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 申請から一年が経過し、不幸中の幸いか、放蕩息子、となることはなかった楼は、故郷をあっさりと捨てた。原因がはっきりとしていた以上、あの国にはもう戻る必要性はどこにもない、と判断したからだ。実の母親も死去、実の父親とは、連絡を取りたくもなかったし、取ったとしても「お金を貸してくれ」と言われるだけだ。義理の妹も、死んでいるから、もういない。おまけに、一番あてとなるであろう両家の祖父母も、自分が幼い頃に死んでいて、頼れる親戚もいなかった。四年前の『日本人殲滅命令』により高校中退が最終学歴のため、学歴が問われるアメリカでの就職は困難だった。ただでさえ、「中国からの移民」と「東洋人」が、大きな壁となり、だが、毎日酒に溺れることもなく、
 「お前な、少しは働いたらどうだ?」
 毎日、毎日、十時間は超えるであろうゲーム時間に、アメリカでの日々を優雅に過ごしていた。
 「うーん・・・・・・・・今良い所」
 「んなこたあ聞いてねえよ・・・お前に日本からの土産だってゲームをやった俺が馬鹿だったか」
 ため息をこぼしながら言う義父に、楼はソファーで横になりながら音量をゼロにして携帯ゲーム機で遊び、
 「あああっ! くっそ、ボス戦前にセーブしときゃ良かった! 電池ゼロで電源が落ちたっ!」
 「くそがっ!」
 申請後、行く宛てのない楼を「自分の愛していた女性の子どもだから」という理由だけで引き取ってくれた義父には感謝をしていたし、楼自身も早く働きたいとは思っていた。どこに行っても「中国からの移民」と「東洋人」のレッテルで白い目を見られることがなければ。これが楼を働くことに対して、最大の壁でもあった。これさえなければ、働けたのだから。
運が良いのか悪いのか、顔立ちだけは異常なまでによかったことを自覚していた。自分の容姿を最大限に活用して、水商売、も、当然考えた。が、水商売という職業が嫌だった楼からしてみれば、「東洋人で中国からの移民だから仕方ない」との妥協すらも考えたのだが、初対面で女性と物腰柔らかく話す、が地獄でしかなかった。決して異性が苦手ではないが、初対面では無理。だが、他に職もなかった楼は毎日ソファーに横になってゲーム機両手にして、時間になれば料理を作って、またゲーム。こんな生活がいつまでも続いてはいけないとは思いつつ、だが手段と方法がなかった。
 義父が大きなため息をついた後に、はっきりと言った。
 「・・・・・まあ、こっちは特にこういった目がきついし、お前さんさえよければ、なんだが」
 何かを提案するかのように言った義父に、楼は視線をゲームの充電器から彼の顔へと移した。


 アメリカの中でも権威と誇りを持つ米国連邦調査局。義父がここで働いていることを知っていた楼だったが、いくらなんでも敷地内に入るのは初めてだった。
 「それじゃあ、ここで待ってろ」
 テレビ画面や大きなスクリーンを通じてみたことはあったが、まさか本当に自分が此処に入るなど思ってもいなかった楼は、辺りを見渡し、座っていたパイプいすをじっと見つめたり、窓から見える光景を眺めていた。ぱたん、と閉まった扉を気にすることなく、窓からの風景を見ていて、血の気が引いていった。
 「何あれ・・・?」
 ぴしっとしたスーツに身を包んだ三十代ぐらいの男性が、両手に花束を抱えた六十代ぐらいの女性に、何かを渡していた。真っ白な封筒のようにもみえるが、なんせ、楼がいるのは五階の一室。地上のことが細部にわたって見えるはずがなかった。おまけに申請後の今の今までずっと携帯ゲームとテレビゲームで十時間を超えるほど遊んでいた。当然のように視力はガタ落ち、と考えてもおかしくはない、のだが、女性は真っ白な封筒のようなものから大量の札束のようなものを取り出しては笑ったのが、楼の瞳にはっきりと映った。
 「おまたせー、お前毎日ゲームばっかりするならさ・・・って」
 がちゃりと扉が開いたのと、ほぼ同時だった。今いる部屋が地上から五階はある高さということも忘れて、楼は窓から身を乗り出し、部屋に戻ってきた義父のことも忘れ、飛び降りた。後ろで「ここは五階よっ!」と悲痛な叫びが聞こえたが、今の楼からしてみればどうでも良かった。慣れないスーツではあったが、うまく着地すると、男性と女性は目を丸くし、義父が五階から見下ろしたときには、楼は男性を地面に押し付け、羽交い絞めにしていた。
 「な、何をっ!」
 「FBIの敷地内で女に大金渡すなんざ、いい度胸じゃねえかっ!」
 英語は中学校の時に習っていたし、何よりも義父がアメリカ人であった以上、日常会話レベルであれば使えた。だからこっちに来てから言葉であまり苦労はしなかったし(家の外に出なかった日数は年間の四割以上だったが)、今だって自分の意思をはっきりと英語で言うこともできる。
 「何言ってんだっ!」
 「ちょっと貴方っ! 何を勘違いしてるの?」
 顔を青ざめて言う女性と、自分の現状が全く分かっていない彼に、楼は怒りの頂点に達し、
 「局長っ! 何があったんですかっ!」
 入口から慌ててやってきた数人の、ここに勤めている職員と思われる男性たちに、楼は小さく言った。
 「きょく・・・ちょ・・・・・?」

 申し訳ございませんでした、と頭を下げる僕と義父に、局長の彼は心優しく「なんてことはないよ」と笑いながらも許してくれた。FBIの局長さん(お偉いさん、だとは思うけど)でもあるラウさん。どこかで聞いたことのある名前だけど、とりあえず今は頭を下げる方が先。
 「すみません、無礼を働いてしまい」
 しっかりと頭を下げれば、ラウさんと横にいた女性はうなった。なんで? 
 「中国からの移民だって聞いてたけど・・・・・謝るんだ?」
 目を丸めて言う彼女たちに、義父は笑っていた。いや、たしかに分からなくはないよ? トップがアレだから、ひょっとしたら、って思うかもしれない。でもね、それっていわゆる「日本人イコール侍」って同じレベルのことで。
「そりゃあ、謝ることだってあるでしょ」と笑いながら言ったのは、どこか日本人を思わせるアンナさん。見た目だけになるけど、年齢は僕とあまり変わらないと思う。二十歳を少し前後するかどうかぐらい。
 「でも、本当にここでお手伝いをしてくれるの? 大変よ?」
 たぶんアンナさんはまだ学生のはずなんだけど、どうしてここに居るんだろうか? バイトか何かだろうか? ここって高卒でも雇ってもらえるんだろうか? じゃないと年齢が合わない気がする。
 「大丈夫だって・・・・こいつ、頭だけは良いから、要領よくさくさくやってくれるって」
 義父が僕の背中を押す。頭は自慢できるほどよろしくはないけど、一応頑張って、中国内では名門とされる中学校を出ただけの実力はあるし、運動能力は、ないわけではない。自慢できるほどではないけど。
 「まあ、上の連中らはあんまり良い目で見ないとは思うけど、よろしくな?」
 頭をぐしゃぐしゃと撫でながら言うラウさん。警戒心は持っていても、損ではないと思うし、普通だと思う。
 「それじゃあ、やってみましょうか? お手伝いっ!」
 両手を合わせて頬を赤く染めながら言うアンナさんに、しっかりと頭を下げて「よろしくお願いいたします」と言う。くすくすと笑う花束を持つ女性に、不思議と違和感は抱かなかった。というよりも、僕はラウさんとこの女性をどこかで見たことがある、ような気がする。どこかで、と考えている間にも、義父と女性は何かを話している。難しいことに関しては、首を突っ込まないようにしよう。突っ込んでろくなことがないのは、もう十分経験済みだから。
 目元のしわと背負わなくてもいい苦労を乗り越えた女性の表情に、今さらではあるものの、思い出した。










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