うずくふたつ目の心臓

 翌日は女中頭の言った通り、大層な人数の使者たちが、同じく大層な量の荷物とともに城を訪れた。どのような関係の客なのかまでは名前には詳しく知らされていないものの、女中の間を流れていた数多の噂を総合してみると、どうやら新しく協定を結ぶ予定の城からの大使一行であるらしい。協定を結ぶのに先だっての、親睦会のようなものだというのがもっぱらの噂であった。
 ──どうりで仰仰しい準備で出迎えているはずだわ。
 話を伝え聞いた名前はひっそりと納得した。
 温厚な城主は、普段であればこうして城内の者をてんてこまいにさせるような無茶な接待はあまりしない。外聞を重視するこの時代の武士には珍しく、この城主は自分の懐に迎え入れた人間をもっとも大切にし、自身の対面や外聞や二の次にするような変わり者だった。
 ゆえに此度の事態は、元からここに勤めていた者たちにとっても不慣れな仕事でしかないのだった。猫の手ならぬ名前の手まで借りたいと女中頭が泣きつくのも、このあたりに理由がある。
 その女中頭はといえば、朝も早くからてきぱきと女中たちに指示を出しながら、冬だというのに顔を真っ赤にして走り回っていた。同じくてんやわんやになっている家臣の武士たちに負けず劣らず、方々の調整と指示だしに明け暮れている。このように女の立場が強いのも、この城ならではのことだった。
 普段の仕事には慣れていても、こうした大規模な客あしらいには不慣れな名前は、人手が足らず疎かになっている普段通りの片付けやらを任されている。名前が仕事をする厨に寄るたび、女中頭はああでもないこうでもないと、小言とも文句ともつかないことを口にして言った。
「なんでも城主がえらく南蛮にかぶれてるとかで、珍しい品やなんかがどんどん運ばれてるらしいよ。うちみたいな大した戦上手でもない、人がいいだけでここまでやってきたような殿にまでゴマすって、まったく偉いお武士さんってのは大したもんだよ」
「へえ、そうなんですね」
 いまいち心のこもっていない相槌を返し、名前は手を動かしたまま思考をぐるぐると内に向けていく。名前の返事などはなから期待していない女中頭は、来た時と同じように慌ただしく厨を出ていった。残されたのは名前と数名の女中だけで、皆いずれも一心不乱に自分に割り振られた仕事に取り組んでいる。
 そんな中、黙々と手を動かす名前の思考は、今しがたもたらされた客人の嗜好から徐々に連想がつながり、いつしかどんどんと脳内で広がりつつある。
 南蛮好きと聞いて忍術学園の生徒の頭に真っ先に思い浮かぶのは、やはりかのタソガレドキ城主・黄昏甚兵衛だろう。一度見たら二度と忘れないような特徴的な顔だから、思いだそうとするまでもなく、考えただけでもすぐに頭に浮かんでくる。
 タソガレドキ軍と忍術学園との関係は依然危うい均衡の上にあるものの、今のところはおおむねうまくいっている。またタソガレドキと忍たまとは少なからず交流があるから、何か怪しげな動きがあれば即座に名前の実習を中止し忍術学園に帰還するよう連絡が来るだろう。
 だから南蛮好きという共通項はあるものの、今回の大使一行とタソガレドキ城は関係ないものらしい──などと不穏な可能性を考えてしまうのは、昨晩久々知から聞かされた「きな臭い」という漠然とした情報ゆえだった。曖昧な情報ほど不安を煽るものもない。
 ともあれ、タソガレドキが無関係であるというのなら、南蛮文化に傾倒し、服装から何から素っ頓狂な趣味のお殿様が、現状きわめて近い地域の中に少なくともふたり以上並び立っているということである。
 ──流行ってるのかな、南蛮文化。
 目新しいものが好きな武士は存外多い。忍術学園はこの時代においては先進的な教育機関であり、またそこに籍を置く名前もどちらかといえば新しいもの好きの自覚がある。だから南蛮文化にかぶれる者の気持ちも、まったく分からないでもなかった。南蛮のやけに飾りの多い衣装だって、名前にはとても着る気にはなれないが、着るものが着れば様になるに違いない。
 ──利吉さんなんてお顔が良くてすらりとしていらっしゃるから、ああいう異邦の着物を着てみても、きっとさらっと着こなしてしまうんだろうな。
 ふと利吉のことを思い出し、それと同時に名前はふっつりと思考の糸が切れたのを感じた。
 利吉のことを思ったのを皮切りに思考が途切れ、そのまま整然としない感情ばかりが頭の中を侵略する。その感情が明るいものならまだいいが、今名前の頭の中を侵略せんとしているのは、何とも薄暗くてじめじめとした、岩の裏に生えた苔のような感情だった。窓から差し込む日の光すら、名前の心を明るくするのにはまだ明るさが足らない。
 こうして忍びとしての実習をしていると、時折名前は利吉のことを考えるということを忘れる。当然ながら利吉本人のことを忘れるのではない。利吉のことを考える、という行為の実施を忘れるのだ。これまでは暇さえあればしていたことを、別の誰かになっているときの名前は、まったくすぽりと、その行為など不要であると言わんばかりに忘れてしまう。
 もちろん利吉のことを考えないからといって、利吉に対する好意が永劫に亘って失われてしまうわけではない。あまつさえ他の誰かに心を奪われることなどありもしないのだが、それでも普段ならば癖のように無意識で利吉のことを考えていたはずの時間に、ほかのこと──実習のことだけに留まらず、その日の食事のことなど取るに足らないことを徒然と考えている自分がいることに気付く時、名前はそんな自分を恐ろしく感じてしまう。
 もう長年、自分の中でずっと大切にしてきた利吉の姿が、自分自身によって軽軽に取り扱われているような気がして、そのことが、何よりも恐ろしい。
 ──こうやってくノ一の仕事をこなして、わたしではない誰かになって。そんなことを続けていたら、いつの日か一日の終わりに床に入って瞼を閉じても、利吉さんの肌の温度を思い出さなくなってしまんじゃないだろうか。
 そんな自分を想像しただけで、名前の背筋い怖気が走った。日中だというのに、まるで真夜中のような寒気を感じる。
 利吉だけが仕事に没頭して名前を忘れるのならば、まだいい。自分が覚えていさえするのなら、たとえ利吉が一時名前のことを忘れていたって、そんなことは名前には問題ではない。そんなことにはもう、名前はとっくに慣れっこだ。
 けれどもし、自分が利吉のことを忘れたら。そして同じ時、利吉も名前を気に留めていないのだとしたら。
 それはきっと、良くないことであるような、けして取り返しがつかなくなるような、そんな気がした。
 名前が女中頭からの実習延長を頼まれたときに悩んだのは、ただ手伝いがしたくなかったわけではない。名前は、これ以上「みつ」でいるのが怖かった。一刻も早く、ただ利吉を好きでいられる「名前」に戻りたいと思っていた。だから、悩んだ。くノたまとして、「みつ」として、利吉のいない此処に在らねばならないことをこそ苦に思った。
 ──だけど、わたしには松からの言葉もある。
 利吉のことを考える時間が減った分だけ考える時間が増えた「松からの言葉」のことを思い、名前はひとり、暗澹たる面持ちで溜息をつく。
 松からの、そして松と同じように忍術学園を去っていった、かつてくノたまだった娘たちからの気持ち。それが今、思いがけない形で名前を縛ろうとしている。悩み弱った名前の心に誰かの気持ちを重ねることで、それをさらに揺さぶろうとしている。
 漠然とした誰かの気持ちだけならば、きっと名前は背負わない。名前は厄介な頼み事を引き受けやすいたちではあるものの、だからといって闇雲に何でもかんでも背負い込むことはしない。母や姉からの期待を投げ捨てて家を出たように、必要とあらば誰かの期待や願いを切り捨てることだってできる。
 けれど利吉と同じだけはっきりと、あるいは利吉以上にそのあたたかさを知る、他ならぬ松からの頼みを託されてしまった。それを無下にできるほど、名前は過去と未来を切り分けることができない。松の涙を知っているから、その涙を見て見ぬふりはできない。
 ──結局また、堂々巡りだ。
 昨日も、そのまた昨日も同じ事を考えては、堂々巡りで何一つ解決はしなかった。どれだけ考えてみたところで、名前は一度もこの問題に、答えらしい答えを見つけることができた試しがない。
 さりとて投げ出すことができる問題でもないことも分かっていた。名前は深深と溜息をつき、それから現実から逃避するように、そろそろ運ばれてくるだろう洗い物のことと、この後の片付けの段取りに思考を切り替えた。

 ◆

 接待の席は恙なく終了したらしい。
 「らしい」というのは、名前は直接はその席の支度や片付けには参加していないからである。ただ、大使の一行が夕暮れを待たずに早々に城を出ていったのだけはしかと見届けた。来た時よりはかなり荷物の量を減らした一行は、城主の度重なる宿泊の誘いを頑として断ると、藹々とした様子で城を去った。名前からしてみれば、何だか狐か狸にでも化かされたような気分である。
 しかし、これにてようやく名前の実習も本当に終了となった。その日の晩には城を抜け出す手はずを整え、改めて女中頭にも挨拶をした。厨で残って片付けをしていた女中頭から、労いの言葉と、ほんの僅かばかりの心付けを受け取る。どうやら名前g実習を延長して城内の仕事を手伝ったことを知った城主から、名前に渡すようにと受け取っていたものらしい。つくづく気前のいい城主であった。
 と、名前が挨拶を済ませて踵を返そうとしたところで、女中頭が名前を呼び止めた。
「そうだ、みつ。さっき弥次郎があんたを探していたよ」
「弥次郎さんが、ですか」
 名前は首を傾げる。偽物の前掛けを手渡して以来、弥次郎とは一度も顔を合わせておらず、また何か呼び出されるようなことをした覚えもなかった。かりに前掛けが偽物だとばれれば話は別だが、その場合には今頃もっと分かりやすく怒り心頭で怒鳴りこんできているに違いない。
 となれば、もっと個人的な用向きと考えるのが妥当である。
 ──個人的な用向きというか、まあ、艶めいた話な気がするけれども……。
 何となく気が重くなるのを感じ、名前は胸中で溜息をついた。
 課題をこなすにあたり、名前は悪いと思いながらも、弥次郎には中途半端に粉を掛けている。弥次郎が明確な好意を持っているかまでは疑わしいが、それでも名前のことを多少は憎からず思っていそうなことは会話の端々から感じ取ることができた。正直に言えば、利吉という決めた相手がいる以上は、これ以上は関わり合いになりたくないというのが名前の本心である。
 そんな名前の心情を見抜いたのか、女中頭が眉を下げて笑った。
「ただ授業で来てるだけのあんたには面倒なことかもしれないけど、ちょっとでも申し訳ないと思ってんなら、最後に一度会いに行っておやり。関わり合いを持った以上、最後まで付き合ってやるのも優しさだよ」
 竹谷のようなことを言い出す女中頭に、名前はふっと笑いそうになる。たしかに、それもそうだ。関わったら最後まで──それが「みつ」に良くしてくれた弥次郎へのせめてもの報いでもある。
 ──そういえば前に、倒れた利吉さんに対してわたしも同じ事を言ったっけ。
 意味合いこそ違えど、関わった以上は最後まで面倒を見るとかつての自分が宣言したことを名前は思い出す。利吉に対して偉そうに宣言したことを、弥次郎に対してはなかったことにするというのは、やはり筋が通らない。
 逡巡の末、名前は頷いた。
「分かりました。会いに行ってきます。そして、その足で城を出ます」
「うんうん。もし落第して女忍者になれなかったらまたうちにおいで。殿もあんたなら喜んで雇うだろうからさ」
「縁起悪いことをおっしゃらないでくださいよう」
 冗談を交わし合って、名前はようやく厨を出ると夜闇の中へと滑り出した。

 飛び出してきてから、弥次郎がいそうな場所を女中頭に聞くのを忘れたことに気が付いた名前だったが、幸いにして夜闇の中をあちこち走り回る羽目にはならなかった。厨を出てすぐの水飲み場の前で、弥次郎がぼんやりと立っているところに出くわしたのだ。
「弥次郎さん」
 驚かせないように少し離れた場所から声をかけると、弥次郎ははっと弾かれたように顔を上げ、嬉しそうに名前を見る。
「みつ!」
「弥次郎さんがわたしのことを探しておいでだって聞いたものですから」
 てろてろと近寄ると、弥次郎もまた、大股で名前へと近づいた。暗がりの中とあって顔の色までは窺えないが、何となく面はゆげな様子で弥次郎は頬をかく。大きく太い指が頬の上をちょこまかと動くのを、名前は見るともなく眺めた。
 ややあって、弥次郎は言った。
「実は渡したいものがあってな」
 そう言ってずいと一歩踏み出した弥次郎が名前に差し出したのは、小さく折りたたまれた油紙だった。質量はほとんどない。まるで油紙だけ手渡されたような軽さだ。
「開けてもよろしいでしょうか」
「うん、開けてくれ」
 弥次郎の言葉に従い、名前がそっと油紙を開く。中には、淡い茶色の干菓子のようなものが、たったひとつだけちんまりとおさまっていた。ところどころに砂糖の結晶がきらめいて、月の光にきらりと輝いて見える。
「これは……南蛮の菓子、ですか?」
「そうだ。今日の昼間、殿のもとへ客がいらしていただろう。あの者たちが、殿と周りのものだけでは食べきれないほど土産を持ち込んだのだ」
「ああ、そういえば……何かよく分からない荷を詰んだ荷車をたくさん共に連れておりましたね」
 ぼんやりと昼間見た風景を思い出しつつ名前は相槌を打つ。とても日帰りとは思えないような尋常ではないほどの大荷物は、てっきり何か曲芸の類でも披露するための道具なのかと思っていた。しかしまさか、下働きの者にまでおこぼれが振る舞われるほどの量の土産とは、いくら何でも想像もしなかった。
「うん。だから城の者みんなに、こうして振舞っている。日持ちしないものだから、日を跨ぐ前に食べ切ってくれと念を押されているそうだ。これはみつの分」
 それで名前もようやく、弥次郎が自分を探していた理由に合点がいった。大方、こっそり名前の分をくすねてきてくれたのだろう。しかし菓子は見るからに繊細だから、いくら冬の寒さの中に置いておくといえどいつまで保つか分からない。日を跨ぐ前に食べ切ってくれと言われているなら尚更だ。さっさと見つけてさっさと渡したいと思うのは、弥次郎の優しさゆえだった。
 名前の胸がじんわりとあたたかくなる。それと同時に、言いようのない罪悪感のようなものもまた、ふつふつと名前の胸の内に沸き上がった。
 名前は弥次郎を騙して実習を達成した。弥次郎には極力害のないように取り計らったものの、騙した、利用したのだという事実は変わらない。弥次郎が何も知らずに名前に笑いかけていたとしても、名前の心は名前の行いのすべてを知っている。
「いえ……でも、女中のほかの姉さんたちを差し置いて、わたしがいただくわけには」
「それなら大丈夫だ。ほかの者にもちゃんと分けてある。名前にはほら、前掛けを直してもらった礼が……あるから」
 菓子を返そうとした名前の手を、弥次郎がそっと拒む。ふと見ると、弥次郎の瞳には「もらってくれないのか」と切実そうな色が滲んでいた。
 ──ずるい。
 利吉ならば意図してそういう顔をすることもあるかもしれないが、弥次郎の場合は疑う余地なく、本心が顔に出てしまっているだけなのだろう。そして名前は、そういう顔をされるのにはめっぽう弱かった。特に弥次郎には、弥次郎の知らぬ間に世話になったという勝手な恩義もある。
「それじゃあ、いただきます」
 諦めて、名前は微笑み答えた。途端に弥次郎が、あからさまにほっとした表情をする。
 ──弥次郎さまのこの分かりやすさでは、忍術学園ではやっていかれないんだろうな。
 しかしその実直さが、名前はけして嫌いではない。武士としては気持ちのいい少年だとも思う。また名前自身が、どちらかといえば忍術学園全体の雰囲気にはなじみ切らないところもある。そういう意味でも、弥次郎のことを名前は好ましく思っていた。
 ──もしも、わたしが利吉さんのことを知らない「みつ」だったのなら、弥次郎さまのことを好きになっていたかもしれない。
 名前の胸中の憂いを吹き飛ばすように、弥次郎は昼間の太陽のように笑った。
「私も自分の分をまだ食べずにとっておいたんだ。折角だから一緒に食べよう」
「そうですね」
 胸の中に浮かんだ考えを拭い去るように、名前も笑って返した。

 ◆

 冬の夜空の下、名前と弥次郎は薪置き場へと移動すると、適当に腰を落ち着けた。水飲み場や厨の周りでは通りかかった誰かに冷やかされないとも限らない。別に疚しいところは何もないのだが、それでも無暗に人目につくのは避けたかった。今日でこの城を去る名前のことを、後日弥次郎が人から聞かれるのも申し訳ない。
 ──たった一度の実習でここまで心を動かしても仕方がないのに。
 利吉であれば、たとえ一か月近く女装をして潜入をしていても、仕事が終わればすぐに割り切って「山田利吉」に戻ることができる。くノ一として求められる素養がそういうものであることも、名前は分かっている。
 ──だけど、やっぱりわたしには利吉さんのようにはうまくやれない。
 弥次郎に対する思いは親愛の情であり、もちろん利吉に抱くような色恋の情とはまったく別物だ。それでも、きっとこの気持ちは──人のいい弥次郎を騙して利用したという罪悪感は、金輪際名前に付き纏うだろう。忘れるまでには、きっと相応の時間がかかる。
 ──やっぱりわたし、くノ一には向いていないんだろうか。
 ──利吉さんとのことを後回しにしてまで、わたしはくノ一になるべき人間なんだろうか。
 口の中に広がる甘味が、名前の苦くどっちつかずな心を一層際立たせる。
 いっそ利吉にすべてを委ねてしまえたら。こうしろとすべてを決めてもらえたら、どれほど楽だったかしれない。松の気持ちに報いないことも利吉のせいにしてしまえたら。そしたらどれだけ、名前は悩まずに済んだか。
 家を出て、親の庇護を離れて──その逃げた先でもまだ、名前は逃げようとしている。
 どん詰まりの思考に息苦しさを感じ、名前は思わずぎゅっと目を瞑った。と、隣の弥次郎が、
「みつはもしかして、好い人がいるのではないか」
 不意にそう問うた。
 そのあまりにも脈絡のない、しかし正しく名前の心を言い当てた事実に驚き、名前はうっかり「えっ!」と素の返事をする。すぐにはっとするも、すでに時遅し。弥次郎は眉を下げ、肩を揺らして笑っていた。
「はは、やっぱりな。そうではないかと思った」
 そうして顔を赤くして俯く名前に一言、
「みつは分かりやすすぎる」
 と苦笑した。
 果たして弥次郎が名前のことをどこまで見透かしていたのかは名前には分からない。前掛けのことに気が付いているかは分からないし、そもそも名前が「みつ」ではないことに気付いているのかも分からない。まさかそこまでバレているとは思わないが、しかし弥次郎に気がある素振りを見せておきながらほかに男がいることがバレているという時点で、名前の「バレていないと思う」の信用度はすでに地に落ちている。
 くノ一としての自分の実習成果にがっくりと肩を落とす名前は、はあと溜息をつき恥じ入った。さすがに気の毒になったのか、弥次郎が遠慮がちに名前の肩を叩く。その優しさは今はかえって傷口に塩を塗り込むようなものなのだが、残念ながら弥次郎にはそこまでの配慮できる情緒はない。
 しおしおと項垂れた名前は、やがてひとしきり萎れ切ると、
「実は、そうなのです」
 しょんぼりとそう、打ち明けた。
「その相手とは心通じ合っているのか」
「一応……はい」
「一応? 随分と弱腰だな」
 何とも頼りない名前の物言いに、弥次郎がずけずけと意見する。冬の夜の身を切る寒さのように、その言葉はずばりと名前の心に切りかかった。
「みつのことだから、まさか道ならぬ恋というわけじゃないんだろう」
「そういうわけではないのです。わたしとその人は、多分、周りからもおおむね祝福されていて……」
 名前が学生の身の上であることを差し引けば、今のところ環境や条件で名前と利吉の関係を阻むものはない。あくまで利吉からのまた聞きではあるが、利吉の父親である伝蔵だってふたりの交際を大枠では認めているし、名前の親家族などは手放しで大喜びしているくらいである。いっそ忍術学園などやめて、今すぐにでも嫁に行けくらいのことは腹の底で思っているに違いない。
 だから、弊害があるとするのなら。
 阻むものが、あるとするのなら。
 膝の上に置いた拳を、名前はぐっと握りしめた。手の中で菓子を包んでいた油紙がくしゃりと歪む。


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