どうせ飼えぬ鳥

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 時計にちらりと目を遣って、オズは意味もなく椅子から立ち上がった。ナマエが訪ねてくるはずの時刻から、すでに十五分ほどが過ぎている。
 オズにとっては十五分など、瞬きほどの短い時間に過ぎない。しかしナマエは日頃から時間に厳しく、仕事での来訪だろうとそうでなかろうと、これまで一度たりともオズとの約束に遅刻してきたことはなかった。十五分もの遅刻など有り得ない。
 立ち上がる用件もこれといってなかったが、だからといって一度立ち上がってしまった手前、ふたたび意味もなく椅子に腰掛け直すというのも、随分と間が抜けているように思える。誰もいない部屋の中、誰に恰好つけるわけでもなく、オズは立ち上がった勢いで部屋の中をうろうろと歩き回った。むろん、その行為に意味などない。
 それでも足を動かしていると、自然と思考は流れ始める。考えることといえばこの後会う約束をしているナマエのことで、果たしてナマエはどんな贈り物を持ってくるのか、オズが贈った腕輪は身に着けてくるのだろうかと、考えなくてもいいことばかりがぐるぐると頭の中を巡り始める。
 先日中庭で言った通り、オズはナマエからの見返りを求めて腕輪を贈ったわけではなかった。しかしただ贈り物をしたかっただけなのかと問われると、けしてそれだけとも言い切れない。
 あの腕輪は北の国のオズの城に、長年保管という名目で放置されていたものだった。かつてオズへの貢物として、然る都の指導者が差し出したものだ。ナマエが想像したとおり、オズが受け取る以前には宝物庫におさめられていたこともある。すでにその都は亡び、指導者は斃れた。何世紀も前のことだ。
 そんな曰くつきの品を見つけ出してきたのは、先日オズの城に招かれた賢者の魔法使いたちのうち、城内を探索していたリケとクロエだった。探検の折、何処からともなく見つけてきた腕輪を、リケとクロエは顔を輝かせてオズに差し出した。高価そうなものなのだから、紛失したオズはさぞ困っているに違いないと思ってのことだろう。
 実際には、オズはその腕輪に対し特段思い入れを持っているわけではなかった。そのまま放置するなり、リケやクロエに譲るなりしてもよかったくらいだ。
 しかしふと思い立ち、オズはナマエにその腕輪を贈ることにした。金に翡翠の華やかながらも厳かな腕輪は、普段アクセサリーを身につけないナマエにもよく似合うだろう。オズは腕輪に守護の魔法を施して、それをナマエに贈ったのだった。
 ──もっとも、あの娘が腕輪に掛けられた魔法に気が付いているとは思わないが。
 魔法のことにはとんと疎いナマエを思い、オズはひとり嘆息する。腕輪にかけた守護の魔法は、幼いころのアーサーが何処に行くにも手放さなかった人形に掛けていたのと同じ、危険から持ち主の身を守る魔法だ。
 ナマエには魔法を掛けていることは伝えていない。言えばきっと「私が個人的にオズ様の魔法の恩恵に浴するなど」とまた言い出すに違いないからだ。その遣り取りをするのが億劫で、オズは敢えてナマエに何も言わずにただの贈り物ということにした。今のところ、誰にもその話はしていないし、今後するつもりもない。
 そんなことを取り留めもなく考えながら、オズはふらりと窓辺に寄った。窓の外は抜けるような青空。長年北の国で暮らしてきたオズには雪も冬の寒さもさしたる苦にはならないが、それでも晴れていた方が子供たちが喜ぶし、ナマエも馬車で乗り付けやすいだろうと思う。雪が積もっていたり道が凍っていては、道中どんな危険に遭わないとも限らない。
 と、そのとき。オズが何気なく視線を窓の外に向けると、ちょうど魔法舎を囲む垣根の前で、途方に暮れたようにうろうろとしているひとりの男の姿が目に入った。オズにも見覚えがある男だ。
 ──あれはたしか、あの娘の家の御者だったか。
 以前オズは一度だけ、ナマエの家の馬車に乗ったことがある。そのとき御者にも挨拶をしたので、顔だけは覚えていた。伝説の魔法使いであるオズに挨拶をされ、飛び上がらんばかりに驚いたのち、いたく恐縮していた姿が印象的だった。
 うろうろとしているのは恐らく、結界のせいで魔法舎の出入口を見つけられないからだろう。原則的に魔法舎では突然の訪問客を歓迎しない。依頼や用件があれば、都度王城に取り次ぎを頼むことになっている。おそらくオズ以外に彼の存在に気付いているものはおらず、このままでは彼は見つかることのない出入口を永遠に探す羽目になりかねない。
「…………」
 むっつりと眉間に皺を寄せ、オズは逡巡した。オズには別に、御者を助けてやる義理はない。ナマエとはたしかに親しくしているが、だからといってその周囲の人間にまで親切にしてやるほど、オズは社交的で友好的な性格をしてはいなかった。が、しかし。
 ──いや、義理ならあるのか。
 先日ナマエの家の馬車に乗せてもらったことを思い出し、オズはまた眉を曇らせた。義理がまったくないというわけでもないが、だからといって気に掛けてやるほどの義理があるわけでもない。助けてやろうと思わせるだけの何かがあるわけではなく、さりとて無視するほど無関係でもない。
 それでも結局、
「≪ヴォクスノク≫」
 一言呪文を唱えると、オズは目の前にできた空間の扉をくぐった。ナマエの家の御者ということは、ナマエに関係する何らかの用があるのだろう。それならばオズにも、まったく無関係とも言い切れなかった。
 魔法で出現させた空間の扉をくぐった先は魔法舎の外、くだんの御者の目の前だった。わざわざ階段を下り外に出るのが面倒で、魔法を使って経路をショートカットした。これほど贅沢な魔法の使い方をするものは、きっと世界最強の魔法使いをおいて他にはいまい。
「うわぁっ!?」
 いきなり目の前にオズが現れたので、御者は悲鳴を上げて飛び上がった。可哀相に、長く外にいたせいで鼻の頭は真っ赤になっていたが、驚いた拍子に顔全体が真っ赤に染まった。
「お、オズ様!?」
「このような場所でお前ひとりが何をしている」
 いちいち悲鳴ごときに構うこともなく、オズは淡々と問いかける。用件があるというならナマエ絡み。もしかするとナマエが何かの事情で来られなくなったので、それを伝えに寄越されたのかもしれない。
 しかしオズの予想は、珍しく大きく外れた。
「馬車にお嬢様のお忘れ物がありましたので、お届けに参りました」
 そう言って御者が差し出したのは、ナマエが大切にいている万年筆だった。アーサーより賜ったものとして、常日頃ナマエが大切にしているものだ。
 陽光を受けてこまやかな装飾が輝く万年筆を眺め下し、オズは何とも言えない気分になる。
 ──大切なものと言ったわりに、たびたび紛失しているではないか。
 一見しっかりして見えて、ナマエは結構粗忽ものなところがある。しかもナマエ本人にはその自覚が乏しいので、見ているオズの方が焦ることもしばしばだった。
 オズは万年筆に手を伸ばす──と、そこで気付いた。
 馬車に万年筆を忘れたということは、ナマエはすでに馬車を降りたということだ。今日のナマエの目的地は魔法舎。すなわちオズのもとに向かっていたに違いない──しかし。
「……あの娘はまだ来ていないが」
 低く、声を抑えてオズが言う。御者の顔色が変わった。
「それは真でございますか? オズ様。おかしいですね、お嬢様がお降りになられてから三十分ほどは経っております。いくら少し離れた場所で降りられたからといっても、とっくにお着きになっていてもおかしくないのですが……」
 いつもならばナマエは魔法舎の前まで馬車を乗りつけ、帰りもやはり同じく魔法舎の前まで馬車を呼ぶ。しかしナマエの性格を考えれば、馬車を降りて散歩をするというのも取り立てておかしな行動というわけではなさそうだった。まして、今日はこの後オズとの約束が控えている。何か意図があって馬車を降りて御者を撒き、自ら行方を晦ませたとは考えにくい。
 オズと同じことを、おそらくは御者も考えたのだろう。見合わせた御者の顔は強張って、先程まで真っ赤だった顔色は今にもぶるぶる震えだしそうに蒼くなっていた。
 こういうとき、悪い予感というのは大抵当たる。知らず唸るような声音になって、オズは御者に問うた。
「……娘を降ろしたというのはどこだ」
「そこの通りの先でございます。お約束の時間にはまだ早いとのことで、気分転換に歩いて行かれると」
 御者の指さす先は、魔法舎のほとんど目の前といってもいいような距離にある通りの先だった。ただし魔法舎の近くだけあって人の気配は乏しく、今も気温以上に寒々しい空気が流れている。瓦礫こそ落ちていないが、道の両側はがらんとした空き地になっており、地面に突き立てられた売り地の看板が朽ちて歪んでいた。
 嫌な予感がオズの胸を過ぎる。真っ蒼になっている御者をオズは憮然とした表情で見下ろし、そして言った。
「娘のことは私が魔法で探し連れ帰ろう。お前は屋敷に戻れ」
「し、しかし」
「魔法使いのことなど信用できないか」
 御者が言葉に詰まり口をつぐんだ。オズとて、御者がそういうつもりでオズに反論しようとしたわけではないことくらい理解している。しかしここで押し問答をしていても仕方がない。手っ取り早く話を切り上げナマエを探すには、こうして無理に口を塞いでしまう方がずっと楽だった。
 オズの瞳がまっすぐ御者に視線を注いでいる。並の人間ならば窒息してしまいそうな沈黙。重苦しい空気が、束の間その場を支配した。
 しかし御者は、オズの威圧に怯みはしなかった。それはひとつに彼の持つ主家への忠誠心があったため、そして何よりオズの瞳にナマエを心配する色がはっきりと滲んでいたためだ。
 ややあって、御者はオズに向けて深く頷いた。
「それではお嬢様の捜索はオズ様にお任せいたします。ただし、お嬢様が見つかりましたら一度屋敷にご連絡ください。万が一ということも考えられますので。私はこれより屋敷に戻り、旦那様に事の次第を報告いたします」
「ではそのように」
 急ぎ来た道を取って返す馬車を見送ってから、オズは手の中の万年筆を眺め下した。かつてオズは幾度も、城から出たアーサーを探しに森に入ったことがある。アーサーは魔法使いの子供だったから、探すのにあまり苦労した記憶はない。精霊はアーサーの行先を知っているし、何よりアーサーの魔力の残滓を追いかければ、そう遠くない場所で必ず見つけることができた。
 しかしナマエは魔法を使えない。ただの人間であるナマエを探すのに、アーサーのときと同じ手段は使えない。
 ──探す手立てがないわけではないが……。
 オズはしっかりとした足取りで、御者から聞いた場所まで歩いて行く。元居た場所から見たとおり、そこにはナマエはもちろん人影ひとつありはしなかった。古ぼけた蓆のようなものがひとつ、忘れ去られたように捨て置かれ、風に吹かれて道のわきの木の幹に張り付いていた。
 その蓆に近寄り、オズは呪文を唱える。かすかな手ごたえを感じ、無意識に眉間に皺が寄った。
 わずかだが、蓆には魔力の残滓が残っていた。微量にしか残っていないのは、意図的にそこから己の痕跡を消すためか。だとすれば逆説的に、その魔力残滓が残っていることから、魔力の持ち主が魔法を使ってからまだそれほど時間が経っていない事が分かる。
 痕跡を消さなければならないのは、何か疚しいことがあるからだ。つまりこの魔力の持ち主こそ、ナマエを魔法で攫った犯人である可能性が高い。
 魔力の持ち主に覚えはない。知らぬ気配だ。しかしそれなりに強力な魔法使いではあるのだろう。北の国の魔法使いか。そうでなければナマエを伴い、この短時間でその場を消すなどできはしない。
 オズはおもむろに頭上を仰ぎ、空の色をたしかめた。太陽はまだ沈んでいない。が、日没までそう時間はなさそうだった。もしもナマエが攫われたのが北の国なら尚のことまずい。北の国では陽が落ちるのも早い。場合によっては、今日中の救助は間に合わない。
 そこまで思考を進めてから、オズは一息吐くように目を瞑った。そして、
「いるのだろう、出てこい」
 投げやりな口調で誰にともなく声を掛ける。すると、
「分かってたならもっと早く声を掛けてくれたらいいのに」
 道のわきの木の陰から、ひらりと白衣の裾を翻しながらフィガロが現れる。そのままオズの前へと進み出ると、フィガロはいつもよりもいくらか冷ややかな瞳で笑った。
「お前が助けてほしいなら、兄弟子のよしみで助けてやらないこともないよ」
 捕らえどころのないフィガロに、オズは眉間の皺をさらに濃くした。どこまで本心か分からない台詞は、どこまで頼りにできるものかの判断が難しい。とはいえ、出てきたからには手を貸すつもりがあるのだろう。そうでなければフィガロ自ら、こうして姿を現すこともない。
「あの娘が消えた」
 端的な説明。それに対する返事もまた、
「知ってる」
 最低限の言葉だけで構成されている。
「攫われたっぽいんだろ? 誰が攫ったか目星はついてるのか」
「何者かは分からない。が、居場所の特定はそう難しくないだろう」
「まあ、お前にできないことの方が少ないんだろうけど」
「私はあの娘を連れ戻しに行く。お前は──」
「アーサー?」
 にこやかに投げかけられた名前に、オズは一瞬思案し視線を泳がせた。しかしすぐ、きっぱりとした口調で否を告げる。
「……いや、アーサーには伝えなくてもよい。カインにだけ伝えろ。今日は魔法舎にいるはずだ」
 本来はアーサーに話をするのが筋だろうという気もしたが、あえてオズはアーサーではなくカインを指名した。一国の王子にいきなり話を通して事態が大きくなるのはまだ避けたいし、アーサーにも話すべきだというのならばカインが判断し報告するだろう。人間社会の理屈や道理については、オズよりもカインの方がよほど精通している。
「カインだな。分かった。ああ、それと一応、スノウ様とホワイト様にも話すよ? 北の魔法使いが絡んでいるというのなら、彼らに話は通すべきだ」
「お前に任せる」
「相変わらず面倒なことは全部俺に投げるんだな」
 フィガロが呆れて苦笑する。受け答えする口調から、オズの関心がすでに次の段階に移っていることを、フィガロは鋭く察していた。
「それで、実際にはどうやって探すんだ? 何かあの子の持ち物でも持ってる?」
「持ち物はないが、あの娘には守護と祝福の魔法を掛けた腕輪を持たせている。肌身離さず持っているのなら、行き先を追うことはできる」
 もっとも、ナマエが腕輪を身に着けているとは限らない。一種の賭けのようなものだろう。しかし、身に着けていればそれを利用しない手はない。というよりこの方法以外の探し方ではあまりに時間がかかりすぎる。
「あの娘の性格を考えれば、つけているだろうとは思うが」
 半ば自らに言い聞かせるように呟いたオズの声に、フィガロが大きな溜息を吐いた。
「というか、いつの間にそんな重いプレゼントを渡してるんだよ」
「金でできてはいるが魔道具だ。見た目ほどの重さはない」
「そういう意味じゃないって」
 今度は先ほどよりもっと露骨に、フィガロが溜息を吐いて見せた。オズが訝し気にフィガロを見る。が、説明を求めているような猶予はなく、オズはすぐに視線をフィガロから外した。
 そっぽを向かれたフィガロは眉を下げる。そして、
「無理はするなよ、オズ。日没に間に合わないと判断したら、さっさと見切りをつけるんだ。どうせ飼えない鳥なんだから」
「間に合わせる」
「あっ、そう」
 一分の不安も滲ませない断固とした声を残し、オズは木の幹に張り付いた蓆をはぎとり、その場から姿を消した。カインへの言付けを頼まれたフィガロは回れ右をして、
「釘を刺す相手を間違えてたかなぁ」
 そうぼやきながら、魔法舎に向けて歩き始めた。

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