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 昼休み、学食で昼食を食べていると、一緒に食事していた友人ににこにこした顔で、
「名前ちゃんの彼氏って△△大だったよね?」
 と訊ねられた。日頃から黒尾くんの話をしている相手なので、私は特に気にせず頷く。ちらりと視線をテーブル上の携帯に向けると、黒尾くんから今日のデートの待ち合わせ場所について連絡が来ていた。了解、と返信を打ちこんで、友人との会話に集中する。
「うん、そうだよ」
「それならやっぱり、名前ちゃんも△△大の学祭行く?」
「学祭?」
「△△大の学祭って有名だもんね。ねえねえ、土日のどっちに行く?」
「学祭……?」
「そうだよ? 今週末。毎年結構な人気があるから、名前ちゃんも絶対に彼氏と行くと思ってたんだけど。あれ、もしかして聞いてないの?」
 もしかしなくとも聞いていない。手に持っていたサンドウィッチをテーブルの上に戻し、私はこくこく頷いた。
「もしかしたら話し忘れてたのかもね。私、楽しみすぎてめちゃくちゃ調べまくったから、名前ちゃんにも色々教えてあげるよー」
 にこにこ顔の友人は、張り切って学祭情報を教えてくれる。私はそれをふむふむと聞きながら、友人に見せてもらったホームページを見るともなく眺める。
 それにしても大学祭とは。黒尾くんからはまったく聞いていなかったので、完全に寝耳に水だった。秋の学祭シーズンを避けてこの時期に学祭を開催する大学がそれなりにあるというのは、高校時代にオープンキャンパスなどで大学情報を集めていたときに知ったことだ。うちの大学の学祭も再来週に迫っている。
 うちの学祭では、学部の同級生が有志で出店を出すと聞いている。何の出店を出店するのかとかどういうコンセプトの出店なのかとか、そういう話し合いが何度かクラスのグループトークで設けられていたような気もするが、私はそれほど積極的に関わっていないので内容も把握していない。
 自分の大学のことにも意識がいかないのに、黒尾くんの大学の学祭のことまで気が回るはずがなかった。その手の話題にはどうにも疎く、また自分の性格を考えれば、知っていたところで、わざわざ他校の大学祭に赴くとも思えない。
 だが、今回ばかりは知らなかったで納得できる話ではなかった。単に私が興味がなかったというだけではなく、黒尾くんからも学祭関連の話を何一つ聞いていないのだ。忙しい日々の合間を縫って、隙あらば日常の他愛ない話を共有してくれる黒尾くんが、大学祭のことに関してだけたまたま話し忘れていた、なんてことがあるだろうか。
 イベントごとへの関心が薄い私と違い、黒尾くんはその辺りかなりしっかりアンテナを張っている。部活にも参加しているのだから、大学祭にまったくのノータッチということもないだろう。
 となれば、考えられるのはただひとつ。黒尾くんが意図的に、何かを隠しているのではないか。私が黒尾くんの大学の学祭に興味を持たないよう──できることならその存在に気付かぬよう、敢えて情報を伏せていたのではないかということだ。
 そういえば、つい最近の電話で黒尾くんは、今週末は珍しく土日とも部活関係の用事があると言っていた。部活関係という言い方が、また怪しい。はっきり部活と言い切らないあたりが妙ににおう。
 学祭に部活単位で参加するというのであれば、その準備は部活関係の用事ということになるのだろう。何をわざわざごまかす必要があるのか不明だが、こうなると何かあるのか疑わないわけにはいかない。
「いいこと教えてくれてありがとう」
 いろいろと教えてくれた友人にお礼を言う。ここはひとつ、今日のデートで詳しく聞かなくては。そう心に決め、私は友人の手を固く握ったのだった。

 ★

 今週のデートは黒尾くんたっての希望により、黒尾くんの大学近くのステーキハウスに行くことになっていた。講義を終えて大学の最寄り駅まで歩いて行くと、待ち合わせ場所の駅の出口前で黒尾くんが待っていた。
「お待たせしました。待った?」
「いや、俺も今来たとこ。部室寄ったりしてたし」
「……待たせてないならよかったよ」
 部室に何の用事があったのか、とは問い詰めない。その話題を振るのはまだ早い。
 そこから歩くこと数分、すぐに目的の店に到着した。ここは以前、黒尾くんが部活の先輩に連れて来てもらってハマった店だそうだ。店内には、なるほど黒尾くんの大学の学生だろうか、同じくらいの年の頃の若い人たちがそれぞれテーブルを囲んでいる。
 黒尾くんはステーキ、私はハンバーグをそれぞれ頼む。注文を済ませ、近況報告をしながら料理を待った。本当は黒尾くんと顔を合わせた瞬間から、大学祭の話をしたくて仕方がなかったが、それはまだ話すべきではないだろうとぐっと堪える。
 本題は食事をしながら、できるだけさりげなさを装ってすべきだ。黒尾くんに何かしらの考えがあるのなら、そうそう気安く触れない方がいい。
 さして待つほどもなく、目の前に肉の乗った鉄板が供された。
「たまにがっつり肉食いたくなる時あるんだよな」
「そういうときあるよね」
「名字さんにもあんの? つーかそれ、結構でかいけど全部食える?」
「食べられるよ。お腹空いてるし」
 差し障りのない話題で場をあたためつつ、黒尾くんが食べ始めるのを待つ。
 そして黒尾くんがもりもりとお肉を食べ始めた頃を見計らって、私はようやく今日の本題──今週末に開催されるという、黒尾くんの大学の学祭の話を切り出した。
「ときに黒尾くんや」
 声を掛けると、黒尾くんが面白がるように目を細める。
「お? どうしたどうした。何が始まったんだ」
「ちょっと小耳にはさんだんだけど……、黒尾くんところの学祭って今週末らしいね? もしかして黒尾くんも、部活で何かお店出したりするの?」
 ハンバーグを食べながら、それとなく、あくまでそれとなく水を向けた。私としては食事中の何気ない話題を装ったつもりだったのだが、私の言葉を聞いた瞬間、黒尾くんが露骨に表情を消した。口許はゆるく笑んでいるものの、目はまったく笑っていない。その表情に、思わずぎくりとした。
「学祭ね。はいはい、なるほど」
「なるほど、とは……」
「名字さんなんで知ってんの?」
 ずばりと聞き返されてしまい、ついつい返事を口ごもる。悪いことをしているわけではないはずなのに、黒尾くんの静かな瞳に見つめられると、なんだか背中のあたりが落ち着かないような気分になった。
「え、えっと……、今日大学の友達からたまたまそういう話を聞きまして」
「大学の友達」
「うん……」
 知らず俯き加減になっていたことに気付き、視線をそろりと黒尾くんに向ける。黒尾くんは何か思案するように、私の頭上のあたりに視線を遣っている。
「話に聞いただけだけど、黒尾くんの大学、賑やかな感じで学祭やるんでしょう? 楽しそうだし、折角だから覗いてみたいなーと……」
「俺もはじめてだから知らねえけど、そこまで楽しいもんでもないんじゃない? 名字さん人混みそんなに好きじゃないよな」
「それはたしかにそうなんだけど、」
「逆に、なんで来たいの?」
 なんで、と言われても。もともと私は学祭に特別行きたいわけではない。黒尾くんが何やら隠している風情なので、それで気になっているだけだ。
 だが、それをそのまま言えるはずもない。
「黒尾くんの大学だし、見に行ってみたいなと思うのはおかしい……?」
「おかしくはないけども」
「それとも、黒尾くんは私に学祭に来てほしくない?」
 自分で口にしておきながら、踏み込んだ問いに指先が震える。黒尾くんは逡巡ののち、答えた。
「うーん、俺としてはできれば名字さんには来てほしくない」
「えっ」
 いつもの黒尾くんらしくない物言いに驚いて、私は言葉を失った。それと同時に、釈然としない思いも湧く。
 いくら黒尾くんが私の彼氏だからといったって、そして行きたいと言っているのがその黒尾くんの大学の学祭だからといったって、私に理由の説明もなく「来てほしくない」はいささか強引じゃないだろうか。それこそただ学祭に行くだけならば黒尾くんの迷惑になることだってないはずだ。もしも私と顔を合わせるのが恥ずかしいとか、そういう理由で来てほしくないのであれば、黒尾くんとは他人のふりをしたっていい。
 事情があるのならば話してくれれば、どうとでもなるだろう。そもそも納得できる事情があるのなら、私だって無理に行きたいとは言わない。
 そんな不満が、もしかしたら顔に出ていたのかもしれない。黒尾くんが静かに箸を置いた。その顔は先ほどまでのような頑なな表情ではなく、むしろどちらかといえば私のことを懐柔しようとでもするような、柔らかくやさしい表情だ。
 もっとも、私はにやにや笑いの黒尾くんを見慣れてしまっている。こうも手放しにいい人そうな顔をされると、余計に何かあるのかと勘ぐってしまう。これは私のせいではなく、日頃の黒尾くんの行いのせいだ。
 いっそ揉み手でもし始めそうな雰囲気で、黒尾くんはやさしく、あやしげな目を私に向けた。
「いやね? 別に俺だって学祭来てほしくないとか、そういうつもりで言ってるわけじゃないよ」
「来てほしくないって、今はっきり言いましたが」
「そうだけど、そうじゃなくて。ただ当日は俺も部活で店出すことになってるから、名字さんが来ても話したりする余裕ないと思うぞ」
「それは分かるけど……」
「そうなると名字さんだって暇になるだろ。実際かなり混むらしいから、食い物買ったりするだけでも結構並ぶだろうし、言っても学生のクオリティだし。そもそも名字さんはそういうの全然興味ないかと思ってたんだよ。そういう諸々の理由で話してなかったってだけです」
 つらつらとそれらしい理由を並べ、そして最後に「分かるだろ」と言わんばかりの笑みで話を締めた黒尾くんは、それ以上言うことはないとでもいうように再びステーキを口に運ぶ。
「やっぱうまいな」
 などとわざとらしくステーキの感想までくれる。だが私の心の中のもやもやが、今更どうにかなるはずもない。
 何せ黒尾くんは自分の意見を述べただけで、私の意見をまったく聞こうとしていないのだ。普段の黒尾くんらしからぬその対応は、私の中に芽生えた疑念をいたずらに育てるだけだ。
 しかし目の前の黒尾くんは、たとえ私が何を言ったところで、頑として意思を変えそうになかった。黒尾くんには黒尾くんなりに私を学祭に来させたくない理由があって、それは曲げられないらしい。そして肝心のその理由を、私に話すつもりもないらしい。
「黒尾くんの言い分はよく分かった」
 そう言ってわざとらしくため息を吐いたら、黒尾くんが少しだけ申し訳なさそうな顔をした。ちくりと胸が罪悪感に痛む。そんな顔をするくらいなら、あんな風に言わなければいいのに。あんな一方的な言葉で私を煙にまき、あまつさえ納得させることができるなんて、黒尾くんは本当に思っているのだろうか。
 とはいえ、折角のデートを嫌な雰囲気のまま終わらせるのもまた嫌だった。仕方がないのでこの話はここで終わりにして、ここからはいつものように楽しくご飯を食べることに集中する。
 黒尾くんは私が諦めたのでほっとしたのか、そこから先はいつにも増して上機嫌で優しかった。デザートまでしっかり食べ、私がトイレに行っている間にお勘定も済ませておいてくれた。食事代は割り勘にするのが常だ。やはり黒尾くんにも、自分が無茶を言っているという自覚があるのだろう。
 それが分かっただけで、今はよしとすることにした。私もそれ以上は追及するのはやめる。
 とはいえ、追及しないことと納得することはまったく別物。
 黒尾くんに送ってもらって帰宅したのち、私は風呂の中で引き続き黒尾くんの不可解な言動について思索に耽った。
 黒尾くんの私に対する学祭に来てほしくない、いや来られては困るようなあの口ぶりは、どうにも何かを隠しているようにしか思えない。私に来てほしくない理由なら、それこそ考えればいくらでも思い付く。だがそのどれもが、黒尾くんから私への好意を根底から否定することになりかねない推測ばかりだ。私の勝手な妄想なのに、しだいに悲しい気分になってくる。
 たとえば大学では彼女がいることを言っていないから、彼女を名乗る私に来られると困るとか。彼女の私が自慢できるような素敵な女子ではないから、人に見られたら困るとか。いっそ本命が大学にいるから、浮気相手の私に登場されると困るとか──
 そんなことは有り得ないと分かってはいる。黒尾くんはそんな不誠実なことをする人ではない。それはよく分かっている。それでもあの黒尾くんの頑なな態度を思い出すと、途端に自信がなくなってしまう。だってあれは、どう考えても黒尾くんらしくなかった。
 黒尾くんのことを好きになって、付き合って、ここまで幸せなことしかなかった。片思いの間はたしかに、黒尾くんの思わせぶりな言動に惑わされたりもした。だがそれだって、思い返せば幸せな悩みだ。付き合ってからは本当に、どれだけ考えても幸せな思い出しかない。
 こんな風に黒尾くんに対して、猜疑心じみた気持ちを抱くのはつらい。こんな風にしか考えられない自分も嫌だ。嫌だから考えたくないのに、どうしたって考えずにはいられない。
 食事中に黒尾くんが挙げた「学祭に来ない方が良い理由」はかなり的を射ている。黒尾くんが隠すそぶりを見せなければ、きっと私は学祭に興味を持つこともなく、ふうん、頑張ってね、で終わっていたのだろう。隠し事さえ、していなければ。
 黒尾くんが私に隠し事をする理由──それが分からず、私は悶々とした気持ちで湯船に沈んだ。もくもくと立ち上る湯気のつかみどころのなさが、なんだか今の黒尾くんのように思えた。

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