* 「そういや最近、あの人見ないな」 蝉の大合唱が全身に降り注ぐ。それはとても心地良く、骨まで響いてくるようだ。 自分達が通う高校から15分程自転車で走る所に、見渡す限りの田んぼに囲まれた、小さな森がポツンとある。その森の中に佇む巨大な石版は、表面が滑らかで触るとひんやりとして気持ちがいい。 小学5年生の夏の終わりに、少し遠出して見つけた、2人だけの秘密の場所。 入道雲がくっきり湧き出す頃になると、毎年避暑にやってくるのだ。 「別れた?」 「誰と、誰の話してんの、それ」 石版を挟んで背中合わせをしながら、お互いの声を伝え合う。 「カンダと、あの金髪で超ロン毛の、カンダに似てる人」 「なに、ケーキのこと?」 ──そう呼ばれてた気がする ギンガの返答はより一層強まった蝉達の声に掻き消され、ナナシの耳にはうまく届かなかったが、聞き返すまでもなかった。金髪で超ロン毛の知り合いは一人しかいないから。 「どこが似てる? 似てないよ全然。髪型が同じだけで」 「似てるぜ。なんとなくだけど。で?」 「兄貴だよ、別れたのは。もう1年くらい会ってないや」 「兄貴ってどっちの」 「2番目の」 「レイゴセンパイ? 剣道部の? 男が好きなん?」 「そうじゃない。女が好きなんだけど……そう。だから別れちゃったんだよ。ケーキ、見た目がああだから、鈍チンのレゴは私が言うまで10年も気づかなくて」 「げっ、たまにしか見たことない俺でもすぐ気付いたのに」 「うん。でもさ……」 ナナシは言おうとした言葉を少し飲んで、木々の隙間から見える蒼色をみた。 「ホントのところ、私もわかんない」 ちらっと降り注ぐ光の直線が眩しい。 「ん?」 「女だからって理由だけで好きになったって訳じゃないはずなんだ。中身を知ってるから好きになったんだ。ケーキが、ケーキだから好きになったはずなのに。好きなら好きで、いればいいのに」 難しいこともある。大変なことも多い。世間の目というものが、さして優しくないことも。そんな事は百も承知だけれど、それでもナナシは、大好きなふたりには、ふたり一緒に幸せになってもらいたかった。 「俺は……カンダのことを好きなように見えたけどな。あの金髪超ロン毛の人」 「好いてもらえてたと思うよ。私も大好きだもん。でも私たちのその好きは、多分、マコトが私を好きって言うのと同じ好きであって」 「俺お前に好きって言ったことあった?? 好きだけど。いや、好きだけれども。確かにな。トモダチとしてな? いや、すげえよお前」 「ありがと。だからそう言う好きなんだよ。ケーキの私に対しての好きは」 「あっそ」 言葉を終えるころ、不思議な静けさが2人を包み込んだ。夏の声が止まった。 なぜ蝉達はあんなに沢山いるのに、まるで誰かの指揮棒に合わせるかのように突如として、一斉に静まり返ることがあるのだろうか。大きな声で鳴きながら、多くの仲間と意思疎通が出来ているのだろうか……そんな事を頭の中で考えながら、自分達も声を発するのをどうしてか、自然とやめていた。 1匹、また1匹と鳴き始めるまでの間は何か、目に見えないものがこの空間を、ゆっくりと通り過ぎていくようだった。 静寂≠ニは、もしかしたら目に見えない大きな生物なのかもしれない。 「夏休みの自由研究に使えそうな題材だな」 小さな声で呟くギンガの声は、今度はしっかりナナシの耳に届いた。 「いいね。でももう高校生は自由研究無いね」 「じゃあ将来生まれてくる子どもにやらせるわ」 「相手は?」 「そうだなぁ……」 考えながら、ギンガはもたれかかっていた石版から、自分の背中をずるずると台座へ落とし、ほぼ寝そべるような形になった。 「華奢で、おしとやかで、運動はちょっと苦手で趣味は読書!みたいな、髪が肩くらいまでの女の子かな」 「カスリもしないんか私は」 「あったりまえじゃん。だってカンダとはさぁ……」 学校ではお互い、いつもすごく近くにいるのだけれど、ネストケーキがナナシのそばに現れた時は、ナナシがどこか遠くにいるように感じてしまっていた。 おそらくナナシの言う通り、ギンガと、ネストケーキの好きは同じベクトルなのだろうとは思う。ただ少し、言葉では表しきれないほんの些細で、しかし、歴然とした巨大な差を、ギンガは感じていた。 言葉を交わらせた事もない相手と、競い合ったり奪い合うつもりはないのだが、どこかで、ネストケーキに負けていると思っていた。 「カンダとは、この先もずっと、ただ、トモダチでいたいなって思ってるだけなんだよなぁ……」 一陣の風が、すぅーっ……と2人の横を通り過ぎて行く。 「奇遇だね、私もそう思ってたとこ」 石版の横からナナシの握り拳がそっと、ギンガの方をのぞきこむ。 それを横目で見つけたギンガは、腕だけ伸ばし、力の抜けた自分の右手の甲をコツンと、静かに返した。 end |