3.2



 傷口が開くことなく、慎重に歩き、何度も道を迷いかけ、やっとの思いで外へ出て、やっぱりかと、落胆した。彼らが掲げるプラカードには「対国の兵士を受け入れるな」と書かれていた。対国の兵士とは、おそらく自分の事なんだろうと判断したアキラは、小さく「移民兵だっつうの」と言った。正規の兵士と、どんなひどい目に文句の一つも言えない、移民兵の違いも分からないのか、とため息をこぼした。
 アキラは外へ出ようとした。待って、と誰かが言った。
 「彼を助けたのは、私です」
 呼吸を浅くして、肌着一枚の姿で叫んだ椿に、彼らはほんの一瞬だけ目を丸め、やがて静かになった。床に空き缶やごみが散らばる中、椿は何もためらうことなく、アキラの手を引き、民衆の前へ出て、大きな声で言った。
 「私は確かに目の前で姉を失いました。最初は絶望しかなく、国王様にも言いました。自分は姉を殺した犯人の特徴を知っている。あの日、護衛隊の一人もつけずに、国境付近に言った私が馬鹿だった。だから姉は殺された。だけど、姉を殺してもいない彼を恨み、憎む理由はどこにあるのです? わたしは」
 急に言葉を詰まらせた椿は、頭の中が真っ白になった。
しっかりと考えていたはずだった。どうしてアキラを助けたのか? 敵対国など関係ない、この一言を口にして、目の前の彼らは、はたして信じてくれるのだろうか? 姉を、一国の姫君を殺した人間と同じ国籍を持つ。この事だけで、おそらく無関係であろう彼を憎んで、一体何のメリットがあるのだろうか? もうこれ以上の戦を続けて、何の意味があるのか? 民意との大義名分を使えば、頭の固い国王様でも理解してくれる。
頭の中ではしっかりと分かっているはずなのに、どうしても言葉に出せない椿に、空き缶が一つとんだ。
「国賊皇女め」と、誰かが言った。
「お前は国賊皇女だ。敵に情けをかけるようなことをして」
 憎しみの瞳。まずいとアキラが判断したのも、束の間だった。このままでは、下手をすれば、まだ一二の彼女が勘違いで殺されてしまう。
 「酷い目に会うのは、移民の僕だけで十分だ」
 小さく言ったアキラの言葉に、椿は目を丸くした。椿よりも一歩前に出たアキラは、突然響いた悲鳴に目を丸めた。

 「何よ、コレ」
 呼吸を浅くしているレイは、森の中を走り、ようやく目にしたモノに、驚きを隠せずにいた。人々が皇女と思われる女の子へ「逆賊皇女」と口にしては、ごみを投げつけている。
 しかも彼女はまだ十を少し過ぎたぐらい。一体何が、どうして、逆賊皇女だと言われなければならないのだろうか? 
 言葉の意味も分からず、王族を敬わず、ただ言いたい放題の彼らに、レイは我慢の限界だった。
 不法に国へ入ったから捕まると言うのであれば、自国の王の娘に対して非礼極まりない発言と行動を当たり前のようにした彼らは、一体何を持って王国の民と言えるのだろうか? 文句の一つでも言ってやろうと思ったレイは、苛立ちを隠すことなく、三メートルはあるフェンスを乗り換え、彼らに静止の声をかけようとした時だった。
 近くで誰かが悲鳴をあげた。何事かと肩を震わすことがなかったのは、ごく一部の人間だけで、椿やアキラにいたっては目を丸くしていた。
 突然誰かが顔を青くして、おう吐し、やがて倒れた彼の姿に、誰もが目を丸くした。一体何が起きたのかもわからず、何事だと、椿も気が動転していた。
 まさか、と思ったのだ。こんな時代にこれはありえない。
 だが、放置はできなかった。
 リア国の人間。これだけで、この国ではどんな目で見られるか? 想像なんてたやすい。
 自分は、仮にも医学の道を歩むもの。国同士が争いをしていても、救える命があるのであれば、彼らを救いたい。この一心だった。

 「とりあえず、私が彼を診ますので」
 心が病むのをこらえながら、涙を耐え、頭を下げた。おう吐した彼を、ほんの一時的な治療所へと移動させた。症状が軽いものだとは言っても、病人は病人。決して油断をしてはいけない。
 大きく息を吸い込めば、姉ちゃんよ、と言われた。
 「アンタ、リア国の人間だろ? 皇女様を殺したように、俺を殺してくれよ」
 「私は」
 医者です、と言いかけた言葉を投げ捨てた。卒業式の日、私は医師の資格を、何の躊躇いもなく投げ捨てた。
 「姫神子様のように殺してくれよ」
 今時、この世に魔法師なんていない、と馬鹿にされた。医者の免許も持たずに今から行うことは、立派な違法行為。
 だけど、目の前に救えるかもしれない人間がいて、その人たちを助けない医学部出身者は、おそらくこの世にいないと思う。戦時中の混乱であれば、なおのこと。法もくそったれとなってしまえば、言わずもがな。
 「戦なんて御免です。あなた達を死なせたりはしない」
 ぐっと手を握り、腹を括る。もう、国へは戻れないだろう、と。

 病気にかかった人間、特にこの伝染病にかかっている人間は、皆が皆、同じことを口にしていた。
 「なあ、お嬢ちゃんよお、殺すんならすっぱりと殺してくれよお」
 「なあ、お嬢ちゃんよお、いつ俺を殺してくれるんだ?」
 「なあ、お嬢ちゃんよお、リア国の人間なんだろ? 姫御子様のように殺してくれよ」
 誰もが自分をリア国出身者と言うだけで、殺してくれと願う。我慢の限界だった。
 「アンタたちはおとなしく治療をされてなさい! 魔法師兼半人前女医の私が、こんな治る病気で苦しむ人たちを見て、放っておくはずがないでしょう!」
 手作り感あふれる寝台を蹴ってやろうかとも考えたレイは、暑さと緊張感でひたすらあふれる汗に耐えながらも、手を動かす。
 アルゼリアに入ってまだ三十分。患者は十を超える。一人で乗り切るのには、限界がありそうだ。
 伝えることは、すべて伝えた。戦へ出ることのなかった若い男性たちは、汚物の処理にあたってもらっている。ありがたい話だとは、心底思う。
敵対国出身のレイが治療を行うと言っても、反論の一つも上がってこなかった。むしろ、こうして治療を行うスペースの確保もできた。道具の準備もしてくれて、おまけに一人ですべてをやるのは大変だろうからと、汚物の処理に手を貸してくれた。せめてもう一人ぐらいは助手として、人手が欲しいのだが、我が儘を言ってはいられない。
 この国に、医者は一人もいない。
 だったら、自分一人だけでもやらなければならない。出来ない、とは言えない。医学の知識もない人間に手伝ってくれ、とは、どう足掻いても言えない以上、一人で絶対に何とかしなければならない。
 後ろで、誰かが嘔吐をする声がした。はっと気がついて、背中を擦り、声をかける。桶の中へと吐き出した者は、青白い顔で言った。
 「殺してくれ、姫神子様のように殺してくれ、楽になりたい」
 涙ながらに言うものに、レイは感情を押し殺した。彼らの言うことは、分からなくもない。むしろよく分かる。当たり前の反応なのだが、だからといって、こんな所で投げ出したくはなかった。
 これで何度目になるのかもわからない言葉を口にする。
 「私は魔法師兼半人前の女医です。私は出来る限り、貴方達を治していくつもりです」
 国同士の戦いを、甘く見過ぎていた。













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