3.11



 「王国の民としてそのような発言をし、如何にして子を育てるというのだ、この無礼者が。天使の午前で何たる愚考を口にすれば気が済むと思っておるのか!」
 瑞樹と椿、アキラの横を何も言わずに通り過ぎ、赤子を抱いた女性の頬を叩いた男性は、胸元まで伸びる髭と、紺色の着流しの底の高い下駄という格好をしていた。「あっ、このおじいさま」と、椿が小さく声を漏らした時だった。
 「ちょっとじっとしていてくださいね、裾が汚れてますので」
 瑞樹はたまたま予備に、と持ってきていた手拭いで、椿の着ていた袴の裾の汚れをふき取った。作業をするから汚れると思い、念には念をと、敢えて二枚持ってきておいたのだ。膝をついて汚れを軽くではあるものの取り除き、ふと顔をあげて「もうこれで大丈夫です」といった瑞樹は、自分がやったことなど、まったくわかっていなかった。呆然と、驚いた表情で瑞樹を見るアキラと、何事かともわからない表情で三人に近づこうとした生次郎だったが、「あんただって同じでしょう?」の言葉に、変な声を出してしまった。真剣な瞳で自分を見る彼女たちに、あまりうかつなことは言えないと判断した生次郎は、確認の念を押して、震えた口で動かした。
 「何が、ですか?」
 「何が、じゃないわ。こんな人の国の姫様を殺した人間を追い出すべきだってことよ」
 「まだこの国の姫様は十を少し過ぎただけというじゃない。きっと何もわからずに助けてしまったのよ」
 「この国に人殺しなんて必要ないわ。生次郎君だって同じ考えでしょう?」
 同意を促すような瞳と、自分たちは何も間違ったことを言ってはいない、正しいことを口にしているのだと言わんばかりに、何度も首を縦に動かす彼女たち。
 彼女たちの言い分も分かる。決してわからないものではない。この国の第一皇女であり、椿の双子の姉は、異国の人間が殺した。この動くことのない事実は、生次郎もよく知っている。一刻も早く犯人を捜さなくてはいけない。
 だが、当のリア国からは「該当者無シ」の一文のみが送られてきた。
 彼女たちの言い分も、気持ちもわかるのだ。アキラが移民兵とはいっても、軍人であること。「異国の人間は、みな人殺し」と口にする彼女たちの気持ちも、決してわからないものではない。
 「待ってください」
 アキラから離れ、瑞樹の手拭いをしっかりともった椿は、出来るだけ周囲の人間にも聞こえるよう大きな声で言った。
 「この国の姫はまだ幼い。政もよくわからない年齢。あなた方の主張もよくわかります。ですが、何もわかっていないのは、一体どちらですか? 敵であれども怪我人は怪我人。そこに国境やどこぞの国の者、などといった主観は一切不要不問であり、たとえ彼が軍人であろうともなかろうとも、同じこと。彼は負傷し、治療費用として一定期間内、国の重労働を行う。これらの流れを何も知らずに彼を追い出せと言うのであれば」
 「私にいつでも物申してください。三六五日、朝八時から夜九時まで受け付けますので」
 人をかき分けながら出てきた彼に、ほんの一部の人間は強く歯ぎしりをした。限りなく黒に近い紺色の着流しと上着。外来品の刀を腰に、銀色の懐中時計。肩には子猫が二匹ほど。
 誰かが小さくつぶやいた、猫宰相様、と。顔色を青くするアキラの背後に隠れようとする椿を捕まえ、担ぐのとほぼ同時だった。つい数秒まで強気だった女性三人はどこかへと行き、傍観者を決めていた者は、口々に「さすがは猫閣下」と嬉しそうに言った。中には拍手をする者までいる。
 「帰るぞ」
 蓮が、椿に小さく言った。
 「シノミヤ、内心うれしそうだね? まんざらでもないって顔だよ、猫閣下!」
 「帰ったらみっちりお説教付きの作法な?」
 「嫌だよ、しんどい」
 頬を膨らませながら言う椿と、心底めんどくさそうに言う蓮の姿は、一国の姫様と宰相様ではなく、年の離れた兄妹としか見えなかった瑞樹の目は、誰がどう見ても放心状態だった。一言でいえば頭の中が真っ白な状態。わかりやすく言えばかわいい女の子に一目ぼれ。ただ立っているだけの瑞樹の肩を揺らそうとした生次郎は、横で同じく呆然としているアキラを見て、頭の中が混乱した。どうして二人そろって、こういった反応をしているのだろうか、と。
 「もしもし、お二人さん?」
 二人の前で手を振る。一回だけ手を合わせ、音を出す。が、何の反応もない。一体二人ともどうしたのだろうかと思った生次郎は、
 「ちょっとあんたたち! 何してんのよ!」
 勢いよく扉を開けたレイに驚いてしまった。
 さすがの瑞樹とアキラも、我を取り戻したようで、手と足を動かし始めた。
 「姫様もたいそう元気になったな」
 自慢の髭を触りながら言う初老の男性の小言は、誰の耳にも届かず、空へと消えて行った。













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