第6話〈自由。〉


 言葉を覚えたての幼児のように明るく話す少女。彼女が例の氷竜だというのか。確かに人間離れした肌の色をしているが、それだけでは……。
 にわかに信じられないナナシはサナエを見た。その視線をサナエは横を向いて知らんぷりをした。


「えーと……ガニャン、って言ったっけ。君は竜なの?」


 物は試しだと、ナナシは竜と呼ばれた少女に話しかけてみた。


「そう! ガニャン! こおりの りゅう!」


 これが証拠だと言わんばかりに、ガニャンは右腕をゆっくりと前にあげた。

 パリパリパリ、という音とともに、獣のように長く伸びた爪を誇るその指先から、肩に向かって彼女の腕はどんどん青い鱗に覆われていく。

 息をするのも忘れ、その光景を凝視していたナナシは、サナエの「やめろ」と言う一声で我に帰った。


「家が壊れるだろうがよ!」


 サナエの怒声にガニャンは慌てて腕を隠す。
 しゅんと縮こまった彼女のその姿に、途方も無い切なさを感じた。



「ねえ、ガニャン。君はどうしたい? 自分の家に帰りたい?」


 いま大事なのは、サナエ=ライトナーの説得ではない。目の前で肩を落として小さくなる、本当はとても大きいはずの、竜の女の子の気持ちなのだ。

 ナナシの真っ直ぐな言葉にガニャンは目を丸くし、そして思い出したように徐々に表情を明るくして嬉しそうに答えた。


「かえりたい」


 横でキッと睨むサナエの事など、もう見えていなかった。


「ガニャン、そら じょうずにとべない けど スキ!」


 ガニャンのその言葉にホッとした、束の間だった。

 大騒ぎするサナエの声も掻き消す程の、重機の動く音と、振動、崩落音が突然間近で鳴り響いたのだ。こんな真夜中に、一体何が起こったと言うのか?
 視線はそらさず、3人は無意識に音の聞こえる方と反対側の、部屋の壁側に避難した。

 轟々と、家を揺らしながら音はどんどん近づいてくる。

 正体不明の迫り来る恐怖に腰を抜かしてしまったサナエは、壁にもたれながらズルズルと座り込んでしまった。

 そしてついに、3人の居るこの部屋の壁が、天井が、凄まじい音と共に、崩落した。



 停電で真っ暗になってしまったが、2階まで丸ごと削られてしまったらしく、雲ひとつない澄み渡る夜空から月の明かりが降り注いでくれたおかげで、その全貌が明らかとなった。

 言い知れぬ恐怖にただただ呆然とする3人の目の前に現れた重機は、その非情なまでの動きをピタリと止めた。


『サナエ、諦めなさい。氷の竜は自由を求めている』


 重機の方から聞こえたメガホン越しのドスの効いた声は、街長のものだった。
 そして、よく目を凝らすと重機の操縦席にはローレスト──街長を紹介してくれたおじさん──がいた。

 ナナシは、聞いてないよ……と、街長の見事なまでの暴君っぷりに内心ツッコミを入れながら、少しの安堵を振り払い、辺りを見回した。

 自分達の上の天井にも亀裂が生じ、パラパラと音を立ててコンクリートの破片が落ちて来る。


「このままだと天井に潰されちゃう! ガニャン、私と一緒に行こう!」


 ナナシの指差す先──ぽっかりと空いた巨大な天井の穴を見て、ガニャンは理解した。
 また先程と同じように嬉々とした表情で、今度は何の妨げも無く、勢い良く竜の姿へ変化していった。

 部屋の半分以上を占める巨体、月明かりに反射する鱗と額の宝石のような飾りに、一瞬、呆気にとられたナナシだったがすぐに気を取り直し、ガニャンの背中によじ登った。

 そして、何の理解も追いつかないと言ったぼんやりとした目つきで空を見入るサナエに向かって、精一杯手を差し伸べた。

「あなたも早く! サナエ=ライトナー!」

 声をかけられ、言われるがまま、手を伸ばした。ナナシに引き上げられた時サナエは、もう殆ど泣きそうな顔をしていた。

 ナナシの合図でガニャンは思い切り翼をはためかせた。助走なしで宙に浮くのだから凄まじい筋力なのだろう。脆くなった残りの天井や壁は風圧にとどめを刺され、ナナシ達が去った後、完全に崩れていった。


 2人と1匹が消えて行く様子を見届け、冷や汗を拭うローレストをよそに、アズミは、ふぅ……と小さく息をついた。


──娘をよろしく頼んだわ。若き、選出旅人。



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