適材適所

 書店に入ってしばらく、ナマエが本棚の前でじっと立ち尽くして本の背表紙と睨めっこをしていると、待ちくたびれたのか暇なのか、オズも遅れて書店の中に入ってきた。ナマエの手にはすでに求めていた本がある。しかしはじめて入った書店の品揃えが面白く、ついついオズのことを忘れて本探しに熱中していたのだった。
「お待たせしてしまい申し訳ございませんでした」
 ナマエが頭を下げた。世界最強の魔法使いを店前に立たせていたなどとアーサーに知られた日には、小言のひとつでは済まないかもしれない。夏も終わり掛けとはいえ、屋外はまだまだ残暑が厳しい。もっとも入店してきたオズは魔法でも使っているのか、ナマエと違って汗一つかいてはいなかった。
 結局ナマエとオズが書店を出たのは、オズが手にしていたふたつのカップの中身がすっかり温まった頃だった。
「そういえば、店の中では飲み物のカップは見えませんでしたが、どうされていたのですか?」
 店を出るなりナマエがそう尋ねると、
「目に見えないよう魔法を掛けていた。そのまま持ち込むわけにはいかないだろう」
 と険しい表情で答える。店内は飲食物持ち込み禁止だが、だからといって店の前にカップをそのまま放置しておくのは迷惑行為だ。オズにとっても苦肉の策だったに違いない。ナマエはまた申し訳なさから眉を下げ「重ね重ね申し訳ありませんでした」と謝った。
 店を出て、ふたり並んでぶらぶら街中を歩く。これといって特に目的地もなかったが、オズとのそぞろ歩きはナマエにとっても意外なことに、まったく退屈などではなかった。それどころか、寡黙なオズから少しずつ言葉を得られるたび、ナマエの胸はわくわくと躍る。
 ──少しはオズ様とも、親しくなれていると思ってもいいのかな。
 期待と不安がないまぜになった感情は、どちらかといえば期待の方が強く出ている。
 カインほどではないにしても、ナマエも根っから中央の国の人間だ。自分がそれなりに強引な性格であること、何かにつけ大らかというか大雑把というか、ともかくざっくりとした性格をしている自覚がある。中央の国の人間同士で親しくなるにはそれで十分なのだろうが、相手はオズなのでそう簡単に親しくなれるとは思っていなかった。
 そもそも、国が違えば友人になる方法だって多少は異なるものだろう。かつて東の国に遊学していた際、ナマエはそのことを嫌というほど痛感した。だから中央の国らしい人付き合いが、場合によっては裏目に出ることがあるのだと知っている。
 ナマエには北の国の出身の知り合いはいない。いわんや魔法使いをや、だ。オズは本来北の国の魔法使いなのだから、中央の国のやり方はおそらく肌に合わない。したがってオズとの距離の詰め方は、どうにも暗中模索な感じが続いている。
 地面に視線を遣る。日よけ傘のつくる影が、書店に入る前よりも長く濃くなっていた。運河の水面のきらめきは、わずかに黄色みを帯びている。ナマエの髪よりも長いオズの長髪が、風に靡いてさらさらと揺れた。
 その髪の美しさにナマエが見惚れていると、
「この間はいつもと違う服を着ていたな」
 ふいにオズが呟いた。独り言だろうかとも思ったが、そもそもオズが独り言を言う方が珍しいと思い直す。であれば、今の言葉はナマエに向けられたものだ。
「この間──ああ、ガーデンパーティーのときのことでしょうか」
 オズが無言で肯いた。たしかにあの日のナマエは多少よそ行きの恰好をしていたし、薄くだが化粧もしていた。というより、いつもオズと顔を合わせるときの制服姿が令嬢らしくなさすぎるだけだ。
「さすがに公務ではありませんから、制服でパーティーに伺うような無粋な真似はいたしません。夜会用のドレスというわけでもありませんでしたが、身内の集まりのようでしたからあれでよいかと思って」
「夜会」
 オズが繰り返す。何に引っかかったものかと、ナマエは内心で苦笑した。
「これでも一応貴族階級に生まれておりますから、夜会に参加することもございます。アーサー様も時々はお顔をお出しになりますよ。もっとも、殿下も私と同じであまりそういう社交の場がお好きではないようですけれど。ああ、私と同じだなどと申してはアーサー様に失礼になりますね」
 特に賢者の魔法使いに選ばれてからのアーサーは、社交の場にほとんど顔を出していない。貴族を相手に腹の探り合いをするくらいならば、魔法舎で親しい者たちと話をしていた方がずっと有意義で楽しいのだろう。それでも執務が滞ることはないのだから、文句を言える者など一人もいない。
 のんびりと歩き続けながら、ナマエは視線を遠く先に投げかけた。夜会、アーサー──そこから連想される話題を、ナマエは一瞬口にするべきか悩み躊躇う。しかし結局、話すことにした。
「今だからこその笑い話ですが、それこそ昔は私がアーサー様の結婚相手になるのではないかとか、いろいろと噂をされたものです。今ももしかしたら、まったくそういう話がないわけではないのかもしれません。さすがに私の耳に入ってくることはありませんが」
「結婚を? おまえがアーサーと……?」
 オズが真面目に問い返してくる。することになっているのか、と半ば疑うような視線までついてきて、ナマエは目元を弛ませた。
「まさか、オズ様までそのようなことをおっしゃらないでください。大体たとえ私が望もうと、アーサー様がそのようなことお望みにはなりません」
「アーサーが望めば結婚するのか」
「いえいえ、私も望んでいるわけでは……。ああ、でもあまりこういうことを申すと、不敬だと叱られてしまいそうですけれど。ただ、言わせていただけばアーサー様は弟のような友人のような──そのようなお方ですから、恋愛の対象かと言われると失礼ながらそうではないというか。とはいえ私も一応は伯爵令嬢ということになりますし、そうした噂が立つのも仕方がないことではあります。ふふ」
「笑うところなのか……?」
「笑って受け流していなくては仕方がないではないですか。身が保ちません」
 あっけらかんと言い切って、ナマエは言葉の通りに笑い飛ばした。
 ナマエの笑顔に無理はない。アーサーと出会ってから四年も経つ。その手の話題にはすでに慣れ切っていた。それこそ、こうして笑い話として会話の俎上に載せられる程度には。
 ふと見上げれば、オズがもの言いたげな表情を浮かべてナマエのことを見下ろしていた。もの言いたげなのは果たしてナマエに対してなのか、それともナマエとアーサーを取り巻く人々の口さがなさについてなのか。アーサーの保護者として、オズが今の自分の話をどう聞き受け止めたのか、ナマエはそれを聞いてみたいような気もした。
 しかし、それは今聞くべきではないのだろう。すぐにそう、ナマエは思い直す。どのみちナマエがアーサーと娶せられる未来はないはずだ。ナマエがアーサーを異性として見ていないのと同じく、アーサーもナマエを結婚相手の候補とは見ていない。
 さらに言えばアーサーは、為政者としてはやや潔癖なきらいがある。たとえ大臣や腹心たちが何と言おうとも、政治的な視座での判断でナマエを妃にすることを、アーサーはけして良しとはしないだろう。それはナマエが己の才覚で築いてきたものを、ともすれば一瞬で打ち砕く背信行為にほかならないからだ。
 ナマエが城に上がった理由も契機も、すべては突き詰めるまでもなくアーサーにより与えられたものだ。しかしナマエがこれまでに築いてきたものは、アーサーからの温情によるものではない。他人から見れば下っ端の文官に過ぎなくても、ナマエがアーサーからの信頼を勝ち得たこと、アーサーから直々の命を受けたことはナマエの官人としての評価と結果だ。
 ナマエにとってのそれは、妃の座の価値にも勝る。
「先日も少しお話いたしましたけれど、私がアーサー様からいただいたものは臣下の立場のみです。そしてそれだけで、私は十分なのです。この上、未来の王女の座まで狙おうだなんて、さすがに荷が勝ちすぎております」
 だからたとえあげると言われたところで、ナマエは王女の座を受け取りたくなどないのだった。もとより自分にそれだけの器がないことも知っている。自分のすべきこと、したいことが何なのかを、ナマエはすでに承知している。妃という場所にいては、その役を果たすことはできない。
 ふと視線を運河に遣れば、水面のきらめきが眩しく目に飛び込んできた。ナマエはすぐに視線を逸らし、隣を歩くオズの顔を見上げた。
 オズの浮かべる表情は茫漠として、彼が何を考えているのかをそこから推し量ることはできない。それでも何となく、ナマエはオズが、自分に対し見守るようないたわるような、そんな気持ちを向けていてくれるような気がした。勘違いかもしれないが、それでもいいと思った。
「まあ、何といいますか──適材適所という言葉もありますからね。私がもっとも自分の能力を発揮できるのは、きっと今の立場なのでしょう」
 語りすぎてしまったことへの照れ隠しにそう言って笑えば、オズはいつもの通りに「そうか」と返しただけだった。その代わり映えのなさに、ナマエはほっと安堵する。
 安堵ついでに、
「もっとも、アーサー様がどのような奥方を迎えられるのか、ドキドキはしますが。未来の国母となられるかもしれぬお方ですもの。一国民として興味がございます」
 そんな言葉を付け足して、この話題を大雑把に締めくくった。

 話をしているうち、広場に到着していた。広場では楽団が演奏を続けている。先程聞こえていた楽器の音とは違う編成の楽団だから、出番を交代したのだろう。生憎と席は埋まっていたので、オズとナマエはふたり広場の後方でぼんやりと演奏に耳を傾ける。
 ナマエが見上げると、オズは無表情ながらも何処か満足げに楽団の演奏を注視していた。耳だけでなく、目でも音楽を聞いているようにも見える。そういえば魔法使いは音楽が好むのだっけ、と先日のガーデンパーティーで魔法使いの誰かから聞いた話を思い出した。
 一曲演奏が終わったタイミングで、ナマエは拍手をしながらオズに尋ねた。
「オズ様はこの後何かご予定がおありですか?」
「何故そのようなことを聞く?」
「よろしければお食事など一緒に如何かと。もちろん無理にとは申しませんが」
 夕食にはまだ少し早かったが、楽団の演奏が終われば此処にいる聴衆たちが近くのレストランや酒場になだれ込むだろう。店が混み始める前に何処かに席を確保したかった。
 ナマエの提案に、オズはむすりと表情を険しくする。気分を害しているわけではなく、単に提案の意味も意図も分からないだけなのだろうと、これはナマエにも想像がついた。
 案の定、オズはぶすりとして視線を逸らすと、
「お前のような若者が私と食事などしても面白くはないだろう」
 と如何にも付き合いの悪そうなことを言う。
「そのようなことはございません。オズ様のお話を伺うのはとてもスリリングです」
「すり……」
「とはいえ私ばかり話をしておりますから、聞いているオズ様がお疲れになってしまうかもしれませんが」
 というかそもそも、面白くないと思っている相手とはこうして散歩もいたしませんよ、と。ナマエがそこまで言ってようやく、オズが不承不承に肯いた。その仕草に思わずナマエは目を見開く。誘ったのはナマエなのだが、それでもナマエは八割がた、いや九割がた断られるだろうと思っていた。
「え、よ、よいのですか……?」
「嫌なら無理に食事など摂る必要はないが」
 とオズがまたもやぶすりと言う。ナマエは慌てて笑顔をつくると、早速レストランに向け歩き出した。オズはやはり今度ももの言いたげに眉根を寄せてはいたが、それでも素直にナマエの後ろをついてきた。店選びはナマエに一任するつもりなのか、特に何を言うこともない。
 よくよく考えれば広場までやってきた道すがらも、ナマエはオズからこれといって何処へ行くのかなど聞かれなかった。街歩きに関して、オズは流れに身を任せる癖がついているのかもしれない。中央の国の魔法使いの面子を思えばそれも納得だ、とナマエはひとりふくふくと笑う。

prev - index - next
- ナノ -