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 「本日は本当にありがとうございました」
 やもめ先生といっしょにご飯を食べた後、私は近くのスーパーへと寄った。先生も私も、目的は一緒だった。夜の九時まで開いているスーパーが近くにある。そこで私と先生は閉店真直の半額お惣菜をたらふく買い込んだ。
 「いえ、私でよければこんな相談、いつでものりますので」
 相談は「中学生の娘に彼氏ができた。親としては喜ばしいことなのだけれど、中学生の娘。いくらなんでも早すぎるのでは」ということ。やもめ先生を医者としてしか知らなかった私からしてみれば、今日の相談はなんだか新鮮で、けれど踏ん切りがついた。わたしは先生の役に立ちたい。恋愛感情なんて一切なしに、「優秀な教え子」として、誇らしげに思ってほしい。男女の関係としてではなく、腕利きの看護師として、教え子として、先生に誇らしいと、自慢だと言ってほしい。
 「源さんは本当に優しい方ですね…………僕のこんなくだらない相談に、親身なってくれるなんて」
 あの時と変わらない笑顔で言ってくれる先生に、どこか心が温まるような気持ちだった。まるで、もう死んでいないはずの親が、私のことを褒めてくれているようで。
 ふと、先生が上を見上げた。
 「先生、どうしましたか?」
 あんまりにも急だった。やもめ先生が上を見上げた。何かに反射するように見上げた先生は、数秒後言った。
 「今、音がしませんでしたか?」
 「……おと、ですか?」
 何かしただろうか? したとしても気がつかなかっただろう私は、耳をすまし、けれど、先生が笑った。
 「気のせいですよね」
 にっこりと笑う先生が、あんまりにもまぶしすぎて、わたしはどういうこともできなかった。
 「そういえば先生、お惣菜コーナーで随分と悩んでいませんでしたか?」
 ずっと気になっていたことがあった。近くのスーパーへ行ったとき、先生は「もう時間が遅いから」と、お惣菜コーナーへ行った。もちろん、私も今晩これからご飯を作ろうという気にもならなかったので、鈴の分は申し訳ないけれどスーパーのお惣菜で決定。あの子はアレルギー体質が一切ない分、好き嫌いが酷く、両親が死んでからすぐは、随分と長い間、食べるもので困ったものだった。今となっては随分と落ち着いたけれど。
 「末の子が好き嫌いが激しくて困ってるんですよ。野菜や魚は栄養価の高いものばかりだから、ちゃんと食べておかないと将来背も伸びないし、馬鹿になるから、アレルギーでもないんだから、ちゃんと食べなさいと言っているのですが」
 主夫か、と言わんばかりの悩みだ。
 けれど、先生の悩みもわかる。まったく同じことで私も数年前にどうしたらいいものかと、本屋さんの料理本を何十分と眺めていたから。
 「もしも先生が、手間が多少かかってもいいと言うのであれば、無理に野菜を食べさせるのではなく、野菜をみじん切りにしてハンバーグと一緒に練った状態で食べさせてみてはどうでしょうか? 無理やり食べさせたとしても、かえってトラウマで今後将来ずっと食べれない、なんてこともありますし」
 自分でも、随分と偉そうなアドバイスだとは思っていた。
 けれど、近所に住む六五歳のおばあさま(血縁関係無し)に聞いたところ、今のところどんな味付けよりも、これが一番食べてくれる、だとのこと。子供が食べないのにはいくつか原因がある。味付け、見た目、食べた後の味。これらを少しでも取り除けば食べてくれる。だから、にんじんなどの野菜をみじん切りかミキサーにかけて細かくした状態でハンバーグの中に入れると、野菜嫌いの子供でもおいしく食べてくれる上に、栄養価も高くて、しかも無理なく野菜嫌いを克服できるらしい。
 「…………婦長には『そんなの無理にでも食べさせろ。たとえ嘔吐してでも食べさせるべきだ』と言われていたのですが、それもありですね。今度レシピ教えてもらってもいいですか?」
 「えっ?」
 まさか『教えてくれ』なんてことを言われるとは思いもしなかった。先生のことだから自分で調べてみますとか、あるいは試行錯誤してみますねとか、少なくとも先生からの教え子でもある私を頼るなんてことをするとは思いもしなかった。
 「だめ、でしょうか?」
 まさかだったんだ。だから私は黙ってしまった。
 だけど、
 「そんなこと」
 『ありません』と言おうとした私は、いきなりのことで驚いてしまった。源さん、と言われて右腕を強く引っ張られ、
 「あっ」
 自転車が私とブロック塀の間を通っていった。自転車を運転していた人は、イヤホンをつけ、手には携帯電話。いわゆる「周りをまったくと言っていいほど見えていない状態」だった。
 「危ないですよね」と先生が静かに言った。
 「スマートフォンを扱いながらの自転車の走行は禁止。音楽プレイヤーを聞きながらは、接触事故の元となるからしないようにと、散々言われていたはずなんですがね。そういった連中の治療に当たらなければならない医療従事者(わたしたち)の身にもなってみろって言うんですよ…………完全自業自得の人間の治療だなんて、本音を言うとしたくもないのに」
 静かに、淡々と言った先生に、私はびっくりしてしまった。少なくとも私は「普段のやもめ先生」しか知らない。こんな、冷淡に怒る先生なんて知らない。
 「すみません」と急に先生が言った。何がすみません? どうして先生が謝るの、さっきの自転車を運転していた人と先生は知り合いなんですか、なんてことを言おうとして、私の状況がわかった。
 やもめ先生は、私が万が一自転車と接触事故を起こしても軽傷程度で済むように、私を包み込むように護ってくれた。この「すみません」が終わるまでは。
 「い、いえ…………すみませんなんてことないですよ。むしろ護っていただきありがとうございました」
 深く頭を下げる。
 やもめ先生は、私の恩師なんだ。恋愛感情なんて一ミリたりともない。
 なのに、なんだ。


 「だからなんともないのに」
 鈴はときどき、とんでもない早とちりをしてしまう。いつだったか、部活動の関係で学校の先輩と一緒にいただけで「恋人ができた」と、とんでもない勘違いをされてしまった。
 「本当に何もなかったの? 男性と一緒だったところ見たよ?」
 テーブルの上にはずらりと並ぶ、手の込んだ食事。
 ほんの少しだけどうしようかと思ってしまう。晩御飯、私は食べてきてしまった。なのに、妹ががんばって晩御飯を私のために作ってくれと思うと、このまま「朝ごはんにするけれどいいよね」とは、とてもではないけれど、言いにくい。
 「たぶん鈴が見たのは先生よ。おねえちゃんが今働いている病院のお医者さんで、おねえちゃんの恩師」
 上着を脱いで、ため息をこぼす。
 「なあんだ、てっきり恋人ができたのかと」と、落胆している妹。なんだとは、なんなんだ。
 「何で私は妹に心配されなくちゃいけないのよ。私は鈴のおねえちゃんだぞ?」
 そうだ、私は鈴のお姉ちゃんなんだ。馬鹿なことを見誤ってはいけない。





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