comet

 自分で整えた座敷に無理矢理に近い形で引っ張り込まれるという、甚だ不本意な展開である。置いてあった座布団に私を座らせた鉢屋は、自らも座布団の上にあぐらをかくと改めて私と向かい合った。
 最後に見た十四歳の姿から、四年の時を経た鉢屋は、ぬっと身長が伸びて肩幅もしっかりしている。全体的に細身ながらもがっしりとした体つきは、もはや女装などとうてい不可能だろうと思わせるほどに男らしい。
 しかし、そんなことを仔細に観察している場合ではなかった。向かい合うなり、私は吠える。
「これはどういうことよ!?」
「だから、こういうことさ」
 飄々と、鉢屋は言ってのけた。
「つまりお前の縁談の相手は私、鉢屋三郎ということ。賢いお前にそれ以上の説明が必要か?」
 これ以上ないほど簡潔で端的な説明に、私は池の鯉のように口をはくはくと開けたり閉めたりするしかなかった。言葉もない。
 しかし──そうだ、鉢屋が今日ここに現れた以上、それ以外の──つまりは鉢屋が今まさに述べた以外の可能性など、ほとんどないに等しい。今日我が家にやってくるのは私の縁談の相手なのだ。鉢屋が現れたというのなら、その縁談の相手が鉢屋であると考えるがもっとも自然である。
 しかし、そもそもそんな理屈を受け容れられるはずがない。
 あの鉢屋三郎が、一体どうして私なんかの縁談の相手に。
「だって、そんな、……どうして?」
「どうしてもこうしてもないよ。そろそろ嫁をもらえと上に言われた、だから嫁をもらいに来た。それだけ」
「でも、……まさか鉢屋も知らなかったの?」
「何を」
「縁談の相手が……その、私だと」
 騙し討ちのようにしてここに送り込まれてきたのならば、話としては理解できる。私が鉢屋の登場に動揺したのと同じように、鉢屋もまた私が相手と知らず動揺していたとするのなら。
 どんな恐ろしい奇跡かと思うが、まあありえない話ではないだろう。事実は時として物語よりも奇怪なものである。先ほどの鉢屋には動揺などみじんも感じられなかったが、天才鉢屋三郎ならば、すでに忍術学園を退学して四年も経つ私の眼を誤魔化すことなどきっと造作ない。
 しかし私の言い分に、鉢屋は呆れたように目を眇めた。
「私はお前ほど阿呆じゃないぞ」
「なっ」
「相手の名前も身の上も知らずに縁談に臨むなんて、そんな女がいるとは驚きだ」
「だってそれは」
「私は当然知っていた。知っていて、今日ここにいる」
 はっきりと言い切った鉢屋の視線に、私はごくりと唾を飲み込んだ。
 その顔を覆う表情が、手製の面でしかないことは知っている。私が今見つめている先にある顔が、鉢屋本来のものでないことも。そう知っているが、しかしその面があまりにも精緻なつくりをしているがゆえに、それはもはや鉢屋の感情そのままの表情としか思えないほど真に迫っている。
 言葉を失う私に、なおも鉢屋は言う。
「苗字、いや、名前。私はお前を嫁にもらいに来た」
 ここに至って、私はようやく悟った。
 冗談でも何でもない、まして騙し討ちでもない──鉢屋は己の意思で今ここにいる。己の意思で、私との縁談の話を持ち出している。
 この男は、本気で私を娶ろうとしている。
 途端に全身の毛が総毛だつ。目の前の男が、どうしようもなく恐ろしかった。
「はちや」
「嫌とは言うなよ。私以上にいい条件の男にもらわれるなんてことはないんだから」
「……相変わらず、すごい自信ね。さすがは天才鉢屋三郎」
 やっとのことでそれだけ返す。鉢屋が少しだけ雰囲気をゆるめた。座敷の空気がゆるりと穏やかなものとなる。
「よせよ、それはもう昔の話だろ。今はそこまで驕(おご)っちゃいない」
 そうして鉢屋は、口元にうすく笑みをたたえたまま、私を試すような目つきで眺めた。その不敵な視線を受け、私はまたごくりと唾をのむ。
 掴みどころのない飄々とした態度をとってはいるものの、鉢屋の目が少しも揶揄う色を帯びていないことには気付いていた。あのまなこは、いつでも私の胸の真ん中から私の最奥を見据えつづけいる。
「……少し考えさせて」
 私の返事に、鉢屋は静かに頷いた。
「いいだろう。一週間後、返事を聞きに来る」
 それだけ言うと鉢屋は音もなく立ち上がった。見送りもしない私に「せいぜい悩めよ」と言い残すと、それきり座敷を出ていってしまう。
 残された私は、まるで狐にでも化かされたように呆然と座りこんでいた。

 我が家は武家とは名ばかりの貧乏武家である。城仕えの父は大した役職にもついておらず、町の道場で子供たち相手に剣術を教えることで何とか生計を立てていた。それでも一応は武家としての矜持があるから、ひとり娘の私は昔から何かにつけては厳しく育てられたし、武家の娘としての誇りを忘れないよう、折に触れては言い含められていた。
 厳しい家計状況の中から私を忍術学園に入学させてくれたことは、両親からの愛情のあらわれだったのだろう。良家の子女が行儀見習いとして入学するのがほとんどの中、私は入学当初からくノ一としての学びを修めることを目標としていた。両親もそのことは承知していたはずだ。どうも昔から私は気が強く、なよなよと娘らしい振る舞いをすることが苦手であった。それならばいっそ──そう両親が思っても無理はない。
 武家の娘がくノ一になるなど本来であれば言語道断なのだろう。忍びはその仕事の性質から、武士にはどうしても低い立場に見られがちになる。しかし両親はふたりとも、良くも悪くも柔軟だった。武家としての誇りを忘れるべからずと教える一方で、家柄や立場、身分にこだわったりはしなかった。大した家格ではなかったからこそ、そういう態度が自然と見えたのかもしれない。
 父が死んだのは四年前だ。直後、私に縁談の話が転がり込んだ。
 一も二もなく、私はその話を受けた。父を喪い失意の底にあった母を、少しでも安心させたかった。また、父を死後稼ぎ頭を失った家計から、私の授業料を出してほしいなどとはとても言えなかった。行儀見習いの同級生たちは皆卒業し、同じ学年でまだ忍術学園に残っていたのはほんの数人の同志と、のびのびと術に励む忍たまたちだけだった。

 そして今──
 私はこうして再びの選択を迫られている。

 鉢屋はたしかに今も、私の胸の中に巣食ったまま動こうとしない。恐らく生涯、私が身の内から鉢屋の面影を追い出すことはないだろう。私が正気であるうちは、鉢屋のまなこは私を苛み続けるに違いない。
 しかし、だからといって鉢屋のことを今もまだ愛しているのかと言われれば、正直にいって私にも分からなかった。実ることのなかった初恋として、四年前に胸に秘めた思いはそれきり完結してしまっている。今の私がいまだ鉢屋にとらわれているというのなら、それはもはや思慕などという可愛らしいものではない、執念や固執というものだろう。
 そんな私がはたして鉢屋の申し出を受けてもいいものなのか──そこで私は根本的な疑問に立ち返る。
 そもそも何故鉢屋は私などに縁談を申し込んできたのだろうか。
 鉢屋の話を鵜呑みにするなら、彼は相手が私だと知って縁談を申し込んできたことになる。十八──忍術学園を卒業して、三年。まだまだ忍びとしては駆け出しといってもいい時期だ。別に急いで妻をもらわなければならないような年ではない。が、身を固めてもおかしくない年でもある。
 忍びとして働いていこうと思うのなら、妻選びだって一筋縄ではいかない。そういう意味では、相手を選ぶにあたってそのあたりの事情を理解しているだろう私に白羽の矢を立てるというのも、分からなくはないことだった。母が方々に私の夫探しの声を掛けていたことは私もよく知っている。鉢屋の思惑と母の思惑が見事重なったということも、まあ有り得ないわけではない。
 となると、鉢屋は私のことを愛しているがゆえに娶ろうとしているわけではない──そういうことになる。鉢屋には鉢屋の事情があり、その事情のために私を娶ろうとしていると、こういうことになる。
 ──鉢屋は私のことなんか好いてはいないんだ。
 当たり前のことに今更気付く。たちまち、なんだか阿呆らしい気分になった。
 大体、前の夫と夫婦(めおと)になったときだって、けして好きあって結ばれたわけではなかった。まずは夫婦という箱があり、そこにおさまることで名実ともに夫婦となった。とどのつまり夫婦など、その程度のものなのだろう。何も気負うことなどない。駄目なら駄目で別れればいい。ここで母からの小言を聞き流し続けるくらいならば、いっそ鉢屋の悪ふざけのような申し出を受けてみてもいいかもしれない。
 気が付けばそんなやけっぱちのような思いが、胸の中をひたひたと満たしていた。胸のがらんどうから覗く、鉢屋のさももの言いたげなまなこをも、胸を満たすぞんざいな思いが覆い隠してゆく。
 ──そうだ、それに鉢屋ならば。
 鉢屋ならば、なにも私が罪悪感を抱かなくてもいいのだ。何故ならたとえ夫婦となって鉢屋の腕に抱かれようと、私の胸にいるのは鉢屋そのものなのだから。いや、鉢屋そのものとは言えないかもしれないが、いずれ鉢屋から派生した何かであることには変わりない。誰に罪悪感を抱くこともない。鉢屋相手に、鉢屋を胸に住まわせる不貞を詫びる必要などありはしないの。
 そう考えると、胸につかえた何かがすっと胃の底に落ちていくような、そんな気分になった。
 ひたひたになった胸の中、じっとこちらを見据える一対の眸を、私は見て見ぬふりをする。まなこはただこちらを見据えるだけで、何かを言うことはなかった。

 一週間後、約束通りに鉢屋はやってきた。
「返事を聞かせてもらおうか」
 一週間前と同じ座敷に上がるなり、挨拶もそこそこに鉢屋は切り出す。無駄がないのは昔からこの男の美点だった。回りくどいことを言って煙に巻くときは、たいていふざけているときだ。本音の言葉で語らう時、鉢屋からは一切の無駄が消える。研ぎ澄まされ、気配や仕草すら洗練される。
 鉢屋の問いへの答えは、もう決まっていた。傍らの母に一度目配せを送り、それから私は深々と頭を下げた。
「あなたの妻になるわ、三郎さま」
 母の手前ということもある。それでも、わざと皮肉っぽく鉢屋を呼んだ。
 案の定、顔を上げて鉢屋を見ると、心底嫌そうな顔をして私を睨んでいる。その顔があまりにも露骨だったので、ちょっとだけ面白くなって私はにやりとする。すぐさま傍らの母の手が私の膝をぴしゃりと打った。
 しかし母も、本気で咎める様子はない。先日の私と鉢屋の遣り取りの一端を見たことで、私と鉢屋がどのような仲なのかは何となく察しているようだった。
 そのことを知ってか知らずか、母の前だというのに鉢屋は、
「三郎さまはやめろよ。全身が痒くなる」
 と、昔のように憎たらしい口をきく。私も負けじと、
「私を嫁に貰うつもりのわりには、腹が据わってないのね」
 と、言い返した。
「そういうわけじゃないけど、今更おまえに殊勝ぶられたところで落ち着かない」
「それこそ腹が据わってないというのよ」
 私たちの子供じみた遣り取りに呆れたのか、母は何かと理由をつけて座敷を出ていった。もしかしたら気を遣ってふたりにしてくれたのかもしれないが、もはや申し出の返事をしてしまった以上、この先の展開が揺らぐことはない。無用な気遣いである。
 ふう、とひとつ息を吐きだす。鉢屋が正していた姿勢をくずして胡坐(あぐら)をかいた。そしてじろじろと私を眺めたかと思えば、
「まあいいさ、呼び方なんてどうだっていいんだ」
 と、ぞんざいに言った。
「それより、さっきの返事は本気か?」
「さっき? あなたの妻になると言ったことなら、ええ、本気よ」
 私の答えに鉢屋がにやりと目で笑う。面をしているとはいっても、瞳はそのまま鉢屋生来のものである。当然、そこに宿る感情の色は鉢屋の本心を映し出している。
「そうか。ふうん、へえ」
「なによ」
「てっきり断られると思った」
「断るつもりだったけど、鉢屋が私に頼み事をしてきたのよ。貸しを作っておかない手はないでしょ」
 そんなつもりはなかったが、ついつい憎まれ口が口をついて出た。四年の空白期間を経てもなお、この習性は身について離れないらしい。鉢屋が鼻を鳴らして答えた。
「ふん、相変わらず可愛くない」
「それはどうもありがとう」
 お互いに相手の胸奥をはかるように視線を交わす。そうしていると四年前と同じ、相手を打ち負かすことばかり考えていたときと同じような心持ちになってくる。
 けれどあの頃とは決定的に違うのは、今の私には鉢屋の手をとる以外の選択肢を許されていないことだった。
 対等だったあの頃とは違う。私たちはきっと、もうあの頃と同じにはなれない。

 comet; ほうき星、彗星、不吉の前兆ともされる

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