4.3



 治療所から処理場へ行くのに、そこまで距離はない。歩いて五分とかからない。
 「持ってきました」
「重かったぜ」
 『重かったぜ』は生次郎君。まだ君は一五か六でしょうが。年寄りくさい。ぐっとこらえた言葉を消して、周囲を見渡す。
 「悪いな、兵士さんと生次郎君」
 泥で汚れた白い無地のシャツに褌姿は、かなり斬新というか、インパクトが強い。スキンヘッドの頭に、一メートル九十はある長身。加えて片手には大きなスコップ。これだけで子供は泣きそう。おまけに声も野太い。
 「いえ、とんでもないです」
 「シゲおじさん、これどこに持って行ったらいいの?」
 シゲおじさん? おじさん?
 「瑞樹と松江がいるところに持って行ってくれ。向こうにいるはずだ」
 「了解!」
 元気よく返事をした生次郎君。自分は松江を知らないから生次郎君の後ろをついていくか、瑞樹を探さなくてはならないのだけれど、シゲおじさん? シゲ叔父さんなのか、シゲ伯父さんなのか。はたまたシゲ小父さんなのか。
 生次郎君と一緒に穴を二つほど先のところまで移動して、瑞樹と見知らぬ男の人がいるところまできた。
 「瑞樹、松江さん。これどうしたらいい?」
 やっとの思いで持ってきた桶を地面に置くと、松江さんと思わしき人が言った。
 「ああ、そこに置いてくれ。あと、あれを頼んだよ」
 あれ、とは空になった桶のこと。これを治療所へ持っていく。「わかりました」と言えば、優しく笑った男の人。
 「松江一男(まつえいつお)だ。松江(しょうえ)でいい」
 ビンゴ、とでも言うべきか。優しく笑い、温かな雰囲気を持つ彼が、松江さんなのだろう。
 「アキラと言います。よろしくお願いします」
 ここまで言って気が付いた。
 人の目を見て話すようにと両親から言われて育ってきたから、一種の癖だった。
 目の色が、一緒だった。
黒のような、紺のような、限りなく黒に近い紺色。間違いなんてない。
 『同胞だ。今までよく頑張った。ご両親にもよろしく伝えておいてほしい』
 リガルハの中でも秘境中の秘境と呼ばれていた地域にしか住んでいなかった一族の身が使う言葉が、まさかこんなところで出てくるなんて思わなかった。流暢できれいな言葉は、もう家の中でしか聞けないとばかり思っていた。
 『帰国したら必ず、両親に伝えておきます。同胞が生きていたんだ、と』
 少しだけ、目頭が熱くなった。素直に、嬉しいと思えた。
 リガルハの中でも大きな一族であれば、こんなにも感動しなかった。特別、これと言って秀でたものもない。何かが古くから伝わっている芸能があるわけでもない。力もお金もあるわけでもないし、特別貧しいわけでもなかった。
 ただ、リガルハが滅んで、自分の仲間がどうなったとか、ちゃんと生きているのかとか、全く分からなかった。両親だって、知らないやわからないと言っていたから。
 「掘り終わりました!」
 穴にかけている梯子を使って登ってきたのが、てっきり瑞樹か、この国の子だろうと思っていた。声が女の子だったからどう考えたって椿姫ではないだろうと思っていた。「自国の姫様に汚物処理をするための穴掘り作業」なんて、普通であればやらせはしない。ちょっと体力のある女の子が穴掘り作業をしていたのだと思っていたから、泥まみれの椿姫が穴から出てきたとき、思わず松江さんを凝視した。
 『いいんですか?』
 誰が、何を、どう、と言うまでもない。というか、松江さんも分かっていてほしい。
 『椿姫がご自分で仰ったんだよ、私にも手伝わせてくださいって。だったら、これしかないだろ? もしくは汚物搬送させるか?』
 これ、の説明をしなくても分かってしまうのが、なんとも悲しい。穴掘り作業か汚物搬送か。
 『……穴堀作業をやる姫君ですか、嫌いじゃないですよ、自分は。ただ、蓮さんが何を言うか、ですが』
 『ああ、私も嫌いではないな、穴掘り作業を自分から進んでやる姫君。ただ、猫宰相様は何を言うだろうなあ?』
 笑う松江さん。そのすぐ近くでは生次郎君が椿姫に「もぐら少女は相変わらずだな」なんて言っている。泥だらけになりながらも走る椿姫。
 平和で、温かいのだ。
 誰も、生次郎君を怒ろうとはしない。「あらあら」とか「元気がいいわあ」とか言って、優しく笑っているのだ。
 申し訳ないと思えた。
これほどにまで優しく、温かな笑顔を見せている彼女たちの、大切な家族を殺したのは、もしかして自分かもしれない。移民兵で裏方ばかりをやるとは言っても、正規の兵士がたった一言「嫌だ」と言えば、容赦なく表へ出されてしまうのが、移民兵。
 今回だって同じだった。家族がいるから、死に急ぐのは嫌だ。こんな理由で「すっぽかした正規の兵士」は、一人や二人だけではない。本来の「正規五割、移民五割」のルールを「正規二割、移民八割」と、大きく無視した。もっとも、自分も人のことは言えないけれど。
 『戦争に加害者はいねえんだ。いんのは被害者だけだ』
 頭を乱暴に撫でてくれた松江さん。幼い子供を不器用ながらにあやす様に、乱暴に頭をなでる。ありがたいと言えばありがたい。
 「生次郎君、戻るよ」
 たぶん早く戻らなければ、次の桶がなくなってしまう。汚れた袴に目もくれず、大きく手を振る椿姫。本当に、一国の姫君なのかも疑ってしまう。
 「あのもぐら、意外とがさつだよな」
 大きく背伸びをする生次郎君。きっと、生次郎君は気が付いていない。













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