3.10



 どうしようもないことだとは思っていた。アキラが兵士である以上、何かしらの扱いを受け、多少の暴言を吐かれることも。すべてはこの国の姫様が殺されてしまったから、仕方のないことだと思っていた。
 「人殺しのくせに」
 たまたまだった。
 穴掘りから帰ってこない二人を心配した。まさか何かあったんじゃないのか? 瑞樹は体力なしのわりには大食い。生次郎からしてみれば、異国から突然やってきた医療従事者のレイが、何度も繰り返すように言っていた。
 口に入れるものは必ず熱を加えろ。
 食器は石けんと火傷をしない程度の熱い湯を使って、十二分に消毒をすること。
 患者との接触は限られた人間しかやるな。
 触れるだけで感染することもないし、一緒の空間にいるだけで、感染することもない。だけど、極力、限られた人間の身にしてくれ。
 生次郎は、まさかと思ったのだ。手から滑り落ちたスコップは、がらんがらんと、音を立てた。
 瑞樹は体力なしだが、かなりの大食い。患者が口にしたものと同じ食べ物を「これな、おいしいから」などと言っては、アキラと二人が口にし、あっけなく二人とも感染してしまった。
 だから二人が戻って来ないともすれば、話が通る。
 「しょうちゃん、どうした?」
 同じ作業をしていた男が、生次郎を呼んだ。急に立ち止まってスコップを落とし、何も言わなくなってしまったからだろう。
 心臓が、やたらと早く動く。
 「あの馬鹿、頭の回転だけは速いから、そこらへんをうまく使ってやってくれ」
 生次郎よりも二つ年上の男は、この伝言を残し、戦へと行ってしまった。たった一人となってしまった弟であり、家族の瑞樹を残して。
 あれからもうずいぶんと経つ。あの人との約束は、生次郎の心の中ではまだ健在している。
 もしも、もしも二人に何かあれば、自分はどうしたらいいのだろうか?
 「なあ、シゲさん。アキラのことどう思う?」
 シゲさんと呼ばれた男は、ぴたりと動きを止めた。五十を過ぎ、白髪が目立つ頭を気にすることなく、薄汚れたTシャツには「愛猫」と書かれている。数秒ほど動きを止め、スコップを地面に突き立て、ためらうことなく言った。
 「たとえ自分の身が危なくなったとしても、黙って他人を助ける人間だろうよ。後先考えずに突っ込んでいく馬鹿に、複雑な思いなんざ、ミジンコもねえ。ただの情けねえ馬鹿だが、俺は好きだね」
 にっこりといつもの笑顔で言った彼と、ともに作業をしていた者が何度も頷いた。決して偽りなどないその表情に、生次郎は心が温まる気持ちだった。自分と生次郎が考えていたことは、どうやらちっぽけなことであり、大方の人間は自分たち同じ考えのようだとわかってしまったから。彼らは一斉に笑いながら再び、作業へ戻りつつも、しっかりと口を動かす。
 「第一にあのアキラ君? いい子じゃないか。文句言わずに重労働して」
 「あんな子は人を殺せやしないよ。いい子じゃないか」
 「それにあの国の人間だから人殺しだってのは、イコールじゃねえ。だったらあの別嬪金髪姐さんは、一体何者なんだって話だ」
 大きな声で笑う彼らに生次郎は呆然としたが、やがてどうでもいいとさえ思えた。
 「瑞樹たちを引き戻してきます!」
 スコップを壁にかけて走って行こうと思った生次郎は、とりあえず二人が感染していなければいいと考えていた。最初に行くべき場所は彼らの言う「別嬪金髪姐さん」がいる場所だ。この作業所にいる人間の中であれば、誰よりも足が速く、体力もあると思った生次郎は、「俺もいく」の声に驚いた。
 「シゲさん? あんたここのリーダー」
 「馬鹿野郎。体力だけが取り柄のお前さんを一人で行かして、もし何かあったらどうする? 言っておくが瑞樹はお前さん以上に頭の回転は速いが、その分沸点は低いんだ! 短気と馬鹿だけで万が一の処理は通用しねえんだ」
 彼の言葉に、目の前が真っ暗になった生次郎は、何も言い返せなかった。指をさしていわれたことが的の中心を上手く狙っていて、最早「わかりました」の言葉しか出てこない。シゲさんと呼ばれた男と一緒に、おそらく二人ならここにいるだろうと思った生次郎は、治療所と指定したところに行くまでの道を歩き、最後の角を曲がった時だった。
 「人殺しのくせに」
 案の定というか、やはりだった。両親と唯一の兄を早くに亡くした瑞樹のことを「孤児」とののしり、アキラのことを「人殺し」と口にする彼女たちと、口論になっていた。
 「当然っちゃあ、当然だわな」
 失笑する彼に、生次郎は大きくため息をこぼした。
 このままでは混乱の元となることは間違いない。やめろ、との言葉さえも振り払う瑞樹と、エスカレートしていく女性三人。加えて、ぱっと見ではわからないけれど、内心はかなり起こっているアキラ。これは一度、大きな声を出してでもやめさせるべきだ。もしも万が一、彼女たちの身に何かがあれば、一般国民の人間を害した兵士として、今度こそ力づくでもアキラをこの国から追い出そうとする輩が現れる。何よりも、治療所でたった一人戦っているレイにも申し訳ないと判断した生次郎は、大きく息を吸い込んで、なぜか、かたかたと動くマンホールに目をやった。
 風は強くない。
 雨も、ここ数日は降っていないので、おかげさまで乾燥し放題だ。なのに、マンホールが一人で動いている。
 「おい、アキラ、お前」
 『足元のマンホールが動いてるぞ』との言葉を待たずに、マンホールのふたが開いた。勢いよく、マンホールの蓋が、勝手に開いたのだ。
 「なっ!」
 どうしてマンホールの蓋が急に開いたのか? しかもどうしてこのタイミングで、と生次郎も、先ほどまで口論を続けていた五人も一様に目を丸めた。
 「よいしょっと、どこだここは?」
 真っ黒な髪と地味な簪。加えて十を少し過ぎただけの女の子が着るのには、少し物足りない、もう少し明るくてもいいのでは、と思うほど地味な袴に、底の低い木靴。どこからどう見ても「どこかのいい家のご令嬢が家を抜け出してきた」としか見えなかった。事実、生次郎の後ろにいた男性は、椿の顔を見ると、すぐに頭を下げ、片膝を立てた。
 「なんでこんなところに?」
 「毎日お勉強ばっかりで嫌になるから、こっそり出てきちゃった」
 マンホールから出てくると、しっかりとふたを閉め、大衆の目を一切気にすることなくアキラに抱き着いた椿は、ふと周囲を見渡した。椿の顔を見たことがあるものは、顔を青くし、どうしてマンホールの中から姫神子様が出てきたのかと、疑問の念を拭いきれていないもの。
 「出てきちゃったって……いいの、それ?」
 「だって毎日毎日お勉強ばっかりは退屈よ?」
 「そりゃあ、わかるけど」
 おそらく椿が城を抜け出したことによる蓮のしわ寄せは、すべて自分に降りかかってくる。だから城に戻ってくれ、とは言えなかったアキラは、椿の頭を優しく撫で、ふと思ったのだ。
 汚い手だろうが、ここは一つの手法だと考えた。自分を助けてくれたのはこの国の姫様と宰相様であり、目の前にいる女性、と赤ん坊は、この一件に対して不満を抱いている。『うだうだと不満を言うようであれば自分ではなく、こちらにどうぞ』と言って、さりげなく椿を差し出すこともできる。もっとも、傍観者を決め込んでいるものの中には、それだけは絶対にやめてくれと祈る思いで見守るものと、ついでなんだからこれぐらいのことはやってやれと顔に出ている者もいる。
 やがて、一人の女性が軽く舌打ちをした。
 「世間知らずの幼い姫様に助けられたからって、何を調子に乗ってんの? そんなんだから姉様まで失うんじゃないの?」
 くすくすと笑う女性の声。彼女の声は小さかったが、椿や、少し離れたところにいたレイの耳にも届いた。何か、亀裂にひびが入るような音と共に、乾いた音が響いた。












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