冬休みも赤葦くんは部活が忙しく、怠惰な日々を送っている私とは違う、精力的で活発な冬休みを過ごしているらしい。そのことは赤葦くんのサボテン栽培ブログの更新頻度や、彼とのどうでもいい連絡の遣り取りで薄々察していた。バレーの練習の邪魔になるのは本意ではないので、連絡の頻度は自主的に下げていたのだけれど、赤葦くんからの連絡はそんな折、ある日突然やってきた。
「俺も一度、『ケイジくん』に会ってみたいんだけど」
珍しくメッセージではなく電話だったので、何事かと思いきや、赤葦くんは開口一番にそんなことを言い出した。お風呂上りの髪をタオルで拭きながら、私はああうん、とうろんな返事をする。長湯してのぼせた頭では、何の話なのかいまいちよく分かっていなかった。
電話越しの赤葦くんは、そんな私のふわっとした返事に呆れたように溜息を吐く。
「苗字さん、今、全然話聞いてなかっただろ」
さも不満げな言葉に、私はおや、と思う。
赤葦くんの突拍子もない言動は今に始まったことではないけれど、しかし彼がこうして不機嫌そうにすることは珍しい。
私に対して、色々とガードがゆるくなっているんじゃないだろうか。
友人としては赤葦くんが素を見せてくれているというのを素直に喜ぶべきなのかもしれないけれど、率直な感情をぶつけられるのは、それはそれでたまったものではない。日に日に近くなっていく赤葦くんとの距離感に一抹の不安を覚えつつ、とりあえず私は謝ることにした。
話をちゃんと聞いていなかった非は認める。
「ごめん、あんまりちゃんと聞いてなかったんだけど。どういう話?」
私が聞きなおすと、赤葦くんはすぐに機嫌を直して言った。
「この間、苗字さんがうちに来て『名前チャン』を見ていったから、今度は俺が『ケイジくん』を見たいなと思って。それで電話した」
「『ケイジくん』を?」
「うん。『ケイジくん』を」
──要約すると、こういう話である。
かねてより赤葦くんは自分の名前のつけられた我が家の盆栽を一目見てみたいと思っていたらしい。そこで、年末年始で部活がオフになるこの時期、うちに来て盆栽を見たいとお願いしようと思い立った──ということだった。先だって自宅に招いたのは、このための布石のようなものだったらしい。
別段盆栽に興味があるというわけではなくても、その盆栽に自分由来の名前がついていれば、一応どんなものなのか見ておきたいという気持ちが生まれるのは分からないことではない。私だって、赤葦くんに誘われてではあったけれど、自分にちなんだ名前のサボテンが気になったからこそ、先日赤葦くんのご自宅にお邪魔したわけで。
だから赤葦くんの我が家に来たいという頼みは、まあまあ妥当な頼み事であるように思われた。
「って言っても、うち年末は割と早い日程から田舎のおばあちゃんちに行っちゃうんだよねえ……」
赤葦くんの事情は分かったけれど、しかしこちらにも事情というものがある。師走も後半ともなれば、それなりに忙しいのはこちらも同じである。
私の父方の実家は東北にある。毎年、年末になると全国各地に散らばった一族が集結して年を越すのが、昔からの習わしだった。
参加は強制ではないけれど、だからといって赤葦くんのために出発を遅らせるつもりもない。友人といえど、そこまでする義理もないだろう。
けれど、すげなく断るほど私だって薄情なわけではない。そこまでする義理はなくとも、頼み事を聞き届けたいと思う程度の友情は感じている。
そう、年末でさえなければ問題はないのだ。
「今週末とかは? 三連休のどこかでっていうのなら空いてるんだけど」
と私は提案する。今年は十二月二十三日が金曜日で、クリスマスイブ、クリスマスまでの三日間が三連休になっていた。それについては世間は悲喜こもごものようだけれど、私は別に何でもいいと思っている。
「その頃だと俺はまだ部活があるから」
「まあ、そうだよね。むしろ年末の休み前の最後の追い込みだよね」
「うん、だから遅くまで練習が──あ、待って」
渋い声を出していた赤葦くんが、ふいに何かに気が付いたように言った。
「今練習の予定表見たら、二十四日の土曜日だけ練習が半日だ。その日なら行ける」
「え、本当?」
二十四日というと今週の土曜日だ。その日ならたしか私も空いているはず。
携帯をハンズフリーにして、私はすぐ近くに置いてあったスケジュール帳を捲る──捲って、すぐに気が付いた。
土曜日、二十四日──クリスマスイブ。
その日はクリスマス当日と遜色ない一大イベントデーである、恋人たちのクリスマスイブであった。
もちろん恋人がいない身である私にしてみれば、クリスマスだろうがイブだろうが、ケーキを食べて何となく楽しい気分になるだけの日ではある。プレゼントをもらう年でもないし、サンタさんを信じているわけでもない。けれど、だからといって異性と一緒に過ごすというのは、またちょっと勝手が違うんじゃないだろうか。
勝手というか、心持ちというか。
というか赤葦くん、私とふたりでクリスマスイブを過ごすつもりなのか……?
先日もお互いに友情以外の念を抱いていないことを確認したばかりの私たちである。まあ、友達同士でクリスマスを過ごすというのは珍しいことではないのだろうとも思う。
思うけれど、いざ自分の身に降りかかるとなると、やはりどうしたって身構える。
邪推するし、困惑もする。
「……赤葦くん、赤葦くんが空いてるって言ってるのって、クリスマスイブで合ってる?」
念のため、スケジュール帳に書き込む前にもう一度赤葦くんに確認をとっておく。もしかしたら赤葦くんはその日を偶然空いていた日としかしていないのかもしれない。クリスマスイブと気付けば、さすがにそれはちょっと、ということになる可能性だって大いにある。
けれど赤葦くんは、
「ああ、そういえばそうだね」
とあっさりと返しただけだった。だから何だと言わんばかりのあっさり具合に、逆に私の方が不安定な心持ちにさせられる。
なんだろう、クリスマスイブって結構なイベントだと思うのだけれど、そう思っているのはもしかしてこの世界の少数派なのだろうか。普通は赤葦くんのようにあっさりとした気持ちで過ごすような、取るに足らないイベントなのだろうか。
思いがけず自我と常識を揺さぶられ困惑する。
「え、俺なにかおかしなこと言った?」
「いや……ただ練習半日なんだし、部活でクリスマスパーティーとかやらないのかなって思っただけ」
「そういうのは年末の忘年会にひとまとめにしてるから」
「ああ、そうなんだ……」
話を聞く限りにおいては、少なくとも赤葦くんにとっては、クリスマスイブというのは取るに足らない日のようだった。
男子高校生にとってのクリスマスイブってそんなものなんだろうか。
まあ、私が現在最も親しい男子高校生であるところの赤葦くんが言うのであれば、そんなものなんだろう。そういうこともある。
「あ、もしかしてイブの日、何か用事あった?」
赤葦くんがようやく私の困惑に気付く。けれど、すでに私の中では「そういうこと」と結論が出てしまった後だったので、今更それについてどうこう言うことも憚られた。赤葦くんにとって取るに足らない日であるというのならば、私にとってもまた取るに足らない日という認識でいい。私だけが意識しているのも悔しいし。
いや、そもそも友達なんだから意識とかしないし。
「いや、ない。ないんだけど、一応確認しておきたかっただけ」
「そっか」
「うん、じゃあ二十四日の練習の後にうちに来るのね?」
「苗字さんがそれでよければ」
「大丈夫。じゃあそのつもりでいるね」
そう言って会話を畳むと、どちらからともなく電話を切った。通話の終了した携帯を眺め、私はさてどうしたものかと思案する。
二十四日、クリスマスイブに赤葦くんを我が家に迎えるにあたって、私がすべきこと──
「とりあえず、ちょっと早いけど今週中に部屋の大掃除をしちゃおう……」
怠惰な冬休みを象徴するように散らかった部屋の真ん中で、私はひっそりと決意した。
★
クリスマスイブの日は、朝から粉雪が舞う寒い日だった。夕方から大雪になる予報で、すでに関西方面は翌日の列車運行休みを決定しているらしい。
クリスマスイブに雪だなんてしゃれていると思うけれど、とはいえ何事にも程度というものがあるだろう。都内でそこまでのドカ雪になるとは思えないけれど、上空を覆う雲は厚く重い。赤葦くんが来るのは昼食を食べた後の予定だったので、その今にも落ちてきそうな空を窓から見ながら、私は家中の掃除をした。
何故私が家中の掃除を一手に担っているかといえば、両親が朝から不在だからである。両親には赤葦くんが来ることは言っておらず、仕方がないので私の方でお客を呼べる程度の掃除をしているのだった。まあ、自堕落極める冬休み中の私と違って母は普段からそこそこに片付けをしているので、そう時間がかかることもない。それに予定では赤葦くんを招くのはリビングと、もしかしたら自分の部屋に入るかもしれないという程度だ。何も家の内覧をするわけでもないのだから、そこまで念入りに掃除をする必要もなかろう。
昼食を終え、一服したところで赤葦くんを駅に迎えにいくことにした。我が家の辺りは最近いろいろと再開発の工事をしているので、携帯のナビを使ってもたどり着けないことがままある。
家を一歩出ると、ちらちらと舞う雪に目を奪われる。思った以上にしっかりと振っていたので、傘をさして駅まで行くことにした。
赤葦くんが我が家に来ることを、私は親しい友人にも話していない。もちろん、赤葦くんお家に遊びに行ったことも、誰にも話していない。赤葦くんが誰かに話したかどうかは知らないけれど、そのことでさらに注目を集めたりはしていないようだから、仮に話したとしても、口が堅い相手に話したのだろうと思う。
最初こそやたらめったら注目されていた私と赤葦くんの友人関係も、冬休み直前の頃にはだいぶ注目が落ち着いていた。そもそも三年生は受験に忙しく、二年生の私たちも二学期の期末試験だったり冬休みの準備だったりとそれなりに忙しい。
結局のところ、人のことばかり気にしている暇なんて、みんなないんだろう。私としては有難いことである。
それでも、さすがにお互いの家を行き来する関係となれば、私と赤葦くんの友人関係が再び注目を集めないとも限らない。我が家の近所に梟谷の生徒が住んでいるという話は聞かないけれど、注意するに越したことはないはずだ。
まだ積もっていない雪を踏みながら駅まで歩く。途中、赤葦くんから
” 着いたよ ” とメッセージが入った。
約束の時間まではまだ数分あるけれど、その辺は赤葦くんだから私をこの寒い中待たせることがないようにという配慮なのだろう。つくづく恐れ入る。
ようやく駅に到着すると、約束の改札前に赤葦くんはぽつんと一人立っていた。
チェスターコートにハイネックという何ともシックな格好をさらりと着こなす赤葦くんに、一瞬怯み近づくのを躊躇する。けれどその傍らに大きなエナメルバッグが置かれているのを確認し、少しだけ安心した。よかった、いつもの赤葦くんだ。
「赤葦くん」
声を掛けながら近づくと、赤葦くんは足元に落としていた視線を上げこちらを見た。半屋内の駅構内とはいえ、冷たい外気に晒された鼻が少しだけ赤くなっている。
「ごめんね、待った?」
「いや、そんなに。苗字さんこそわざわざ迎えに来てくれて寒かったでしょ」
「いや、そんなに」
赤葦くんの口ぶりを真似するように言うと、赤葦くんは少しだけ目を細めて笑った。
赤葦くんとふたり、動線をなぞるようにして来た道を引き返す。雪は少しだけ強まり、ふわふわとした欠片が絶え間なく空から落ちてくる。
「今年初雪だね」
「そうだね。木兎さんがはしゃいでた」
木兎さんというのは赤葦くんのチームのエースの名前だ。私はバレー部事情に精通しているわけではないけれど、それでもそんな私ですら名前を知っている。学校の有名人だ。
「雪ではしゃぐって、木兎先輩ってまるで犬か子供みたいだね……なんて言ったらさすがに失礼か。先輩なんだし」
「いや、それがあながち的外れでも失礼でもないんだけどね……」
そう呟く赤葦くんの声からはそこはかとない疲労感が滲み出ている。セッターとして日々木兎先輩の女房役・ブレーキの役割を任されているとは聞いたことがあるけれど、あの赤葦くんをしてここまで疲労させるとは空恐ろしいばかりである。
「それにしても寒いねえ。雲が多いせいか、実際の気温より寒く感じる」
傘を身体に預けて揉み手をしながら言うと、赤葦くんは一瞬間を空けて、それから「いや」と歯切れ悪く言った。
「そりゃそんな風に足を出してたら寒くなると思うよ」
赤葦くんの視線が私の足に向けられる。
今日の私の格好はオーバーサイズのスウェットにス膝よりやや短い丈のスカート。一般的な女子高生の格好だろう。
「でもブーツ履いてるし、タイツ穿いてるし」
「それでも俺からしてみれば信じられないほどの軽装備だよ」
「まあ男子の感覚からすればそうかもしれないけど……」
「制服の女子を見てると、そんなに足を冷やして大丈夫なの? って時々不安になる」
「おばあちゃん?」
「いいものを見せてもらったっていうラッキー感より、心配の方が先に立っちゃうんだよね」
「男子高校生としてそれは不幸なんじゃない?」
「そもそも俺、あんまり遠慮のない露出には食指が動かないから」
「待って、その話今私にする必要あった?」
赤葦くんの性的嗜好なんて私にとっては限りなくどうでもいいし、できることなら一生知らないままでいたい。赤葦くんも赤葦くんで、私に対してそっち方面で気を許すのはやめてほしい。
「いい機会だから言っておくけど、私基本的には下ネタエロネタNGで通してるから、赤葦くんもその辺はよろしくお願い頼むよ」
「え、そうなんだ」
「うん」
正直に言えば今決めたキャラ設定でしかないけれど、その手の話題が得意でないことは事実である。男兄弟も、赤葦くん以外の親しい男友達もいない。周りにも奔放な友人は少ないので、その手のことは最低限の知識だけはあっても特に興味もないし、楽しい話題だとも思わない。
「一応これでも清純派だから、そういうのはちょっと事務所的にダメなんだよね」
「そうなんだ。よかったよ、うっかりブログのコメントにきわどい下ネタを送っちゃう前にそれを知れて」
「まずきわどい下ネタを同級生の女子のブログにコメントしないでくれる?」
しかも私のブログのメインコンテンツは盆栽の成長記録である。不似合にもほどがある。
NG登録待ったなし。
「大丈夫だよ、冗談だから」
と、赤葦くんが飄々と言ってのける。しかし残念ながら、赤葦くんの表情からはいまいち本気か冗談かの判別をつけることはできなかった。
「赤葦くんの顔ってそういう冗談とかを見抜きにくいんだよねえ……」
「そうかな?」
「うん、絶対そうだよ」
赤葦くんは私のことをちょろいやつのように言うけれど、しかし問題はけして私だけにあるわけではない。赤葦くんはそもそも分かりにくいのだ。騙されやすい私と、騙すことに長けた赤葦くん。分がどちらにあるのかなんて、わざわざ考えるまでもない。
「俺の周り、もっと食えない人がいっぱいいるから、正直俺なんてまだまだだよ」
「赤葦くんの周り、どれだけ魑魅魍魎が跋扈してるの?」
バレー部界隈、鬼しかいないのかよ。
一体バレーボールってどんな地獄のスポーツなんだ。
──そんな話をしているうちに、私と赤葦くんはようやく我が家まで帰り着いた。