3





 四年前の『日本人殲滅命令』で多くの人間が命を落とした。根本的な原因はアメリカ側にあった。
 きっかけと事の動きは、とても簡単だった。
医療が進んでいるアメリカお墨付きの「どんな難病にも効く万能薬」として輸入してきた薬を、臨床実験等なしで患者に与え、これで難病患者が治ると、少なくとも、当時日本政府は本気で信じ込んでいた。
 現実は、悲惨だったが。薬を投与すれば治るとされた難病患者は、確かに退院はできた。最悪の「死」という事態を招いて。悲しむ遺族の矛先は政府側と医師会に当たったが、彼らはこれらを徹底的に破棄した。
 そしてアメリカ合衆国独立記念日でもある、あの夏の日、一人の男性が馬鹿をした。
 『結婚式当日に花嫁でもある大統領愛娘が、何者かによって殺された』
 この「何者か」の特徴が「黒髪の黄色人種の東洋人で、片手に刃物を持っていた」だけで日本人(彼らの中にはイコール日本に住む侍や忍者類の者と思ったのだろう)と誤解を招き、だが、当然のように日本政府は「今時そんなことはありえない」と断言。犯人を一向に出さなかった(正しくは“出せなかった”だけど)日本の対応に苛立ちを隠せなかった大統領は、やがて『日本人殲滅命令』を下し、逆らう者は万死に値する、と声明を公表。
 あの時、自分の花嫁を守れなかったのが、局長と呼ばれるラウさんで、花束を抱えている女性が愛娘とささやかれていた花嫁の母親。きっとラウさんも、彼女も、自分と同じ被害者なのだろう。じっと渡された書面を見て、自分だけが被害者ではないのだと、どこからしらに安心が生まれ、
 「おい、何考えてんだ、取り組むぞ?」
 ラウさんから二十枚はあるであろう紙で頭を叩かれ、現実へと戻る。今、自分は「ただのお手伝い」としてFBIにいるのだから、てきぱき働かなければと思い、考えていたことを取り払う。仕事内容が単純で簡単なだけに、しっかりとしなければと思うと、気が引き締まる。どんな仕事であったとしても、しっかりとやれ。大借金をして離婚までした実の父親の言葉だ。時には役に立つんだと、改めて思う。目の前に出された書類をきれいに年月日順に並べて、段ボール箱の中に入れるだけ。体力もいうほど必要ではないし、問題は語学力だけなんだけど、これもあっさりとクリアーできる。
 英語ができるってこういうときに役に立つよね、なんて思いつつも大量の書類をさばいていき、ふと手が止まった。
 「美樹さん、元気かなあ」
 彼女のことだから元気なのは当たり前なのだろうが、苦労はこちらとは比ではないはずだ。なんせ向こうは一国を動かしている最中なのだ。しかも出来たばかりとだけあって、かなり大忙しなのだろう。ちゃんとご飯は食べているだろうか、風邪はひいていないだろうか、上手くやっていけているだろうか。まるで親のような不安が胸の中をいっぱいにしていく。
 「楼くん、ちょっとは進んだ?」
 ガチャリと開いた扉に、再び自分が物思いにふけっていたと気が付き、あわてて書類を段ボールの中に入れる。
 「すみません、もう少しで終わりますので」
 箱に入れる書類をすべて入れたと確認した後に持ち上げて、軽く二キロはあるな、と笑いそうになった時だった。ばさばさと、何かが落ちた音がした。足元には何かが当たった感触を抱きながらも、ゆっくりと視線を下にしていく。足元には、段ボール箱に入れたはずの、大量の書類。部屋に入ってきた女性は目の前で起こったことに耐えられなかったようで、背中を丸くしながら笑っている。血の気が引いていくのと同時に、恥ずかしさで穴の中に入りたいと願うのは、これを体験したものであれば、誰しもが思うであろう。中に入っていた書類の重みにより、段ボールの底が開いてしまった。決してありえない出来事ではないのだろうけど、恥ずかしいのにもほどがある。
 「きっと一つだとそうなるだろうなって、ボスからこれをもらって来たの」
 すっといくつもの段ボールを差し出した、年齢の変わらない女性は、なぜかハイヒールだった。
 「すみません、ありがとうございます」
 頭を下げて受け取り、いったい彼女がどういった神経をしているのだろうか、と思う。
ここは仮にも米国連邦調査局。年齢相応の女性がキャミソール一枚に、太ももをがっつり出したミニスカで生足を隠すことなく露出し、黒のハイヒール。上に一枚も羽織っていない状態で、ここをフラフラと歩いてもいいのだろうか、と思う。少なくとも、異性の前でこんな格好でふらふらと歩いてもいいのは、日本だけだと思う。いや、日本でも大丈夫なのだろうか? 彼女の身の安全のことを考えて言うべきだろうかと悩み、ふと彼女が屈んだ時だった。僕は間違っても、見たくて見たわけじゃない。見えてしまったんだ。
 「ふざけんなっ、嫁入り前の婦女子がっ! もう我慢ならんわっ!」
 書類を投げ出して叫んだ僕に、彼女は目を丸くした。
 「・・・はっ?」
 「は、じゃないでしょうっ、ミニスカキャミソールにハイヒールって! まるで娼婦かキャバの姉ちゃんみたいな服装をしてからっ! 胸元隠してっ! 年齢相応におしゃれを楽しむのもいいけど、節操ってものをちゃんと持ちなさいっ! 女性がそんな格好をしたら、美しさよりも醜さが増すってお母さんから習わなかった? 男から襲われても、文句の一つも言えないでしょうがっ!」
 指をさして言えば、彼女は目を丸くし、やがて背中を丸くしながら笑った。
 「あなたって本当におかしな人ね」
 瞳に涙を浮かべながら言う彼女に、かっと、頭に血が上った。なんて女性だろうか? こっちは真剣になって注意をしているのにもかかわらず、言えば「おかしな人」とは! 我慢が出来ないっ! 大きく息を吸い込んで溜まっていた愚痴を吐き出そうとした時だった、ガチャリ扉が開いた。
 「そのようじゃあ、計画は失敗ってわけか」
 「ラウさんっ!」
 はっきりと顔を紅潮させて言った彼女に、違和感を覚えた。肩にかけた上着を机の上に、丁寧に畳んでは、ラウさんのもとへと駆け寄る彼女。何かが引っかかる。
 「だって、あの人が急に『おれん所の馬鹿をつれてくるから』なんて言うから、一体どんな馬鹿だろうなって思ったら、やらないわけがないじゃないですか。私、こう見えてスタイルとか、容姿だけは自信があるんですよ?」
 「はいはい、自信があるのは良いけど、あんまり無茶はしないように。ここに野蛮人がいないわけじゃないんだからさ」
 すっとどこからか紙袋を取り出したラウさんに、なんとなく、なんとなくだけど分かってしまった。彼女、僕をはめようとしていた。自分の身の危険を分かっていながらも。馬鹿だなあ、なんて思っていたのも束の間、床に散らばった書類を見ては、顔を真っ青にした。
 「・・・・・・どんだけ派手に散らかしたのさ・・・ちゃんと後始末しててね?」
 絶対零度の微笑みが、恐ろしいです。









[ 3/7 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -