少し前までのシロといったらそこにいるだけなのに周りから避けられて、遠くからひそひそと噂されたり、挙句の果てには汚物扱いされていたのだから何がどう変わるのか分からない。

 初めて声を掛けた時、シロは死んだ魚のような目で涼太の事を見上げて来た。名前を聞いたらぼそぼそと聞きとりにくい声で「シロタ」とだけ呟いた。それが苗字なのか名前なのかはっきりしなかったのだが、捨て犬のような彼を揶揄して「シロ」と呼んで可愛がる事にした。

 シロはボロも同然の様な服を身に纏っていて、髭も髪も伸び放題でこれは汚物と呼ばれても仕方ないなと涼太は内心せせら笑った。風呂に入れてやる時も、シロは無気力そのものでどこを好き勝手洗おうとも何の反応も見せなかった。

 清潔な衣服を着せてやると、それまでの不潔さ等一片も無くなったシロがそこにいた。その日以来、シロはずっと涼太の傍にいる。涼太の飼い犬として、従者として、シロは涼太の命令には全部従う。

「初めは罰ゲームだったんだ。シロに声かけたのは。賭けに負けた奴が駅でいっつも寝転んでるお前に声かけんの。でも、俺で良かったね。でなきゃ今頃お前あそこで凍死してたんじゃない?」
「……感謝しています」

 いつも無気力なシロは涼太の嫌味にも、何の反応も見せない。時には度の過ぎたワガママを言う涼太であったがシロは黙って言う事を聞く。

 シロは自分の事を全然話さない。涼太が面白がって問い詰めても「あまり覚えていない」とはぐらかされてしまう。かろうじて聞き出せたのは、シロはとてもいい大学を出ていていい会社に入っていたと言う経歴だけ。

 ちなみにシロが通っていたのは今現在、涼太が目指している大学だった。あともう少し頑張らないと……と、言われたばかりなのもあってか涼太はトゲを含ませながらシロに問いただしてみた。

「じゃ、何であんな風になってたの? 堕落の仕方を教えてよ。そこまでいい学歴と職歴があるのにさ」

 ややあってからシロが相変わらず暗い声で呟いた。

「……僕は誰かに指示されなきゃ何もできないんです」

 どこか違和感を覚える言い回しに涼太は眉間に皺を寄せた。
 ある日の午後、シロはテーブルの上を片づけていたので涼太がまたいつものようにちょっかいを掛けに行く。

「でもシロ、俺の父さんはシロより下のレベルの大学だったけどいい企業に入って、すぐに出世して、今は海外でバリバリ働いてる。結局こういうのが勝ち組っていうんだよね」
「はぁ」
「やっぱり金と権力のある奴が何だかんだ幸せなんだと思うんだよね。いい服着て、いいもん食べてさ。金で買えないものって何? どーでもいいよ。そういうの。形に残ってこそでしょ、何だって」

 シロは聞いているのかいないのか皿を洗うのを止めない。相変わらずからかい甲斐のない奴だ、と涼太は不服気に彼の背中を眺めた。

「シロ」
「何でしょう?」
「お前指示されたら何でも言う事聞くの?」

 ええ、とシロは一つ頷いて見せた。

「だったら、俺、人死ぬとこが見たいんだよ。死んで見せて。電車に飛び込みがいいな。あれって両親に迷惑がかかるんでしょ?」

 シロは表情一つとして変えない。やっぱり無表情のまんま、嫌がる素振り一つとして見せずに答えるのだった。

「いいですよ。じゃあ、これが終わったら」

 食器に付いた洗剤を洗い流しながら、シロは呟いた。

「……嘘に決まってんじゃん?」

 涼太の少しばかり震えを帯びた声にもシロは軽く一瞥するだけだ。

「お前が居なくなったら、俺この家で一人ぼっちになっちゃうじゃん」

 涼太の感情の吐露にもシロは動揺した様子も見せない。

「お前、何なんだよ。俺の言う事何でも聞きやがって。俺が恩人だから? そうじゃないんだろ、誰の言う事でも聞くんだろ。マジで腹立つ。俺以外の言う事聞くな」
「分かりました」

 勿論、シロだったらそう言うに決まってる。

「シロ」
「何でしょう」
「今すぐに俺の事抱きしめろ」
「手が洗剤まみれなんですが?」

 シロは両手を見比べながらさも不思議そうに尋ね返してきた。

「いいから」

 分かりました、とシロは言われた通り涼太を抱きしめる。

「父親が子どもを抱き締める時みたいにしろ、俺がいいって言うまで」
「はい……」

 制服の背中がぐっしょりと濡れてしまったがもう気にもならなかった。多分、一生シロはこのまんまで、変わらずにこれからもずっと傍に居てくれる。涼太のどんなワガママにだって嫌な顔一つせずに答えてくれるし、自分以外の奴を見るなと言えばその通りにしてくれる筈だ。

 何て従順な犬、きっと涼太が愛を欲すればシロはそれさえも応じてくれるのだろう。涼太はシロに抱きしめられながら、シロの華奢な腕の中でずっと泣き続けた。









初めはニャンニャンするシーンもあったんですけどー、
何ていうかこの二人はそこまで掘り下げた関係にしちゃうと、
この微妙な均衡で成り立ってる関係が台無しになるのでは…と
考えた結果無しになりました。とりあえず今は無し、みたいな。
ゆくゆくはこの微妙な関係も崩れ去りそうですね。
釣●バカ風に言うと今夜も不合体!っていうあれですね。
そういえば最近リアル友人にいちいち出てくる語彙が古いと指摘されたばかりです。





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