瞼をやさしく透かす温度(3)

 外はすでに日暮れにかかり始めていた。のんびりしていると祭りが終わってしまう。未だ忍び装束のままの名前は、慌てて支度をしなければならなかった。
 一旦利吉を部屋の外に待たせ、大慌てで小袖に着替える。先日の帰省では名前も母親から新しい着物を持たされている。新しいといっても昔姉が来ていたものを直しただけなのだが、丁寧に手入れをされているので十分に着られるし、色褪せも少ない。
「外は暑いし人でごった返すだろうから、髪は上げて行った方が良いよ」
 障子の向こうから利吉が声を掛けた。忍術学園の中や故郷で畑に出るときなどはひとつ結びにしていることも多いが、ひとたび町中に出るとなれば髪は下すことの方が多い。名前は今日もそのつもりでいたから、それを見越しての利吉の今の言葉なのだろう。思わず名前はくすくすと笑う。そのかすかな笑い声を耳ざとく拾った利吉が、やはり障子の向こうから、
「どうかした?」
 と尋ねた。誰にも見られていないのをいいことに、名前は締まりのない顔のまま答える。
「いえ、利吉さんったらまるで女のひとのようなことをおっしゃるなあと思って。女装をする習慣があるからでしょうか、そういうところに気が付くのは」
「習慣と言うほどしばしば女装をしているわけではないんだけどね」
 そんな会話をしながら手早く着替えると、名前はようやく利吉を部屋の中に招き入れた。化粧もうっすらと施し、あとは利吉に言われたとおり髪を上げるだけである。手っ取り早く桂巻にしてしまおうか、と道具を探していると、
「髪、私が結わえてもいいかな。簡単にわげにする程度だけど」
 横から利吉が口を挟む。名前はぱちくりと瞬きして利吉を見た。
「利吉さん、できるんですか」
「そりゃあね」
 これもやはり女装の習慣が為せる業(わざ)ということだろうか。自分の髪を触るのと人の髪を触るのでは多少勝手も違うのだろうが、利吉がやれるというのだから、それなりにうまくやれる自信があるに違いない。幸いにして昨晩は風呂で髪も洗い流しており、名前の方でも利吉に髪を触られることに抵抗はなかった。申し出を受け、髪型は利吉に一任することにする。
「それじゃあお願いします」
「任せて。斉藤タカ丸くんほどの腕前ではないけれど、ほかならぬ名前のことだからね。可愛くしてあげるよ」
 そう言うと、正座をした名前の背後に立った利吉が、そっと名前の髪に手を伸ばした。何度か手櫛で髪を梳くと、やや力を強めて髪をまとめに入る。
 ──なんだか、友人や先生にしていただくのとは違う、変な感じ。
 女同士で髪を結い合うことはあれど、男に髪を触れられることはほとんどない。くノたまの中には忍たま四年生の斉藤タカ丸に髪を結ってもらう者もいたが、名前は一度もお願いしたことはなかった。時折利吉の手が名前のうなじや耳を掠めていくのを、何ともくすぐったいような気恥ずかしいように感じる。
 利吉に触れられているのだということを意識すればするほど、じわじわと顔が熱くなってくる。その熱を何とか誤魔化そうと、名前は慌てて口を開いた。
「それにしても驚きました」
 利吉が手を動かしたままで「ん?なにが?」と問い返す。各部屋にひとつずつ用意された鏡はけして上等なものではないので、名前の背後に立った利吉の表情までもがはっきりと名前から見えるわけではない。それでも声の雰囲気から、利吉の機嫌がよさそうなことだけは伝わってきた。
「本当に来ていただけるとは思わなかったので」
 名前が言うと、利吉は小さく溜息をつく。
「それって信用がないってこと?」
 拗ねたような物言いだが、もちろんそれが演技であることは、たとえ表情が見えずとも名前にも分かる。くすくすと笑って、名前は「というより、お仕事なら仕方ないなと思って」と返した。
 正直にいえば利吉に祭りの話を持ち掛けたあの日から、名前は利吉と祭りに行くことは無理だと思っていた。「行けたら行く」なんて言葉が「行けないと思う」程度の意味しか持たないことくらい、名前だって重々承知しているのだ。だから利吉が来ることを心のどこかで待っていたとしても、来ないことを責めるつもりもなければ、それをことさら悲しいことだと思うつもりだってなかった。
 利吉が名前の髪を引く。後ろに頭を引っ張られそうになるのをぐっと堪えると、すぐにその手つきはまた優しいものへと戻った。髪がうしろできっちりと纏められていくのを、頭皮がゆるく引っ張られる感じと重みで感じる。
「これでも結構頑張ったんだよ」
 利吉が言う。今しがた発した自分の言葉への返事であることに気付き、名前は鏡に向けてにっこりと笑った。
「ありがとうございます、頑張っていただいて」
「いつでも付き合えるわけじゃないから、都合がつきそうなときはね」
 それがけして口から出まかせではないことを、今名前は身に沁みて実感している。そしてまた、必ず馳せ参じるなどと無責任なことを言うわけでもない言葉は、名前の胸にじわじわとゆっくり沁みる。利吉の人柄を改めて目の当たりにしたような気がして、ぽかぽかと心があたたまってゆくような心地がした。
「はい、できた」
 とん、と肩を叩かれて、名前はぽやんとした気分をしゃっきり締めなおす。改めて鏡の中を覗き込むと、髪はさっぱりときれいに纏められていた。男の利吉の手できつく結わえられているので、これならば人混みの中を歩くのにもいい。桂巻をしていなくても崩れずに済むだろう。
「ありがとうございま──あれ、これ……」
 鏡の中の自分を矯めつ眇めつ見ていた名前は、ふと頭の後ろに何かしゃらりとしたものが揺れたような気配を感じる。髪型を崩さないようにそっと指を結んだ髪の根元に這わせ探ると、指が何か固いものに触れた。その触れた感触から、何か飾りのようなものが髪の付け根に下がっているのが分かった。
「これ、かんざし──ですか?」
 戸惑ったように名前が問うと、利吉はにこりと笑って、
「うん。名前にお土産。似合うと思ってね」
 言いながら鏡を手に取ると、利吉は名前にもかんざしの端が見えるよう、鏡をかすかにを傾けた。けして白いわけではないが、細くすらりとした名前の首もとに沿うように、邪魔にならない程度のささやかな小花の飾りがあしらわれている。
「気に入ってもらえるといいんだけど」
 本当のところ、そのかんざしは一緒に祭りに行けなかったときのため、穴埋めの品として利吉が用意したものだった。こうして一緒に行けることになったので、その穴埋めの品を土産の品にスライドさせたというわけだ。求めた所以がどうであれ、物そのものの価値には変わりない。名前に似合うだろうと思って買い求めたというところにも、一切の偽りはなかった。
「きれい……」
 小さく声を洩らす名前の瞳がきらめくのを、利吉は満足そうに眺める。
「普段あんまりこういうものはつけないの?」
「そうですね、アルバイト代もそう大した金額があるわけではないですし。食券買ったり美味しいお店に行ったりするとどうしても」
「色気より食い気ってことか」
「お恥ずかしながら」
 それに、そもそも髪を纏めるときには髪紐で結わえた後に頭巾をかぶるか、そうでなければ桂巻にしてしまうことの方が多い。こうした華奢でほっそりとした装飾品の類は、庶民の名前にはそもそも使いどころが少ないのだ。そうそう使わないものに僅かなお小遣いを叩けるほど、名前は思い切りのいい性格をしていない。それこそ人から贈られるのでもなければ縁のない代物である。
 ──男のひとから、はじめていただきものをしてしまった。
 それも、昔から憧れていた利吉からの装飾品の贈り物である。嬉しくないはずがない。
 ──わたしに似合うと思って、利吉さんが手ずから選んでくれたものなんだ。
 それをつけているだけで、普段よりも上等な人間になれるような、そんな気すらしてくる。そのくらい、名前にとってこの贈り物は特別なものだった。
「名前?」
 言葉をなくしている名前に、利吉が控えめに声を掛ける。もしかして気持ちが重かっただろうか、などとほんの一瞬不安に襲われるが、名前から返ってきた「いえ、あの……はい」という心ここにあらずな返事に、それが杞憂であることを察して微笑む。
「何だい、その返事」
「いえ、ちょっと、なんだかじわじわと嬉しさがこみあげてきたといいますか……嬉しいなんて言葉では到底足りないくらい幸せといいますか……はあ……」
「はは、喜んでもらえてよかったよ」
「ありがとうございます……」
「どういたしまして。それじゃ、行こうか」
 さりげなく名前の手をとる利吉に、名前の顔に再び熱が集まってくる。一度は抱きしめられたこともあるとはいえ、未だに利吉とこうして直接触れあうことには慣れない。
「利吉さん、ずるい……」
 立ち上がりながら負け惜しみのように呟けば、利吉は悪戯っぽく目を輝かせた。

 ◆

 すでに祭りに行く生徒たちは皆出払った後なのか、門をくぐるまでの道中、学園内では誰ともすれ違うこともない。やはり祭りに遊びに行ったという事務員の小松田に代わって出門票を差し出した吉野先生に挨拶をして、利吉と名前は祭りに向かう。まだ新学期が始まるより前なので、基本的には門限も気にする必要もない。
 周囲には人の気配はない。名前がそっと利吉の方に手を伸ばすと、それに気付いた利吉がいとも容易く指を絡めた。利吉の細くも節の目立つ男らしい手が、絡ませた名前の手の甲をまるで感触を確かめるようにするすると撫で触れる。
 その感覚に名前がどきどきと胸の鼓動を速めていると、
「その小袖、新しいもの?」
 と、つと利吉が問うた。緊張して固くなっている名前と違い、利吉は今この瞬間も余裕たっぷりに振る舞っている。
「この間、実家に帰ったときに母からもたされたものです。姉のおさがりなんですけど」
「そうなんだ。よく似合ってるよ」
「あ、姉のために用意されたものですから……姉とは顔だちが似ていますし……」
「お姉さんがどうかとかは分からないけど、名前によく似合ってると思うよ。可愛い」
「あ、ありがとうございます……」
 しゅうと消え入りそうな声で呟き俯く名前を見て、利吉はまたどこか嬉しそうに目を細める。
 家柄のいい娘たちの集うくノ一教室において、名前は常に目立たない部類に入る。見目を褒められたことなどほとんどなく、貶されることはなくとも褒められることもないような、常にそういう立ち位置を維持してきた。実際、入学してからの四年間は利吉の目にも留まらなかった。
 見た目のことを褒められるのには慣れていない。内面のことであれば、自分が比較的褒められる長所も、その長所を褒められたときに返すべき言葉もある程度心得ているものの、外見のこととなると途端にまごまごしてしまうのが名前という娘だった。
 利吉もすでに名前がそういう娘であることは承知している。だからこうして機会さえあれば、ことさら外見を褒めたがる。たとえ利吉にとっての名前の真価はそこではないとしても、好いたからには少しでも自分に自信を持たせてやりたいと思うのが、利吉の親心ならぬ恋人心というものだった。
 ともあれ、そんなことをしているうちに、風の中に祭り囃子の音が聞こえるところまでやってきていた。これより先は誰に見られるかも分からない。名残惜しく思いながらも、絡めていた指をどちらからともなく離した。まもなく歩いてきた山道も終わり、森を抜ける。
 ──なんだかこの短時間で利吉さんに翻弄されっぱなしのような気がする……。
 視線の先に見えてきたかすかな灯りを見遣り、名前はぼんやりとそんなことを考えた。隣を歩く利吉は相変わらずとにこにこ上機嫌そうな顔をしている。仕事も片付き、こうして年下のおぼこい彼女をまごつかせ、さぞ楽しいことに違いない──そう考えると、にわかに名前の胸には「一矢報いてやらねば」という思いがむくむく沸き上がってくる。
 とはいえ、名前には利吉のような相手をどきどきさせられる技はない。くノたまといえど、目の前の異性をそう都合よく翻弄できるような便利な術など知らない。
 逡巡ののち、名前はおもむろに口を開いた。
「利吉さん、わたしが不破たちと一緒に行かなかった本当の理由、よければ聞いていただけますか」
 脈絡なく切り出された話題に、利吉はほんの一瞬面食らう。しかしすぐ、
「うん、聞かせてくれるかな」
 と返答した。利吉にとって、目下警戒すべきは名前とそれなりに気兼ねしない関係を築いている忍たま──特に五年生たちである。その五年生との話となれば、利吉にとってはどれほど些細な事でも耳に入れておきたい情報に違いない。
 冷静に、しかし確実に話題に食いついてきた利吉を見て、名前は内心ガッツポーズをした。それからこほん、と小さく一度咳払いをして、勿体つけるようにゆっくりと話し始めた。
「多分、不破と鉢屋と一緒に行ってもお祭りは楽しいんだと思います。なんだかんだ言っても鉢屋とは言いたいことが平気で言える仲だし、不破とはそれなりに、顔を合わせれば楽しく話せるような仲ではあるし」
 ほかのくノたまが名前をどう見ているか、あるいはほかの忍たまが名前と平気で言葉を交わす五年生の彼らをどう見ているか──それは名前も察しているし、忍たまの五年生たちも大体のところは察している。それがけして穏やかなばかりの視線ではないことにも、聡い彼らは気付いている。
 それでも今のところ、おおむね良好な関係を築いているのが名前と五年生の五人である。そして名前のそうした姿勢を見て育った松のような一部のくノたまは、やはり忍たまともつかず離れずそれなりの関係を築いている。
 不破や鉢屋と祭りに行ったとしても、きっと名前はそれなりに楽しむことができる。不破の優柔不断にとことん付き合い、鉢屋にどこまで本音か分からないような文句を言われながらも、適当に受け流して面白がることができる。そういうふうに、この四年以上の学園生活で名前は自分の身の回りの関係をうまく築き、整理してきていた。
 名前は一度、視線を宙へと遣る。最初は利吉への意趣返しのつもりで話し始めた言葉だったはずが、こうして話し始めてみると、案外自分の気持ちを纏めるのが難しい。頭と心に散在した数多の感情や思考をどうにかこうにか順序だて、名前は言葉を紡ぐ──紡ごうとする。
「でも、今年はどうしてもそんな気分にはなれませんでした」
「……どうして?」
「もしもあのふたりと一緒に行ってしまったら──忍術学園を出てしまったら、きっと利吉さんのことが気にかかって仕方がなかっただろうと思うから」
 そう言って、名前は視線を利吉に遣る。その視線の真摯さに、利吉の胸がようやく小さくとくんと跳ねた。
「わたし、利吉さんが来てくれるなんて、本当にちょっとも思ってなかったんです。だけど、利吉さんは律儀で誠実なお人柄ですから。わたしに約束はできないと言っても、もしも仕事が早く終わったら迎えにきてくれるかもしれないって、心の何処かでそう思っていたんです。それで、もしもそうなったらどうしよう、利吉さんが折角来てくださったのに不在にしていたらどんなに申し訳ないことだろうって、そんなふうにお祭りの最中にも自分が考えてしまうだろうってことも分かっていたから、──だから行くのをやめました」
 それは蓋し利吉への期待というだけではないのだろう。ただの期待であったのなら、無駄かもしれないと分かっていても着飾り待っていたはずである。名前は──たとえ心の奥底で何をどう思っていたとしても、少なくとも本人の意識する限りにおいては、利吉が来てくれるかもしれないことに期待などしていなかった。
「……私が来なかった待ちぼうけだったのに?」
 利吉に問われ、名前は眉を下げて笑う。そして困ったように言った。
「それでもいいかなって。利吉さんに悪いことをしたかもしれないと思ってたら、楽しむものも楽しめませんしね。そのくらいなら行かないで利吉さんを待っていた方がずっといいですよ。利吉さんをがっかりさせるくらいなら、わたしが数時間待ちぼうけを食らう方が、ずっとずっといい」
 見栄も虚勢も、名前の言葉の何処からも、それらの感情は透けて見えなかった。掛け値なしに、それは名前の本心であり、本音であった。名前は本心から、利吉に無駄足を踏ませるくらいならば待ちぼうけになった方がよかったと、ほかの誰かと祭りに出掛けて気を揉むくらいなら、最初から出掛けないと、そう言っていた。
「だから、こうして一緒にお祭りに行けて、おまけに素敵な髪飾りまでいただいてしまって……まだ何だか、あんまり現実味がないといいますか──って、うわっ!」
 言葉が最後まで紡がれることはなかった。名前の身体が利吉の腕の中にすっぽりとおさまってしまっていたからだ。
 利吉が名前のことを、躊躇も遠慮もなく抱きしめていた。
「り、利吉さん……」
「ごめん、でも──堪らなくて」
 黄昏時の山道には憚るべき衆目もない。躊躇なく名前をぎゅうと抱きつぶそうとする利吉の腕の中で、しかし今日の名前はじたばたするでもなく、ただじっと利吉の身体の温度を感じていた。
 堪らなくてと、利吉はそう言った。つまり名前の作戦はまんまと成功したということだ。結局名前は自分の本音をただつらつらと並べたに過ぎないのだが、それでも利吉のことを堪らなくさせられたのならば、それは十分に成功といえるだろう。
 暫し、抱きしめられるままになっていた名前だが、やがて利吉のはやまった鼓動が少しだけ調子をゆるやかにしたことに気付き、相変わらず抱きしめられたままで小さく笑った。
「利吉さん、これも利吉さんへの『ご褒美』ですか?」
 唐突に尋ねられ、利吉は一瞬変なものでも食べたような面持ちになる。しかしすぐに顔をそっぽに向け、
「まあ、仕事を頑張って終わらせたから」
 と、言い訳じみたことを返す。
「なるほど」
 利吉の腕がゆるんだのを確認して、名前はそっと身体を離した。人気(ひとけ)がないとはいえ、往来の真ん中である。利吉もそれを引き留めることはない。
 と、ここで利吉には想定外の事が起きた。一度利吉から離れた名前が、往来のど真ん中であるにも関わらず、ふたたび勢いよく利吉のふところに飛び込んだのだ。咄嗟に名前を抱きしめる利吉に負けじと、今度は名前も利吉の背に腕を回す。
「えっと……名前?」
「ふふふ、驚かれましたか?」
「そりゃあ、まあ……名前の方からその、こういうことをしてくるのは珍しいし」
 というより、抱擁自体まだそう何度もしていることではない。それを名前の方からしてくるなど、利吉にとっては想像できるはずもないようなことだった。
「いえね、さっきのが利吉さんが仕事を頑張ったことへの『ご褒美』なら、今度はわたしが利吉さんから『ご褒美』をいただく番かなと思いまして」
「何のご褒美?」
「そうですねえ……さしずめ利吉さん以外のひと──不破や鉢屋やほかの男の子と一緒に出掛けず、利吉さんに無用のやきもちを妬かせなかったご褒美ってところでしょうか」
 利吉にぎゅっと抱き着いたまま、名前は笑顔で利吉を見上げる。してやったりと言うようなその顔に、利吉は思わず苦笑した。
「参ったな。これはたんと『ご褒美』をあげないと」
「お祭りに間に合わなくなってしまうかも」
「それならそれでいいような気もするな」
「わたしもそんな気がしています」
 そうしてどちらからともなく笑い合う。
 遠く祭り囃子の音に耳を傾けながら、名前と利吉は飽きることもなく、着物越しに互いの体温を感じあっていた。


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