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 ガサガサと草をかき分けながら、先へと進む。これ以上彼が進むことを拒んでいる証拠なのか、平均的な男性の腰の高さまで生茂る雑草たち。この周辺が人の立ち入りを何年も許可していないことがよくわかるほど、雑草が彼の行く先を邪魔する。
 「くっそ」
 こんな所で死んでたまるか、と強く歯を噛みしめる。身震いさえもしてしまうのは、まだ白昼だというのに、太陽の光さえも遮断しているのかと思うほどの、幾多にも及ぶ木々のせいなのか。
心臓がいつもより煩く動くのは、自分が兵士であるのにもかからず、戦場から大きく離れた深い森を迷い続けているからであって。戦場から逃げ出した腰抜け兵士、なんてかっこ悪いも、百も承知。
 だが、左手で押さえている腹部と、出血により真っ赤に染まりつつある左太ももが、すぐさま戦線離脱をせよ、と命じていた。
 もしもあの時、己の身を案じて後先を考えずに、あの場所にいたら? 今、この時でさえ自分の命は存在していたか? おそらく答えは否だ。
 「ちきしょう」
 そもそもが違っていたのだ。一体どこの馬鹿が「あの国は技術の遅れている、いわば典型的な後進国」と言ったのか? 彼は走れば走るほど流れ出る血に、焦りを感じ、動かしていた足を止めた。まだ戦は続いているのか、小さくではるものの、時折爆発音が耳に届く。
 見たこともない最新の科学技術を使用した兵器に、手も足も出なかった、が、あの場所で戦った者としての本音だった。ライフル銃と少ない食料と実弾で十分だと言っていた、軍の司令官に現状をみろよ、と言いたい。何よりも、自国で優美に紅茶を飲みながら詩をつくっているであろう原下基夜、五十八歳、現在二人の息子と八人の孫に囲まれながら暮らしている彼の顔を、思う存分殴りたい。
 だが、今優先すべきことは、己の命なのだ。戦線からできる限りで構わない。出血を止めて、今にも死にそうな状態を、何とかして打破しなければならない。
 が、走れども走れども、見えてくるのは太陽の光を妨げる木々と、どれだけ手入れが疎かであれば気が済むんだ、と言いたくなるほどの雑草。いっそのこと、この場でポーチの中に入っている道具で応急処置をしてもかまわないのだが、せめて小さな小屋や、も少し命の安全性の高い場所で、と考える青年は、とにかく、走って前へ進む。
 「あんのくそじじいが、帰国したら絶対に殴る」
 もちろん、上司を殴れば、今の職にはいられない。新しい職を探さなければならない。その前に帰国できるかどうか、が危うい。
 だがあの上司を殴らなければ、心のもやもやが消えてくれない。
 進めども何の変化をも示さない風景に、青年はぴたりと足を止めた。
 「音が、やん、だ?」
 ありえるだろうか、少し走ったぐらいであれほどまでに耳障りだと思っていた音が、突然、これほどまでに気にするのをやめたのだ。異常だとしか思えない状態に、彼は目の前の草をかき分け、あんまりの気迫に、今の自分の状況さえも忘れた。
 「すげ、これ」
 目の前に大きく立つのは、一体樹齢何年目になるのだろうか、と思いたくなるほどの立派な大杉の木。本当に太陽にまで届くのでは、と疑いたくなるほどの大きさに、青年は言葉を失い、
 「そこの人」
 不意にかけられた声に、素早く後ろを振り向いた。百合の花束を両手に持った少女に安心したのも束の間だった。
 「貴方っ、怪我をしているではありませんかっ! シノミヤ、それを私にかしなさい」
 少女は百合と同じ白のワンピースを着ていて、どこか上品なオーラが出ていた。何かを見て、心配している顔色は、どうしてか、青く染まっていた。おそらくは、腹部と腕、さらには足からの出血をしている青年を見て、顔を青くしたのだろう。
 少年は、白い肌と幼い顔立ちの少女の横にいる、体格の良い彼のことで不安だった。彼女は確かに「シノミヤ」と言ったが、もしも青年の知っている彼だとしたら、この先の命は存在しないのだから。
 篠宮蓮(しのみやれん)は、青年の住む国とは敵対国の関係を持つ者。皇女侍従職にして、国王様の最たる信頼を得られるほどの剣士。もしもこんな場所で戦うともなれば、自分の命はないと覚悟を決めなければならない青年。怪我をしていなくても、うまく逃げられるとは、とてもではないが思えない。ましてやこの状況なのだ。確実に命を落とす。
 しかし、と彼女の言葉を否定しようとした男に、彼女の怒りは限界に近かった。じっと青年の瞳を見つめる。
 突然、青年は限界を告げるように、ここで意識が途切れた。











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