2
軍に入った理由は、単純すぎていたけど、誰しもが納得のいくもの。三男四女に両家の祖父母四人の合計一四人家族の我が家に、経済的な余裕はどこにもない。一家族に大体十人以上は一緒に住むのが当たり前の国で、さして珍しくもない。
だが、下の三人が入退院を繰り返すほど体が弱いともなれば、当然治療費や薬代などが一度に、しっかりと三人分消えていくこともしばしば。なので国が治療費云々を全額負担してくれない限り、我が家に経済的な余裕はどこにもない。定年をうんと過ぎた祖父母たちが、今もなお働いている理由は、実はこれだったりする。
「軍隊学校に行けばお金がもらえる」
「兵士として働けば、ごく普通の会社で働くよりも五倍の給料」
この話を聞いて、志願しないはずがなかった。運がどう動いたのか、軍隊学校での自分の努力は報われて、念願の兵士、しかもそこそこの地位を比較的若い年齢で手に入れた。
だけど、うまい話には裏があるとは、昔の人も良く上手いことを言ったもので。いくら交替制とはいっても、こんなにも重労働だとは思わなかった。
二五時間勤務に一七時間労働は、まだ楽と思えるこの職業。当然のことながら、いくらお金がよくても、もう無理のたった一言だけを残して辞める者も多い。これぐらいであればまだ良い。生温い覚悟で志願した人間を、軍隊だからなのか、病院送りとなった光景を、何度もこの目で見てきた。
だが、こんな理由で今の職を離れられるほど、我が家の経済は優しくない。命の安全性がある安い職か、命の危険性と今後、英雄として脚光を浴びる高給の職にするか。家のことを考えれば、あきらかに後者だ。
分かってはいたはずだった。同期として入隊した友人らが、泣きながら辞めていく姿を見ていたからこそ、知っていたんだ。
『こんなところにいつまでもいてられっかよ』
そんなことを言うのは、同期で入った一人や二人だけではない。
『東野くん、あなた、いつまでの家の為だとか言ってたら、そのうち身を滅ぼすわよ』
先輩として入ってきた女の人が、いつだったか、忠告を含んだ言葉。今となって、この言葉が、ようやく理解できた。遅いと笑うだろうか、お前は馬鹿だと、見下すだろう。
だけど、気がついたのであれば、これは立派な成長ではないか。
目を覚ませば、見知らぬ世界が広がっていた。
「ここは、一体」
ふわふわとした感覚が、彼の体の中に、まだ残っている。ゆっくりと上半身だけ起こして、室内をじっくりと見渡す。東野アキラは見慣れない空間に、戸惑いを感じていた。一人部屋にしては十分すぎる、一四枚の畳が、床に隙間をつくることなく並べられている。壁には、ふんだんに杉の木が使用され、和風の扉には、和紙を用いて描かれたと思われる水墨画。これは一体どういうことなのだろうか、と考える彼の頭が、少しずつではあるものの、記憶を取り戻していく。自分は一体何をしていたのか？
ふと、とある場所に置かれている物に気がついた。
「あれは」
平穏な空気が部屋中にあふれる中、少年はそれに触れようとし、
「ただの外来品ですよ」
不意に聞こえた声に、アキラはすぐさま少女を見た。水色のワンピースは、少女の背中で大きなリボンをつくっていた。さらさらと、結い上げることのない、胸部までのびる黒髪は、不潔なイメージを取り除いている。白い肌と幼い顔立ちとは正反対の振る舞い。
アキラはここでようやく思い出しては、気がついた。
誤報により、上司の命を無視し、戦線離脱した腰抜け兵士の自分。
対国関係における一国の主、国王様から最たる信頼を得ている剣豪、篠宮蓮と思わしき人物と一緒にいる少女。
さっと血の気が引いていく。自分は一体こんなところで何をしているのだろうか？ そんな疑問が頭の中に浮かぶ。もしかしたら、自分はこの場で捕虜として扱われるのかもしれない。想像よりもはるかにむごいことになるのかもしれない。
だとしたら、自分のやるべきことは何か？ すぐさま出た答えに、身体は応じてくれなかった。ほんの少しでも立ち上がろうとするのであれば、平行感覚を失う自分の身体が、これほどまでに恨めしく思ったことはない。
すると少女はアキラの考えていることが分かったのか、手を握り、言った。
「大丈夫、決してあなたを死なせたり、ひどい目にはさせない。皇女として、ここで誓うわ」
優しい瞳で言った少女に、アキラは驚きを隠せなかった。見た目が十を少し過ぎたぐらいの女の子が、あんまりの大人びた言葉を口にする姿。普段であれば『そんな無責任なことを言うな』と怒鳴っていたかもしれないが、少女の瞳は真剣だった。
優しくて温もりのある彼女の言葉に、アキラは首を傾げた。
「こ、う、じょ・・・・？」
アキラの住んでいた国で使用されることがなかった言葉。国の長は国民全員で決めるのが当たり前で、王が存在しなかった。妙な胸騒ぎを感じながらも、口を開き、
「貴様は不敬の罪で、敵の土地で命を落としたいのか？」
和紙と木材をふんだんに使用した「襖」に背を預けて言った男、アキラは己の身体のことも忘れて、立ち上がろうとしたが、
「不敬の罪に問われてもおかしくないのはあなたですよ、シノミヤ。じょ、女性のいる部屋と分かっておきながらも、ノックの一つも失礼しますもないとは！ 一体何を考えているのですか！ まずはご自分のことをお考えになりなさいな」
声を大にして言った彼女に、シノミヤと呼ばれた体格のいいとことは、はっと我に返り、深く頭を下げて、謝罪の言葉を口にした。一体何が起きたのかすら理解できずに呆然としているアキラに、少女は「そうだった」と思い出したかのように呟いて、シノミヤから木箱を受け取っては、咳払いを一つこぼした。
「自己紹介がまだでしたね。私はアルゼリア王国の第二皇女、桜ノ宮椿といいます。年齢は一二です」
自国の礼儀作法で言う少女、椿に、目を丸くした。
「桜ノ宮って、本当に皇族の姫君だったんだ」
前のめりになって言うアキラに、今度は冷たい視線が突き刺さる。小さく「これぐらいは許してよ」と言ったかったが、この意見はどうしても通用しないことを知っているため、椿はもう一度大きく息を吸い込んで、気持ちを切り替える。
「そこにいるのが篠宮蓮。体つきが良いし、身長も大きいから怖く感じるけど、本当は優しくて大の猫好き。あんまりの猫好きに、ちょっと前に大好きだって言ってくれた女性と別れた原因になるぐらい、猫が好きなんだって」
「最後は余計です」
顔をほんのりと赤く染めて言った大柄な男性、蓮に、アキラも少しだけ緊張の糸が緩んだ。
「篠宮さんのことはリア国ででも十分知られています。改めてではありますが、初めまして。リア国出身の東野アキラといいます。今回はお手数をかけてまで命を助けていただき、心より感謝いたします。本当にありがとうございました」
座りながらではあるものの、しっかりと自国の礼儀作法で頭を下げるアキラに、椿は自慢げに「何人たりとも病人であれば救え、と言っていた父様の言葉に従っただけよ」と胸を張って言った。明るく笑う椿に、アキラの心の中で、確実に安心が根付いていた。蓮はじっと二人を見て、静かに笑い、ゆっくりと部屋を出た。
[ 3/33 ]
[＊prev] [next＃]
[mokuji]
[しおりを挟む]