40.すべての思いに巡り来る祝福を


 悪夢のような時間が終わり、いつもの朝が滞りなく始まろうとしている事にひどい違和感を覚えた。……不思議な心地だった。強まる陽光を浴びながら、廃ホテルの中を一同が歩く。

「大丈夫か?」

 柏木がキルビリーを起こしてやると、彼はその手を使って何とか起き上がった。いくら再生能力があろうとも流石に応えたという事か、その全身は満身創痍なようだった。キルビリーはよろよろとした足取りではあったが、何か目的に向かってその足を進めた。

「おいコラ、ババア」

 やがて彼は転がったロッキンロビンの首を拾い上げ、不躾な様子でその頬をぺしぺしと叩いた。

「いつまで寝たふりしてんだよ。おねんねしてんじゃねーよ、起・き・ろ!」
「――やめろよ」

 見兼ねたように、思わず柏木が背後から止めに入る。

「もう彼女は……もう――」
「あら? 私、まさか負けたの?」

 瞬間、ぱち、っと目を開いた彼女はどうやら本当に眠りに落ちていただけみたいだった。柏木が「は!?」と情けない悲鳴を一つ漏らし、大袈裟なまでにのけぞった。女性相手にそんな声が出なくとも、という有様ではある――本当に何でもありだな。お前らは。

「そうだよ。ダッセーな」
「ちょっと、私の身体はどこ」
「知らねえよ。めんどくせーから一回戻って作り直そうぜ」

 そのやり取りを聞いていると、何だか頭痛がしてきそうだった。

「あいつはどうなったの? ちゃんと倒せた?」
「倒してくれたよ、そこの眼鏡くんが」

 キルビリーがそう言って背後を指すと、突然の指名に七瀬が驚いて身を竦めた。ロッキンロビンも(いや、しかし、何といえばいいのか……生首のままだ。シュールな光景である)意外そうにやや目を見張ったが。

「言ったでしょう」

 那岐が、ほんの少しだけ柔らかくなった笑顔を浮かべつつ言った。刀を持たない彼女は、普通の女子高生と変わらない……ように見える、今のところは、一応。

「生き残ろうとする意思のある者が、最後には勝つんだって」

 悪夢のような時間を過ごしたその廃ホテルを、一同が後にした。足元は、さっきまで降り注いでいた雨のせいかぬかるんでいた。外の世界は先程までのような禍々しさはなく、嘘のような青空が広がっていて、ああ、本当はこんなに綺麗な場所だったのに。と、言いようのない残念な気持ちにさせられた。

 振り返って見たそのホテルだって、あんな惨劇が起きたとは思い難いくらいの美しいホテルなんだけど。あの中に、友人や同級生らが頭を潰された死体が転がっている事を除けば。そこでまた前田と新条の事を思い出し、歩くのを止めてしまった自分がいる。

 七瀬はひょっとしたら自分がとても冷血な人間じゃないのかと思った。
 友人の死体を置き去りにして、自分だけが生き残って。……前やんの事だから、「そんな事気にすんなよ」とあの人懐っこい笑顔で言ってくれるのだろうか?

「――やっぱり、行ってしまうんだな」

 柏木の声に七瀬がはっと感傷から引き戻されてしまった。

「ええ。本当ならばこの事態をもっとちゃんと説明したいのだけど」

 那岐の言葉に、七瀬は思った。
 彼女達の種族――というのか、とにかく、那岐達は本来は自分達のような人間を侵略する側であり、いわば彼の好む映画で例えるならエイリアンみたいなものなんだろう。そんな存在が自分達の為にこれから戦ってくれるなんて思い難いし、手を貸してくれた事だっておかしな話だ。

「ううん……俺達の為に戦ってくれて、ありがとう」

 七瀬の言葉に、何故か那岐がほんの少し悲し気な顔をさせたような気がした。

「――やらなくちゃいけない事、山のようにあるから」

 やらなくちゃいけない事。それはきっと、先程倒したネクロノミコンが、彼女の言う『複数あるうち』の世界にまだ存在しているという事とか。何よりも、彼女が会いたがっているという人に出会う事か。きっと七瀬には知らない事がまだまだたくさんあるのだろうけど。只……これは分かった。彼女達は別に、世界を救う為に存在しているわけじゃないと。

「ン、ン!? 何、寂しい? お前も来るか?」
「……いいよ、浦島太郎状態になるのはゴメンだ」

 面白そうにキルビリーが言うのを、柏木はやっぱり却下した。那岐とキルビリーと……それからロッキンロビンの生首(!)は七瀬と柏木の少し前を歩いていたが、やがてキルビリーがその足を止めた。
 くる、っと振り返って後からついてきていた二人に指を差しながら言った。

「ここからは企業秘密なんで見ないでもらえる? ストップ! ストーップ!!」

 つまりはまあ、来るな、という事らしい。宇宙船にでも乗って帰るのか、なんて期待していたがその真相を見る事は叶いそうにもない。
 再び三人が歩き出したのを、七瀬が呼び止める。ろくにありがとうもさよならも言えなうちに離れ離れになるなんて、辛すぎる。

「那岐さん」

 だけど、彼女達に時間があまりないのも何となく伺えた。だったら、言うべき言葉は慎重に選ばなくてはいけなかった。七瀬は臆病風を追いやり、息を吸い込んで、それからきっと顔を上げた。

 大丈夫。
 今の自分なら、言えるさ。もっとちゃんと、はっきりと。

「世界が変わっても、俺は君にまた会いたい」

 那岐は振り返らなかった。でも、続けた。だけど今、全てを言わなくてはいけない。次の瞬間には彼女は消えてしまっているかもしれないから。

「違う世界で姿が変わっていても、何度でも君を探し出して見せる。だから……」
 
 那岐はそれでも振り返らない。表情は、分からなかった。彼女が一体どういう思いでこの言葉を受け止めているのか皆目見当もつかなかった。でも、言わなくちゃ、駄目だった。

「だから、また……」

 会えるよね、と聞きかけたところで、那岐は最後まで聞いてくれずに歩き出してしまった。キルビリーも、あ、と短く声を漏らしてそんな彼女の後をついていく。途中何度か振り返って、こちらを見たのは彼だけだった。

 それでも、きちんと伝えられたと思う。もう悔いはないから。七瀬は少し微笑んで、あらゆる感情を噛みしめた。

(きっとまた会えるって、信じてるから)

 そんな七瀬の肩に背後からそっと手を置いて、柏木が言った。

「どうやら携帯も繋がるみたいだ。……良かったな」
「……」
「ひとまずあの展望台で、連絡を取ろう。フェリーが事故に巻き込まれた時点で本部にも連絡がいっている筈だから……」

 そう促すと、七瀬もややあってから、一つ頷いた。口元には頼りない笑顔が浮かんでいた事だろう。
 その道中、柏木はまだしつこく自分の手が拳銃のグリップを握り締めていた事に気付いた。手が痺れる程に強く握っていたようだが、途端に馬鹿らしくなってしまった。第一、船長がこんなものを所持していた事がばれたらとんでもない事になる。船内の様子から銃が使われた事はすぐに判明するのだろうけど――柏木はあれこれ考えるのを止めて、海に向かってそれを投げた。

「疲れたな」
「……うん。とても疲れたよ」

 波の音に、今はひどく癒された。
 失われていた当たり前の世界が、少しずつ、戻り始めている。


 世界はいくつも存在している、と那岐は言った。人には誰にでも、選択肢がある。あの時、ああしていたら、こうしていたら、と思い返す事柄がいくつもあるだろう。
  
「そうだ。生まれてくる子どもの名前だけどさ、何がいいと思う?」
「……そうね。女の子にはどうしても、林檎――って名付けたいの」

 まだ子どもの性別も分からないうちから気の早い話だと、笑われるかもしれない。

「林檎……か。どうして? 何か意味でもあるのかい?」
「大切な友人との、約束だから」

 そう言ってふわっと笑った彼女の顔は、何か懐かしい思いを馳せているようであった。

「――じゃ、男だったら僕が名付けてもいい? 僕の名前から一文字と、死んだ親父の名前から一文字取って『直純』……ってのは、どう」
「いいわよ。でもちょっと渋い感じしない? 今時の子達に囲まれたら浮かないかしら」
「大丈夫だよ。大体、大人になってから後悔するような名前なんかつけたらもっと恥ずかしいだろう?」
「あら、そう。それは失礼しました。……ふふ、そっかぁ。どっちだろうなあ、楽しみね。でも、どっちでもいいかな」

 あなたが生まれてきてくれるなら、それで十分よ。
 囁いてから、母親は子守唄を口ずさみ、別の命が宿る腹部をそっと撫でた。

 
 おやすみなさい、と。





林檎ちゃんの母って、
林檎ちゃんの本当の親じゃないし、あれなんだよね。
これもまた別の選択肢というのか、
林檎ちゃんの母が別の男と結ばれてたら? とか
いやいやこれは林檎ちゃんの本当の母親かもしれないし
とにかくまぁ、こういう世界もあったかもなあっていうね。
こまけえこたあいいんだよ!(丸投げ)



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