4.4



 「瑞樹君、次の作業に行こう?」
 アキラと生次郎二人が治療所へ行き、泥まみれとなった椿が言った。
 「うん、行こうか」
 次の作業、とは言っても処理場から歩いて一五分のところに、石灰を一時的に保管しておく工場がある。保管とは言っても、捨てる場所がないだけで、今となってはもう使われないところに置いているだけ。不要で大量に山と化した石灰を保管すべく、どうしても無駄に広いスペースが必要だった。衣服についた泥を気にせず、工場まで行く椿に、ただ愕然とするしかなかった瑞樹は、大きくため息をこぼした。
 普通、女の子であれば、と思うのだ。
 「何よ」
 泥だらけの袴に加え、真っ白だった靴下は汚れ、代わりがもう一つ必要と思われる。
 「もぐら少女のあだ名は、ぴったりだと思いまして」
 「何よ、瑞樹君まで! ちょっと酷くない?」
 「適任かと」
 「ひっどい!」
 頬を膨らませ、腕を組む椿の姿は、どこからどう見てもらしくなかった。泥だらけが原因ではない。もっと、別の何か。
 でも、と瑞樹が続けるように言った。
 「良いと思いますよ、もぐら少女。いっそのこともぐら皇女にしますか?」
 「もっと嫌よ!」
 腕を組みながら言った椿は頬を膨らませ、妙な感覚に陥った。くすくすと笑う瑞樹。集落の者は二人をほほえましそうに見ている。
もぐら皇女?
 「……一体いつから気が付いてたの?」
 ぴたりと足を止め、顔を青くした椿は、頭の中が混乱していた。
 椿は完ぺきだと思っていた。地味な服装に簪。きらびやかな宮中に住む姫様は、間違ってもこんな恰好はしないと。少し唸った瑞樹は足を止め、にっこりと笑った。
 「最初はどっかの令嬢だと思ってたよ。地味な色のわりには、布は高級品。十やそこらの女の子が着るものじゃない地味な色の服。使いの人のを勝手に着て邸を脱走したか、あるいは城の人が抜け出したか。姫様だってわかったのは、蓮さんが『帰るぞ』って言った時かな? あの人に妹や姉がいたとしたら、性別的にも女性の君を熊担ぎではなく、手をつなぐだろうし。でも、あの人が帰るってことは、城のことだろ?」
 「で、でも、それだけ?」
 「あとは周囲の、松江さんやシゲさんたちの反応や、あからさまな言葉遣い。普通の女の子や城での遣いの女性に『左様でございますか?』とは言わないからね?」
 瑞樹はすらすらとこれだけのことを言う。人差し指を立てながら言う姿は、暗記したものを得意げに自慢する幼子と、何ら変わらなかった。「そうでしょ?」と笑顔で言った瑞樹に、対立できるだけの知識もなかった椿は、大人しく負けを認めた。
 「ええ、間違いないわ。アルゼリア王国第二皇女、桜ノ宮椿よ。改めて、よろしく」
 「うん。秋原瑞樹。口調は、改まったほうがいいかな?」
 「よそよそしいのは嫌いだから、口調はそのままで。あと、もぐら皇女なんて言ったら怒るから」
 「わかった、もぐら少女」
 「もういいわよ、もぐら少女で」
 肩を落としながらしっかりと手をつなぐ椿を見て、ほっこりと頬の筋肉を緩める者。どうしてあんなこと姫様が、と妬みの目で見る者もいたが、今の瑞樹からしてみればどうでもいいと思えた。

 「おじさん! 石灰ください!」
 工場は、当たり前だが広い。広いからこそ、石灰の一時的な保管場所とした。
 もう一度叫ぶ。
 「おじさん! 石灰くださいっ!」
 生次郎はよく言うのだ。此処の主は耳が遠いわけでもないから、大きな声を出さなくても、ベルを鳴らせばすぐに来る、と。
 此処の主の許可を取らなければ、ごみ同然の石灰を取ってはいけない。このルールが、瑞樹は大嫌いだった。
 ベルをもう一度鳴らし、叫ぶ。生次郎であれば、たった一度のベルを鳴らせば、必ず来る。
 だが、自分は違うのだと、瑞樹は知っている。
 「瑞樹、私呼ぼうか?」
 何度も大きな声を出し、何度もベルを鳴らす瑞樹を横目に、椿は心配そうにしていた。
 「いや、大丈夫だから」
 本音を言えば、全く大丈夫ではない。
 呼吸だって浅い。何回も何回も大きな声を出していたせいだ。
 瑞樹はもう一度ベルを鳴らすが、奥からの物音はない。大きく息を吸い込んで、
 「すみませえん! ちょっといいですかあ!」
 叫んだのは、横にいた椿だった。
 「お使い頼まれててえ! 誰かあ、いらっしゃいませんかあ!」
 口元に手を当てて言った椿に、瑞樹は呆然とするしかなかった。
仮にも一国の姫君だ。これほどにまで大きな声を出せるのかと思う半面、椿であれば此処の主はすぐに出てくるだろうと瑞樹は予想し、この予感はぴたりとあたった。四十代を後半にさしかかる男は、無言で銀色のカギと何も書かれていない袋を椿へ差し出すと、そのまま奥へと行ってしまった。
 よく言えば体格がいい。悪く言えば肥満の彼に、椿は首をかしげた。
 「どうして『遅れてごめんなさい』の一言もないの?」
 「そういう人なんだよ」
 笑いながら言う瑞樹は、横で頬を膨らませ、不満を口にする椿を慰めながら思った。
あの人のことを言ってはならない、と。













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