3.7



 「よっこらせ」
 おおよそ五升分は入っているであろう容器を持ち、やはり自分は体力なしなのだと知らされる。年齢があまり変わらないはずのアキラは、顔色一つ変えることなく運んでいく。少し年上の生次郎にいたっては、別作業なのでよくわからない。
 だとしても、
 「瑞樹、お前は相変わらずだな」
 こんなことを言われてしまえば、気力とて落ちてしまうのが、瑞樹の性格だ。
 治療所へ戻り、ふと置いてあるはずのものが一つもなく、横にいたアキラは大きく背伸びをしていた。
 「汚物入れ、もう全部運んだの?」
 少しだけ息が切れている瑞樹とは違い、平然と「今のところはね」といったアキラの表情には、どこにも「疲労」が見当たらなかった。いくら彼が兵士として生きてきたとはいえ、この差はあまりにも悔しかった。幼いころから病弱で床に伏していたのであれば、まだ仕方がないとあきらめがつくのに
 「ちょっと、あの子でしょう?」
 ふと、視線は前のまま、長屋で暮らす人たちの声に耳を傾けた。
 「そうそう、姫様と宰相様に助けられたっていう」
 「図々しいわあ、人殺しの国の人間が」
 「一体どんな神経をしてるのよ」
 「ふてぶてしいにもほどがある」
 「さっさと出て行って頂戴、ってかんじね」
 アキラにも聞こえないはずがない距離で、あからさまなことを口にする。決して小声ではない。中には小さな赤ん坊を抱えた若い女性までもが、きつい目でアキラを見ていた。彼女たちと同じ出身国の人間として、あまり我慢してみていられるものではなかった瑞樹は、強く歯ぎしりをした。
 「本当、さっさとどっかに行ってほしいわ」
 「よくもあんな顔でこの国にいられるわ」
 「軍人だっていうけれど、所詮は人殺しじゃないの」
 ぷっつりと、今まで我慢していた糸が切れ、一歩を踏み出そうとした時だった。
 「瑞樹、こっちの子供たちは一体どこで遊んでいるんだ?」
 あんまりにも唐突な質問に、瑞樹は思わず声をあげそうになったが、頭を動かした。が、頭の中では彼女たちの発言が、異常なまでに引っかかっている。
 「……今はどこの家も部屋の中で遊ぶのが普通じゃないのかな? 前は道端や公園で普通に鬼ごっこやかくれんぼとか、あと野球やサッカーとかもしてたし。ちょっと金持ちの子だと囲碁とか?」
 「そうか、どこの国の子も変わらない、か」
 大空を見上げながら言ったアキラに、瑞樹は少しだけ視線を後ろへとやる。相変わらずの視線をアキラへ向ける彼女たちは、瑞樹と視線が合ったとわかれば、さらに目をきつくさせた。「さっさと追い出してしまえ」と言いたいのだろう。
 「瑞樹の気にすることじゃないよ」
 笑いながら、小さな声で言ったアキラは、彼女たちのことを一切気にかけていなかった。性格の違いもあるのかもしれないが、自分の耳に届く範囲内で、自分の陰口を平然とした態度で言われ、どうしてそれを「気にすることのないもの」として扱うことができるのか? 瑞樹とアキラでは生まれた国も環境も違うのだから、考え方だって大きく違ってくるのは当然なのだが、これを気にするなと言われ、感情を失った人間のように動き、従うなど、瑞樹からしてみればできないことだった。どれほど自分のことではないとわかってはいても、同じ出身国の人間が、いつもは笑ってお団子をくれる人が、こんなことを平然と口にしていて、違和感を抱かないはずがない。
 「上原さん、水谷さん、北守(きたかみ)さん、ちょっといいですか?」
 こういったことに噛みつけば、後々が大変面倒で、どうしようもないという人間の気持ちも、アキラの言う「気にするな」も、決してわからないわけではない。
 ただ、瑞樹は思うのだ。
 「あなた方、随分と異国から来たアキラ君を批判していますけど、文句があるなら直接姫様に言ってみたらどうですか? 彼を助けたのはこの国の姫様ですし」
 瑞樹がこの言葉を口にすると、ほんの数秒間だけ、周囲がやたらと静かになった。たまたま近くを通りかかただけのものも、まさかあの瑞樹がここまで口を開くとは思ってもいな方、との表情を見せては、手にしていた農具を地面に落とす。まさかこんなことをまだ十代で、あの瑞樹がここまでしっかりと物事を口にするとは思わず、大きく口を開けるもの。幼児にいたっては、何が起きたのかすらわからず、ただ呆然と立ち尽くしているだけだった。あんまりの発言にアキラは驚いてしまい、手拭いを汚物が入っている桶の中に落としてしまった。「あっ」と小さく声を発した直後だった。
 「孤児だからって調子に乗らないで!」
 「なんでも言っていいと思ったら大間違いよっ!」
 「まだ子供のくせに、生意気を言うな!」
 めまいを感じたのはアキラだけではなかった。事態を素早く察した大の男たち数人は、額に手を当てて、自分は関係ないのだから、巻き込まないでくれ、との表情でその場を離れた。一方で何事かと目を輝かせているのは幼児や血の気の盛んな大の男たちだけだった。












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