社交辞令として聞くべきこと

 ナマエが選んだ店は広場から少し離れた路地裏にある、小ぢんまりとしたレストランだった。広場の近くでは催しの参加者がなだれ込んでくるかもしれないし、店が広すぎては気分が落ち着かない。それにナマエはオズの私室で、部屋の主とじっくり話す時間が好きだった。狭く静かな店の雰囲気は、何処となくオズの部屋と似ている気がした。
 適当に注文を済ませると、運ばれてきたワインで乾杯した。ナマエも一杯くらいならば飲めぬこともない。折角のオズとの食事なのだから、乾杯のひとつもしたい。
 昼間にサイダーを買ったきりだったから、自分で思っていた以上に喉が渇いていたらしい。ナマエはすぐにワインを飲み干しかけ、慌てて水を注文した。その慌ただしい様子を、オズが無言で見つめている。
 人心地ついたところで、料理が運ばれてくるまでの間、ナマエはオズにいろいろと質問を投げかけることにした。散歩中は自分の話ばかりしていたので、遅まきながらオズの話を聞こうという目論見だ。
「オズ様はご自分のお部屋で過ごされることが多いと伺っておりますが、こうして外で食事をされることもあるのですか」
 ナマエの問いに、オズがすうと目を細めた。
「……カインが」
「カインが?」
「良い店を見つけたといっては、私やリケを連れ出そうとする。何処でそういう話を仕入れてくるものか、それも頻繁に」
 おそらくオズの頭の中では今、実際にオズに声を掛けるときのカインの笑顔が思い出されているのだろう。ナマエにも容易に想像がつく。
「ふふ、カインはそういう人ですね。人の輪を大切にするというか、それも親睦を深めようということなのでしょうか」
「そうなのだろう」
「ですが中央の国の魔法使いたちで出掛けるとなると、アーサー様が拗ねそうですね」
「アーサーは世を忍び」
 物々しくオズが答えた。要するに、変装をしていくということだ。
「……臣下としては聞き捨てならないところですが、聞かなかったことにしておきます」
 ナマエは額に手を遣り溜息をついた。アーサーが城の中で誰より熱心に執務に取り組んでいることはナマエもよく知っている。たまの息抜きぐらいは目こぼしすべきだろう。そうでなくても、アーサーに口うるさく言って聞かせる役ならばナマエ以外にも何人もいる。
「ええと……ああ、そういえば魔法舎ではネロさんが炊事一切を任されているとか」
 気を取り直し、ナマエは会話を再開した。ナマエの先輩書記官であるクックロビンの奥方、カナリアも魔法舎の奥向きには携わっているが、キッチンの最高責任者はネロだと聞いている。ガーデンパーティーの日、ナマエがカナリア本人から聞いた話だ。
「先日のパーティーのときに私もネロさんの料理をいただきましたが、あれほど美味しい食事はなかなか街でも食べられるものではありません。日々ネロさんの手料理を召し上がっているのであれば、わざわざ外に食事に出る必要もございませんね」
「ネロの料理は食べる者のことをよく考えられている」
「オズ様も以前はお料理をなさったのですよね。アーサー様からそう聞いております」
「……必要に駆られやむを得ずだ。ネロの作るような料理とは、」
「パンケーキがお得意なのだとか」
「アーサー……」
 オズが低く発し、轟沈した。その様をナマエは面白いものを見るように眺めている。アーサーからオズのパンケーキの話を聞いたのは随分昔のことだったが、当時のナマエはその話を半信半疑に聞いていた。世界最強の魔法使いが、まさか子供のためにパンケーキを焼くとは思えなかったからだ。
 しかし今ならば分かる。オズはきっと魔法を使うこともなく、アーサーのために真剣にパンケーキを焼いたのだろう。その光景を想像するだけで、ナマエの心は陽だまりの中にいるような暖かさを覚える。
 家族というものがこれほど似合わない人もいまいと思っていたはずなのに。気付けばナマエは、オズの中に情を見出そうとしている。そういうものがあるのかもしれない、あればいいのにと、そんなことを無意識のうちに考えている。
「このようなことをお尋ねするのは不躾かもしれませんが、オズ様は御伴侶を持たれたことは一度もおありにならないなのですか?」
 脈絡があるようでないナマエの不躾な質問に、オズが露骨に訝し気な顔をした。質問自体に気を悪くしているのか、その質問の真意をはかりかねたがゆえの表情なのか。ナマエは慌てて言葉を継ぐ。
「ああ、いえ。ふとした疑問です。手料理というところから家庭を連想しました」
「ない」
 端的に、オズははっきりそう告げた。取り付く島もないというよりは、それ以上の言葉が不要なだけだろう。
「そうでしたか。長く生きていらっしゃいますから、一度くらいはあるのかもしれないと思ったのですが」
「興味も必要もない」
「なるほど。しなければならないものでもありませんものね」
 ちょうどそのときテーブルに料理が運ばれてきて、ひと度会話は途切れた。そもそも家族の話など個人的な事柄は、こういう場所で持ち出す話題としては不適切かもしれない。そう思い、ナマエは次なる話題を探し始める。オズに聞きたい話題ならばそれこそ山ほどあるのだから、もっと軽い話題から振っていく方が食事時にはちょうどいいだろう。
 と、ナマエが料理を取り分けながら話題選びをしていると。
「……お前は」
 おもむろにオズが切り出した。
「え?」
「お前は伴侶を求めているのか。アーサー以外に」
「……オズ様、ご興味がないのでしたら無理に聞かなくてもよろしいのですよ?」
 苦笑しながら言うナマエに、オズがむっと眉間に皺を寄せた。そのばつが悪そうな顔に、一層ナマエは苦笑を濃くする。
「失礼ながら、お顔に書いてございますよ」
「顔に?」
「『まったく興味はないが、社交辞令として聞くべきだろう』と、はっきり」
 今度こそオズは気まずげに視線をそらし、取り分けたサラダをもくもくと口に運んだ。
 とはいえ社交辞令の会話をナマエ相手に繰り出しただけ、多少はオズからの歩み寄りを感じると言えなくもない。少なくともオズは、親しくない相手に対して口数が多くなる性格ではない。無言を貫かれるよりはまだしも親し気──ナマエはそう前向きに解釈した。
 ──それとも、本当に本心から、少しは私に興味を持ってくれているのだろうか。
 もしもそうであるならば、これ以上に嬉しいことはない。サラダをごくんと飲み込んで、
「私も興味はないのですけれど……でも、いつかはしなくてはならないものなのでしょうね」
 あっさりとナマエは答えた。オズが視線をナマエに戻す。その視線に含むところがあるのを感じ取り、ナマエは笑ってしまいそうになる。自分で問いかけたというわりに、オズはナマエからの返事があることに戸惑っているように見えた。
「おひとりで生きられるオズ様と違い、私は伯爵家の娘ですから。興味がなくても必要があるということはございますよ」
「必要なのか?」
「家のためには、ということです」
 それはもしかすると、極北の城で孤独に生きたオズの思考には馴染まない考え方なのかもしれない。ナマエはそうも考える。とはいえ人間の社会ではそうした婚姻はごく当たり前にあることだ。伯爵家の娘として生まれた以上、ナマエも未来永劫かたくなに抗い続けるつもりはなかった。
 いずれは何処かに嫁に行く。育った環境のおかげで書物に触れ、家の援助で遊学までしたのだ。家に恩を返す覚悟は決めていた。ただ、それは今すぐにではないというだけだ。
 ナマエはピザの皿に手を伸ばす。貴族の娘らしからぬ食べ方だが、それを咎める者は此処にはいない。オズはナマエをアーサーの臣下としてしか扱わない。要するに、カインに接するのと大差ない態度ということだ。そのことが、ナマエにとっては心地よい。
「とはいえ、そうは言っても私も今年で二十歳になりましたし、そのうえ恐れ多くもアーサー様に目をかけていただく臣のひとりです。このまま府中で出世させた方が家のために得なのではとか、そういう打算で私を放っておいてくれる親類もおりますし、そういう者が少しでも増えてくれると助かるなと思っているところです。それもこれも、すべてアーサー様のおかげです」
 ナマエとて嫁ぐこと自体が嫌なわけではない。だからといって率先して嫁に行きたいわけでもない。だから働くことが他所に嫁に行く以上に家のためになるのなら、わざわざ嫁がずともよいのではないかとナマエは思う。周囲もそう思ってくれるのなら、それに越したことはない。
 オズは黙ってナマエの言葉に耳を傾けている。ナマエばかりが話をしてはいるものの、オズとてどうでもよさそうに聞き流しているわけではなさそうだった。
 オズの周りにナマエのような立場の女性はいない。二千年以上の長きにわたる半生を思えば、近しい境遇の人間もいたのかもしれないが、生憎とオズはつい数年前までは興味を持って他者の身の上話に耳を傾けたことなどなかった。
 ナマエの身の上話を、オズはじっと傾聴している。大きな身体が全身で、ナマエの話を聞いているようだった。そのことがナマエには途方もなく嬉しかった。
「私、時々思うことがあるのですよ。もしもアーサー様の話し相手として城に上がることもなければ、私は今頃どこぞに嫁いで若奥様でもしていたのではないかなと。もちろんそれはそれで幸福な人生だったかもしれないですし、それなりに楽しく暮らしていたのかもしれないなとは思うのですが──だけど、きっと今ほど幸福ではなかった」
 オズがちゃんと聞いてくれていることを、ナマエは知っている。だからこそ、これまで誰にも──アーサーにすら話したことがなかった漠然とした思いを、漠然としたままでも口にすることができた。オズならばきっとただ聞いてくれるだけだろうと、そう信じられた。
「私は今のこの場所と、この自分のあり方が気に入っているのです。もしも若奥様になっていたなら、オズ様とこうしてふたりで食事をすることも、きっとなかったことでしょう。だから、アーサー様にはもっともっと感謝しないとなりません」
 ナマエの信じたその通り、オズは必要以上の言葉を語らない。そうしてナマエの言葉を聞き届けたのち、言った。
「どの道を、どの場所を選ぼうと、お前の何かが損なわれるわけではないだろう」
 そしてすぐ、「スープが冷めるぞ」と取ってつけたように付け足した。

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