序-春-


 桜も映える快晴を、氷の空気が包み込む。

 街の人々はおよそ1時間前から、春だと言うのに、まるでこれから冬籠りをするかのような厚手の装いを始めていた。そして、各々、外に出たり、高い建物の開放された窓際に集まったり、ワクワクした表情で遠く北の空を見つめるのである。
 気合を入れて早朝から開店し始めた屋台、特にオデンが、よく売れる。

「見えてきたぞ!」

 若い男の張りのある声を皮切りに、街中の体感温度はグッと下がり始めた。
 男が指をさす方からは、翼竜の軍勢と、羽ばたく音、そして重低音な唸り声がどんどん近づいて来る。

 その光景は、この土地では〈コオリワタリ〉と呼ばれている。
 遠く氷の国に棲まう氷竜族にとってはただの一族総出の世界縦断旅行らしいが、人間にとっては年に一度の風物詩であり、本格的な春の訪れを人々が実感できる、大切な催事なのだ。

 次第に、街の人々の頭上から光が消えていく。
 竜1頭、頭の先から尻尾の先まで、優に10mは超える。大将と呼ばれる先駆竜は30m、支配者・竜王においては50mはある。その、生き物として桁外れの大きさの群れ、およそ500頭が一糸乱れぬ優雅な飛行で、全てが完全に通り過ぎるまでにかかる時間は30分ほどだろうか。
 竜たちの吐く息に、窓ガラスが小さく音を鳴らしながら凍っていく。

 街の子供たちは、地面を這うように夢中に歩き回っていた。氷竜族が〈コオリワタリ〉時に、よく落としていく、永劫に溶けない氷の結晶を集めているのだ。その結晶に大人は価値をつけないが、子供たちにとっては十分宝物になる綺麗なものである。

 どこからか地域のラジオ放送が聴こえてくる。

『−−3月30日、今年も〈コオリワタリ〉を迎え、春本番ですね〜!氷竜たちの冷気を受けギュッと引き締まった街の桜も、明日には満開の予定です。また、これから前線の影響により少し風が強くなる予想のため、明日は、花吹雪になりそうです!−−』



 街に光が戻り、10分も過ぎた頃。人々は再び空を見上げた。氷竜が1頭、飛んでくる。

「アレが今年のハルウララ≠セな。ずいぶん離されているが、大丈夫か?」
「だいぶ小さいわ。飛び方もヘタだしまだ子供のようだけれど。置いてかれてかわいそうねぇ」
「竜の世界の事だ。立派な竜になるための経験なんだろうよ……多分」

 がんばれ、がんばれ! と、声援が広がる。小さな氷竜はフラフラと左右に揺れながらもゆっくりと街を通過していった。

 少しずつ降下していっていることには、誰にも気付かれずに。



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