魔法使いという種族

 ナマエの父や伯父たち、年の離れた兄たちは、全員が文官として現国王に忠誠を誓っている。ミョウジ家はグランヴェル王朝建国以来、重用され続けてきた由緒正しき家柄だ。しかし、だからといって権力に阿り甘い汁を啜るような一族ではない。官吏登用の試験には一切の不正なく成績上位者として合格することが当然で、そうでなければ仕官はけして叶わない。
 そのような環境に生まれたものの、とはいえ元来文官は男の仕事である。ナマエが生まれたときには何処に出しても恥ずかしくない一流の令嬢を育てるべく、一族総出でナマエの淑女教育に乗り出した──ナマエはそう聞いているし、うっすらとだがその頃の記憶もある。当時はたっぷりのフリルやレースがついたドレスを着せられ、いたるところにリボンを飾り、蝶よ花よと育てられた。
 しかし生家には山のような蔵書と記録物があり、長じるにつれそれらは自然とナマエの目に触れるようになった。血は争えないとはこのことだ。みるみるうちにナマエは書物にのめりこみ、気付けば己も文官として仕官することを望むようになっていた。おまけにナマエはすこぶる勉学の出来がよかったものだから、ここでミョウジ家当主であるナマエの父はナマエの教育方針を改めた。
 嫁入り前の娘をひとり東の国に遊学させ、帰国後は文官として仕官できるよう試験を受けさせた。果たしてここに、名門貴族出身でありながら男性と肩を並べて働く若き女性文官が誕生した。

 オズへの聞き取り調査を終えてナマエが談話室を出ると、通路の前方から見知った男が歩いてくるのが目に入った。向こうはナマエに気付いていないらしい。そういえば、相手の姿が見えないような厄介な体質になったのだっけ──少し前に本人から聞いた言葉を思い出し、ナマエは男の名を呼んだ。
「カイン!」
「その声、ナマエだな」
 ナマエの呼びかけに、カインがきょろきょろと周囲を見回す。ナマエが駆け寄ると、気配を察したカインが胸の高さで手のひらを見せた。その手のひらにナマエがハイタッチすると、ようやくナマエとカインの視線が合った。
「魔法舎で会うとは珍しいな。アーサー様に何か用だったのか?」
「いえ、今日はオズ様にお話を伺いに来ていたのよ」
 ナマエのいらえに、カインがああ、と手を打った。
「なるほど、例の伝記か。そういえばアーサー様が嬉しそうに教えてくれたっけ」
「そう。アーサー様がね」
 溜息まじりの返答で、カインは大体の事情を察したらしい。気軽にナマエの肩をたたくと、ナマエが一層深い溜息をついた。
 午後の魔法舎は、微睡みの中に沈むように静かだ。玄関ホールに向かうナマエを見送りがてら、カインはナマエの隣を歩き出した。カインが一歩足を踏み出すたび、腰に佩いた剣が揺れて小さく音を立てる。それが魔道具であることはナマエも知っているが、常時携帯するには重くて大変そうだな、といつも通りにナマエは思う。
 本来、市井の出身であり元騎士団長であるカインと、高級貴族で代々文官の家の出であるナマエに接点はない。カインはデスクワークを好まなかったし、城内での派閥作りにも興味がなかった。暇があれば兵舎で仲間と過ごしているか、訓練場で剣術を磨いている。普通にしていればナマエとは知り合うこともないはずだった。
 カインとナマエが知り合ったのは、数年前、アーサーがふたりを引き合わせたためだ。以来、カインとナマエは互いに下の名で気安く呼び合う間柄として、アーサーの忠臣同士親交を深めていた。
「それで、オズはどうだった?」
 面白がるように問うカインの声に、ナマエは眉間に皺を寄せた。
「どうって、どういう意味で?」
「話は合いそうだったか」
「どうでしょう。必要最小限の会話しかしていないから、私には判断しかねる」
「はは、まあたしかに取っつきやすいタイプではないが」
「取っつきやすいとかそういう次元の話ではなくない? オズ様がいらっしゃると空気が薄くなるような気がする」
「緊張のせいだな」
 それはその通りなのだろう。ナマエはむすりと黙り込んだ。
 アーサーからの命でナマエが動いているのだということは、オズも事前に説明を受けているはずだ。そうでなければ下っ端文官のナマエのために、世界最強の魔法使いがわざわざ時間を作るなどあり得ない。アーサーの名前があるからこそ、ナマエはオズと顔を合わせることができている。
 だからといって、オズが伝記の編纂に好意的であるわけではない。むしろ渋々アーサーの望みを聞き入れているだけなのだということは、対峙しているナマエにもひしひしと伝わる。もしもナマエが粗相のひとつでもしたならば、オズに何をされるか分かったものではなかった。
 ナマエの取りまとめた草稿を読むオズの表情は終始一貫して険しい。おかげでナマエはオズと向き合っている間、絶えず緊張し通しでいなければならなかった。これほど精神を摩耗する仕事もそうそうない。
 しかし同じ賢者の魔法使いとしてオズと肩を並べるカインには、どうやらナマエの心労はいまひとつ伝わっていないようだった。
「ナマエは今日は馬車でここまで?」
 魔法舎の扉をカインがぐいと力強く開く。礼をとり、ナマエが扉をくぐった。
「そうよ。ああ、そういえば帰りも馬車を呼ばなくちゃいけなかったのに、すっかり忘れていた」
「それじゃあ俺が箒で送っていこう」
 カインが呪文を唱えると、どこからともなく箒があらわれる。
「ナマエ、箒に乗ったことは?」
「あるにはあるけれど……」
 言い淀み、ナマエは眉を下げた。何年か前、一度だけナマエはアーサーの箒に乗せてもらったことがある。もっともその時は城の敷地は出なかったので、町中を飛行したことはない。それでもその時の爽やかさな気分を覚えているから、箒で送ってもらうことはやぶさかではなかった。カインの箒ならば余程危険な飛行ということもないだろう。
「でも、見たところカインは今戻ってきたんでしょう。気を遣わなくても大丈夫だよ」
「まあそう言うなよ。戻ってきたといっても、どのみち夜まですることもないんだ。久し振りに話でもしよう。それに箒なら城はすぐだ」
 カインのからりとした提案は、押しは強いが押しつけがましくはなかった。逡巡ののち、ナマエはその提案を受けることにした。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。ありがとう、カイン」
「そういえば行先は城でよかったか? 実家もたしか城の近くだったよな、どっちがいい?」
「今日はお城。まだもう少し仕事が残ってるんだ」
「新米文官も大変だな」
「私の要領が悪いだけだよ」
 精神的には疲労しているが、体力はまだ残っている。ナマエは少しでも早くオズの伝記の編纂を進めたかった。そうでなければナマエはいつまでも、魔法舎に通ってはオズと顔を合わせ続けなければならない。
 友であり主君でもあるアーサーの頼みとはいえ、楽しい仕事とは言い難い。溜息をつきたくなるのをどうにか堪えて、ナマエはカインの箒に跨った。
 ナマエがしっかりと跨ったのを確認すると、箒はすぐに宙へと舞い上がる。足が地面を離れたかと思えば、すぐに魔法舎の屋根が眼下に見えるまでに高度を上げた。
 カインの肩をしっかり掴み、ナマエは箒から落ちぬようにバランスをとる。カインの飛行はいたって安全で、暫くすると眼下の景色を眺められる程度に余裕を感じられるようになった。
 空気のかたまりを切り裂くように、箒は上空を滑り進む。空はまだ明るく、雲は少なくまばらだった。日差しを遮るものが何もないため、風が頬を冷やす間もなくかっかと頬が熱くなる。
 カインの団服の固い生地を手のひらに感じながら、ナマエは風の音に掻き消されぬよ大声を張り上げた。
「ねえ、カイン」
「なんだ?」
「カインはどう? もう魔法舎での生活には慣れた?」
 それは長らく、ナマエがカインに尋ねたい問いかけだった。
 もともとカインとは親しくしているが、だからといって二人で会うような仲ではない。あくまでも今のように顔を合わせれば話をする程度だ。だからカインの近況について、ナマエはアーサーから時折聞いて知る程度だった。
 魔法舎にはカインの仇敵オーエンもいる。カイン本人がいたってあっけらかんとしているから忘れがちだが、ナマエは騎士団長だったカインが大怪我を負ったときには、友人として随分と気をもんだ。以来、オーエンなる魔法使いには警戒心を抱いている。
 カインは魔法舎でオーエンとどのように接しているのだろう。そう思いはするものの、直接オーエンとの関係について尋ねるのはどうにも憚られた。それで、魔法舎での生活はどうか、という質問をするに留まった。魔法舎ではアーサーも寝起きしているため、友であり家臣でもあるナマエが気にかけることは何らおかしなことはない。
「ああ、毎日楽しくやってる。賢者様も賢者の魔法使いも、みんないいやつばかりだ」
「ふうん。賢者様のことはよく知らないけれど、賢者の魔法使いってオズ様や北の魔法使いたちもいるでしょう。それをみんないいやつっていうのは、何というかさすがカインって感じだね」
「北の魔法使いって、ミスラとかだろ? 話せば案外話が通じて楽しいぞ」
「だからそれがカインっぽいって言ってる」
 カインの物言いに苦笑しつつ、ナマエは内心ほっとした。この手の話でカインは嘘をつかない。ミスラと言葉が通じていると思うのなら事実そうなのだろう。カインは気のいい青年なので、たいていの場合誰とでも親しくなる。
 しかしながら、北の魔法使いともそう簡単に親しくできるものなのだろうか。カインの話に相槌を打ちながら、ナマエはふとそんなことを考えた。
 ナマエはアーサーとカイン以外の魔法使いと、ほとんどまともに話をしたことがない。王城に魔法使いはアーサーしかおらず、またミョウジ家に魔法使いが生まれたことはなかった。
 アーサーとカインのことしか知らないから、ナマエは魔法使いを殊更嫌いはしない。それでもカインから聞いたオーエンの話には生理的な不快を覚えたし、何度か対面したオズのことは純粋に恐ろしく思えた。オズは今でこそ中央の国の魔法使いだが、本来は北の国の魔法使いだ。ナマエの知っている北の国の魔法使いは、二人中二人とも恐ろしいということになる。
 雲がゆるやかに上空を流れていく。見るともなくその景色を眺め、ナマエはオズとの対面のことを思い出していた。
 アーサーが全幅の信頼を寄せている以上、オズはけして悪い人物ではないのだろうとはナマエも理解している。実際に対面してみるまでは半信半疑だったのだが、少なくとも物語に記されているような恐ろし気な怪物などではないことは分かった。言葉も通じるし、赤く静かな瞳には常に理知的な色が宿っている。
 しかし、オズが身じろぎをすればどうしたって体がすくむ。表情は強張り、去ればどっと汗が噴き出してくる。ナマエの心は、自分が感じたオズへの恐怖を信じるべきか、忠誠を誓う主の言葉を信じるべきかで大いに揺れていた。今のところはまだ、自分の感覚を信じる気持ちの方が強くもある。
 そんなナマエの葛藤を敏感に察してか、「なあ」とカインが箒に跨ったままナマエを振り返った。箒の飛行は安定し、カインが振り向いたくらいではまったく揺らがない。それでもナマエは一瞬ひやりとして、短い悲鳴とともに表情をひきつらせた。
 カインは構わず話を続ける。
「ナマエはアーサー様と親しいし、俺とも普通に話をするよな。魔法使いのことが嫌いというわけではないんだろ」
「ま、まあ、そうねえ」
 カインの肩に置いた手に力を込め、ナマエは上ずった声で返事をした。
「個人を相手にしているならともかく、魔法使いっていう種族をひとくくりに好きとか嫌いとか、そういうのはよく分からないというのが本当のところだけど」
「それもたしかにそうだ」
 機嫌よさそうに笑い声を立て、カインがゆるやかに高度を落とした。いつのまにかグランヴェル城の清らかな蒼い屋根が近づきつつあった。
 どうやら無事、箒から振り落とされることなく城に到着できそうだ。ほっと息をつきながら、ナマエはカインの問いの意味を考えた。
 要するに、オズが魔法使いだから嫌いなわけではないのだろう──カインが言いたいのは恐らくそういう旨のことなのだ。それはもちろん、カインの言うとおりである。しかし魔法使いとひと口にいったって、カインやアーサーとオズでは規格が違い過ぎる。生きた伝説を前にして、何の力も持たない自分が委縮するのは当然のことだろうとナマエは思う。
 それに。
「オズ様のことを誤解されたくないという、アーサー様のお気持ちはよく分かるのよ。私だってアーサー様が魔法使いだというだけで、アーサー様のことを正当に評価しない人たちのことが嫌いだもの。自分にとって大恩ある方が不当に悪く云い伝えられているのなら、それをどうにかしたいと思うのは自然なことだよね」
 そう言って、ナマエは視界の先の屋根に視線を送った。
 アーサーが王子である以上、公に私情を持ち込みすぎることはできない。しかし私情を持つなということはできない。だからこそ、ナマエがアーサーの代わりに動いている。アーサーが願っているから。
「だけど、オズ様はご自分が人々に間違った印象を持たれていることについて、どうも思っていないように見える。オズ様本人が誤解を解きたいだとか分かってほしいだとか、そういうことを思っていなさそうなのに、私が『正しい』伝記を編みなおすことに意味はあるのかな」
 果たしてそれに、どれほどの意味があるのだろうと──ナマエは、思わずにはいられない。文官の端くれとして、正しい記録を残すことに意義を見出すことはできても、何かが心の端に引っかかり続けている。ナマエと向かい合っているときのオズの冷淡な瞳を思い出すにつけ、自分の仕事が正しいものかを考えることをやめられない。
 アーサーの悲願と、自分の仕事の意義と、オズの心の在り処。折り合いをつけていくことは存外難しい。
 ナマエが深く溜息をつく。するとカインは、
「なんだ、心配していたよりもずっと、ナマエはオズとうまくやれそうなんだな」
 いとも容易くそう言って、ナマエににやりと笑いかけた。笑いかけられたナマエの方は、意味が分からず怪訝そうに首を傾げる。
「どうして今の話でそう思えるの?」
「だって、ナマエがオズのことを世界を滅ぼしかけた怪物だと思っていたら、そんなことは思わないんじゃないか?」
 そうだろう、とカインが問いかけた。
「ナマエが伝記を編むという仕事を受けたのは、それがアーサー様からのご命令だからだろ? そこにオズがどう思うか、どう思っているかなんてことは最初は関係なかったはずだ」
 それなのに今、ナマエはオズの心情に思いを馳せている。言葉の通じない化け物相手ならば、きっとそんなことはせずにただアーサーからの命令を遂行しようとするだろう。斟酌しようとするというのなら、それはつまりナマエが、自分の想像の及ぶ範囲にオズがいるものだと信じているからだった。
 暫し、ナマエは沈黙する。やがてカインの意見をみとめ、ゆるりと深く頷いた。
「たしかに、言われてみればそれもそうね」
「大丈夫、きっとナマエとオズはうまくやっていけるさ。そうして少しずつ進んでいれば、さっきの疑問の答えもおのずと見つかる」
「そういうもの?」
「そういうものじゃないか? 多分」
 はっきりとどっちつかずな返事をして、カインはふわりと城門前に着地した。足を地面につけたナマエが、箒から「よっ」と下りる。と、平衡感覚を失いよろめいたところを、カインが慌てて腕をとった。そのままナマエを立たせる。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
「いや、俺もいい気分転換になった」
 そうしてカインは再びふわりと宙に舞い上がった。この後また魔法舎に戻るのだろう。すでに騎士の位にないカインは、アーサーの招きがなければ城内を自由に歩くことは許されない。
 とはいえ、兵舎で剣術指南を求められることもままあり、何だかんだとカインがグランヴェル城を訪ねる機会は多い。ナマエが魔法舎に足を向けることが増えれば、今までよりも顔を合わせる機会も増すだろう。
 瞬く間に上空へと舞い上がるカインに手を振り、ナマエは少しだけ暮れ始めた空を眺める。空が赤々と燃えるオズの瞳の色になるまでは、まだもう暫く時がかかりそうだった。

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