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 「それではお疲れ様でした、桜庭さんは後で会議室によろしくお願いしますね」
 時刻は時計の針が高い位置。つまりは深夜。今日は定時通りであれば夜の八時には終わる予定だったのに、なんだかんだで深夜までかかってしまった。
 「お疲れ様です、また後程…………班員なのにリーダーではない人間は早くに上がれていいですね」
 最後の小言はいつものことだから適当に流しておく。そもそもリーダーなんて任意かつ挙手制と学歴なんだ。嫌ならいつだって辞めることが出来るのに、嫌だと言わないのは、きっと自分が四大卒だということ以外に誇れるものが何もない証拠。腕だって決していいわけではない。
 幸か不幸か、これぐらいの小言であれば慣れてしまった私は、着替える暇もなく、新棟の第一五会議室へと向かう。
 新棟の第一五会議室へ行くのには簡単だ。今いる旧棟の一六階から連絡通路のある四階までエレベーターなりエスカレーターなりなんなりで移動をし、連絡通路を通って、新棟の第一五会議室まで行く。道も決して複雑ではないし、なによりも、都会のような立派で大きな病院というわけではないから、移動も楽。
 子供のようにぱたぱたとナースサンダルを鳴らしながら、ぴたりととある部屋の前で止まり、大きく深呼吸をする。
 「失礼いたします」
 ノックを三回、失礼いたしますの言葉。数十秒ほどしてからゆっくりと開いた扉の奥に、
 「お疲れ様、残業しんどかったでしょう?」
 ひょっこりと顔を出したのはこの病院の委員長先生。綺麗な白髪スタイルに曲がっていない腰。補聴器を一切付けずとも若い子たちと対等に話すことができ、しっかりとした頭。最近はジョギングが趣味だという先生は、御年七八だというから驚き。
 「いいえ、これぐらいであれば」
 しっかりと背筋を伸ばした状態で言えば、委員長先生は笑いながら「まだ若いからね」と言った。
 「さあ、部屋に入っておくれ。あとは桜庭さんだけだね……例の書類はもってきたかい?」
 最後の言葉は少しだけ小さかった気がするけれど、たぶん意図を込めたうえでのことなんだろうと思う。
 「一応持ってきました」
 部屋の扉を閉めて、委員長先生に差し出す。部屋には想定された人物がずらりと並ぶ。
 「…………私の病院からこういったことを出したくはなかったのだけれど、仕方ないわよね。事が事なんだから」
 ため息をこぼしながら言う委員長先生に、なんだか申し訳がなかった。
 「源君」と言ったのは立花先生。先生も、この部屋に呼ばれていたのかと思うと、なんだか微妙な気持ちだった。
 「今回の件、君は決して悪くはないはずだ」
 はっきりと言いきった立花先生に、横で何度もうなずく下田先生。
 心臓が、やたらと煩く動くのはどうしてだろう?
 確実に嫌な予感が近づいてくるのは、一体何の予兆なんだろうか?

 「…………第一五会議室なんて、一体何の用事なのよ」
 仕事が終了し、私は本来であれば家に帰るはずだった。なのに源さんからの急きょ呼び出しに、帰る時間がますます遅くなってしまう。
 用件だなんて知らない。ただ部屋に来いと言われただけ。下田先生からと言われてしまえば、私だって逆らうことが出来ない。
 ため息を一つこぼしては、大きく息を吸い込んで、
 「失礼いたします」
 大きな声で、ノックを二回する。数秒後に自分で扉を開けて、部屋の中に入り、頭を下げて、
 「お呼びにかかりました、桜庭です」
 ゆっくりと顔を上げて、驚いた。
 第一五会議室は、学会とまではいかないけれど、大きな発表の場で使用される部屋。各科の先生たちが集まって、たとえばプロジェクターなんかを使って意見交換を行う場所。そこに集まっていたのは、オニナガをはじめとする各科を代表する先生たちと、立花先生、下田先生になぜか警察の人たちと源さん。
 私は班のリーダーだから、たとえば入院患者さんが実は罪を犯していて、この病院に運ばれてきて、今から重要な会議を始めるということであれば、まだわかる。各科の先生たちが集まることも、オニナガが集まることも、警察の人たちが集まることも。ちょっと大げさすぎるんじゃないのかとも思うけれど、理解はできる。
 けれど、と思うんだ。
 「本来であれば家に帰ることのできる時間にわざわざ呼び出しをしてしまい、すまないね」
 上座に座る院長先生に、「いえ、大丈夫です」としか答えられなかった。
 どうして院長先生が?
 一体何があったのか?
 「単刀直入に言おう」
 ぴりぴりとした空気の中、警察の方が言った。
 まさかと思った。
 入院患者さんの中にとんでもない犯罪歴を持った人間がいたのか? だとすれば普通は朝礼時に連絡をもらうはずだから、班のリーダーでもある私が知らないわけがない。
 ならばなんだろうか? 警察人間が動くほどの大きなこと?
 「昨日、点滴袋に穴があいていたという事件に関してはご存じのはずですよね?」
 椅子から立ち上がって、クリップボードを持ち、淡々とした口調で言った。
 なんだ、そのことかと思った。
 「ええ、知っています」
 「そのことについて本日は、我々はお話がございます」
 わざわざそんなことで警察が来るほどのことかと思った。
 わたしも朝礼で聞いた。点滴袋に穴があいていたと。決して異物が混入されていたわけではないし、問題となった点滴袋は酸素や空気に触れてもおおよそ異常がないであろう補液目的で使用されるモノ。
 決して抗がん剤目的や、生死にかかわるような目的とした点滴には、穴があいていなかった。
 この一件の犯人は私が一番わかっている。
 だって私がしたんだから。
 「調査の結果、犯人はこの病院内の医療従事者であるということが判明いたしました」
 淡々と話していく警察の人に、委員長先生もオニナガも、各科の先生たちも、何も反応の色が無かった。
 「そこで一人一人に調査をお願いしているんです。一昨日、一四時頃、いったいどこで何をしていましたか?」
 「そんなのわかるわけないでしょ」
 淡々と述べていく警察官に、当然の言葉を突き返す。
 「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
 「私は看護師です。とても忙しいので具体的に何時ごろにどこにいて何をしていたかなんて、覚えてもいませんしわかりません」
 おおよそ、これがもっともらしい言葉だと思う。
 「左様でございますか」と吐き出すように言った警察の人。もういいだろうか、私はさっさと帰りたい。帰って寝たいんだ。
 けれど、私の帰宅と睡眠を許してくれなかったのは「すみません」と言った下田先生だった。
 「これを聞いてほしいんですがね、よろしいでしょうか?」
 手を上げて言った下田先生に、委員長先生に立花先生、加えてオニナガに源さんまでもが『いったいなんだ』の顔をした。下田先生はポケットの中から小さな機械を取出し、やがて机の上にこつりと置いた。小さな、ポケットの中にすっぽりと入ってしまう機械は、遠くからでははっきりとは分からない。けれど、よく見てあれが録音機能を搭載された、小型のボイスレコーダーだとわかった。
 かちり、と音がしたのと同時に、ざああ、と砂嵐の音。これが一体どうした、何があった、何なんだと言おうとした矢先のことだった。
 『それで、どうしてこんなところに呼び出しをしたんですか?』
 ボイスレコーダーから流れてきた私の声に、何の疑問も抱かなかった。










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