、リエーフ」と思い出したように口を開く。
「おまえ今日彼女連れ? さっきの女子たち、お前に連れの女子がいるっぽい話してたけど。それにしては男ばっかでむさ苦しい集団だな」
「ああ、それ多分名字さんっすよ。さっき一緒にチュロス買いに並んだし、ですよね!」
 屈託ない、無邪気な灰羽くんが振り返り、私に満面の笑みを向ける。その瞬間、灰羽くんと名前を知らない男の子以外の、全員の空気が完全に凍ったのが分かった。
「名字さん? おまえ今、名字さんっつった?」
「名字さんって黒尾さんの彼女ですよね? 俺の彼女じゃなくて」
「そりゃそうだけど」
 明らかに不穏な気配漂う黒尾くんの声に、灰羽くんはやはりはきはき答えている。やがて黒尾くんが、身体を傾け灰羽くんの背後を覗き込んだ。
「そこの人」
「……はい」
「そこで小さくなって俺に背中を向けてるのは、もしかしなくても俺の知ってる名字さんかな?」
「……はい、名字です」
 灰羽くんの後ろでさらに小さくなってみるが、もはやそんな隠密行動には何の意味もありはしなかった。黒尾くんに向けた背に、突き刺さる視線が痛い。
 振り向いたら終わりな気がして、手に持ったチュロスと缶ジュースを握りしめ俯いていると、おもむろに頭部に重量を感じた。間違いなく、黒尾くんだった。黒尾くんが私の頭に手を置いている。
「なんでリエーフの陰に隠れてんの?」
「いや、それはその……」
「来てほしくねえなって、俺、言わなかったっけ」
「言われたけど、」
「とりあえず、リエーフの陰から出てきてくれない? 彼氏の前でほかの男の陰に隠れるのは、ちょっとよくないんじゃないかい」
 そうは言うものの、この状況では身じろぎ一つできない。やけに優しい声音がかえって恐ろしい。「ああー」と夜久くんが頭を抱えているのを視界の片隅にとらえた。私も頭を抱えたいが、私の頭は先に黒尾くんにつかまっているのでどうしようもできない。
 依然頭をつかまれたまま、おそるおそる灰羽くんの陰から出る。ちろりと視線を上げると、もの言いたげな黒尾くんと視線が絡んだ。
「えーと……、き、来ちゃった」
「いや、来ちゃったじゃないよな」
「でも、来ちゃったから来ちゃったとしか言いようが」
「来ちゃわないで」
「来ちゃった」
 じいっと視線を合わせること数秒。私と黒尾くんの根競べは、私の勝利に終わった。先に視線を逸らしたのは黒尾くんだ。黒尾くんは灰羽くんに「これ持って木兎と一緒に差し入れ行ってきて」と持っていた食べ物をすべて押し付ける。どうやら黒尾くんと一緒にいた男の子は木兎さんというらしいことを、話の流れで理解した。
「ちょ、黒尾ー! お前抜け駆けすんなよ、店番あんだから!」
 木兎さんの抗議の声も、黒尾くんはあっさり躱す。
「店番までには戻る」
「つーかその子がお前の彼女!? えっ、ちょっとお前んとこの後輩がでかくてよく見えねえから、もうちょっとこっち来てよく見せて!? うわ黒尾のくせに清楚系じゃん! つーか何これちっさ! 黒尾と並ぶと遠近法じゃん!?」
「うるせえし何言ってるか分かんねえよ。よってお前の発言は今からすべてなかったことにする」
「ひでえ!」
 わんわん叫ぶ木兎さんを夜久くんと海くんが宥めている。が、私に確認できたのはそこまでだ。黒尾くんは私の手をとると、ずんずん歩き始めてしまった。夜久くんたちのことが気に掛かりながらも、私は引き摺られてしまわないよう、慌てて黒尾くんに歩幅を合わせた。

 普段黒尾くんがいかに私に歩幅を合わせてくれていたのか、こういう時にはからずも実感する。黒尾くんは普通に歩いているだけだが、ついていく私は小走りだ。そうしてしばらく歩き続け、やっと黒尾くんが止まったのは、ステージ裏の休憩スペースだった。ここまでは一般のお客さんはあまり来ないのか、人はそう多くない。時折ステージ関係の仕事があるのか忙しそうに通っていく人だけだ。
「名字さん、座って」
 言われた通りにおとなしく、置かれていたパイプ椅子に腰かける。
「悪い、歩くの速かったな」
「ううん、大丈夫。ジュースあるし」
 それでも、乱れた呼吸を整えるための時間は必要だった。心臓を落ち着かせ、ジュースで喉を潤す。私の隣に座った黒尾くんに飲みかけのジュースを差し出すと、普通に受け取り飲んでくれた。そのことにほっと安堵する。夜久くんに買ってもらったことは何となく言い出しづらく、黒尾くんには黙っていた。

prev - index - next

- ナノ -