13

 ★

 晴れて恋人同士になった黒尾くんと私だが、両想いになった余韻もそこそこにその日はそこで解散となった。黒尾くんは午後から部活の集まりがあり、このまま一緒に帰るというわけにはいかない。
 互いに気持ちを伝え合うという最大の目的を果たしたところで、私はぎこちなく笑顔をつくった。黒尾くんの顔を直視するのが恥ずかしくて、顔は俯け視線をそらす。黒尾くんが私の恋人なのだという実感などあるはずもなく、ただただ気恥ずかしさに駆られている。
「それじゃあ、あの、また」
「ん、今日の夜電話していい?」
「えっ、電話!?」
 驚いたひょうしに顔を上げると、黒尾くんと視線がぶつかる。途端に顔に熱が集まって、慌てて私は目を逸らした。
「だめ?」
 平均以上に身長の大きな男子高校生が、ずいぶん可愛い聞き方をしてくる。
「いや、いい……というか嬉しい、と思う、けど……」
「さすがにこの状況で、はいおつかれっつって、付き合ったばっかの彼女帰してフォローなしとかは無い」
「そういうもの? 全然気にしないけど」
「そこは気にしてくれた方が嬉しいですね」
「あっ、そう!? そっか!?」
「つーか名字さんが気にしなくても俺が気にするから」
 当たり前のように笑われて、胸がぎゅっとときめく。
 ふと見れば、黒尾くんはゆるく握った拳を口許に当て、顔の下半分を隠していた。もしかしたら黒尾くんも照れているのかもしれないと、そのときようやく私も気付く。
 私が黒尾くんの彼女である実感をまだ得られないのと同じように、黒尾くんもまだ、私の彼氏としての実感がないのかもしれない。だからこそ最初をおざなりにせず、彼氏らしく振る舞ってくれようとしているのかも。
 もしもそうだとしたら、それはかなり、嬉しい。
「バレー部のやつと夕飯食うけど、遅くならないようにするから。待っててくれるかい」
「……わかった。楽しみに待ちながら、寝ないで起きてる」
「サンキュ」
 小さな約束をひとつだけ交わして、私と黒尾くんは駐輪場へと向かった。黒尾くんは駐輪場から校門まで送ってくれた。
 校門を出たところで唐突に、黒尾くんと付き合ってるんだ、と実感できたような気がした。

 ★

 相変わらずのメッセージの遣り取りはあったが、お互いに何かと忙しくしていたこともあり、付き合って最初に顔を合わせることになったのは卒業式から数日後の、クラスでの打ち上げの日だった。
 打ち上げの前に、少しでいいからふたりで会えないか、と提案したのは黒尾くんの方だった。集まりは夕方からなので、日中は私も黒尾くんも空いている。せっかくの春休みなのだから、デートくらいしなければ損だ。
 それにクラスで集まれば、どうせ私と黒尾くんのことをあれこれつつかれるだろう。その前に顔を合わせて恋人っぽい空気に慣れておきたいという下心もあった。
 そんなわけで、前回出掛けたのと同じ最寄りの駅、昼過ぎに待ち合わせすることになった。

 前回のデートのときは初回なのであれこれ思い悩んだが、今回はデートの後に打ち上げが控えている。そういう意味ではあまり気合いを入れる必要もなくて気が楽だ。
 待ち合わせ場所に到着し、手元の腕時計を確認する。待ち合わせ時間まではあと五分。そろそろかな、と手元から顔を上げると、目の前に待ち人が立っていた。
「よ、早いな」
「あ、うん、ちょっと早く着いちゃった」
 本当は家にいてもそわそわしてしまい落ち着かないので、苦肉の策で早めに家を出ただけだ。だが、そのことは黒尾くんには黙っておくことにした。浮かれちゃってんの? などと思われたら恥ずかしい。
 私服姿の黒尾くんと出掛けるのはこれで二度目。前回出掛けたときにも思ったが、私服姿の黒尾くんは異様なまでにかっこいい。元々スタイルがいいから、何を着ても様になって見える。寝ぐせだらけの髪型だって、私服だとなぜかちょっとかっこよく見える。
 実のところ私は黒尾くんの顔がものすごく好きというわけではない。とはいえ、世間的に見ても黒尾くんは顔も格好いい。そしてこうして恋人になってみると、不思議なことに黒尾くんの顔がものすごく好きな気がしてくる。私は結構流されやすいたちなのだと、黒尾くんの顔をつくづく眺めて思い知る。
「……あの、名字さん?」
「え?」
 黒尾くんの声に、はっとした。見上げると、黒尾くんが目じりを少しだけ赤くして、困ったような笑顔で私を見下ろしている。
「さすがにそんなに見られると、俺も恥ずかしいんですが」
「え、あ、あ! ごめん!」
 ほんのり赤面している黒尾くんに、その何倍も赤くなる私。恋人になった男の子が格好よかったせいで、ついついじっくり見惚れてしまった。
「心配しなくても、俺に見惚れる時間なんてこれからいくらでもあるだろ」
「……そういうの、言ってて恥ずかしくならない?」
「突然切りかかってくるな。──じゃ、行くか」
 まるで照れ隠しみたいに言って、黒尾くんは歩き出す。私も慌てて後をついて行った。

 今日の行き先は前回と同じカフェ。せっかくだから恋人になった記念にもう一度、という話になったのだ。ついでに、黒尾くんにとっては視察も兼ねている。つい先日私がバイトで採用された職場を見ておこう、という魂胆があるそうだ。
「わざわざチェックしなくても大丈夫なのに。前に黒尾くんだって一緒に行ったんだから、お店の雰囲気とか知ってるでしょ」
「あの時は完全に客だったからな。今度はもっと念入りに、細部まで観察しねえと」
「大げさだなあ」
 呆れたように笑い飛ばしてみるけれど、私としても黒尾くんが気にかけてくれていることは素直に嬉しい。私のバイト先を知りたいと思ってくれると考えるだけで、嬉しくて仕方がない。
 とはいえ、それほど心配することもないのもまた事実。
 店員のほとんどが女性だし、そのうち半分くらいは大学生のバイトだと聞いている。客層は落ち着いており、来店する男の人は大体カップルの彼氏だ。人気店なので忙しい時間帯はあるが、黒尾くんが気にするようなことは特にない。
 カランと音を立てて店の扉を開ける。ランチタイムは終わっており、カフェタイムには少し早い。ちょうど混雑の谷間なのか、先日私を面接したオーナーが、ひとりカフェコーナーに立っているだけだった。私と黒尾くんを見ると、人の好さそうな笑顔を見せる。
「いらっしゃい、どうしたの? 名字さんの出勤は来週からだよね」
「今日はお客さんとして伺いました」
「それはありがとう。奥のソファー席空いてるからどうぞ」
「ありがとうございます」
 頭を下げて、邪魔にならないうちに席に向かう。後からついてきた黒尾くんも頭を下げているのが視界の端に見え、少しだけ笑ってしまった。黒尾くんは身長が大きいから、少し頭を下げたくらいでは、あまり礼をしているようには見えない。
 テーブルにつきメニューを開いてみたものの、このあと打ち上げの予定が入っている。ケーキはまたの機会にして、今日は飲み物だけ注文した。
 コーヒーが運ばれてくるのを待つ間、黒尾くんが卓上メニューを眺めながら、
「バイト入るのって夕方と土日だっけ?」
 と聞いてくる。
「うん、一応そのつもり。大学の時間割がまだ分かんないし、きちんと決めるのはシラバス見てからかなって。あと黒尾くんの部活ある日はバイト入れようかなって思ってる」
「こっちの部活は平日二日と自主練と、土日は大体どっちかって聞いた。だからまあ、そんなに毎日部活三昧ってわけではない」
「なるほど。どっちにしても、とりあえず三月、四月は様子見かな」
「だな」
 こうして黒尾くんと『今』より先の話をしていると、つくづく不思議な気分になる。まだ友達とも決めていない未来の話を、黒尾くんとしている。ああ、これが付き合うってこと、恋人だってことなんだ、と改めて実感する。
 彼氏、なんだなあ。
 そんなことを思ってぼんやりしていたら、黒尾くんが声をおさえて笑った。
「へえ、名字さんってそんな目で俺のこと見てたんだ」
「ええ!? 何の話!?」
「声に出てたぞ、『彼氏なんだなー』って」
「うわ!」
 ぼっと顔が熱くなった。慣れない幸福にあてられて、ひどい失言をしていたらしい。失言というか、譫言か。どちらにせよ、ろくなものではない。
 目の前でにやにや笑う黒尾くんの視線から逃げるように、運ばれてきたばかりのコーヒーのカップに口をつける。けれど熱すぎるコーヒーは照れ隠しに流し込むのにはまったく適さず、結局ほとんど飲めなかった。せめてもの照れ隠しに眉をひそめてみるものの、黒尾くんは相変わらずにやにやと笑っている。
「別にいいんじゃないですかね、事実、俺は名字さんの彼氏だし」
「……恥ずかしいことを堂々と言うね」
「告白より恥ずかしいこともそうそうないだろ」
「それはそうだけど」
「ま、慣れなんじゃない? 多分だけど」
 そう言って優雅にコーヒーをすする黒尾くんを見て、溜息とも吐息ともつかない曖昧な息を吐く。コーヒーを飲んでるだけで絵になるような彼氏を持っていることに、私が慣れる日など果たしてやってくるのだろうか。せめて黒尾くんにとって恥ずかしい彼女にならないように、私も頑張らないといけない。
 私がこっそり決意を新たにしていると、優雅にコーヒーカップを置いた黒尾くんが、少しだけ目を細める。私が首を傾げると、黒尾くんはわずかに眉尻を下げて笑った。
「まあ、そうは言っても、俺も結構名字さんと付き合えて浮かれてるところあるしな。そこは結構、似た者同士っつーかお互い様なんじゃないかね」
「えっ、黒尾くん浮かれてるの?」
 びっくりして、思わず聞き返す。とてもではないが、黒尾くんはそんな風には見えない。今この瞬間だって、黒尾くんはいつも通りのにやにや笑いを浮かべた黒尾くんだ。
 そう反論すると、「ほら、だからにやにやしてんだろ」と言い返される。なるほど、つまり私がよく見ていたにやにやしている黒尾くんというのは、浮かれている状態の黒尾くんだったということなのか。なんて、なんて分かりにくい人なのだろう。
 私はてっきり黒尾くんがあまり爽やかなタイプではなく、日頃からにやついているように見える人なのだろうとばかり思っていた。実際はそうではなく、多分に浮かれた結果のにやにやした笑顔だったということだ。
「黒尾くんも恋愛で浮かれることとかあるんだね……」
「名字さんは俺を何だと思ってるのかな?」
「分かんないけど、多少のことでは動じなさそうというか。嬉しいことがあっても、あんまり表に出さないのかなって思ってた」
 もちろんこれは、黒尾くんのにやにや顔をデフォルトだと思い込んでいたときの印象。にやにや顔が浮かれ感情の発露だと知った以上、当然その認識も変わってくるのだが。
「そりゃあ好きな女子に告白して、OKもらってデートまでして、浮かれる方が自然じゃねえの」
「そういうものかな……」
「そういうもん。だから俺はにやにやしまくり浮かれまくりで今から打ち上げに行く。ただし名字さんは気を引き締めて、あんま浮かれることのないように」
 だしぬけにそんなことを言いだす黒尾くんに、私は慌てて反論する。
「なんで! 理不尽じゃない!?」
「浮かれてにこにこしてる名字さん可愛いんだよ。それ、俺の前だけにしといてね」
 不意打ちの甘い言葉に盛大に咽た。黒尾くんはまた、にやにや楽しそうに笑っている。そのにやにや顔すら可愛くかっこよく見えるのだから、恋心とはおそろしく手の施しようのないもののようだった。

prev - index - next

- ナノ -