4.5



 石灰を袋いっぱいに詰め込み、返るときには必ず工場の主へ、ひと声かけなければならないことを、瑞樹はしっかりと頭の中に入れていた。
 めんどくさいのだ、このルールが。
この国で石灰を盗む人なんていないのだから、そもそも不用品なのだから、本来であれば管理者は必要ないのだ。椿と同じ重さの袋を持った瑞樹は、再びベルを鳴らす。生次郎であれば、ベルを一回鳴らせば主はすぐに来てくれる。生次郎だけではない。おそらく、自分以外のほとんどの人間が、こんな思いをしなくてもいいとわかっている瑞樹は、たった一回のベルで工場の主が来たことに、素直に驚いてしまった。
 いつもであれば、どんなに少なくともベルを三回は鳴らし、大きな声で主を呼んでいた。なのに、帰るときはたったの一回。一体何が起きたのかとも思ったが、案の定だった。
 「早く帰ってくれねえか? 孤児のあんたが長居してると、うちの両親も早死にしてしまいそうでさあ」
 どうということはなかったのだと、すぐに分かった。
 生次郎の家は両親健在で、長子が軍へ志願。弟妹もそれぞれ二人いる。これが、この国で何ら変わることのない、普通の形。
 一方で瑞樹は、一人っ子同然の生活。早くに両親を亡くし、兄は出征し、戻ってきていない。今は祖父母の三人暮らし。冷たく扱われることも「普通の形」ではないのだから、当たり前だと思っていた。
 「行こうか?」
 ベルの横に工場のカギを置く。此処の工場の主が瑞樹への態度がやたらと冷たいのも、同じ作業をしている人たちの目が、やたらと妬みに近いのも、すべては「普通の形」ではないのであって、仕方がないと思っていた。
 「ふざけるな!」
 工場に響きわたるほどの大きな声に、瑞樹は眼を丸めた。宮中できらびやかに大人しく生活することが当たり前であり、大きな声など出せない。力仕事などもってのほかのお姫様だとばかり思っていた瑞樹は、感情を表へと出し、怒鳴る椿に、今日一日だけで驚きの連続だった。
 「人を死神扱いするんじゃない! 人様の家の事情もろくに知らない他家の人間が!」
 「ちょっと、もぐら少女? 何を言って?」
 横目で管理者を見た。案の定というか、やはりといった表情に、背中が凍りつくかと思った。慌てて床に置いた袋を持ち、椿の手を引っ張りながら、工場を出て行く。呆然と、だが嘲笑うような顔をした主に、椿は堪えきれなかった。

 工場から歩いて五分程の所で、椿の怒りは爆発した。瑞樹の手を強引に振りほどいた。
 呼吸の浅い椿の瞳には、何が映っているのかよくわかっていた。瑞樹はゆっくりと口を開き「大丈夫」と口にした。
 「あれぐらい、どうと言うことはないんですよ? むしろ貴女がいてくださったから、たったあれだけで終わった。日ごろは、いつもはもっとすごいんですから」
 「たったあれだけって」
 「両親とたった一人の兄がいない。もう、兄にいたっては死んでいるのかもしれない。『たった一人でかわいそうな子』よりかは、むしろ『何かあればこちらが助けなければならない、はた迷惑な子』と思われる方が多い……もぐら少女だって、同じでしょう?」
 最後の部分だけゆっくりと言えば、椿は勢いよく顔をあげ、冷静さを取り戻していた。瑞樹は促すように「違う?」と言えば、椿は元気よく首を横へと何度も動かした。
 「……違わなくない……宮中で、何度だって言われた。人の言うことを聞かないから姉君が殺されたんだって。お前なんか『歌姫様』でもないんだし、二番目だから必要ないって。だけど、私は、そんなつもりなくって」
 今にも泣きだしそうな椿の頭を優しく撫でる。目も、大分赤い。おそらくそろそろ限界なのだろう。
「もぐら少女、一度城に行って着替えておいで? 一日同じ服だと洗うのが大変だし」
 今ここで泣かれたら、後々が大変だ。自国の姫様を泣かした孤児として陰口を言われてしまえば、今後、この国に住み続けるのは難しい。ましてや出征した兄がもしも帰ってきたら、説教だけで終わることはない。天国にいる両親も、一体何を思うだろうか? 小さく頷き、たった一人で城へと向かう椿の背中を見て、大きく一息ついた。
「姫様は、ご存じなくたっていんですよ……とは言えないわな」
 直接は、決して言えない。言える内容ではない。多額の借金返済が苦になり、自害した両親のこと。借金返済とたった一人の弟を養うために志願し、もう年単位で帰ってきていない兄のこと。周囲が兄のことを何と思い、自分をどう見ているのか。一国の姫君ではあるけれど、まだ十を少し過ぎたばかりの椿には、知らなくてもいいと判断したのだ。こういった人種がいることは、せめてあと五年後でいい。
 とにかく今知ってしまえば、あまりにもショックが大きいと考えた瑞樹は、一度地面に置いた袋を手にした。
 どうしても、一回冷静になってもらいたかった。
 だからこそ、一度城へと戻ってもらった。そしたら、たとえ椿であったとしても冷静になってくれると思った瑞樹は、自分の足元にある三つの袋に気が付いた。
 「うん?」
 自分が手にしている袋と同じ柄、同じ「石灰用」と書かれている。一体これは、と考えるまでもなかった。
 当たり前だ、工場からは二人が持って帰れる量を、と考えていたのだ。決してひとり分ではない。二人分なのだ。
 「忘れてた」
 仕方がない。自分は体力なしだが、城へと戻った椿の分まで持っていこうと、五つ目の袋を持った時だった。身体の均衡が保てなくなり、前へと転んでしまった。中身がこぼれることはなかったが、痛い。特に視線がいたい。自分が体力なしだとわかっていたが、ここまでとは思わず、処理場についたころには、手のすり傷に心配するアキラと、事情を話せば大笑いをする生次郎に、瑞樹は小さく言った。
 「悔しい」
 アキラがこの国へ来て、十日を過ぎようとしていた。













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