Ever has it been that love knows not its own depth until the hour of separation.

(ifルート死ネタ)

 眠りの中にありながらもただならぬ気配を感じ、跳び起きるようにはっと目を覚ました。部屋の中はまだ暗闇に満たされている。今が何刻かは判然としないながらも、夜明けまでにはまだ時間がありそうだということだけは、身体の気怠さと体内時計で察することができた。
 そっと耳をそばだててみる。窓の外からは獣の鳴き声ひとつしない。
 暫しそうして身体を横たえていたけれど、ようやく闇に目が慣れてきたころ、やはり何ものかの気配を感じ、身体を起こした。
 ふと気配が揺らいだのを感じて、振り向く。すると枕元にひとつ、ぼんやりとした影が浮かび上がっていた──いや、真闇の中にあって目に見えるのだから、影というより光だろうか。その光に目を凝らし、そして私は息を呑んだ。
 白白と発光するように立っていたのは、質素な夜着をまとっただけの我が伴侶、鉢屋三郎だった。
「はちや、」
 夢うつつで夫婦となる前の呼び名で呼んで、しかし私ははっとする。
 数日前から忍務に出ているはずの鉢屋が、今の時間にこんなところにいるはずはない。此度の忍務はいつになく過酷だと、出立前の鉢屋が珍しく重い口調で話していたから間違いない。あの鉢屋をもってしても緊張が声に乗るほどの忍務だ。そう易々と帰還できるはずもない。
 まして、闇の中でぼんやりと揺らめいているなど、鉢屋がそんな、らしくもないことをするはずがない。彼は私を驚かすことは好んでするが、だからといってむやみやたらと脅かすようなことはしない男だった。
 つまり、ここにいる鉢屋は本物の鉢屋ではない。
 誰かが鉢屋に化けているか、あるいは。
「……そう、死んだのね」
 あるいは、生身の鉢屋ではないか。
 私が小さく呟けば、鉢屋はいつになく殊勝な顔をして頷いた。いつも通り、不破の面が私の方をまっすぐ見据えるように夜闇に浮かんでいた。
「ああ、死んだ」
 鉢屋が答える。
「それで挨拶に来てくれたの?」
「最期くらいはな」
 あくまで鉢屋らしいその物言いに、私は苦笑するしかなかった。
 彼の言葉を信じるならば、こうして今まさに言葉を交わしているというのに、当の鉢屋はすでに何処ぞで死んでいるという。荒唐無稽なことこの上なく、まさに夢物語のように現実味のないことである。信じろという方が無謀であり、またぞろ揶揄われているのだと思う方が余程簡単だった。
 しかし鉢屋はこの手の嘘だけはつかないということを、私は長年の夫婦生活の中でよくよく知っていた。忍びという仕事柄、生き死にを冗談で口にしないことは重要なことだった。もしかしたら心のどこかで、言霊というものの存在を信じていたのかもしれない。
 しかしだとすれば、結局言霊などというものとは関係なく、人の生き死には在るということなのだろう。鉢屋が今ここにいるのはその証左だ。
 逡巡ののち、深く嘆息する。私の吐き出した息が空気を震わせ、素足の鉢屋が小さく身じろぎをした。
「仕方ないわね。けれどまあ、忍びの夫を持った時点でいつかはと、私も覚悟はしていたことだから……。そういうことならば、悪いのだけれど鉢屋、先に地獄に行って待っていてちょうだいな」
 情もなにもあったものではないのだが、そう言うよりほかにどうしようもない。すでに死んでしまっている人間に対して、まさか生き返れと無茶を言うわけにもいかないだろう。
 しかし私が仕方なくそう伝えると、鉢屋がいつものように呆れて笑う。
「おいおい、お前の言い分では、私が地獄に行くことはすでに決定事項なのかい」
「そりゃあそうよ。だってあなた、私を置いて先に逝ってしまったんでしょう。夫として、こんな極悪非道なことってないわよ。これで鉢屋が地獄に落ちないなんてことがあったら、それこそ嘘だわ」
「なるほどな、たしかにお前の言い分にも一理ある」
 腕を組んだ鉢屋は、しかつめらしい顔で納得した。その表情があまりにもいつもの鉢屋らしいものだったから、ほんの一瞬、もしかして本当は私はただおちょくられているだけなのではないだろうかと、そんな疑念が胸にわいてくる。思わず床に腰をおろしたままで鉢屋に手を伸ばしてみるけれど、しかしというかやはりというか、伸ばしたその手が鉢屋の静かなぬくもりに触れることはなかった。苦笑した鉢屋が続ける。
「しかしなあ。待っていてと言ったって、お前まで死んだあとに地獄に来るつもりなのか」
「そうだけど」
「そうは言ってもお前の大切な人たちはほとんど極楽浄土にいくだろうに」
「仕方ないでしょう。あちらの人たちにはちゃんと今のうちから謝っておきますよ」
 手を合わせて拝む真似をすれば、鉢屋はやっと「そうか」と、それだけ発した。
 それからやにわにその場にしゃがみこむと、座ったままの私と視線を合わせ、言う。
「そうか。それならお前はせいぜい長生きしろよ。私を地獄で散々待たせたかどで、ちゃんと地獄に落っこちてこられるように」
「鉢屋こそ、せいぜい地獄の鬼にでも化けて楽しく私を待っていて」
 鉢屋ならば地獄でもきっとうまいことやってくれるだろう。少なくとも私が地獄に落ちるその日まで、退屈せずに遊んでいられるに違いない。
 気が付けば、私はその場で蹲るように気を失っていた。目を覚ましたときには部屋の中には誰もおらず、ただ何となく、鉢屋が変装のときによく使っていた白粉のにおいが枕元からそっと香った。
 鉢屋の訃報が届いたのは明朝のことだった。最後に会ったときの鉢屋とまるきり同じ顔を持つやつれた男に、私はただ頭を下げた。
 地面に落ちた丸い染みは、忍術学園を退学したあの日よりもずっと大きな染みだった。

 Ever has it been that love knows not its own depth until the hour of separation.; 別れの時まで愛はその深さを知らない

戻る |→



- ナノ -