秋は褪せる

 大きな仕事の後ということもあって、利吉は次の仕事にほんの数日、うまくやれば一日で終わりそうな軽いものを選んだ。本来ならば仕事をそうそう選んでいられる立場でもないのだが、ここのところはうまい具合に次から次へと仕事が舞い込んできている。多少仕事を選りすぐるくらいの余裕はあった。
 フリーの忍者が忙しい時期というのは、取りも直さず情勢がきな臭くなってきた頃でもある。自軍だけでなく諸国を回る機会の多い利吉に声をかけるのは、それだけ他国の情報を仕入れたいから、そして単純な戦力としての利吉を求めているからに相違ない。
 しかしひとまず今回に関しての仕事についてのみ言えば、そういった諸国の水面下での怪しい動きとは無縁な仕事であった。
 何せ仕事の内容とはずばり、忍術学園の裏山で発見されたという世にも珍しい鳥を探すのを手伝ってほしい、などという、何とも忍びらしからぬ依頼なのだ。それも、発見できなければそれはそれでいいという。鳥好きの若殿を喜ばせるためだけに利吉のような割高な忍者に声をかけているのだから、何ともまあ平和な仕事であった。
 ──平和かつ短期、ついでに近所の仕事を選んだとはいえ、まさか鳥探しをさせられる羽目になるとは。
 鳥だけに羽目──そんなくだらないことを考えながら、城主が利吉とは別に雇った腕の立つという猟師とともに、利吉はつい先日も踏み入った忍術学園の裏山を木々をかきわけながら進んだ。
 本格的な秋となり、地面には赤や黄色の落ち葉がふかふかとした絨毯のように舞い落ちている。虫の音は聞こえず、今日もまた鳥が何羽か遠くで鳴くのが聞こえるだけだった。その声を耳にしながら、利吉たちはずんずんと足を前へ進めてゆく。
 このあたりは実質的には忍術学園の支配地域である。だからこそ忍術学園と浅からぬ縁のある利吉に声がかかったという事情もあるのだが、それはともかく、忍術学園の支配地域に踏み込む以上、一応は学園長に声を掛けた上で山に入っている。普段であれば大量に仕掛けられている罠の類も、民間人が踏み込むためにすべて撤去してもらった。ゆえに今日は安心してどんどんと進んでゆくことができる。
 そんな利吉の背を追いかけながら、猟師の男は感心したように言う。
「この辺り、道が入り組んでいるのにやけにしっかり進むなあ。もしかして兄ちゃん、知った土地かい?」
「ええ、以前に何度か」
「ほう、そうだったのか」
 あまり聞かれたくない話題だった。どうしても返事がそっけなくなってしまう。しかし男が利吉の返事を怪しんだ様子は特にない。利吉はほっと胸をなでおろした。
 忍術学園の存在は原則として世間からは隠匿されている。良家の子女子息が多く在籍している上に、一国と十分に渡り合えるだけの戦力や貴重な文献を有し、さらには夜に日を継いで何やら怪しげな勉強や訓練を繰り返し敢行している。そもそも忍びの術は本来門外不出ものであり、なればこそ、忍術学園は人目を避けた山奥にひっそりと、まるで隠されたように在るのだ。
 当然のことながら、近隣住民であっても忍術学園の存在およびその存在意義を知る者は少ない。ゆえにこの裏山に立ち入るのに際して、利吉も自らを忍びであると公言することは避けねばならず、この同行の猟師にも「自分はただの若殿の知り合いだ」としか話をしていなかった。いずれ今日一日の付き合いである。嘘が露見することもないだろう。
「実は、わしはこの辺りの出身でな」
 と、口数の少ない利吉の沈黙を埋めるように、猟師はのんびりと話し始める。利吉の方も相手が話してくれていた方が気楽なので、話を遮らない程度の相槌を返す。
「もっとも昔からこのあたりには近寄るなと言われていたが、それでも子どもにとっちゃ楽しい遊び場だろう。親の目を盗んでは遊びに来てた。近くに学校みたいなものもあって、そこの兄ちゃんたちが時々遊んでくれたんだ」
「そ、そうですか……」
 思わず冷や汗が流れた。「学校みたいなもの」が忍術学園であることは言うまでもない。裏山は授業で立ち入る以外にも上級生たちが個人的な鍛錬に利用したり、下級生たちのお使いの通り道にもなっている。それだけでなく、体育委員会が定期的に「マラソン」と称して哨戒もしているから、恐らくはそうした生徒たちが、たまたま遊びに来ていた近隣の子どもを見つけてはさりげなく里に戻しているのだろう。
 ──立ち入るべからずなんて大人のルールは子どもには無用だもんなあ……。
 利吉自身、幼いころには故郷で立ち入るべからずと言われていた森の中に踏み込んで、何度も危ない目に遭っている。そういうことはどこの子どもでも多かれ少なかれ経験していることだろう。
 しかしこの裏山の場合、仕掛け罠の練習にも利用されているのだから、ただ自然のまま危険な利吉の故郷と比べ、いっそう危険であることには違いない。案外、体育委員会の哨戒は迷いこんできた一般住民の救出および避難の役割も担っているのかもしれない──そんなことを利吉は取り留めもなく考える。
 一応は仕事中だが、今回の仕事の目的である珍しい鳥について、利吉は端からいるものとは思っていない。仕事なので視線だけで探してはいるものの、そう真剣に鳥探しに取り組んでいるわけでもなかった。
「しかし、こんな山奥に学校なんてつくって、どういう人間が子どもを通わせるんだろうなぁ」
「さあ、どうでしょうか。案外、妖怪変化の類のための学び舎かもしれませんよ」
「ははは、そりゃあいいな。狐が行儀よく並んで人の化かし方を勉強するってか」
「狐か狸か、あるいはそれ以外か」
 適当なことを言って笑っていると、利吉はふと名前のことを思い出した。
 狐や狸はどうか知らないが、名前は先日このあたりで祠(ほこら)を見たと言っていた。ということはつまり、何らかの神様が祀られているということだろう。
 この裏山にまつわる怪談の類を利吉は知らない。しかし辻──すなわちそれなりに人の往来が見込める場所に建てられていたということは、山奥に建てられそのままになっているものと違って、そこそこに管理もされているはずだ。
 ──というかそもそも、辻ってどこの辻だろう。
 忍術学園とは反対の側から山に入って、すでに二刻ほどが経過している。鳥を探すという目的から、利吉と猟師の進む速度はそう速くないものの、とはいえそれなりの距離を歩いてきたことはたしかだ。
 しかし利吉たちが歩いている山道は、先ほどから道なりの一本道が続いている。名前が言ったような祠のある辻はおろか、そもそも辻など通った記憶がない。
 ──このまままっすぐいっても、忍術学園のあたりに到着するだけなのに。
 さすがに防衛面の問題で忍術学園の辺りの罠は解除していない。猟師には適当なところで折り返すよう話すつもりだったが、いずれにせよ先まで行かずとも、忍術学園の辺りの地図ならば大体頭に入っている。そこに名前の言うような祠のある辻などないことを利吉は知っている。
 ──あの時、名前が歩いてきた道は今、私たちが歩いてきた道と大体同じはず。
 もしや見落としたのだろうか。であれば折り返しの帰路で祠を探そうか──
 そう利吉が考えを巡らせていると、
「何か気になることが?」
 と、猟師が尋ねる。利吉は慌てて笑顔で首を振った。
「いえ……。以前知人が、この山道の辻にある祠にお参りしたという話を聞いたものですから、もしもそこを通ることがあれば私も手を合わせておこうかと思ったのですが」
 仕事とは無関係の話なので、あくまでもどうでもいいことのように利吉は話す。隠すほどのことではないし、猟師がその祠を知っていれば場所を教えてもらえばいい。そんなつもりで軽く口にした話題だった。
 しかし猟師は利吉の言葉を聞くと不思議そうな顔で首を傾げた。
「祠? そんなもん、この辺にはないよ」
「……え?」
 利吉の口から間抜けな声が洩れる。猟師は構わず続けた。
「ないない。わしもこの山に入るのは久しいが、しかしそんなもの、そうそう新しく作るようなものでもないだろうしな。そりゃあ相当探せばもしかしたら、わしの知らんものが山奥あたりにあってもおかしくはないが、少なくとも人の往来があるような場所には、そんなものはないよ。大体、この山は見ての通り上って下りるための一本道しか整備されてないんだ。辻なんてものがそもそもない」
 流れるような説明を聞きながら、利吉は愕然とした。辻が、祠が、ないことに──ではない。名前が利吉に嘘をついたということに、愕然としたのだ。
 利吉はまさか、名前がそんな嘘を──まして、無用な嘘をつくとは思ってもみなかった。
 ──なんで、どうしたってそんな無用な嘘をついたりしたんだ。
 利吉は忍者である。だから科学的に根拠のないだろうことは信じないし、怨霊怪異の存在も信じていない。死ねば人間はそれまでで、ゆえに利吉は仕事となれば人を殺めることもできる。
 そんな利吉には、名前が祠(ほこら)を見たと信じる理由がない。化かされた、というのであればそもそも名前を化かす存在が必要だが、利吉はそういった存在あの否定的だった。
 化かされてはいないし、あの時の名前はしっかりしていて、幻覚など見ようはずもなかった。山の中といえど日中には日も差し明るい。いずれ、何かを誤って見てしまったということは有り得ない。
 名前は祠を見て拝んだといい、猟師は祠など何処にもないという。利吉もまた、祠など一度も見かけていない。となれば考えられることはただひとつ──名前が利吉に嘘をついたと考えるのが、もっとも自然だった。
 嘘をつかれた。騙された。
 しかし利吉の心には怒りの感情は一切沸いてはこなかった。むしろ、名前の言動を理解できずに戸惑う気持ちの方がずっと大きい。
 何せ相手は名前である。呑気で善良で、忍びにはまるで向かないような素直な人間。百歩譲って嘘をつくことはあったとしても、利吉に対して意味のない嘘をつくような人間だとは思えなかった。そんなことをする理由も名前にはない。
 そこまで考え、しかし利吉は気付く。
 唐突に、名前の思考に思い至る。
 ──いや、あれは無用な嘘、意味のない嘘なんかじゃないんだ。
 少なくとも名前にとっては、無用な嘘などではなかった。必要に迫られて、土壇場を切り抜けるためについた嘘だった。利吉の目を誤魔化し、名前がそこにいた理由を、そこで何をしていたのかを利吉に知られないようにするため、どうしても必要な嘘だった。
 本当はあの日、名前は銭袋を探してなどいなかった。祠に供えてあったというのはきっと、その話に真実味を持たせようとしたばかりに飛び出した嘘だろう。人は嘘をでっちあげるとき、聞いてもいないことまで口数を増やして語る。
 尾浜の言う通り、あの日の名前はきっと、利吉が何処かで女と関係を持ったのだと思ったに違いない。自分以外の女のにおいを恋人が纏っていたとき、その可能性を一切疑わない女などそうはいない。
 それでも、名前は利吉に全幅の信頼を寄せている。利吉が名前の心を裏切るようなことはないと、ほとんど盲信といっていいほどに頭から信じ切っている。仮に名前が想像するような行為が利吉と誰かの間にあったとして、利吉が望んでそうしたわけではないのだと、名前はきっと信じていた。
 ──だから、言えなかった。
 嫌だと思っても、口にすることができなかった。
 ──そのことを思い、利吉は慄然とした。
 名前はきっと、女のにおいがするのだと気が付いても、そのことに触れることができなかった。何故ならそれは、名前を裏切りたくて行ったことではないはずだから。あくまでも忍びの仕事の一環として、女と関係を持っただけなのだと分かっていたから──そう信じていたから。
 もちろん事実は違う。名前を裏切っていたわけではないことには変わりないのだが、そもそも利吉は女と関係を持ってなどいない。今後もそうとは言い切れずとも、少なくとも今回に限って言えば、名前の憂いはまったくの勘違いであり、濡れ衣だった。
 しかしそれが何だというのだろう。利吉は名前に何のフォローもしていない。勘違いをさせたことにすら気付かず、名前の嘘を鵜呑みにした。名前の精一杯の虚勢を、見破ることもできずに看過した。
「なんか知らんが、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
 猟師に言われ、利吉は力なく笑う。
 本当ならばこのまままっすぐ忍術学園へと向かいたい。問答無用で名前を捕まえて、名前の抱えている思いが杞憂であることを伝えたい。
 しかし利吉はプロの忍びである。どんな仕事であっても──たとえ珍しい鳥を探すなどと忍者の本分からかけ離れた仕事であっても、それを途中で投げ出すような真似をするわけにはいかない。何よりここから先、忍術学園に近づけば忍たまたちが仕掛けて罠がそこかしこに張り巡らされているのだ。そんなところに一般人の猟師をひとりで近寄らせるわけにはいかない。
「……大丈夫です、それよりそろそろ折り返しましょう。日暮れ前に山から出たいですからね」
 そう言って利吉は半ば無理矢理猟師に来た道を戻るよう促す。身体の内側でぶすぶすと燻る焦燥感に見て見ぬふりをして忍術学園に背を向けたとき、利吉の中の何かが小さくぱきんと音を立てて割れたような気がした。


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